上 下
214 / 359
最終章 数多の未来への選択編

※※※(葵視点)

しおりを挟む
「棗っ」
「葵っ」
互いの言いたい事は声に出さずとも分かっている。
棗は白鳥邸から真南にある邸宅へ向かうと、僕は北東にある邸宅へ向かうと互いに名へ意味を込めて視線を合わせ伝えあう。
それだけで十分。
僕と棗は互いに真逆の方向へ向かって駆け抜ける。
時間も時間だ。もう辺りは真っ暗。
電気が遮断された所為で、足元を照らす光もない。でも…。
「全く問題ないんだよね」
昔から鈴ちゃんと歩き回っていた市。多少暗闇で見えない所で何の問題もない。こうして走っていたって、
「転びもしないってね」
花壇の位置ですら把握している。因みに、大地さん所にある鍵のかかっていない自転車の場所もしっかり把握している。
ので、ちょっと拝借します。
…何かこう言う所、佳織母さんに似てきたな、僕…。
や、考えるな。考えたらきっと負け。
自転車に跨り、一気に踏み込む。
まずは北東を目指す。車も今は動いていない。
街灯も電気供給が無い為に、真っ暗。月明かりもない。市民だって皆避難して、今日は風もないから木々が揺らぐ音もない。
ない、筈なんだけどなぁ…。
前方からも後方からも音がする。後方の方は微か。前方は分かりやすい音が聞こえている。
無視しても良いんだけど…前方のはそうも行かないよね。
自転車のライトを点けてこっちに向かわせてみようか。…でも行き先がばれたらバレたで面倒だよね。
…さて、どうしようかな。
漕ぐスピードを上げて、撒いた方が早いかな?
…うん。一先ずスピードを上げてみよう。足に力を込めてスピードを上げた瞬間、

――ドスドスンッ。

「うぐっ!?」

急に背中に重みがっ!?
一体何がっ!?
驚き自転車を漕ぐ足を止め、振り返ると、そこには…。
「(葵兄さん、ちょっと速過ぎるよ)」
「(うん。速い)」
ひそひそとした小さな声で中々に聞き取り辛いけれど、この声は…。
「(旭、蘭。どうして、ここに?)」
鈴ちゃんの前だと、可愛い弟ぶりっこする弟達は鈴ちゃんがいない場所だと途端に僕達の血の繋がりを感じる口調になる。
頭の回転も下手すると僕達以上かもと思う時もある。…兄馬鹿かな?
いや、今はそんな事はいい。
そんな事よりどうして、ここに二人がいるのか、だ。
「(お姉ちゃんからの伝言。『華菜ちゃんが集めた情報によると、北東にある家は一典伯父さんの隠れ家と思われる。そこに有益な情報は多そう。その代わり警備も頑丈そうだから、気を付けて』だって)」
一典伯父さん、か。紫さんの血の繋がった親。確かに一番有益な情報がありそうだ。
「(了解だよ。…ここから少しスピードを上げて一気に向かう。蘭、鈴ちゃんに『街に市民以外の気配あり。家の守りを固めて』と伝えて)」
「(分かった)」
「(旭は佳織母さんに『なるべく早く逢坂くんを白鳥邸に連れ帰る様に』と伝えて)」
「(了解)」
僕がそう言うと、二人の重みと気配は直ぐに消えた。
…隠密行動、滅茶苦茶向いてるね。僕達家族以外はあの二人の気配はなかなか掴めないと思うし…。お兄ちゃん、びっくりだよ。
もしかして、鴇兄さんもこんな気持ちだったのかな?僕達の成長を見て。……ははっ。何か可笑しいっ。
っと笑ってる場合じゃないね。急がなきゃっ。
自転車のペダルを踏み、再び走りだす。
目的地へ向かって、自転車を漕ぐ。

暫くして―――。
目的地付近へ辿り着いた。
あともうちょっとの所で、ずっと前方にあった気配が、動いた。

―――ガチャッ。

ヤバいっ!

