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最終章 数多の未来への選択編
※※※(奏輔視点)
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「いっ」
姫さんには悪いけど叫び出しそうなその口を手で塞ぐ。
今叫び声を上げられると、逃げ出している事がバレる。もしかしたら既にばれている可能性もあるが、それでも。
俺の意図を理解してくれた姫さんが大人しくしてくれている。
その隙に源祖父さんが張ってくれた結界を頼りに庭へ降りた。
肩に担いだ姫さんがどんどん冷えていくのが触れた部分から伝わって、どうにかしてやれないかと背中を叩いてみる。
これで少しでも安心してくれると良い。
こんな事しか出来ない自分が情けなくもある、
「邪魔だなぁ…。華の横に男は要らないんだよ」
嫌な予感がした。
背中から何か嫌な気配がして、咄嗟に俺は姫さんを肩から降ろして腕の中に入れた。
同時に背中から爆音と風圧が襲ってきて、俺達は庭に転がった。
何とか姫さんは守れたと思う。
けど元々俺の体力はそこまで強くない。恐らく鴇や透馬等に比べると俺が一番弱い。
大地や透馬ですら直ぐに動けない爆風を喰らった俺が直ぐに動ける筈もない。
せめて姫さんだけは守らないと。
頭ではそう思っていても動けない。
背後からは姫さんを狙う男が迫って来ている。
立ち上がらないと…。
腕に力を込めて立ち上がろうとした。だが、それよりも早く姫さんが動いた。
一瞬合った視線。
その視線は強く語っていた。
俺達を守らないと、と。
巻き込んではいけない、と。
違う。
姫さん、その選択は違うでっ。
俺の腕から抜けた姫さんは振り返らずに走りだす。
男が姫さんの後を追う。
姫さんがいくら本気を出して逃げたって、相手はあいつだ。
どこまでも追い掛けて行くだろう。
駄目だ。
こんな、こんな攻撃で足を止めてる場合じゃないっ。
動かない体を無理矢理に立たせて、足を動かす。
姫さんの後を追って道路に出て、俺の視界に入った光景は…。
「美鈴っ!!」
「ママっ!!」
姫さんの手と佳織さんの手が触れあうと同時に、男の体が青く光りその手から出された青い光が姫さんの体と接触した瞬間だった。
「姫さんっ!」
俺の声は姫さんに届いただろうか。
崩れ落ちた姫さんの体を佳織さんが抱き止める。
「姫さんっ!」
もう一度叫ぶも姫さんは俺の声にピクリとも反応しない。
「美鈴っ!しっかりしなさいっ!美鈴っ!」
佳織さんが姫さんの体を揺さぶるも全く動かない。
遠目で見ても姫さんの体からは少しずつ血の気が失せて行く。
「…あぁ。この世界の『君』はもういないのかな?じゃあ、僕が『ここ』にいる理由はないな。けど、どうせなら…」
俺のいる方から顔は見えない。
だが、どんな顔をしてるかなんて安易に想像がつく。
「抱いてからにしようかな…。母親の前で抱く。ましてその母親がいつも殺意バリバリに睨んでくるのも堪らないし」
男の言葉を一つ一つ耳にするたびに佳織さんの表情が歪んでいく。怒りで、憎しみで。
俺だって同じだ。
拳を握り男へと殴りかかろうとした。
だが、
「殺すっ!」
俺の横を駆け抜けた大地が男を殴り飛ばした。
「こいつは俺達に任せろ。奏輔っ、姫をっ」
透馬の声が耳に響き、俺は走りだす。
佳織さんの側に駆け寄り、きつく抱きしめられてる姫さんを見た。
いつも綺麗な白い肌をしていたけど、笑うとピンクに色付く頬まで真っ白だ。そっとその頬に触れる。けれど熱は一切感じられない。
「……姫さん…?」
「奏輔お兄ちゃんっ」と返ってくる声を期待したけれど…姫さんの口は一向に動かない。
「冗談やないでっ」
腕を取り脈を測る。しかし何も感じない。
口元へ耳を近づけても呼吸の音もしない。
「嘘やろっ、姫さんっ」
姫さんの体は冷たくなる一方で。
「あはははははっ!無駄だよっ、無駄っ。華は僕の魔法で心臓まで凍りついてしまったんだからっ!」
