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最終章 数多の未来への選択編

※※※(樹視点)

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「…くっ」
ただ穴に落ちただけだと思いきや、途中からスライダーのような形に変わり、これなら登って行けるかと足を踏ん張らせてみたが、後ろから次から次へと意識のないクローンが落ちてきて。
踏ん張る事も出来ず、最終的に地下の貯水プールのような所へ落とされた。
勢いよく落とされた所為で一瞬意識が飛びかけたが何とか維持して。俺の上に落ちてくるクローン達をどうにか押し退けて、水面に顔を出した。
「……白色の液体?」
ここの灯り自体がオレンジ色をしているから解り辛いが、恐らくこの液体の色は白だ。乳白色と言うべきか。
「…ちょっと待て。白色の液体だと?と言う事は、これはあれかっ?クローンを溶かす液体かっ!?」
長く浸かってる訳にはいかないだろっ!!
こんな所に美鈴が落ちなくて良かった。
それはそれとして、俺も身の安全を確保しなくては。壁に穴とか、俺の力で開けられそうな弱い所はないか?
壁に触れては確かめ、触れては探してを繰り返したが、特になさそうだ。この分厚いアクリル板を割る事も不可能そうだ。
横がダメなら上はどうだ?何処かに少しでも上に上がれる場所は無いかっ?
視線を上向けると、ちょっとした隙間がある事に気付いた。あの隙間なら通れなくはなさそうだ。
……水族館の魚の気分だな、ほんと。
あとは足場だな。何か足場になるような…クローンを足場にしてみるか?奴らは次から次へと落ちてくる。奴らを重ねて上に上がってあの隙間から逃げるか。
…場所を選んで重ねる必要があるな。奴らは液体に触れると直ぐに溶けてしまう。だからなるべく液体の付かない所に…。
落ちてくるクローンが液体に落ちる前に貯水プールの縁にある突起の所へ座らせる。足は溶けるかも知れないが、上半身はなんとかいける。
非人道的とか今は行っていられない。
まずは俺がここから出る事が先決だからだ。それに…上には美鈴が一人だ。
アイツの事だ。
俺を助けに来ようとする筈。アイツの性格上きっとそうだ。
クローンを足掛かりに、何とかよじ登って、貯水プールの上縁から外へと飛び降りた。
「あぁー、くそっ。ここに閉じ込められてから、汚れっ放しだっ」
服を脱いで軽く絞りながら周囲を見渡す。
「んで?ここは一体何なんだ?」
『ゴミ捨て場さ』
「誰だっ!?」
辺りには誰もいない。
ならこの声は一体何処からっ。
警戒心が強くなる。だが声は、また俺に聞こえる。
『【俺】は【お前】だよ』
「…どう言う意味だ…ぐっ!?」
唐突に頭を金槌で殴られているかのような痛みが襲う。
『すぐに【思い出させて】やるよ…ほら…立って歩け』
「な、にを…っ!?」
足が、体がっ、勝手に動くっ!?
頭痛は消えないのに、足が一歩、二歩と前へと進む。
ふらつく体を何故か俺が制御出来ない。俺の体なのに。
貯水プールの横、俺が今いる通路の様の場所をふらふらと進み、歩く毎に頭痛は酷くなっていく。
『あぁ、だいぶ操れるようになってきた。…しかし、おかしいな。何故お前はこんなにも反抗出来るんだ?』
俺は一体何処に向かってるんだ…?
『今だってこうして俺に反抗出来るだけの意識が残っている。…何故だ?お前だって【俺の転生者】に過ぎないのに』
何を言ってるんだ?こいつは…。
頭が痛んで思考がまとまらない。
背中に冷汗が伝う。
『だが、まぁ、それも直ぐに気にしなくても良くなる。逆に何処まで抗えるか楽しみだよ』
俺の体はドアノブを捻りドアを開けて、また進んで行く。
歩く毎に痛みは増し、頭の中が白くなって…。
この声の主が全て原因だと解っていた。解っているからこそ、俺は今死ぬ気で意識を保っている。
むしろ頭痛に感謝すら覚える程だ。痛みがないと、意識が乗っ取られてしまう。
『…ほら、着いたよ。お前の為の【人工記憶再生機】だ。見た目もわざわざカプセル型に拘ったんだ』
「…意味のない、拘り、だな」
『そうか?お前は自他ともに認めるナルシストだろ?』
笑いながら言われる。くそムカつくな。
こんな状況じゃなきゃ殴りかかれたものを…。
足が、一歩ずつ。声の言う通りに奴が言う所の【人工記憶再生機】と言う良く解らないカプセル型の装置へと近寄って行く。
『お前が完全に【転生体】になれば、俺は漸く【華】を手に入れる事が出来る。あの力を【神の力】が俺のものに』
こいつは一体何を言ってるんだ?
全く意味が解らない。だが、あのカプセルに入ったらヤバいって事だけは解った。
どうにか、どうにか踏ん張って入る事を阻止出来ないかっ?
『まだ抗うか。無駄な事を』
「無駄か、どうか、なんて、やってみなきゃ、解らねぇだろッ…」
『……ぐっ…。本当、なんでこうも逆らえるんだ…ッ。俺とこうして話せるって事は、俺の【転生体】の一人だってのは間違いないのに』
進ませようとする声の力と抵抗する俺の力で、足がぶるぶると震える。
『まだ、抵抗するかっ…。ならばっ…』