咄嗟に自転車を飛び降りて、側にあったそこそこに太い木の後ろへ転がる様に隠れる。
息を潜めて……―――気配を消す。
……。

「…何処に行った?」
「さっきは確かにここに」
「自転車があるぞ」
「という事はまだこの付近にいる筈だ」
「探せ」

………。
言ってる事はやたら玄人っぽいんだけど…見当違いの所を探してる辺り完全に素人だ。
このまま移動するべきか。それとも…こいつらと戦って、色々吐かせるか…。迷うなぁ。
いや、でもここはやっぱり倒しておくべきかな。向うへ行って挟み撃ちにされても面倒だし。情報は力だしね。
となると…。
僕は暗がりを音を立てずに移動する。
声の主は何処だ?
………あっちの建物の影か。
声を聞く限りだと、四人。一体どんな奴らなんだろう?
そっと近づき、様子を窺う。
「…ちっ。こう暗いと何も見えねぇ」
「そもそも何で電気の供給をストップする必要があるんだ?」
「さぁな。お偉いさんの考える事は解らねぇよ」
「お偉いさん、ねぇ。あんな馬鹿な連中に従った所で俺達に何の利益があるってんだ?」
「……少なくとも、俺達の家族の命は助かる。忘れたのか?」
家族?…どう言う事?
「忘れちゃいねぇよ」
「俺達は家族を人質に取られてるんだ。そもそも選択の余地なんてねぇんだよ」
「……白鳥の総帥が、爆弾を解除してくれるなら、俺達はこんな事をして手を汚す必要がなくなるんだけどな」
「いっそ時間過ぎるのを待つか?」
「それが出来たら苦労しない。お前ら分かってるのか?首につけられたこのチョーカーの意味」
チョーカー…?暗いから解らないが、あるのか…?
「は?意味?あいつらの部下だって意味じゃないのかよ」
「そんな訳あるか。これは爆弾だ。裏切り行為をした瞬間に爆発する」
「はっ!?そんなの聞いてねぇぞっ!?」
「何で黙ってたっ!?」
「好きで黙ってた訳ねぇだろっ!!俺だって、俺だって聞きたくなかったっ!!たまたま通りかかったんだっ!!部屋の前をっ!!そこで白鳥勢津子って女がっ!言ってたんだっ!!高笑いしてっ!!『成功しても失敗しても良いように駒は手中に収めておかないと』ってっ!!『爆弾を自分からつけるなんて本当馬鹿ばかりね』ってっ!!」
「そ、そんなっ…」
「じゃ、じゃあ俺達はこのまま…」
……屑だね、本当。誰って、勿論勢津子伯母がに決まってる。
人の命を何だと思ってるのか。
この人達も巻き込まれただけなんだ。これだとさっきと状況が変わってくる。僕がこの人達を倒すと、そのまま人間爆弾として利用される可能性もある。参ったな…。せめて動きを止めるだけでもしようか。…それも危険かな?バレた時の事を考えると…。
良い案が浮かばない。良く考えたら、こう言う事件の時、率先して動くのは鴇兄さんと鈴ちゃんだ。
あの二人はやっぱり僕達とは出来が違うって事かな…。
考え込み動けずにいると、
「(葵兄さん)」
コソッと僕の横に現れたのは、……燐、か。
「(これ。預かってきたよ)」
手に何か握らされる。
「(お姉ちゃんからの伝言。『万が一の為に華菜ちゃんと解除キーを用意しておいたよ。もしかしたら無理矢理手下にされた人がいるかもしれないから念の為。これを使えば大抵の小型爆弾は自動解除されるはず。使用方法は、小型爆弾とこの解除キーをくっつけるだけでOK。でも無理はしないでね』だって)」
「(鈴ちゃん…流石過ぎる…)」
何てタイミングの良さ。
「(燐。鈴ちゃんに『ありがとう』とそれから『勢津子伯母に人質を取られて利用されてる人らがいる。チョーカーに小型爆弾を埋め込まれてるらしい。もしかしたら他にも同じような人がいるかもしれない』と伝えて)」
「(らじゃっ)」
燐がいなくなったのを確認して、僕は立ち上がり歩き出す。
まずはこちらに気付かせないとね。