心臓まで…それは…。
「守れなかった…のね?私は…私はまた、私の可愛い可愛い娘を…っ」
「佳織さん…?」
「どうしてかしら…?私は、どうして守れないのかしら…?」
佳織さんの様子がおかしい…。
娘が殺されたのだからおかしくて当然だが…、それにしたって鳥肌が立つ程の殺気が佳織さんから放たれてる。
「……華。…待っててね。母さんも直ぐに行くわ。貴女を一人になんてしないわ」
「ちょっ、ちょお待ちぃやっ、佳織さんっ」
「奏輔くん。美鈴を預けても良いかしら?私は、あの男を、始末してくるわ」
佳織さんから姫さんを渡されて、慌てて受け取りつつも視線を佳織さんへ戻すと、彼女はゆらりと立ち上がって、一気に周囲の空気を爆発させた。
咄嗟に姫さんを庇うように抱きしめ佳織さんへ背を向ける。
風圧が飛んで来てそれに耐えて、たいして待つ事もなく何か鈍い音の連鎖が聞こえた。
「佳織さんっ!駄目だっ」
「落ち着けっ!」
遠くで透馬と大地の声が聞こえる。
佳織さんが男と刺し違えても殺す覚悟で争っているのが二人には解っているんだろう。
「……なぁ、姫さん。…佳織さんが、戦っとるよ?姫さんが、止めんとどうにもならんの、解っとるやろ?…なぁ、姫さん。目を開けてぇな」
抱き上げても姫さんの体からは力が抜けたまま。
自分の胸に凭れかかる様に姫さんの頭を引き寄せた。
「姫さんっ。俺、鴇に、葵に、棗に、なんて謝ったら良いんやっ!?嫌やでっ!こんな理由で怒られるなんてっ!絶対嫌やっ!頼むから目を、目を開けてくれっ!……頼むわ…姫さんっ…美鈴ちゃんっ…」
知らず、視界が揺らいで冷え切っている姫さんの体とは裏腹に熱い滴が頬を伝う。
冷えた体が少しでも温まらないかと、額と額をそっとくっつけてきつくきつく抱きしめた。
「姫さん…、姫さんっ…」
何度も何度もその名前を口にする。
俺の目から零れ落ち続ける涙が、姫さんの頬に落ちて顎を伝い唇の端へと流れた。
もしかしたら口の中に入ったかもしれない。
拭おうと手を持ちあげて唇へ触れた瞬間。
(…お兄ちゃん…)
声が、聞こえた気がした。
幻聴まで聞こえるのか。
俺はどれだけ…。
(奏輔、お兄ちゃん…)
何度も俺を呼ぶ声が聞こえる。
いい加減にしろ、俺。
現実を受け入れろ。
目の前の姫さんはもう息もしていない。
認めろ。
死んだんだって…。
(奏輔お兄ちゃん…じゃ、ない?いや、でもさっき姫さんって言ってた)
……ん?
幻聴がおかしなことを言い出したで?
(真っ暗だから解んないぃーっ!口も開かないしっ、どないせいっちゅーのーっ!?)
んん?
本格的に可笑しいで?
くっ付いていた額を離して、「姫さん?」と声をかけて顔を覗き込んでみる。
姫さんはやはり微動だにしないし、声も聞こえない。
やっぱり俺の気の所為なのか?
いや、でも気の所為だとしても…姫さんが無事な可能性に縋りたい。
どうしたら姫さんの声が聞ける?
さっきと違う所と言ったら、額をくっつけてるかいないかって事位か?
もう一度くっつけてみるか。
額と額をくっつけて、様子を窺う。
(うぅ~…目を閉じてるから真っ暗だし、声は出ないし…でも、そこまで不安にならないのは一度経験してるから、かなぁ…。でも、どうにかして意思表示したいよねぇ~…そもそも私今どんな状況?ああーっ、もうっ。脳内テレビとかないのかなっ!?)
…聞こえた。
しかも姫さんらしい言葉が次から次へと…。
正解だったようだ。
流れていた涙は引っ込み、姫さんがまだ生きている事の喜びで体が震えそうだ。
ぐっと堪えて、俺は姫さんに届くように声をかけた。
「姫さん…姫さん、聞こえるか?」
(ふみっ!?奏輔お兄ちゃんっ!?そこにいるのはやっぱり奏輔お兄ちゃんっ!?)
「そうや」
あぁ…通じた。
姫さんと意思疎通とれたことが嬉しくて、今度は嬉しくて涙が出そうだ。
「姫さん。ゆっくり話ししたい所やけど、ちょっとそないな状態じゃないんや。悪いけど、ちょっとだけ待っとってな。頼むから意識飛ばさんといてな?」
(頑張るっ!)