―――ズキンッ!

「ぐあっ!?」
頭痛が倍増した。
その痛みが、俺の油断を引き起こした。
抗っていた足は俺の意に反して、すんなりと歩を進め、装置の前へと立った。
ここに入れられたら、絶対に俺は声に意識を乗っ取られる。そんな確信が俺にはあった。
あったのに…。
体は既に奴の手中にあった。
カプセルの中に足を踏み入れた途端に体から奴の力が消える。
唐突に与えられていた圧力が消え、体のバランスを崩してしまう。
前に転ぶみたいに膝をついた瞬間過ったのは、しまったと言う言葉と焦り。
俺の入ったカプセルは瞬時にガラスの蓋がされ、白色の水が下から徐々に競り上がってくる。
「くそっ!」
俺を襲っていた頭痛も消えて、今なら逃げれるはずと持てる力全て込めて目の前のガラスを殴るが一切傷一つつかない。
液体は直ぐに腰、胸と上がって行き、そして俺の頭まで全てを飲みこんだ。
(くっ、息が…っ)
『問題ないよ。息だって出来る。俺にその体を預ければな』
(誰が、そんなこと…っ)
『このままだと死ぬぞ?俺に身を捧げろ』
(変態か…ぐっ!?)
『無駄に苦しい思いをするお前の方が変態だと思うがな…。あぁ、そうだ。夢を見せてやろう。その間に、お前の体は俺のものになる』
唐突に息苦しさが消えた。
その代わりに、俺の全身の感覚も消えた。
今度は一体何なんだっ?
目の前が真っ暗になったから余計に焦る。だがどんなに焦っても手も足も動かない。頭どころか瞬き一つ出来ない。
真っ暗な空間に体を投げ込まれた気分だった。
その状態が数秒続いて、急に白い光が俺の視覚に飛び込んできた。
(なんだ…これは…?)
目の前の光景が変わる。
(ここは…どこだ?)
学校、か?俺達が通っている学校?
廊下に窓。外から見える景色。どれも毎日眺めた風景だ。
だが、どうにも違和感がある。夢と言うには少し違う。
奇妙な感覚だ。
…そう。言うなれば、誰かにまるで憑依しているような…。【俺】の視線なんだが、【俺の意思】では動かせない。
ただ、誰かの体の中に勝手に入って、まるでそいつの行動を俺が中から覗いている…そんな感じだ。
俺が憑りついている人物は大学の校舎内を歩く。
……こいつ、何してるんだ?
動きから察するに、誰かを探しているんだとは思うんだが…。
視線はキョロキョロと何かを探して彷徨い、その間に足は少しずつ前へと進む。
それからまた暫く歩いて、階段を降りた、その時、そいつは目当ての人物を発見した。
その人物を見て、俺も素直に驚いた。
「あ、白鳥さん。やっと見つけたよ」
弾んだ声で駆けよった。犬か、こいつは。
「………何かご用ですか?」
―――ッ!?
あれは、本当に美鈴なのか?
何だ、あれ。白鳥と呼ばれていたし、見た目も美鈴で間違いない。なのに、俺は思わず美鈴なのかと疑ってしまった。
美鈴の筈なのに、目つきも表情も口調も、動き方、何一つとっても俺の知っている美鈴と違って見える。微々たる違い。そう言われたらそこまでなんだが…。
俺が首を傾げている間にも二人の距離は縮まって、会話が進んだ。
「ご用と言うか、お願いが」
お願いがある、そう言われた瞬間に浮かんだ笑みは俺が何時も見ているふにゃふにゃした笑みではなく、温かさの欠片も感じられない嘲笑いだった。
「都貴のご子息様が一般庶民の、私みたいな女に【お願い】ですか?」
庶民の女?美鈴が?美鈴は白鳥財閥の総帥だろ?
それが庶民?しかも…この態度…。
俺の知っている美鈴なら。