―――コツンッ。

手近な石を蹴り、固い物に当てた。多分、植木鉢か何かだろう。
でもそれで充分。
「誰だっ!?」
警戒状態にある人間はこの位の音で十分こちらに気付いてくれる。
…って、うん?ちょっと待って?この声聞き覚えがある。
「もしかして、山本?」
「ッ!?」
驚いたと言う事は、間違いないな。
小学生の時クラスメートだ。
「白鳥っ…」
「あぁ、悪ぶらなくても良いよ。君達の会話はある程度聞いていたから。それに、君達が全力で僕に挑んできても、悪いけど僕には敵わないよ」
「それ、は…」
敵意が消えた。
これなら近寄っても問題ないだろう。
「で、物は相談なんだけど」
「何だ?」
「君達の爆弾僕が解除して、人質も必ず助けるって約束するから、僕に手貸してくれない?」
暗闇で笑顔を向けた所で見えないだろうけど笑って見せる。
……正直怪しいよね。僕。素直に頷ける訳ないだろうし。最悪爆弾だけ解除して気絶させようかな。
「白鳥」
「なに?」
『喜んで手を貸させて頂きますっ!!』
土下座。うん。相変わらずだね。山本は常に土下座してた気がしてたけど間違いじゃなかった。
……さっさと爆弾解除しちゃおう。
こっちに近寄る様に言って、僕は一人ずつ爆弾を解除していく。10秒もかからずに解除出来る。鈴ちゃん、これ万能過ぎない?
他にもないかどうか、一応スキャニングして爆発物らしきものがない事を確認して一安心。
「ありがとな、白鳥」
「どういたしまして」
「で?白鳥が手を貸して欲しい事って何だ?」
「僕を探しているふりをして欲しいんだ。そして、相手をかく乱して欲しい。僕はこっちに来なかった。そう言う事にして欲しいんだ」
「分かった。任せてくれ」
「それから、山本なら知ってると思うんだけど。僕の可愛い妹は賢いんだ。凄く凄く賢いんだ。それで可愛いんだ」
「うん?え?なに?こんな時に自慢か?」
「だから、こんな状況はあっという間に終わらせてみせるだろうから、安心して良いよ。鈴ちゃんが今日中に勝負をつけると言うのなら、きっとそうなんだと思うから」
鈴ちゃんなら多分余裕だと思う。
それから三分程鈴ちゃんについて語りに語って、僕はその場を離れ再び走りだした。
途中、蓮が現れたので鈴ちゃんからの報告と、僕の方の報告を伝えた。念の為にと増産された解除キーを渡されたけれど、それは山本に渡すように蓮に告げて、僕は走るスピードを上げた。
そして、やっと辿りついた北東の邸宅。
…って言うかさ。明かり消しときなよ。煌々としてるんだけど…。やっぱり馬鹿なの?
裏口から入るべきかな?
そもそも金にものを言わせて建てたような家だ。白鳥邸より大きい。その所為か裏口が何処なのかもさっぱり解らない。
正面から行く?行ってもいい様な気もするけど。…やっぱり慎重に行こうか。
豪邸の後ろへと回り、塀を飛び越えて中へと侵入する。
裏口のドアを守る人間が二人。二人なら何の問題もない。
素早く二人の前に飛び出し、

ガツッ!

「何者、ぐあっ!?」

ドスッ!

「ぐはっ!?」

一撃で気を失わせた。
鍵は持ってるのかな?
懐を探って、…あった。
鍵を開けて中に侵入する。何かあった時の為に、一応鍵は閉めておこう。良し。これで何かあっても直ぐには入って来れない。僕も脱出し辛くなるけど、脱出する時は別に何を壊しても構わないだろうし。最悪ドアをぶち破って逃げればいい。
中に誰がいるか解らない。慎重に行こう。
人に見つからないように、隠れる場所を確認しながらも廊下を歩く。廊下も部屋も灯りは点いていない。明るかったのは玄関と、丁度その上にある数部屋。だったらまずはそこを目指そう。
真っ直ぐに二階への階段を探し出して、灯りの点いている部屋の前に辿り着いた。
…話し声がする?
ドアの真ん前は流石にバレそうだから、灯りの点いていない隣の部屋に入って話を聞こう。
音を立てないように中へと入り込み、壁に耳をくっ付けて会話に聞き耳を立てる。

「……一典様。勢津子様。準備は整いました。後はこのまま」
「ちょっとっ。まだ準備の段階なのっ!?こんな大掛かりな事をしておいてっ!?」
「申し訳ありません。何分相手はあの白鳥美鈴。そして白鳥誠の息子達です。あの頭脳に歯向かうにはちょっとやそっとの作戦では…」
「言い訳は聞かぬ。お前は私の駒になる為に態々作ったんだ。お前の変わり等幾らでも作れる。最後にはお前も死ぬんだからなっ。命を出し惜しみしてないで動けっ」

…この場に鈴ちゃんがいなくて良かった。本当に…。
こんな屑の言葉を聞いたらきっと、大根と包丁を装備して殴り込みに行くよ、ゴボウと日本刀装備した佳織母さんと一緒に。男性恐怖症だって事も忘れてそりゃもうボコボコにするだろうね…。
ほんっと、ほんっと僕が来て良かった…。

「……出し惜しみ、するな、ですか…。そう、ですね…こんな命、もう、どうなっても…。確かに、その通りだわ。もう、どうだっていいっ!!」

―――ガタンッ!ガッシャーンッ!!