どうやって頑張ってくれるのかは解らないが、頑張ると言ってくれたからには保ってくれるだろう。
額を離して、姫さんをしっかりと抱き上げて、
「佳織さんっ!!」
俺は叫んだ。声が届かないかもしれないが、きっと佳織さんは次の言葉を言うと反応してくれる。
「佳織さんっ!姫さんはまだ生きてるっ!生きとるでっ!」
これできっと反応してくれ、「どう言う事っ!?」る…って最後まで言わせてぇな。
突然目の前に戻って来られても逆に驚くわ。
「姫さんの意識があるんや」
「意識が…?でも、見る限り、そんな感じには…」
「額をくっつけるんや。すると会話が出来る」
「額を…?」
佳織さんはそっと姫さんの前髪を上げて露わになった額と自分の額をくっつけた。
「………美鈴?」
じっと佳織さんの反応を見守る。
佳織さんは最初泣きそうな顔をしていたけれど、徐々に徐々に顔に生気を取り戻していく。
小さな声で何かしら呟いている。きっと姫さんと会話しているんだろう。
だとするなら俺は二人が会話に集中出来る様に周囲を警戒しなければ。
顔を上げて視線を巡らせると、透馬達が未だに戦いを続けていた。
だが、どうやら新田と近江も加勢に来たらしく、こちらが優勢だ。
アイツらが本気で戦えば、例えどれだけ相手が強かろうが、まず負ける事はないだろう。
…しかし、あの男、誰なんや?
恐らく姫さんが高校生の時に狙ってきた連中の内の一人には間違いないやろ。
せやけど……あの時、鴇達がある程度潰したはず。
また出て来た理由は…?
解らない事がまだある。あの男が使って、今尚姫さんを苦しめているこの術。
そもそも何でこの男が術…スキルを使えるのか。
姫さんの話だと、俺達が生きてるこの世界は、姫さんの前世の世界だと乙女ゲームの世界だと言っていた。ついでに俺達のルートを選んだとも言っていた。
普通に考えるなら、俺達のルート、姫さんが言う所のRPGの御三家ルートを選んだのなら、そこに出てくる登場人物勢力は大きく分けて三つ。
攻略対象者や主人公を含む『味方』
主人公に害をなすボスや雑魚キャラ等の『敵』
そして、一切そこに関係しない所謂モブと言われる『一般人』
の三つの筈だ。
そして更に細かくすると。
俺達御三家と姫さん。後は姫さんの友達や姫さんの身内は『味方』と捉えて良い。
逆に姫さんを狙う表門の人間や、姫さんと敵対するラスボス…恐らく佳織さんは『敵』となる。
最後に、そこと一切関わりのない人間。例えば俺の姉とか学校の先生とかそこらの知り合い、顔見知り程度の人間は『一般人』枠だろう。
で更に、ここで姫さんが前世での記憶を持っている事により生じた狂いに焦点を当ててみる。
俺達攻略対象者は本来知り合う筈の年齢よりずっと以前に出会っていて信頼関係が出来上がっていると同時に姫さんも着実に友達を増やして本来の数倍以上は『味方』がおり、何よりも姫さんの一番の敵であろう佳織さんが既にこちら側についている。
でもって、姫さんが本来つく筈のない地位に付いている事により、敵は大幅に減っている。そう言う意味では俺達が味方である必要がない程権力を持っている。表門の連中はゲームの中にもいたかもしれないが、最早敵ではないだろう。
敵もほとんどおらず、味方は最強の布陣。負けるべくもない勝負に突然現れた、くくりで言えば一般人の男。
そこで謎に戻る。
一般人枠の男が何故スキルを使用出来るのか。
姫さんがやられた時、あの男は確かに『凍結(フリジット)』と言った。
文字感から察するに何かを凍らせる系のスキルだろう。姫さんもこうして冷え切って凍ってしまっているのが良い証拠だ。
「…くん…奏輔くん」
考え込んでいたから佳織さんに名を呼ばれても反応に時間がかかってしまった。
ハッと我に返って佳織さんの方を見ると、
「ありがとう。美鈴が生きてる事を教えてくれて…。これで私は心おきなく戦う事が出来るわ」
微笑んで、パァンッと拳と拳をぶつけて、次の瞬間には走りだしていた。
佳織さんが戦闘に参加した事により勝負はあっけなくついた。
佳織さんの強さはいつも通りだからさておくとして、問題は姫さんをどう治すかだ。
また額と額をくっつけて姫さんと会話を試みる。
(真っ暗よ~♪真っ暗なのよ~♪ふっみみみっみ~♪)
「……姫さん。脱力しそうだからその歌勘弁してくれへん?」
(ふみっ!?奏輔お兄ちゃん、聞いてたのっ!?)