きっとこうする。
『お願いですか?えーっと…一先ず数歩離れて頂けますか?それから話を聞く位なら出来ますが、それを叶えられるかどうかは別問題です』と数歩後退しながら言う。間違いなく。
なのに、この目の前にいる美鈴は、見た事もないような冷えた目で俺を…【俺の憑依している人間】を睨んでいる。
そんな目で見られていると言うのに、こいつは言った。
「俺と付き合ってくれない?」
と。一体どんな精神してるんだ。
「…………何故?」
当然美鈴は訝しんで、片目を細めながら問いかけた。
だが、それすらも平然と受け止めてこいつは言った。「君が好きだから」と。
「アハハッ……好き?面白い冗談ね」
「冗談じゃないって。これ以上ないってくらい本気だよ」
「…ふぅん。そうなの。でもこれだけは言っておくけど、私と付き合って白鳥の恩恵を受けようとしても無駄だから」
「恩恵?あぁ、大丈夫。君の義理の兄弟にアポを取って貰おうとか、君の義理の父と家の親父を合わせようとか考えた事もないよ」
自分からそんな事を言う奴いるか?
逆に怪しくなるだろ。今の発言は誰が考えても信じないだろ。
思わず憑依している奴に突っ込みそうになって、ふと気付いた。…そう言えば、美鈴はさっき目の前の男を都貴と言っていたか?
なら俺は都貴に憑依しているって事になるのか?……なんでまた今一番なりたくない男に。
「……まぁ、どうでもいいや。貴方の本音に何があるかなんて、私は欠片も興味ないわ」
本音に何か隠れていると知っていながら、興味が無い?
美鈴の目が輝いていない…。あんな美鈴の目は始めて見た。
「私と付き合いたいと言うのなら、それなりの物を差し出してくれるって事でいいんだよね?」
美鈴?お前、何言って…?
「とぉぜんだよねぇ?だって、私の事を【利用】したいんだもんね?私にも当然【利益】あるんだよね?」
「利益?」
利益?
俺と都貴の言葉が重なった。
さっきから俺は驚きっ放しだ。もういっそ、コイツが、目の前にいる美鈴が美鈴じゃないって言われた方が納得が出来る。
「そう。利益。だって考えてよ。都貴のご子息様?私が白鳥で今どんな扱い受けてるか、知ってるでしょう?母親には嫌われて、兄弟にすら見放され、父は私に愛想を振りまくだけで何もしてくれない」
どう言う事だ?
美鈴は家族全員に愛されている。愛される所かそんなの遥か通り越して壮大な溺愛だ。
それが疎まれている?見放されている?
一体何を言っているんだ?
そもそも、こいつは美鈴なのか?
『美鈴さ。前世のね』
また脳内に声が響く。
それより、今の声は何と言った?
『前世の美鈴、だと?』
『そう。ここは【都貴静流を白鳥美鈴が初めて認識した場所】だ。俺は、美鈴に惚れていた』
『惚れていた?その割には失言が多いが?』
『そうか?そうでもないさ。この後、俺と美鈴は付き合うんだから』
『…どう言う事だ?』
パチンッ。
指を鳴らしたような音が響いて、目の前の映像が切り替わる。
今度は何処だ…?
部屋?知らない部屋だ。
机にベッド、クローゼットに…バスケットボール…男の部屋だな。これはもしかして、都貴の部屋か?
「ちょっとっ。手、離してっ」
「離せる訳ないでしょ。そんなずぶ濡れで」
「だ、だからって、こんな時間にっ、貴方の部屋に入れる訳っ」
美鈴が都貴の手から逃れようとしているが、がっちりと掴まれた手首を引かれているからそれも出来ない。
「ほら。お風呂、入って来なよ。着替えも出しとくから」
