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最終章 数多の未来への選択編
※※※(棗視点)
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闇の渦を抜けて、僕は再び辿り着いた。
アースラウンドに。
だが、僕の視界に飛び込んだ世界が、本当に数時間前までにいた世界と同じ世界なのかと目を疑った。
人は皆飢餓で痩せ細り、建物は倒壊し、街を潤していた木々は折れ草花を潰し、街を輝かせていた水は濁り溢れかえっている。
『ここは、本当に、あのアースラウンド、なのか…?』
思わず出た言葉は、誰に届く事なく宙へと消えて行く。
空を見上げると、分厚い雲が辺りを覆っている。この雲は、まさか…黒雨平原の雲かっ!?
黒雨は、リョウイチの力により街まで侵入する事はないと、リョウイチは言っていた。
だとしたら、父さんが言っていた【リョウイチは命を落とした】と言うのは事実なのだろう。
ここは僕が来た時より前の時間軸か?それとも後?
一先ず、状況を確認する為に僕は黒雨を避ける様に倒壊しそうな建物を擦り抜けながら、ある事に気づく。
僕が一番最初に擦り抜けた家が、リョウイチの家だと言う事に。
家の中に置かれていた本は全て雨風に濡れ放置されたまま。誰も片づける事が出来なかったって事か?
そんな馬鹿な…。
カオリさんの家に行こう。ここからそんなに遠くない筈だ。急げば雨に当たる事も少なく出来る。
物をすり抜け、極力雨に触れないように、尚且つスピードを上げて、僕はカオリさんの家に飛び込んだ。
そこで目にしたものに、僕はまた自分の目を疑わねばならなかった。
カオリさんの右足が、ない……。
一体何がどうなって、こんな姿になったのか。
椅子に座っているカオリさんは一人の女の子と会話している。この子は一体…?
二人は仲睦まじげに談笑している。この間に割って入るのは、気が引けるけど、今は鈴の事が先決だ。
僕はカオリさんの前に降り立った。
すると、僕に気付いたカオリさんは目を丸くして驚き、立ち上がろうとして、女の子に止められた。
カオリさんは、切なそうに笑うと女の子に何かを話して僕と向き合った。
僕が何か話そうと思ってもカオリさんに僕の言葉は届かない。けれど、カオリさんの声は僕には届く。
「今、呼んでる。待つ」
カオリさんはそう言った。呼んでる?誰を?
暫く待っていると、ドアが開いた。どうやらさっきカオリさんが誰かを呼んでくるように女の子に使いを出したらしかった。
女の子の後ろに誰かが立っている。
『そこに、いるの?ナツメ』
『その声は、ミオさん、ですか?』
『えぇ、そうよ。あぁ…本当にナツメなのね。懐かしい…』
そう言いながら、僕がいる所と全く別の方向を見て言うミオさん。懐かしいって事はここは僕達がいた時よりもっと後の時間軸のようだ。
カオリさんが、僕の方を指さしてミオさんに何か言っている所を見ると、恐らく【そっちじゃない、こっちこっち】と言っているんだろう。
『ミオさん。一杯聞きたい事があるんです。あるんですけど、まずこれを先に確認させてください。鈴は…鈴は何処にいますかっ?』
『ミスズは何処にいる?って、一緒に帰ったのではないのっ!?』
『えっ…?』
予想外の答えが返って来て、僕は言葉を失う。
『リョウイチ様が亡くなったと知らせた直ぐ後の事よ。ミスズは貴方を求めて泣いていたのだけど、まるで誰かに呼ばれたかのように、反応が返って来なくなったの』
『誰かに呼ばれたかの様に…?』
『えぇ。だから私はてっきりナツメに呼ばれたものだと思って…』
『それは…、それはあり得ないんです。ミオさん』
『どう言う事?』
『僕は鈴が、この場所へ来た事を知らない。僕はリョウイチを鈴が届けた後、僕の側に戻って来た所までしか知らないんです。何故なら、僕はその時既にこの世界にはいなかったのですから』
『なんですってっ!?』
そう。だから僕は鈴がここにもう一度来た事も知らなければ、リョウイチがこの場所で息を引き取った事も知らないんだ。
『鈴はいまだあちらに帰って来ていない。だから僕はもう一度この世界に戻って来たんです。ただ、時間軸が…』
『そうね。ずれているわね。……あの後。リョウイチ様が息を引き取ってミスズが姿を消した後から、もう二十年の月日が経つのよ。そこにいる子はカオリの娘よ』
成程。だから、カオリさんとあんなに仲睦まじげにしている訳だ。
じっとカオリさんの娘を見ていると、見える目を引き継いでいるのか、彼女も僕の方を見て視線が合う。なんでだろう。その瞳を見た事があるような気がする。微笑み方も誰かに…。
『カオリそっくりよね。ホント』
確かに。顔立ちから何からそっくりだ。だから既視感を感じるのかな?