あぁ、そうか。
姫さんは今感覚を感じられないから俺と額が触れあった事が解らないのか。
それで油断して歌ってたら俺に聞かれてしまったと。
姫さんらしい。
ふっと笑みが浮かぶ。
(奏輔お兄ちゃん。さっきママに聞いたんだけど私の体凍っちゃってるってホント?)
「本当や。今だって、俺は姫さんが死んだと、思って…」
(…奏輔お兄ちゃん…。私、今奏輔お兄ちゃんがどんな顔してるのか解らないから、慰める事も笑わせる事も出来ないの。…どうしたらいい?)
「…どうもせんでええよ。姫さんと会話出来るならまだ望みはあるんや。…絶対に助けてやるからな。少しだけ我慢してな?」
(うん。待ってる。あと…たまに話かけてね、奏輔お兄ちゃん。私、寂しいから…)
「分かっとるよ。鬱陶しい位話かけたるから、安心しぃ」
(うんっ)
「後できちんと状況も説明してやるから」
(うんっ)
額を離して、俺は改めて姫さんを抱きかかえ直し、そのまま透馬達の側へと向かった。
透馬達は泣いていた。
何でや?
敵は倒した。
姫さんも生きてる。
何で泣く必要がある?
「おい、透馬、大地も。どうしたん?」
「どうしたも、何もあるかっ!」
「は?透馬?」
透馬は俺の前に立ち、姫さんの髪にそっと触れた。
「…姫を、守れなかった…。鴇になんて言ったら…」
「ちょ、ちょい待ちぃっ。姫さんは生きてるっ」
言った瞬間、そこにいた全員の視線が俺に集まった。
意味が解らないと、こっちを見ている。
「額と額を合わせたら会話出来る」
「額と…額?」
透馬が俺の側に来て、姫さんの額の髪を寄せるとそっと額をくっつけた。
「姫…?」
呼びかける。
その時の俺は当然姫さんの声を透馬も聞いているもんだと思っていた。
だが、違った…。
透馬はゆっくりと顔を上げて俺を見た。
「奏輔…」
ポンッと肩に手を置かれる。
「現実、見ろ…。姫さんはもう話さない。もう…死んだんだ」
「そ、そんな訳ないっ!姫さんは確かに俺と会話したんやっ」
絶対そんな事はない。
俺は姫さんと額をくっつける。
「姫さんっ」
(ぼーえー…はっ!?な、なに?奏輔お兄ちゃんっ。私、変な歌なんて歌ってないよっ!?)
ほら、声するやろっ。
「話しとるやないかっ!透馬こそいい加減な事言うなやっ!」
「奏輔…」
「そんな目で見るなっ!俺はおかしくなんてなってないっ!姫さんは生きてるっ!急いで姫さんを助けないとあかんねやっ!」
こうして話してる間にももしかしたら姫さんの命は…。
生じた焦りに声が震え次第に大きくなっていく。
だがこの焦りは透馬達には通じない。
「奏輔。姫ちゃんをこっちに寄越せ」
「は?」
「今のお前の側には置いておけない。姫を家族の下へ返してやらないと」
「こんな状態でかっ!?冗談じゃないっ!そんな事したら、お前ら姫さんを死んだものとするんやろがっ!」
「……嵯峨子先生。王子の脈、見させて…」
真っ赤な目で新田が側へと来ようとする。
だけど、その手に、言葉に、俺は恐怖を感じた。
姫さんを取られるんじゃないかって恐怖を…。
咄嗟に姫さんを抱きしめた。自分の腕の中で、守る為に。
そのまま、一歩、二歩と後退する。
「コタっ!」
「了解でござるっ!」
背後から声がした。
「しまっ…」
油断した。
背後に回ってるとは思わなく、振り返った。その隙に透馬と大地は距離を詰めて来た。
顔面を狙ってくる拳を咄嗟に避けた瞬間、更に間合いを詰めて来た透馬に姫さんを奪い取られる。
「やめろっ!姫さんを返せっ!」
「奏輔っ!お前、狂ってるぞっ!!落ち着けっ!!」
「離せっ!大地っ!」
羽交い絞めにされる。
「こんの、馬鹿力がっ!くそっ、姫さんっ!!」
透馬は俺からどんどん距離を取って、俺の手が届かない所まで離れると、一瞬だけ同情するような視線をこちらに向けて、そのまま背を向けて歩きだした。
「ふっざけんなっ!姫さんっ!姫さんっ!!」
このままだと姫さんが、姫さんがホントに死んでまうっ!!