「い、いいっ。私っ、家に帰るっ」
「どうして?」
「ど、どうしてって…恋人でもない男の人の家に」
「なら、なればいい。恋人に」
「え?」
「俺は君が好きだと何度も言った筈だ。全然信じてくれなかったけどね」
「……毎日、違う女の人を横に侍らせてたら、誰だって信じない」
「あれは君と付き合う為に必要だったんだよ」
「必要?」
意味が解らん。
他の女と遊び歩くのが本命と付き合うのに必要とか。何言ってんだ、こいつ。
「そう。必要だったんだ。痛いの、嫌でしょ?」
「……は?」
「お金も、必要でしょ?」
「え…?」
「全部君と付き合う為に必要だったんだ」
「は、離してっ…手ぇ、離してっ!」
「駄目だよ。…絶対に離さない…。君は俺の恋人になるんだ。それで俺の嫁になって、俺と夫婦になるんだ…」
「いやっ、いやぁっ!んぐっ」
眼前に美鈴の顔が迫った。
…いや、違う…違うっ。こっちが迫ったのかっ。
美鈴と唇が何度も重なる。胸に何度も拳をぶつけられるが、何のダメージも受けない。
暴れる美鈴を簡単に担ぎあげて、ベッドへと放り投げて押し倒す。
ベッドから伸びる鎖の先に付いている首輪。それを美鈴の首へと取り付ける。
「これ、高かったんだよ?君の為に最高級の首輪にしたんだ。ほら、ダイヤがついてる。この首輪を買う為に金持ち女を抱いて金を稼いでいたんだ。あぁ、良く似合うよ。…きっと君の白い肌に良く似合うと思ってたんだ。さぁ、邪魔な服は取ってしまおうか」
「ひっ!?いやっ、いやぁっ!!」
やめろっ!!
美鈴を助けたいのにっ、【俺の手】は【都貴の手】で、【俺の体】は全て【都貴の体】で。
俺が泣き叫ぶ美鈴を襲い犯している、そんな光景が【俺の手】で行われている事実に叫びたくなる。
なのに、それも出来ないっ!
こんな、こんな地獄を何故俺に見せるっ!?
『これがお前の前世だからさ』
『なん、だと…っ!?』
意味を問う暇はなかった。
「いやあああああっ!!」
美鈴の叫びが聞こえたと同時に、下腹部に熱を感じたから。
俺の体は嫌がる美鈴と一つになっていた…。
違うっ…俺は…俺はっ!!
『……止めろっ!止めろぉっ!!』
俺はこんな美鈴を抱きたい訳じゃないっ!!
『そんな訳はない。【お前は俺】だ。ほら、自分に正直になれ…【羨ましい】と。欲望を吐き出してしまえ』
嫌悪の中に微かにある支配欲が満たされて行く。それが堪らなく汚らわしいっ!!
暴れていた美鈴がどんどん力を失って、瞳が虚ろになって行く…。
「……こ、んな、…事に、なる、なら…とき…と、すなおに…」
揺さぶられるだけになった美鈴がうわ言の様に何かを呟く…。頬を涙が伝った。
『その涙を、綺麗だと感じるだろう?この涙を流させてるのは【俺】だ。ぞくぞくと感じるだろう?欲望を』
聞くな。もう聞いたら駄目だ。目を閉じる事が出来ないなら、せめてこの美鈴を、屈辱を心に刻めっ。
『屈辱?違うな。幸福だ。惚れた女を抱いている幸福の間違いだ。ほら、美鈴の中は気持ちいいだろう?』
聞くな。答えるな。意識を閉ざせ。もう、俺が美鈴にしてやれることはこれしかない。
『中に入る瞬間、中を突く瞬間、美鈴が体を跳ねさせて…最高だろう?俺は美鈴と結ばれる運命にあるんだ』
助ける所か、泣く事も、叫ぶ事も、…俺には何も、何も出来ないのかっ!
どうしていつも俺はお前を傷つける事しか出来ないんだっ!
もう、…いい。俺は美鈴を欲しいともう願ったりしない。