『二十年前。リョウイチ様が亡くなり、この地を守る加護が消え、黒雨が街に入りこんだ。迷い人がいなければ私達に雨自体はそれほどの脅威ではない。だからこそ何とか過ごせていた。私達も子供を産んでリョウイチ様ほどの力は無いにしろ、三人協力して加護を復活させることが出来た。ただ、その翌年。災害が起きたの』
『災害?自然災害ですか?』
『それもあったわ。火山が噴火した事で地震が起きた。けれど、その災害はどうしようもないから覚悟も出来た。でも、本当の災害はそこではないの。……人が狂い始めたのよ』
『狂う?』
『…えぇ。ここではない街で、始まった。ある男が突然笑いながら村の人間を皆殺しにした。笑いながら、よ?非常識すぎるその事件の報告を聞いた時は思わず私も聞き返しちゃったわ。本当なの?って。だけど私達はそれを信じざるを得なかった。村を一つ壊滅させた男は次の村、強固の力を持つ武闘の国に行き、その国の人間を残らず殺した』
『…生き残りは?』
『いたわ。ただし、その姿は犯人の男と同じような狂人となったものだけ。街を、国を、移動するたびにその狂人は増えて行き、真っ当な人間は死んでいった。…そして、今から三年前の夏。この街にも等々そいつらは現れたの。戦える人間は皆戦った。けれど、勝つ事は敵わなかった。この街で生き残っているのは、私と私の息子、そしてカオリとカオリの娘だけよ』
『そんなっ…』
『…カオリも先の戦いで、足を失ったわ。正直私達にはもう抗う術は残っていないの。…この世界はもう終わるのよ』
もう何を言っていいのか解らなかった。
言葉が出て来なくて、口を開いたり閉じたり、ただそれだけしか出来ないのが悔しくて。ぐっと唇を噛んだ。
『…そう、思ってたんだけどね』
『え?』
『カオリが言うのよ。負けっ放しは嫌と。まだ何か出来るかもしれない、とね。足を失ってもまだ希望を捨てないのよ。自分達が、生きているのなら、他にもまだ生き残った人がいるかもしれないと。その人達を集めて、最後にもう一回だけ立ち上がらないかって』
『…流石。強いですね』
『カオリですからね。だから、私もそれに乗る事にしたの。親友の言葉ですもの。そうして今まで頑張ってきたら、ナツメが現れたわ』
『僕?』
『えぇ、そうよ。ナツメはミスズを探しに来たのでしょう?と言う事は、これから探しに行くのよね?』
『はい』
それだけは揺るぎない。この世界でミスズを見つけ連れ帰るまで僕は帰れない。
それに父さんが言っていた。
【アースラウンドでリョウイチの力を継ぐ者の助けを借りて美鈴を見つけ出し連れ帰れ】と。
きっとそれは今ここに居る人達の事だ。
彼女達の現状で力を借りる事は酷な事かもしれない。だけど、僕が動けば力を貸してくれる筈だ。だって彼女達もまた鈴を心配してくれている筈だから。彼女達に力を借りたいと思うのであれば、僕だってそれなりの働きを見せなければ。
『お願いがあるの。この世界までとは言わないわ。この国での生存者を探して欲しいの。私達の味方を連れて来て欲しい。勿論、私達もミスズがどうなったか、調査をするわ。だから』
『勿論、お引き受けします。…ミオさん達が諦めないでいてくれて良かった。そうでないと僕は鈴の事も、この世界の事も知る事が敵わなかった』
さぁ、早速動こう。
僕がくるりと振り返ると、待ってと呼び止められた。
『これを持って行って』
そう言ってミオさんは何かをカオリさんの手の平の上に置いた。
カオリさんとミオさん、そしてカオリさんの娘、三人の側に近寄りその手の平の上のモノを見ると、そこには小さな指輪が置かれていた。
それは一体…?
それに僕はこうして幽体なので、持つ事が出来ないのでは?
『これは…リョウイチ様の遺品なの。そして、これは黒雨から迷い人を守る効果があるらしいの』
リョウイチの…。だったら。
そっと手に持つと確かに触れる事も小指だけれど指にも嵌める事が出来た。
『…ナツメ。お願いね』
『はいっ。行って来ますっ』
僕は勢いよく外へと飛び出した。
黒雨が効かなくなった今、幽体である事と伴い、障害らしき障害は消えた。
日が何度も登り、何度となく落ちて行く。
その間に、何人もの狂っていない人間を見つけた。
そして狂人の姿も見る事が出来た。まるでゾンビの様に何かを呟いて、傷がついた体でも虚ろな瞳を周りに見せ歩いている。ホラーゲームみたいだ。
色々と動き回っている中で、僕は一つの事に気づいた。
狂人の共通点だ。それは、
【母親の名前が、ショウコ】
だと言う事だ。これはかなり有力な情報ではないだろうか?
更に、その狂人はまず真っ先に母親を殺すとの話も聞いた。と言う事は、母親が何かを握っていると、そう言う事になる。
…どこかにショウコと言う名の女性は生き残っていないだろうか?
本当ならばカオリさん達の友人で同じ巫女であったショウコさんに聞くべきだろうけど、もう亡くなっているから不可能だ。
とにかくこの情報を持って、一旦戻ろう。
カオリさんの家に戻り、ミオさんを通じて生存者の存在を伝えると、カオリさんは喜々として連絡を取る手段をくれた。後に狂人の共通点を告げる。すると二人は少し考える事があると僕には解らない言葉で話し始めた。
だったらとその間に手段たる人を探すべく、僕はまた外に出る事にする。
時間は無駄にしたくないから。
かなりの距離を飛んだだろう。
肉体はないけれど、精神が疲れているのか、疲労感がある。
…休んでる暇はないけどね。
精神なら、僕が意思をしっかり持ちさえすればどうにかなる筈だ。
鈴を探し出すまでは、揺らいでる暇はない。
更に勢いをつけて飛ぶと、大きな木の根元に雨宿りしている男を見つけた。格好はフードローブを羽織って良く解らないけれど、ただ腰に剣を携えているのは解る。
恐らく、彼だ。
僕は近寄り、声をかけた。
『ホークスさん?』
『……迷い人か?珍しいな。この黒雨の中正気を保てているなんて。…あぁ、そうか。母さんが助けを求めたと言うのはお前か?』
そう言いながら、ホークスさんは真っ直ぐ僕を見た。
フードで良く見えないけれど、その瞳には強い意志が込められていた。
『初めまして。ナツメと言います』
『ナツメか。よろしく。改めて、ミオの子、ホークスだ。大体の事情は聞いてる。早速で悪いが案内してくれるか?』
『了解』
何故か知らないけれど、ホークスさんとは息があう。