「離せっ!大地っ!!」
一切緩まない力に、それでも俺は暴れ続け―――。
「離せっ!離せえええええっ!!」
無駄だと頭では理解しているのに、ただただ抵抗し叫び続けた……。
姫さんには悪いけど叫び出しそうなその口を手で塞ぐ。
今叫び声を上げられると、逃げ出している事がバレる。もしかしたら既にばれている可能性もあるが、それでも。
俺の意図を理解してくれた姫さんが大人しくしてくれている。
その隙に源祖父さんが張ってくれた結界を頼りに庭へ降りた。
肩に担いだ姫さんがどんどん冷えていくのが触れた部分から伝わって、どうにかしてやれないかと背中を叩いてみる。
これで少しでも安心してくれると良い。
こんな事しか出来ない自分が情けなくもある、
「邪魔だなぁ…。華の横に男は要らないんだよ」
嫌な予感がした。
背中から何か嫌な気配がして、咄嗟に俺は姫さんを肩から降ろして腕の中に入れた。
同時に背中から爆音と風圧が襲ってきて、俺達は庭に転がった。
何とか姫さんは守れたと思う。
けど元々俺の体力はそこまで強くない。恐らく鴇や透馬等に比べると俺が一番弱い。
大地や透馬ですら直ぐに動けない爆風を喰らった俺が直ぐに動ける筈もない。
せめて姫さんだけは守らないと。
頭ではそう思っていても動けない。
背後からは姫さんを狙う男が迫って来ている。
立ち上がらないと…。
腕に力を込めて立ち上がろうとした。だが、それよりも早く姫さんが動いた。
一瞬合った視線。
その視線は強く語っていた。
俺達を守らないと、と。
巻き込んではいけない、と。
違う。
姫さん、その選択は違うでっ。
俺の腕から抜けた姫さんは振り返らずに走りだす。
男が姫さんの後を追う。
姫さんがいくら本気を出して逃げたって、相手はあいつだ。
どこまでも追い掛けて行くだろう。
駄目だ。
こんな、こんな攻撃で足を止めてる場合じゃないっ。
動かない体を無理矢理に立たせて、足を動かす。
姫さんの後を追って道路に出て、俺の視界に入った光景は…。
「美鈴っ!!」
「ママっ!!」
姫さんの手と佳織さんの手が触れあうと同時に、男の体が青く光りその手から出された青い光が姫さんの体と接触した瞬間だった。
「姫さんっ!」
俺の声は姫さんに届いただろうか。
崩れ落ちた姫さんの体を佳織さんが抱き止める。
「姫さんっ!」
もう一度叫ぶも姫さんは俺の声にピクリとも反応しない。
「美鈴っ!しっかりしなさいっ!美鈴っ!」
佳織さんが姫さんの体を揺さぶるも全く動かない。
遠目で見ても姫さんの体からは少しずつ血の気が失せて行く。
「…あぁ。この世界の『君』はもういないのかな?じゃあ、僕が『ここ』にいる理由はないな。けど、どうせなら…」
俺のいる方から顔は見えない。
だが、どんな顔をしてるかなんて安易に想像がつく。
「抱いてからにしようかな…。母親の前で抱く。ましてその母親がいつも殺意バリバリに睨んでくるのも堪らないし」
男の言葉を一つ一つ耳にするたびに佳織さんの表情が歪んでいく。怒りで、憎しみで。
俺だって同じだ。
拳を握り男へと殴りかかろうとした。
だが、
「殺すっ!」
俺の横を駆け抜けた大地が男を殴り飛ばした。
「こいつは俺達に任せろ。奏輔っ、姫をっ」
透馬の声が耳に響き、俺は走りだす。
佳織さんの側に駆け寄り、きつく抱きしめられてる姫さんを見た。
いつも綺麗な白い肌をしていたけど、笑うとピンクに色付く頬まで真っ白だ。そっとその頬に触れる。けれど熱は一切感じられない。
「……姫さん…?」
「奏輔お兄ちゃんっ」と返ってくる声を期待したけれど…姫さんの口は一向に動かない。
「冗談やないでっ」
腕を取り脈を測る。しかし何も感じない。
口元へ耳を近づけても呼吸の音もしない。
「嘘やろっ、姫さんっ」
姫さんの体は冷たくなる一方で。
「あはははははっ!無駄だよっ、無駄っ。華は僕の魔法で心臓まで凍りついてしまったんだからっ!」
心臓まで…それは…。