だから…。

「まだ、まだ足りない…。もっと、もっと欲しい。君の中に俺の種が注がれる度に、最高に満たされる。こんな快楽がこの世にあるとは思わなかったよっ」

だからっ、誰かっ、この馬鹿をっ。

「中で出しているから子供が出来るかもしれないね。あぁ、でも、子供は要らないなぁ。俺は君がいればずっとこの快楽を味わえるから。未来永劫どれだけ生まれ変わったとしても、俺は【君】を抱くよ」

このふざけた前世の俺をっ、止めてくれっ!!

―――バァンッ!!

「!?!?」

俺の動きが止まった。
それだけの大きな音が響いたんだと、誰かが来たのだと察するにそう時間はかからなかった。
動きを止めて、体を起こした俺の横腹に途轍もなく重い衝撃がきた。
予想もしなかったのか、体がベッドとは反対の机へと叩きつけられた。
ごほっ、と咳き込み、失った空気を大きく吸い込んだ。
「美鈴。おいっ、美鈴っ」
この声は…白鳥の所の長兄か?
酸素不足と腹に喰らった一発の所為でふらつく体を無理矢理立たせて、声の主に視線を移すと。
「………やってくれたな。てめぇは、誰だ?」
まるでホストの風貌をしていて判断し辛いが、あの蘇芳色の髪は間違いなく白鳥の長兄だ。
「げほっ…人の家に土足で入り込んでおいて、誰だはご挨拶だな」
「美鈴。これでも着てろ」
投げられたジャケットが美鈴の肩へとかかる。
美鈴は白鳥の長兄に体を起こされたのか、かけられたジャケットをゆっくりと肩の所で握った。
そんな美鈴には目もくれず、俺と白鳥の長兄は争いだした。
殴り殴られ、刃物を持ち、切られて切って。
最後の最後で、俺の持っていた包丁が白鳥の長兄の腹部を狙って刺そうとしたした瞬間。
ドスッ。
鈍い感触が俺の手に伝わった。
目の前には白い肌…と金色の…。
『美鈴…?』
思わず口に出ていた。
「……美鈴っ!?」
「……あ、あぁ……ははっ…あはははっ…なんて…なんて、温かい…美しいんだ…」
美鈴が俺の方へと倒れ込む。
刺した場所から血が包丁を伝い俺の手を濡らす。
その血が触れる感覚が、…堪らなく心地良いと、感じてしまう自分が気持ち悪い。
もっと、もっととその血を要求する自分が、気持ち悪いっ!!
『美鈴の血…あぁ、舐めたい…そう思うだろう?お前も』
『思うものかっ!!』
思ってたまるかっ!!
これが前世の俺だと言うのなら、何で俺の思った通りに動かないっ!?
そもそもっ!
『惚れた女を殺す意味が解らねぇっ!!何で美鈴を殺してそんな恍惚そうな…幸福を感じていやがるっ!!』
『惚れたからこそ、だよ。それに見て解らないか?美鈴は自分から俺の前に来たんだよ。俺に殺されに来たんだ』
『違うだろっ!!どう考えても白鳥の長兄を、美鈴が惚れていた白鳥鴇を助ける為に飛び込んだんだっ!!庇ったに過ぎないっ!!』
『そんな訳ない。その証拠に美鈴は俺に向かって倒れた』
『刺されたんだぞっ!?どうやって背後に倒れるんだっ!!』
俺が喧嘩をしている間にも、目の前では事件が続く。
白鳥の長兄と俺は互いに互いの胸を刃物で貫き、膝をつく。
「……み、すず…。すま、ない…。もっ、と、はやく、おれが、…」
「………しね、ない…しねないしにたくない…みすずは、おれの、ものだ…おれの…お、れ、の…」
視界が暗くなる。心臓の音が少しずつ遠くなり、体が少しずつ冷えていく。