サクサクと案内する事が出来て、ホークスさんの手腕で相手を納得させ、戦える者を仲間にする事が出来た。
キャラバンみたいに、ホークスさんの周りには人が集い始めた。
しかも、数度狂人と出会ったのだが、ホークスさんはその狂人を全て跳ね返したのだ。
どんなに人数が襲ってきても全てだ。
その強さに素直に尊敬した。
常に余裕な姿を見せ、人々は安心する。その強さに憧れる。…ここにもやはり既視感があったけど、それが何かこの時の僕には見当もつかなかった。
戦える仲間が増え、ホークスさんと旅し始めて一か月が経った。
僕一人なら何処までも加速していけるけれど、人の足が増えるとそうもいかない。
しかも今では30人近くなる大所帯だ。尚更だ。
別行動をとりたくても、今狂人に対抗出来るのがホークスさんしかいないので、そうもいかない。
僕は何度もカオリさんの所へ戻り、ミオさんに報告をして戻るを繰り返していた。
そして、最後の生存者を説得した日の夜。
突然に狂人の襲撃を受け、僕は戻らずにホークスさん達と一緒に夜を過ごしていた。
『へぇ、成程な。そのミスズって恋人を探しに異世界まで。…まぁ、気持ち解らなくもないがな。だが悪いな。俺にその情報はないんだ』
『…そう、ですか…』
一ヶ月以上も一緒にいて、僕は初めてここにいる理由を説明した。
ホークスさんは真剣に聞いてくれたけど、情報は持っていなかった。
これだけ集めていても鈴の情報がないのなら、ミオさんの言っていた通り先に戻ったのかもしれない。
もしくは既に…。いや、暗く考えるな。
鈴は大丈夫。絶対に大丈夫。
『…戻って来た時間が悪かったな。いっそ別れた数時間後とかなら解る事もあっただろうに』
『そうだけど、僕には時間をしていする力は無いから…』
『…どうにかしてやりたいが。俺にはリョウイチ様の様な力は無いからな。すまないな』
『大丈夫。気にしないで。と…』
鴇兄さん。
と危うく言いかけて、口を閉ざす。
ホークスさんは首を傾げているが、何と言って良いものか解らず何でもないと首を振った。
視えないのに首を振っている辺り自分が混乱しているのが良く解る。
『変な奴だな。…さて。見張りの交代の奴が来たようだ。俺も少し寝る。何かあったら俺を起こしてくれ』
『うん。解ったよ』
どうして鴇兄さんと言いかけたのか。今ちょっと解った。
顔も恰好も似ている所なんてないのに、空気が、話し方が、ホークスさんって鴇兄さんに似てるんだ。
異世界なのに、こんな事があるなんてと僕は知らず微笑んでいた。
その後、狂人の襲撃もなく僕達はカオリさんの下へ向かった。
最後の場所は敢えてカオリさん達の街の近くの人に決めていたから、僕達はそんなに長時間歩く事なく街へと辿り着いた。
だが、そこで見た光景で僕達の動きは停止した。
狂人がそこかしこにいたからだ。
ちっ。
ホークスさんの舌打ちが響く。
それと同時に剣を持って駆け出した。
他の仲間達はホークスさんの邪魔にならないように援護する。
僕は、役立たずだ。
せめて、せめてリョウイチの剣さえあれば…。
いや、違う。
剣があったって付け焼刃だ。
せめて触れる事が出来たら。
ぐっと拳を握り、耐える。
見ているだけが辛いって事は昔から身に沁みて知っている筈なのに。
ふと、視線がホークスさんの背に行った。
背後から狙っている狂人がいて。
僕は咄嗟に動いていた。
当たる訳ない。
でも何かせずにはいられなかった。
気付けば、
ナイフを持つ狂人の腕を掴み、頬を殴り飛ばしていた。
触れられたっ!?
『ナツメかっ!?助かったっ!!』
『う、うんっ』
もしかしたら狂人を僕は触る事が出来るかもしれない。
試しにもう一度他の狂人を殴ってみる。
そいつは見事に僕の拳を腹で喰らい、宙を舞った。
これは、イケるっ!!
拳を握って狂人を殴り飛ばしては、意識を失わせていく。
だけどこれじゃあ駄目だ。意識を失わせるだけでは、意識を取り戻し次第直ぐにこちらへ向かって来てしまう。
…ホークスさんと同じように、嫌だけれど、殺していく必要があるのかもしれない。
ホークスさんの剣に躊躇いはない。確実に剣は狂人を切り裂いていく。
『ナツメ。戦ってくれてるだけで有難いんだ。無理をしなくて、良いっ』
そうホークスさんは戦いながら言ってくれているけれど、僕は自分の甘さに歯がゆさを感じた。
武器ってこう言う時、大事なんだな。
心の底から実感した。
狂人と戦いながら考えていると、突然―――。
「―――あああああああっ!!」
黒雨ですら切り裂くような叫び声が聞こえた。
この、声、は…。
見知った声の叫びに、僕とホークスさんは咄嗟に視線を交じわせ走りだしていた。
問答無用で狂人達を倒しながら、カオリさんの家へと向かう。
いくら近くまで来ていたからとはいえ、こんな距離で声が聞こえるなんて、余程の事だ。
一刻でも早く辿り着きたいと、僕達は一心不乱に駆け続けた。
僕が全力で飛んでいるのに、ホークスさんは同じ速度で付いてくる。異常な事態を感じているから。
勢い込んで、カオリさんの家に飛び込んで…。
この世界に再び降りたって、僕は何度愕然と、言葉を失っただろうか―――。
僕の視界に飛び込んできたのは、背中からナイフを刺され床に倒れて息絶えたカオリさんと、無数に刺され血に塗れて、息絶えても尚未だ狂人に蹂躙されているカオリさんの娘の姿。そして、今まさに狂人に襲われて、胸にナイフを突き刺されたミオさんの姿だった。
茫然とした僕を横目に、ホークスさんは剣を持ち、狂人を斬り捨てた。
ホークスさんは全員を倒した後、ふらりとカオリさんの娘の側へと歩み寄った。
「み、すず…」
え?
今、ホークスさんは美鈴って言わなかった?
「また、…助けれなかった…。俺は、俺は…っ、くそっ!!」
日本語だ…。
間違いなくホークスさんが話しているのは日本語だ。
「俺は後何回お前を失えば良いっ!?後何度お前を見送れば、お前を助ける事が出来るっ!?何でだっ!!母さんっ!!教えてくれっ!!もう、嫌だ…。美鈴を失うのはもう、嫌なんだよっ!!」
ホークスさんがフードローブを脱ぎ、カオリさんの娘を包んで強く抱きしめた。
「どうして俺は、記憶を…お前を失った後に思いだすんだ…。この世界であれば、親父達の記憶の一番初めであれば…どうにかなると、思っていたのに…」
呟くホークスさんの言葉の意味が解らない。
『ホークス、さん…』
泣いて、いるのか?