「守れなかった…のね?私は…私はまた、私の可愛い可愛い娘を…っ」
「佳織さん…?」
「どうしてかしら…?私は、どうして守れないのかしら…?」
佳織さんの様子がおかしい…。
娘が殺されたのだからおかしくて当然だが…、それにしたって鳥肌が立つ程の殺気が佳織さんから放たれてる。
「……華。…待っててね。母さんも直ぐに行くわ。貴女を一人になんてしないわ」
「ちょっ、ちょお待ちぃやっ、佳織さんっ」
「奏輔くん。美鈴を預けても良いかしら?私は、あの男を、始末してくるわ」
佳織さんから姫さんを渡されて、慌てて受け取りつつも視線を佳織さんへ戻すと、彼女はゆらりと立ち上がって、一気に周囲の空気を爆発させた。
咄嗟に姫さんを庇うように抱きしめ佳織さんへ背を向ける。
風圧が飛んで来てそれに耐えて、たいして待つ事もなく何か鈍い音の連鎖が聞こえた。
「佳織さんっ!駄目だっ」
「落ち着けっ!」
遠くで透馬と大地の声が聞こえる。
佳織さんが男と刺し違えても殺す覚悟で争っているのが二人には解っているんだろう。
「……なぁ、姫さん。…佳織さんが、戦っとるよ?姫さんが、止めんとどうにもならんの、解っとるやろ?…なぁ、姫さん。目を開けてぇな」
抱き上げても姫さんの体からは力が抜けたまま。
自分の胸に凭れかかる様に姫さんの頭を引き寄せた。
「姫さんっ。俺、鴇に、葵に、棗に、なんて謝ったら良いんやっ!?嫌やでっ!こんな理由で怒られるなんてっ!絶対嫌やっ!頼むから目を、目を開けてくれっ!……頼むわ…姫さんっ…美鈴ちゃんっ…」
知らず、視界が揺らいで冷え切っている姫さんの体とは裏腹に熱い滴が頬を伝う。
冷えた体が少しでも温まらないかと、額と額をそっとくっつけてきつくきつく抱きしめた。
「姫さん…、姫さんっ…」
何度も何度もその名前を口にする。
俺の目から零れ落ち続ける涙が、姫さんの頬に落ちて顎を伝い唇の端へと流れた。
もしかしたら口の中に入ったかもしれない。
拭おうと手を持ちあげて唇へ触れた瞬間。
(…お兄ちゃん…)
声が、聞こえた気がした。
幻聴まで聞こえるのか。
俺はどれだけ…。
(奏輔、お兄ちゃん…)
何度も俺を呼ぶ声が聞こえる。
いい加減にしろ、俺。
現実を受け入れろ。
目の前の姫さんはもう息もしていない。
認めろ。
死んだんだって…。
(奏輔お兄ちゃん…じゃ、ない?いや、でもさっき姫さんって言ってた)
……ん?
幻聴がおかしなことを言い出したで?
(真っ暗だから解んないぃーっ!口も開かないしっ、どないせいっちゅーのーっ!?)
んん?
本格的に可笑しいで?
くっ付いていた額を離して、「姫さん?」と声をかけて顔を覗き込んでみる。
姫さんはやはり微動だにしないし、声も聞こえない。
やっぱり俺の気の所為なのか?
いや、でも気の所為だとしても…姫さんが無事な可能性に縋りたい。
どうしたら姫さんの声が聞ける?
さっきと違う所と言ったら、額をくっつけてるかいないかって事位か?
もう一度くっつけてみるか。
額と額をくっつけて、様子を窺う。
(うぅ~…目を閉じてるから真っ暗だし、声は出ないし…でも、そこまで不安にならないのは一度経験してるから、かなぁ…。でも、どうにかして意思表示したいよねぇ~…そもそも私今どんな状況?ああーっ、もうっ。脳内テレビとかないのかなっ!?)
…聞こえた。
しかも姫さんらしい言葉が次から次へと…。
正解だったようだ。
流れていた涙は引っ込み、姫さんがまだ生きている事の喜びで体が震えそうだ。
ぐっと堪えて、俺は姫さんに届くように声をかけた。
「姫さん…姫さん、聞こえるか?」
(ふみっ!?奏輔お兄ちゃんっ!?そこにいるのはやっぱり奏輔お兄ちゃんっ!?)
「そうや」
あぁ…通じた。
姫さんと意思疎通とれたことが嬉しくて、今度は嬉しくて涙が出そうだ。
「姫さん。ゆっくり話ししたい所やけど、ちょっとそないな状態じゃないんや。悪いけど、ちょっとだけ待っとってな。頼むから意識飛ばさんといてな?」
(頑張るっ!)