漠然とあぁ、死んでいくんだなと理解した。なのに、何故か意識だけはしっかりしている。
また場面が切り替わるのだろうか?それとも、現実に戻る?
どちらにせよ、美鈴の死に顔をこれ以上見る事にならなくて、ホッとしていた。
そして、場面が切り替わった。
今度は一体何処に?
視界に映るのは、大量の本棚と仕事机が一つある部屋…いや空間、が正しいか?
空を見上げても本棚が高くそびえているだけで、天井は見えない。
「……母さんっ。頼むよっ。母さんなら、どうにか出来るんだろっ!?」
「例え、それが可能だったとしても、私にはどうすることも出来ないの。貴方は人を殺したのよ。【神】はそれをお許しにならないわ」
声が聞こえて、再び俺は何かへ憑依する。
「無理なのよ。貴方は一番してはいけないことをした」
「一番してはいけないこと…?」
「そうよ。貴方は【神の子】を殺したのよ」
一体誰と話しているのか。俺が憑依している奴はキョロキョロと視線を巡らせている。
会話をしていると言うのに何故視点が定まらないのか。
あぁ、そうか。声の主を探しているのか。
確かに女性の声が聞こえるが、その声の主がいない。
「静流。…もう、諦めなさい。貴方に、あの方の子の相手は重過ぎる」
「……無理だ。俺はアイツの、中を知ってしまった。あの甘美な血の甘さを知ってしまった。…さっきからもう一度味わいたいと、抱きたいと俺の血が騒いでいる」
静流と言ったか?
なら俺はまだ都貴静流に憑依しているって事か。
……正しくは前世の俺の記憶をまだ見ている、だな。
「ここまで言っても、貴方は考えを変えないのですね。…ならば、私は…」
頭上から声が近づいてくる。
ふわりとぺプロス…ギリシャ神話に出てくる女神が着ているワンピースの様な服で舞うように女性が降り立った。
顔をベールで隠されているから解らないが、都貴静流の母なのだろう。
「私は責任を取りましょう。貴方をここで抹消致します」
「何でだっ。母さんっ。解ってくれるだろっ。母さんだって、【父さんが欲しくて回り全てを陥れて手に入れた】んだからっ!」
「……えぇ。解るわ。解るからこそ、私は罰を受けた」
「罰…?」
彼女は頭にかかっているベールを静かにとった。
「―――ッ!?」
息を飲む。目の前の女性は姿とは裏腹に、犬歯が伸び牙となり、額からは角が生え、目は既に人間の瞳とは言い難い獣の瞳になっていた。
「母さん…その顔は…」
「罰を受けたと私は言った筈です」
「罰…これが…」
「こんな醜い姿になった…。だから貴方は」
「……しぃ…」
「……恐ろしいでしょう?解っています。だからこそ貴方は」
「……しい」
「え?」
「…ホシイ、欲しい、欲シイ欲シイッ!!母さんから力を感じるっ!!その力を俺に寄越せェっ!!」
体が動いた。
「な、何をっ!?」
両手で驚く女性の腕をつかみ、引き寄せ、首筋に噛み付いた。
何かを啜っている。
血ではない、何か…。吸い上げる度に体の中にある力の塊が少しずつ膨れ上がって行く。
「……くっ」
ガクガクと捕らえている女性が震える。
自分が力を吸収出来る限界まで吸い込むと女性を遠くへ放り、そして。
「……待ってろよ。美鈴。また絶対に俺の物にする。絶対にその体に俺を刻み込む。ハッハァッ!!」
上機嫌なまま、その力を持て余すかのように地面を蹴り、俺は天井目指し飛びあがった。