僕が思わず呼ぶと、ホークスさんはゆらりとカオリさんの娘を抱いたまま立ち上がった。
真正面から、こうしてきちんと顔を見たのは初めてだった。
けど、その顔は、涙を流したその顔は僕の尊敬してやまない、兄に、酷似していた。
造詣がとか造りとかがではない。ただ、彼が出す気配、オーラが鴇兄さんそのものだった。
『鴇、兄さん…?』
「……その声、…そうか。棗か?」
『鴇、兄さん?』
もう一度、確かめるように呼んだ名をホークスさんは答える事なく、ただ瞳を伏せるだけだった。
「ここに、棗がいると言う事は、美鈴に何かあったんだな?」
『うん。…鈴が、いないんだ。この世界に僕と一緒に精神だけ飛ばされて、僕だけ先に戻された。鈴を取り戻そうと戻って来たのに、時間軸が狂って…』
「……そうか。親父に何か言われたか?」
『リョウイチの【力】を継ぐ者に助けを求めろって、言ってた』
「そうか」
鴇兄さんの中で何かが腑に落ちたのか、いつもの、けれど悲しそうな切なそうな笑みを見せた。
「棗。それは俺の事だ。俺はこの世界で最後の生き残りだ」
『え?』
僕が驚いたのと同時に―――。
ドオオオオンッ!!
耳を塞ぎたくなる程の音が響く。
僕は宙に浮いているから解らないけれど、鴇兄さんも建物も、目に映る全てが揺れている。
「…さっきの音も、この揺れも、全てがこの星の終末を示している。今、外にいる都貴の転生体…いや、狂人は空から降り注ぐ岩石に潰されて、海から来る津波に全て意志ある生き物が死に行く。勿論集めた仲間達もだ」
『…終末…』
「そうだ。もうこの世界は終わるんだ。だから、お前は帰れ」
『鴇兄さん、でも鈴が…』
「大丈夫。今から美鈴がいる場所にお前を飛ばしてやる。棗。指輪を持ってるか?」
『うん。あるよ』
指から外して、差し出された鴇兄さんの手の平に落とす。
鴇兄さんはそれを一度ギュッと握る。
すると、その指輪は鈍く赤い光を放つ。
「……※※※。※※※」
何かを腕の中の彼女に呟いて、鴇兄さんはキスをする。
泣きながらキスする鴇兄さんから視線を逸らす事が出来なかった。
鴇兄さんは唇を離して、彼女の血で濡れた唇のまま、そっと指輪にキスをした。今度は緑の光を放つ。
「後は、こいつの…」
ガンッ!!
鴇兄さんが踏みつぶしたそいつは、血を吐き出した。
…彼女を襲っていた狂人…こいつ、僕とリョウイチを襲った奴だ。
そいつの上に指輪を落とすと、青い色を放つ。
暫くすると光が収まり、鴇兄さんはそれを拾って僕に向かって差し出した。
「これで良い。これを持って、神殿へ行け。…そこに石碑があるのは知ってるな?」
『うん』
「石碑に文字が書かれているのは?」
『知ってる』
「なら、話は早い。その石碑の一番上。天辺に、円で囲まれた五芒星が描かれている。その五芒星の中央に花が描かれているからその花の上に指輪をはめたまま触れろ。そうすれば帰れるはずだ」
『…分かった。でも、鴇兄さんは…?』
「俺は…、この世界の俺は、ここで命を終わらせる。…こいつの側にいたいんだよ」
『でもっ』
「悪いな、棗。けど側に、いたいんだ…。解ってくれ」
鴇兄さんが悲痛な面持ちで彼女をきつくきつく抱きしめた。きっと、大事な、人だったんだ。
「…ははっ。棗がこんなに俺を心配してるのは初めてだな。…急げ、棗。大丈夫だ。あっちの俺はまだ健在だろう?」
『う、ん…。解った。鴇兄さん…。また、ね』
僕は指輪を受け取り、上昇した。だから、僕が上昇した時に、
「美鈴、美鈴…ッ!」
と鴇兄さんが苦し気に叫んでいる事に気づくことはなかった。
天井を抜けて、更に雲をも抜けて、神殿へ真っ直ぐに向かう。
雲を抜けたのは、死にゆく生物の姿を、人の姿を見たくなかったから。
確か、この辺りの下が、神殿だった筈。
上昇した分だけ、下降する。
僕の勘は当たってたみたいだった。
丁度、神殿の入り口。
神殿の周りには、神殿に助けを求めた人、そこを狂人に襲われた人の遺体がそこかしこにあった。
今の僕は何も出来ない。
星が終わろうとしている。
それにどうこう出来るだけの力は僕にはないんだ。
壁をがんがん擦り抜けて行く。
地震で地面が割れ、柱が崩れ倒れる。
そうか、だから鴇兄さんは急げと言ったんだ。
石碑が、崩れたら僕は帰れなくなるっ。鈴を探す事も出来なくなるっ。
スピードを上げる。
石碑の間だった場所に辿り着き、更に石碑の一番上に向かう。
文字を目で辿り、一番上…えっ!?無いよっ!?そんな文様ないっ!!
一番上の文字を目を凝らして確かめるけど、やっぱりないっ!
焦りに一度戻ろうかとも考えた。けど…鴇兄さんは急げと言っていた。
駄目だ。
落ち着け、僕。
鴇兄さんは何て言っていた?
『その石碑の一番上。天辺に、円で囲まれた五芒星が描かれている。その五芒星の中央に花が描かれているからその花の上に指輪をはめたまま触れろ』
って言っていた。
石碑の一番上。上だ。ここは一番上。
次は、天辺に円で囲まれた…天辺?
天辺ってどう言う事?
……もしかしてっ!!
僕は更に上昇し、石碑の天辺を上から見降ろした。
そこには小さな文様がある。
これだっ!!