どうやって頑張ってくれるのかは解らないが、頑張ると言ってくれたからには保ってくれるだろう。
額を離して、姫さんをしっかりと抱き上げて、
「佳織さんっ!!」
俺は叫んだ。声が届かないかもしれないが、きっと佳織さんは次の言葉を言うと反応してくれる。
「佳織さんっ!姫さんはまだ生きてるっ!生きとるでっ!」
これできっと反応してくれ、「どう言う事っ!?」る…って最後まで言わせてぇな。
突然目の前に戻って来られても逆に驚くわ。
「姫さんの意識があるんや」
「意識が…?でも、見る限り、そんな感じには…」
「額をくっつけるんや。すると会話が出来る」
「額を…?」
佳織さんはそっと姫さんの前髪を上げて露わになった額と自分の額をくっつけた。
「………美鈴?」
じっと佳織さんの反応を見守る。
佳織さんは最初泣きそうな顔をしていたけれど、徐々に徐々に顔に生気を取り戻していく。
小さな声で何かしら呟いている。きっと姫さんと会話しているんだろう。
だとするなら俺は二人が会話に集中出来る様に周囲を警戒しなければ。
顔を上げて視線を巡らせると、透馬達が未だに戦いを続けていた。
だが、どうやら新田と近江も加勢に来たらしく、こちらが優勢だ。
アイツらが本気で戦えば、例えどれだけ相手が強かろうが、まず負ける事はないだろう。
…しかし、あの男、誰なんや?
恐らく姫さんが高校生の時に狙ってきた連中の内の一人には間違いないやろ。
せやけど……あの時、鴇達がある程度潰したはず。
また出て来た理由は…?
解らない事がまだある。あの男が使って、今尚姫さんを苦しめているこの術。
そもそも何でこの男が術…スキルを使えるのか。
姫さんの話だと、俺達が生きてるこの世界は、姫さんの前世の世界だと乙女ゲームの世界だと言っていた。ついでに俺達のルートを選んだとも言っていた。
普通に考えるなら、俺達のルート、姫さんが言う所のRPGの御三家ルートを選んだのなら、そこに出てくる登場人物勢力は大きく分けて三つ。
攻略対象者や主人公を含む『味方』
主人公に害をなすボスや雑魚キャラ等の『敵』
そして、一切そこに関係しない所謂モブと言われる『一般人』
の三つの筈だ。
そして更に細かくすると。
俺達御三家と姫さん。後は姫さんの友達や姫さんの身内は『味方』と捉えて良い。
逆に姫さんを狙う表門の人間や、姫さんと敵対するラスボス…恐らく佳織さんは『敵』となる。
最後に、そこと一切関わりのない人間。例えば俺の姉とか学校の先生とかそこらの知り合い、顔見知り程度の人間は『一般人』枠だろう。
で更に、ここで姫さんが前世での記憶を持っている事により生じた狂いに焦点を当ててみる。
俺達攻略対象者は本来知り合う筈の年齢よりずっと以前に出会っていて信頼関係が出来上がっていると同時に姫さんも着実に友達を増やして本来の数倍以上は『味方』がおり、何よりも姫さんの一番の敵であろう佳織さんが既にこちら側についている。
でもって、姫さんが本来つく筈のない地位に付いている事により、敵は大幅に減っている。そう言う意味では俺達が味方である必要がない程権力を持っている。表門の連中はゲームの中にもいたかもしれないが、最早敵ではないだろう。
敵もほとんどおらず、味方は最強の布陣。負けるべくもない勝負に突然現れた、くくりで言えば一般人の男。
そこで謎に戻る。
一般人枠の男が何故スキルを使用出来るのか。
姫さんがやられた時、あの男は確かに『凍結(フリジット)』と言った。
文字感から察するに何かを凍らせる系のスキルだろう。姫さんもこうして冷え切って凍ってしまっているのが良い証拠だ。
「…くん…奏輔くん」
考え込んでいたから佳織さんに名を呼ばれても反応に時間がかかってしまった。
ハッと我に返って佳織さんの方を見ると、
「ありがとう。美鈴が生きてる事を教えてくれて…。これで私は心おきなく戦う事が出来るわ」
微笑んで、パァンッと拳と拳をぶつけて、次の瞬間には走りだしていた。
佳織さんが戦闘に参加した事により勝負はあっけなくついた。
佳織さんの強さはいつも通りだからさておくとして、問題は姫さんをどう治すかだ。
また額と額をくっつけて姫さんと会話を試みる。
(真っ暗よ~♪真っ暗なのよ~♪ふっみみみっみ~♪)
「……姫さん。脱力しそうだからその歌勘弁してくれへん?」
(ふみっ!?奏輔お兄ちゃん、聞いてたのっ!?)