「………いつまでも、逃げ通せると思わない事だ」

知らない男の声が俺の耳に届く。
だが、俺の前世であるこの馬鹿は聞く事なく次の世へ転生するのだった。
その後も何度も何度も、俺は様々な生を繰り返し、その度に美鈴を探した。
見つけれない生があれば、直ぐにその命を絶ち。転生した美鈴を見つけたのなら、捕まえてその体を犯す。
何度も何度も…死を迎え、美鈴に地獄を味わわせ、その度に現れる美鈴の恋人に刺され命を相打ちになり、そしてまた生まれ変わる。
全く終わりの見えない転生を繰り返し見せられて。
俺の精神は摩耗して行った。
だが、これだけ繰り返しても…俺は美鈴を殺す度に感じる甘さに負ける事はなかった。
途中、思い出したかのように、都貴の声が俺と一体化するように誘ってくるが、それに屈する事だけは絶対にあり得てはいけない。
もしも、もしもこの全てが俺の前世だと言うのなら、この負の連鎖を俺は止めなくてはならない。
どんなに苦しかろうが、辛かろうが、痛かろうが、俺は美鈴が受けた苦しみの分だけ、受け止めなければならないんだ。
『全く、強情だね。……気持ちいいだろう?最高の心地よさがあるだろう?いい加減認めたらどうだ?…美鈴を抱きたいと』
『……認めてはいるさ。俺は美鈴を抱きたい。美鈴を欲している。だが、それは俺の…【樹龍也】としての感情だっ。間違っても都貴静流、貴様の様な人間から与えられた感情ではないっ!そして、俺のこの気持ちをお前と重ねるつもりはこれっぽっちもないっ!!』
『面倒な…』
『答えろ、都貴静流。貴様は本当に美鈴を好いているのか?』
『今更な質問だね。決まっている。俺は美鈴を愛しているんだ』
『…ハッ。成程な。ガキがっ』
『…何だと?』
『解らないか?なら教えてやるよ。貴様は美鈴に一目惚れをしたと言ったな?その割に俺には貴様が美鈴に惚れた瞬間を知らない。俺の前世は貴様だと貴様が言ったのに、全く解らない。その意味が解るかっ?貴様にその記憶がないからだっ!』
『………ッ』
『前に貴様は俺に言ったな?執着だと。プライドだと。敵わない相手に一矢報いたいだけだと。その言葉をまるまる貴様に返してやるっ。貴様は美鈴に惚れたんじゃないっ!誰もが手に入れられない女を手に入れたいだけだっ!』
こんなクソガキに負けて堪るかっ!!
意思を強く持てっ!!
戻れっ!!
記憶の中から、現実にっ!!
『無駄な事をっ』
『無駄だと言うなら何故そんなに貴様は焦っているっ!?』
『くっ…』
『俺はもう理解しているっ!俺の中に貴様が干渉出来ない何かがあると言う事をっ!ならば、それを最大限に活用するのみだっ!!』

戻れっ!

『こんな腐れ外道の一部になるなんて冗談じゃねぇっ!!』

戻れっ!!

『俺は【樹龍也】だっ!!前世なんてもんはいらねぇんだよっ!!』

戻れええええっ!!

強く強く俺は願った。―――そして。

「樹先輩っ!!」

美鈴の声が耳に届いたと同時に、

―――ガシャンッ!!

何かが割れる音がして、俺は大量の薬液と共にカプセルから体が外へと落ちた。
四つん這い状態で、咳き込みながらも何とか口の中に入った液体を吐き出す。
「樹先輩っ!樹先輩っ!!」
急いで俺に駆け寄ってきた美鈴に、俺は顔を上げてゆっくりと腕を伸ばす。
目の前に膝を付いて目線を合わせる、その頬に触れると温かく、覗き込んだ瞳は強い意志を宿していた。あんなアイスブルーの冷めた瞳なんかではない、俺の知っている美鈴の瞳だ。
「美鈴…。悪い、助かった…」
「ホントだよ。…もう、樹先輩、少しは反省してよ?…心配したんだから」
「……あぁ。ありがとう、美鈴」
「ふみっ…?」
「悪い…今だけ、今だけで良いから、このまま…」
知らず溢れる涙。けれど美鈴は何も言わず俺の背を擦ってくれた。
「ごめん…美鈴…ごめんっ…うっ…」
俺はただただ美鈴を抱きしめ、泣きながら謝り続けた。
「大丈夫。樹先輩が何に謝ってるのか、私には解らないけど。大丈夫だよ。大丈夫。大丈夫」
美鈴はそんな俺が泣き止むまでずっと【大丈夫】だと言い続けてくれた…。

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