急ぎそれに触れる。
すると、文様から光が溢れ、その光が僕を包んだ。
温かな光だった。
『棗お兄ちゃん…』
声が聞こえて、肩に何か暖かいものが触れた―――。
アースラウンドに。
だが、僕の視界に飛び込んだ世界が、本当に数時間前までにいた世界と同じ世界なのかと目を疑った。
人は皆飢餓で痩せ細り、建物は倒壊し、街を潤していた木々は折れ草花を潰し、街を輝かせていた水は濁り溢れかえっている。
『ここは、本当に、あのアースラウンド、なのか…?』
思わず出た言葉は、誰に届く事なく宙へと消えて行く。
空を見上げると、分厚い雲が辺りを覆っている。この雲は、まさか…黒雨平原の雲かっ!?
黒雨は、リョウイチの力により街まで侵入する事はないと、リョウイチは言っていた。
だとしたら、父さんが言っていた【リョウイチは命を落とした】と言うのは事実なのだろう。
ここは僕が来た時より前の時間軸か?それとも後?
一先ず、状況を確認する為に僕は黒雨を避ける様に倒壊しそうな建物を擦り抜けながら、ある事に気づく。
僕が一番最初に擦り抜けた家が、リョウイチの家だと言う事に。
家の中に置かれていた本は全て雨風に濡れ放置されたまま。誰も片づける事が出来なかったって事か?
そんな馬鹿な…。
カオリさんの家に行こう。ここからそんなに遠くない筈だ。急げば雨に当たる事も少なく出来る。
物をすり抜け、極力雨に触れないように、尚且つスピードを上げて、僕はカオリさんの家に飛び込んだ。
そこで目にしたものに、僕はまた自分の目を疑わねばならなかった。
カオリさんの右足が、ない……。
一体何がどうなって、こんな姿になったのか。
椅子に座っているカオリさんは一人の女の子と会話している。この子は一体…?
二人は仲睦まじげに談笑している。この間に割って入るのは、気が引けるけど、今は鈴の事が先決だ。
僕はカオリさんの前に降り立った。
すると、僕に気付いたカオリさんは目を丸くして驚き、立ち上がろうとして、女の子に止められた。
カオリさんは、切なそうに笑うと女の子に何かを話して僕と向き合った。
僕が何か話そうと思ってもカオリさんに僕の言葉は届かない。けれど、カオリさんの声は僕には届く。
「今、呼んでる。待つ」
カオリさんはそう言った。呼んでる?誰を?
暫く待っていると、ドアが開いた。どうやらさっきカオリさんが誰かを呼んでくるように女の子に使いを出したらしかった。
女の子の後ろに誰かが立っている。
『そこに、いるの?ナツメ』
『その声は、ミオさん、ですか?』
『えぇ、そうよ。あぁ…本当にナツメなのね。懐かしい…』
そう言いながら、僕がいる所と全く別の方向を見て言うミオさん。懐かしいって事はここは僕達がいた時よりもっと後の時間軸のようだ。
カオリさんが、僕の方を指さしてミオさんに何か言っている所を見ると、恐らく【そっちじゃない、こっちこっち】と言っているんだろう。
『ミオさん。一杯聞きたい事があるんです。あるんですけど、まずこれを先に確認させてください。鈴は…鈴は何処にいますかっ?』
『ミスズは何処にいる?って、一緒に帰ったのではないのっ!?』
『えっ…?』
予想外の答えが返って来て、僕は言葉を失う。
『リョウイチ様が亡くなったと知らせた直ぐ後の事よ。ミスズは貴方を求めて泣いていたのだけど、まるで誰かに呼ばれたかのように、反応が返って来なくなったの』
『誰かに呼ばれたかの様に…?』
『えぇ。だから私はてっきりナツメに呼ばれたものだと思って…』
『それは…、それはあり得ないんです。ミオさん』
『どう言う事?』
『僕は鈴が、この場所へ来た事を知らない。僕はリョウイチを鈴が届けた後、僕の側に戻って来た所までしか知らないんです。何故なら、僕はその時既にこの世界にはいなかったのですから』
『なんですってっ!?』
そう。だから僕は鈴がここにもう一度来た事も知らなければ、リョウイチがこの場所で息を引き取った事も知らないんだ。
『鈴はいまだあちらに帰って来ていない。だから僕はもう一度この世界に戻って来たんです。ただ、時間軸が…』
『そうね。ずれているわね。……あの後。リョウイチ様が息を引き取ってミスズが姿を消した後から、もう二十年の月日が経つのよ。そこにいる子はカオリの娘よ』
成程。だから、カオリさんとあんなに仲睦まじげにしている訳だ。
じっとカオリさんの娘を見ていると、見える目を引き継いでいるのか、彼女も僕の方を見て視線が合う。なんでだろう。その瞳を見た事があるような気がする。微笑み方も誰かに…。
『カオリそっくりよね。ホント』
確かに。顔立ちから何からそっくりだ。だから既視感を感じるのかな?