あぁ、そうか。
姫さんは今感覚を感じられないから俺と額が触れあった事が解らないのか。
それで油断して歌ってたら俺に聞かれてしまったと。
姫さんらしい。
ふっと笑みが浮かぶ。
(奏輔お兄ちゃん。さっきママに聞いたんだけど私の体凍っちゃってるってホント?)
「本当や。今だって、俺は姫さんが死んだと、思って…」
(…奏輔お兄ちゃん…。私、今奏輔お兄ちゃんがどんな顔してるのか解らないから、慰める事も笑わせる事も出来ないの。…どうしたらいい?)
「…どうもせんでええよ。姫さんと会話出来るならまだ望みはあるんや。…絶対に助けてやるからな。少しだけ我慢してな?」
(うん。待ってる。あと…たまに話かけてね、奏輔お兄ちゃん。私、寂しいから…)
「分かっとるよ。鬱陶しい位話かけたるから、安心しぃ」
(うんっ)
「後できちんと状況も説明してやるから」
(うんっ)
額を離して、俺は改めて姫さんを抱きかかえ直し、そのまま透馬達の側へと向かった。
透馬達は泣いていた。
何でや?
敵は倒した。
姫さんも生きてる。
何で泣く必要がある?
「おい、透馬、大地も。どうしたん?」
「どうしたも、何もあるかっ!」
「は?透馬?」
透馬は俺の前に立ち、姫さんの髪にそっと触れた。
「…姫を、守れなかった…。鴇になんて言ったら…」
「ちょ、ちょい待ちぃっ。姫さんは生きてるっ」
言った瞬間、そこにいた全員の視線が俺に集まった。
意味が解らないと、こっちを見ている。
「額と額を合わせたら会話出来る」
「額と…額?」
透馬が俺の側に来て、姫さんの額の髪を寄せるとそっと額をくっつけた。
「姫…?」
呼びかける。
その時の俺は当然姫さんの声を透馬も聞いているもんだと思っていた。
だが、違った…。
透馬はゆっくりと顔を上げて俺を見た。
「奏輔…」
ポンッと肩に手を置かれる。
「現実、見ろ…。姫さんはもう話さない。もう…死んだんだ」
「そ、そんな訳ないっ!姫さんは確かに俺と会話したんやっ」
絶対そんな事はない。
俺は姫さんと額をくっつける。
「姫さんっ」
(ぼーえー…はっ!?な、なに?奏輔お兄ちゃんっ。私、変な歌なんて歌ってないよっ!?)
ほら、声するやろっ。
「話しとるやないかっ!透馬こそいい加減な事言うなやっ!」
「奏輔…」
「そんな目で見るなっ!俺はおかしくなんてなってないっ!姫さんは生きてるっ!急いで姫さんを助けないとあかんねやっ!」
こうして話してる間にももしかしたら姫さんの命は…。
生じた焦りに声が震え次第に大きくなっていく。
だがこの焦りは透馬達には通じない。
「奏輔。姫ちゃんをこっちに寄越せ」
「は?」
「今のお前の側には置いておけない。姫を家族の下へ返してやらないと」
「こんな状態でかっ!?冗談じゃないっ!そんな事したら、お前ら姫さんを死んだものとするんやろがっ!」
「……嵯峨子先生。王子の脈、見させて…」
真っ赤な目で新田が側へと来ようとする。
だけど、その手に、言葉に、俺は恐怖を感じた。
姫さんを取られるんじゃないかって恐怖を…。
咄嗟に姫さんを抱きしめた。自分の腕の中で、守る為に。
そのまま、一歩、二歩と後退する。
「コタっ!」
「了解でござるっ!」
背後から声がした。
「しまっ…」
油断した。
背後に回ってるとは思わなく、振り返った。その隙に透馬と大地は距離を詰めて来た。
顔面を狙ってくる拳を咄嗟に避けた瞬間、更に間合いを詰めて来た透馬に姫さんを奪い取られる。
「やめろっ!姫さんを返せっ!」
「奏輔っ!お前、狂ってるぞっ!!落ち着けっ!!」
「離せっ!大地っ!」
羽交い絞めにされる。
「こんの、馬鹿力がっ!くそっ、姫さんっ!!」
透馬は俺からどんどん距離を取って、俺の手が届かない所まで離れると、一瞬だけ同情するような視線をこちらに向けて、そのまま背を向けて歩きだした。
「ふっざけんなっ!姫さんっ!姫さんっ!!」
このままだと姫さんが、姫さんがホントに死んでまうっ!!
「離せっ!大地っ!!」
一切緩まない力に、それでも俺は暴れ続け―――。
「離せっ!離せえええええっ!!」
無駄だと頭では理解しているのに、ただただ抵抗し叫び続けた……。
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