『二十年前。リョウイチ様が亡くなり、この地を守る加護が消え、黒雨が街に入りこんだ。迷い人がいなければ私達に雨自体はそれほどの脅威ではない。だからこそ何とか過ごせていた。私達も子供を産んでリョウイチ様ほどの力は無いにしろ、三人協力して加護を復活させることが出来た。ただ、その翌年。災害が起きたの』
『災害?自然災害ですか?』
『それもあったわ。火山が噴火した事で地震が起きた。けれど、その災害はどうしようもないから覚悟も出来た。でも、本当の災害はそこではないの。……人が狂い始めたのよ』
『狂う?』
『…えぇ。ここではない街で、始まった。ある男が突然笑いながら村の人間を皆殺しにした。笑いながら、よ?非常識すぎるその事件の報告を聞いた時は思わず私も聞き返しちゃったわ。本当なの?って。だけど私達はそれを信じざるを得なかった。村を一つ壊滅させた男は次の村、強固の力を持つ武闘の国に行き、その国の人間を残らず殺した』
『…生き残りは?』
『いたわ。ただし、その姿は犯人の男と同じような狂人となったものだけ。街を、国を、移動するたびにその狂人は増えて行き、真っ当な人間は死んでいった。…そして、今から三年前の夏。この街にも等々そいつらは現れたの。戦える人間は皆戦った。けれど、勝つ事は敵わなかった。この街で生き残っているのは、私と私の息子、そしてカオリとカオリの娘だけよ』
『そんなっ…』
『…カオリも先の戦いで、足を失ったわ。正直私達にはもう抗う術は残っていないの。…この世界はもう終わるのよ』
もう何を言っていいのか解らなかった。
言葉が出て来なくて、口を開いたり閉じたり、ただそれだけしか出来ないのが悔しくて。ぐっと唇を噛んだ。
『…そう、思ってたんだけどね』
『え?』
『カオリが言うのよ。負けっ放しは嫌と。まだ何か出来るかもしれない、とね。足を失ってもまだ希望を捨てないのよ。自分達が、生きているのなら、他にもまだ生き残った人がいるかもしれないと。その人達を集めて、最後にもう一回だけ立ち上がらないかって』
『…流石。強いですね』
『カオリですからね。だから、私もそれに乗る事にしたの。親友の言葉ですもの。そうして今まで頑張ってきたら、ナツメが現れたわ』
『僕?』
『えぇ、そうよ。ナツメはミスズを探しに来たのでしょう?と言う事は、これから探しに行くのよね?』
『はい』
それだけは揺るぎない。この世界でミスズを見つけ連れ帰るまで僕は帰れない。
それに父さんが言っていた。
【アースラウンドでリョウイチの力を継ぐ者の助けを借りて美鈴を見つけ出し連れ帰れ】と。
きっとそれは今ここに居る人達の事だ。
彼女達の現状で力を借りる事は酷な事かもしれない。だけど、僕が動けば力を貸してくれる筈だ。だって彼女達もまた鈴を心配してくれている筈だから。彼女達に力を借りたいと思うのであれば、僕だってそれなりの働きを見せなければ。
『お願いがあるの。この世界までとは言わないわ。この国での生存者を探して欲しいの。私達の味方を連れて来て欲しい。勿論、私達もミスズがどうなったか、調査をするわ。だから』
『勿論、お引き受けします。…ミオさん達が諦めないでいてくれて良かった。そうでないと僕は鈴の事も、この世界の事も知る事が敵わなかった』
さぁ、早速動こう。
僕がくるりと振り返ると、待ってと呼び止められた。
『これを持って行って』
そう言ってミオさんは何かをカオリさんの手の平の上に置いた。
カオリさんとミオさん、そしてカオリさんの娘、三人の側に近寄りその手の平の上のモノを見ると、そこには小さな指輪が置かれていた。
それは一体…?
それに僕はこうして幽体なので、持つ事が出来ないのでは?
『これは…リョウイチ様の遺品なの。そして、これは黒雨から迷い人を守る効果があるらしいの』
リョウイチの…。だったら。
そっと手に持つと確かに触れる事も小指だけれど指にも嵌める事が出来た。
『…ナツメ。お願いね』
『はいっ。行って来ますっ』
僕は勢いよく外へと飛び出した。
黒雨が効かなくなった今、幽体である事と伴い、障害らしき障害は消えた。
日が何度も登り、何度となく落ちて行く。
その間に、何人もの狂っていない人間を見つけた。
そして狂人の姿も見る事が出来た。まるでゾンビの様に何かを呟いて、傷がついた体でも虚ろな瞳を周りに見せ歩いている。ホラーゲームみたいだ。
色々と動き回っている中で、僕は一つの事に気づいた。
狂人の共通点だ。それは、
【母親の名前が、ショウコ】
だと言う事だ。これはかなり有力な情報ではないだろうか?
更に、その狂人はまず真っ先に母親を殺すとの話も聞いた。と言う事は、母親が何かを握っていると、そう言う事になる。
…どこかにショウコと言う名の女性は生き残っていないだろうか?
本当ならばカオリさん達の友人で同じ巫女であったショウコさんに聞くべきだろうけど、もう亡くなっているから不可能だ。
とにかくこの情報を持って、一旦戻ろう。
カオリさんの家に戻り、ミオさんを通じて生存者の存在を伝えると、カオリさんは喜々として連絡を取る手段をくれた。後に狂人の共通点を告げる。すると二人は少し考える事があると僕には解らない言葉で話し始めた。
だったらとその間に手段たる人を探すべく、僕はまた外に出る事にする。
時間は無駄にしたくないから。
かなりの距離を飛んだだろう。
肉体はないけれど、精神が疲れているのか、疲労感がある。
…休んでる暇はないけどね。
精神なら、僕が意思をしっかり持ちさえすればどうにかなる筈だ。
鈴を探し出すまでは、揺らいでる暇はない。
更に勢いをつけて飛ぶと、大きな木の根元に雨宿りしている男を見つけた。格好はフードローブを羽織って良く解らないけれど、ただ腰に剣を携えているのは解る。
恐らく、彼だ。
僕は近寄り、声をかけた。
『ホークスさん?』
『……迷い人か?珍しいな。この黒雨の中正気を保てているなんて。…あぁ、そうか。母さんが助けを求めたと言うのはお前か?』
そう言いながら、ホークスさんは真っ直ぐ僕を見た。
フードで良く見えないけれど、その瞳には強い意志が込められていた。
『初めまして。ナツメと言います』
『ナツメか。よろしく。改めて、ミオの子、ホークスだ。大体の事情は聞いてる。早速で悪いが案内してくれるか?』
『了解』
何故か知らないけれど、ホークスさんとは息があう。
サクサクと案内する事が出来て、ホークスさんの手腕で相手を納得させ、戦える者を仲間にする事が出来た。
キャラバンみたいに、ホークスさんの周りには人が集い始めた。
しかも、数度狂人と出会ったのだが、ホークスさんはその狂人を全て跳ね返したのだ。
どんなに人数が襲ってきても全てだ。
その強さに素直に尊敬した。
常に余裕な姿を見せ、人々は安心する。その強さに憧れる。…ここにもやはり既視感があったけど、それが何かこの時の僕には見当もつかなかった。
戦える仲間が増え、ホークスさんと旅し始めて一か月が経った。
僕一人なら何処までも加速していけるけれど、人の足が増えるとそうもいかない。
しかも今では30人近くなる大所帯だ。尚更だ。
別行動をとりたくても、今狂人に対抗出来るのがホークスさんしかいないので、そうもいかない。
僕は何度もカオリさんの所へ戻り、ミオさんに報告をして戻るを繰り返していた。
そして、最後の生存者を説得した日の夜。
突然に狂人の襲撃を受け、僕は戻らずにホークスさん達と一緒に夜を過ごしていた。
『へぇ、成程な。そのミスズって恋人を探しに異世界まで。…まぁ、気持ち解らなくもないがな。だが悪いな。俺にその情報はないんだ』
『…そう、ですか…』
一ヶ月以上も一緒にいて、僕は初めてここにいる理由を説明した。
ホークスさんは真剣に聞いてくれたけど、情報は持っていなかった。
これだけ集めていても鈴の情報がないのなら、ミオさんの言っていた通り先に戻ったのかもしれない。
もしくは既に…。いや、暗く考えるな。
鈴は大丈夫。絶対に大丈夫。
『…戻って来た時間が悪かったな。いっそ別れた数時間後とかなら解る事もあっただろうに』
『そうだけど、僕には時間をしていする力は無いから…』
『…どうにかしてやりたいが。俺にはリョウイチ様の様な力は無いからな。すまないな』
『大丈夫。気にしないで。と…』
鴇兄さん。
と危うく言いかけて、口を閉ざす。
ホークスさんは首を傾げているが、何と言って良いものか解らず何でもないと首を振った。
視えないのに首を振っている辺り自分が混乱しているのが良く解る。
『変な奴だな。…さて。見張りの交代の奴が来たようだ。俺も少し寝る。何かあったら俺を起こしてくれ』
『うん。解ったよ』
どうして鴇兄さんと言いかけたのか。今ちょっと解った。
顔も恰好も似ている所なんてないのに、空気が、話し方が、ホークスさんって鴇兄さんに似てるんだ。
異世界なのに、こんな事があるなんてと僕は知らず微笑んでいた。
その後、狂人の襲撃もなく僕達はカオリさんの下へ向かった。
最後の場所は敢えてカオリさん達の街の近くの人に決めていたから、僕達はそんなに長時間歩く事なく街へと辿り着いた。
だが、そこで見た光景で僕達の動きは停止した。
狂人がそこかしこにいたからだ。
ちっ。
ホークスさんの舌打ちが響く。
それと同時に剣を持って駆け出した。
他の仲間達はホークスさんの邪魔にならないように援護する。
僕は、役立たずだ。
せめて、せめてリョウイチの剣さえあれば…。
いや、違う。
剣があったって付け焼刃だ。
せめて触れる事が出来たら。
ぐっと拳を握り、耐える。
見ているだけが辛いって事は昔から身に沁みて知っている筈なのに。
ふと、視線がホークスさんの背に行った。
背後から狙っている狂人がいて。
僕は咄嗟に動いていた。
当たる訳ない。
でも何かせずにはいられなかった。
気付けば、
ナイフを持つ狂人の腕を掴み、頬を殴り飛ばしていた。
触れられたっ!?
『ナツメかっ!?助かったっ!!』
『う、うんっ』
もしかしたら狂人を僕は触る事が出来るかもしれない。
試しにもう一度他の狂人を殴ってみる。
そいつは見事に僕の拳を腹で喰らい、宙を舞った。
これは、イケるっ!!
拳を握って狂人を殴り飛ばしては、意識を失わせていく。
だけどこれじゃあ駄目だ。意識を失わせるだけでは、意識を取り戻し次第直ぐにこちらへ向かって来てしまう。
…ホークスさんと同じように、嫌だけれど、殺していく必要があるのかもしれない。
ホークスさんの剣に躊躇いはない。確実に剣は狂人を切り裂いていく。
『ナツメ。戦ってくれてるだけで有難いんだ。無理をしなくて、良いっ』
そうホークスさんは戦いながら言ってくれているけれど、僕は自分の甘さに歯がゆさを感じた。
武器ってこう言う時、大事なんだな。
心の底から実感した。
狂人と戦いながら考えていると、突然―――。
「―――あああああああっ!!」
黒雨ですら切り裂くような叫び声が聞こえた。
この、声、は…。
見知った声の叫びに、僕とホークスさんは咄嗟に視線を交じわせ走りだしていた。
問答無用で狂人達を倒しながら、カオリさんの家へと向かう。
いくら近くまで来ていたからとはいえ、こんな距離で声が聞こえるなんて、余程の事だ。
一刻でも早く辿り着きたいと、僕達は一心不乱に駆け続けた。
僕が全力で飛んでいるのに、ホークスさんは同じ速度で付いてくる。異常な事態を感じているから。
勢い込んで、カオリさんの家に飛び込んで…。
この世界に再び降りたって、僕は何度愕然と、言葉を失っただろうか―――。
僕の視界に飛び込んできたのは、背中からナイフを刺され床に倒れて息絶えたカオリさんと、無数に刺され血に塗れて、息絶えても尚未だ狂人に蹂躙されているカオリさんの娘の姿。そして、今まさに狂人に襲われて、胸にナイフを突き刺されたミオさんの姿だった。
茫然とした僕を横目に、ホークスさんは剣を持ち、狂人を斬り捨てた。
ホークスさんは全員を倒した後、ふらりとカオリさんの娘の側へと歩み寄った。
「み、すず…」
え?
今、ホークスさんは美鈴って言わなかった?
「また、…助けれなかった…。俺は、俺は…っ、くそっ!!」
日本語だ…。
間違いなくホークスさんが話しているのは日本語だ。
「俺は後何回お前を失えば良いっ!?後何度お前を見送れば、お前を助ける事が出来るっ!?何でだっ!!母さんっ!!教えてくれっ!!もう、嫌だ…。美鈴を失うのはもう、嫌なんだよっ!!」
ホークスさんがフードローブを脱ぎ、カオリさんの娘を包んで強く抱きしめた。
「どうして俺は、記憶を…お前を失った後に思いだすんだ…。この世界であれば、親父達の記憶の一番初めであれば…どうにかなると、思っていたのに…」
呟くホークスさんの言葉の意味が解らない。
『ホークス、さん…』
泣いて、いるのか?
僕が思わず呼ぶと、ホークスさんはゆらりとカオリさんの娘を抱いたまま立ち上がった。
真正面から、こうしてきちんと顔を見たのは初めてだった。
けど、その顔は、涙を流したその顔は僕の尊敬してやまない、兄に、酷似していた。
造詣がとか造りとかがではない。ただ、彼が出す気配、オーラが鴇兄さんそのものだった。
『鴇、兄さん…?』
「……その声、…そうか。棗か?」
『鴇、兄さん?』
もう一度、確かめるように呼んだ名をホークスさんは答える事なく、ただ瞳を伏せるだけだった。
「ここに、棗がいると言う事は、美鈴に何かあったんだな?」
『うん。…鈴が、いないんだ。この世界に僕と一緒に精神だけ飛ばされて、僕だけ先に戻された。鈴を取り戻そうと戻って来たのに、時間軸が狂って…』
「……そうか。親父に何か言われたか?」
『リョウイチの【力】を継ぐ者に助けを求めろって、言ってた』
「そうか」
鴇兄さんの中で何かが腑に落ちたのか、いつもの、けれど悲しそうな切なそうな笑みを見せた。
「棗。それは俺の事だ。俺はこの世界で最後の生き残りだ」
『え?』
僕が驚いたのと同時に―――。
ドオオオオンッ!!
耳を塞ぎたくなる程の音が響く。
僕は宙に浮いているから解らないけれど、鴇兄さんも建物も、目に映る全てが揺れている。
「…さっきの音も、この揺れも、全てがこの星の終末を示している。今、外にいる都貴の転生体…いや、狂人は空から降り注ぐ岩石に潰されて、海から来る津波に全て意志ある生き物が死に行く。勿論集めた仲間達もだ」
『…終末…』
「そうだ。もうこの世界は終わるんだ。だから、お前は帰れ」
『鴇兄さん、でも鈴が…』
「大丈夫。今から美鈴がいる場所にお前を飛ばしてやる。棗。指輪を持ってるか?」
『うん。あるよ』
指から外して、差し出された鴇兄さんの手の平に落とす。
鴇兄さんはそれを一度ギュッと握る。
すると、その指輪は鈍く赤い光を放つ。
「……※※※。※※※」
何かを腕の中の彼女に呟いて、鴇兄さんはキスをする。
泣きながらキスする鴇兄さんから視線を逸らす事が出来なかった。
鴇兄さんは唇を離して、彼女の血で濡れた唇のまま、そっと指輪にキスをした。今度は緑の光を放つ。
「後は、こいつの…」
ガンッ!!
鴇兄さんが踏みつぶしたそいつは、血を吐き出した。
…彼女を襲っていた狂人…こいつ、僕とリョウイチを襲った奴だ。
そいつの上に指輪を落とすと、青い色を放つ。
暫くすると光が収まり、鴇兄さんはそれを拾って僕に向かって差し出した。
「これで良い。これを持って、神殿へ行け。…そこに石碑があるのは知ってるな?」
『うん』
「石碑に文字が書かれているのは?」
『知ってる』
「なら、話は早い。その石碑の一番上。天辺に、円で囲まれた五芒星が描かれている。その五芒星の中央に花が描かれているからその花の上に指輪をはめたまま触れろ。そうすれば帰れるはずだ」
『…分かった。でも、鴇兄さんは…?』
「俺は…、この世界の俺は、ここで命を終わらせる。…こいつの側にいたいんだよ」
『でもっ』
「悪いな、棗。けど側に、いたいんだ…。解ってくれ」
鴇兄さんが悲痛な面持ちで彼女をきつくきつく抱きしめた。きっと、大事な、人だったんだ。
「…ははっ。棗がこんなに俺を心配してるのは初めてだな。…急げ、棗。大丈夫だ。あっちの俺はまだ健在だろう?」
『う、ん…。解った。鴇兄さん…。また、ね』
僕は指輪を受け取り、上昇した。だから、僕が上昇した時に、
「美鈴、美鈴…ッ!」
と鴇兄さんが苦し気に叫んでいる事に気づくことはなかった。
天井を抜けて、更に雲をも抜けて、神殿へ真っ直ぐに向かう。
雲を抜けたのは、死にゆく生物の姿を、人の姿を見たくなかったから。
確か、この辺りの下が、神殿だった筈。
上昇した分だけ、下降する。
僕の勘は当たってたみたいだった。
丁度、神殿の入り口。
神殿の周りには、神殿に助けを求めた人、そこを狂人に襲われた人の遺体がそこかしこにあった。
今の僕は何も出来ない。
星が終わろうとしている。
それにどうこう出来るだけの力は僕にはないんだ。
壁をがんがん擦り抜けて行く。
地震で地面が割れ、柱が崩れ倒れる。
そうか、だから鴇兄さんは急げと言ったんだ。
石碑が、崩れたら僕は帰れなくなるっ。鈴を探す事も出来なくなるっ。
スピードを上げる。
石碑の間だった場所に辿り着き、更に石碑の一番上に向かう。
文字を目で辿り、一番上…えっ!?無いよっ!?そんな文様ないっ!!
一番上の文字を目を凝らして確かめるけど、やっぱりないっ!
焦りに一度戻ろうかとも考えた。けど…鴇兄さんは急げと言っていた。
駄目だ。
落ち着け、僕。
鴇兄さんは何て言っていた?
『その石碑の一番上。天辺に、円で囲まれた五芒星が描かれている。その五芒星の中央に花が描かれているからその花の上に指輪をはめたまま触れろ』
って言っていた。
石碑の一番上。上だ。ここは一番上。
次は、天辺に円で囲まれた…天辺?
天辺ってどう言う事?
……もしかしてっ!!
僕は更に上昇し、石碑の天辺を上から見降ろした。
そこには小さな文様がある。
これだっ!!
急ぎそれに触れる。
すると、文様から光が溢れ、その光が僕を包んだ。
温かな光だった。
『棗お兄ちゃん…』
声が聞こえて、肩に何か暖かいものが触れた―――。
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