「皆っ、皆死んでしまええええっ!!」
「うぐっ!?」
「きゃああああああっ!!」

い、一体何が起きたっ!?
躊躇っている時間はないっ。
部屋を飛び出して、隣の部屋へと飛び込む。
するとそこには血まみれの腕を抑えながら、倒れている一典伯父と青褪めてへたり込み震えている女性、恐らく彼女が見た目の年齢からいって勢津子伯母なんだろう。そして…。

「あ、おい…、くん…?」

目の前に血に濡れた果物ナイフを持って、虚ろな瞳でこちらを見ているのが紫さん、だ。
真っ白な灰のような髪色をした女性。体はどこもかしこも痩せ細って…でも、その虚ろな瞳は綺麗に灯りを反射する紅の瞳。
「葵君、なの…?」
どうして、僕の事を知っているんだろう?
そう思ったのに、僕の脳内にある記憶が過る。

『葵君。あの人達と関わっちゃいけない。側に行ってもダメよ。もう二度とここに来ては駄目』

優しい言葉だった。
昔父さんは何度も遺産相続を放棄しようとしたけれど、良子お祖母さんがそれを許可しなかった。そんな良子お祖母さんに父さんの兄姉は痺れを切らして、幼い僕の懐柔をを始めた。
『葵。今日はどんな風に過ごしたの?』
『お父さんは今日は何処へ行ったって?』
『葵のお祖父さんは何故か誠を気に入っているのよね。どんなにきつく当たっても結局は正妻の子が可愛いのよ』
伯母達は本当に最悪な人間で。それを僕は知っていた。知っていたけれど、あの当時の僕は母さんを亡くしたばかりで。しかも、鴇兄さんと棗に少なからず距離を感じていたから。僕は悪鬼が如く最低最悪な人間でも、母親という物の面影を、その偽りの優しさを知っていても縋りたくなったのだ。
色々な相続や呼び出しに父さんが答えて、実家へ戻る度に僕は伯母達に家の内情を報告していた。伯母達の質問に全て答え、こう言う風に伝えてくれと言われたら父さんにその通り伝えていた。
けれど、いざ本格的な、遺産相続の話になると必ず部屋を訪れる女の子がいた。
『…園江様、誠様が御呼びです』
毎度そう告げて。実際は父さんが呼んでいた事は一度もない。けれど直ぐに状況を察した父さんは、その女の子と話を合わせて僕を伯母から引き離してくれた。
女の子は毎度同じ事を僕に優しく諭してくれた。

『あの人達と関わっては駄目』
『ここに来てはいけない』
『誠さんの側を離れちゃダメよ』

と。いつもそう言って儚い笑顔を見せてくれた。
でも、僕はどうしても伯母達に逆らえなくて。最初は母さんを求めていた。けれど状況を理解出来るようになってくると自分がしている事が家族を苦しめることになると分かって来たんだ。
だけど、どうやって逃げ出したらいいのか解らなくて。
父さんの実家へ帰る度に僕は追い詰められるようになった。

『…葵君は優しいね。だからこそ、戻って来てしまう。だけど、ダメよ。君にはまだ助けてくれる人がいる。その人を大事にしないと』

抜け出せなくなった苦しさから、その女の子はそう言ってくれて、僕の心は軽くなった。
それから、実家へ行く度に顔を青くする僕の状況に鴇兄さんが気付いてくれた。
『親父。あの爺に言った所でもう埒があかない。良子祖母さんに、もう断言すべきだ。遺産相続権を放棄すると。その場で書類も書いてしまえ』
と。父さんもそれに納得し、今まで良子お祖母さんが繋いでいてくれた白鳥家の縁を完全に断ち切った。
そんな事になるとは思わなくて。
母さんを失って、父さんは更に自分を産んでくれた両親と縁を切る事になったんだ。

―――僕の所為で。

でも父さんは、僕の頭を撫でて言った。

『いいんだよ。葵。俺は、母さんとお前達がいてくれれば何もいらない。お前達の食い扶持くらい稼げるよ』

と。父さんは遺産を相続する権利があった筈なのに。
でも、父さんも、鴇兄さんも、棗も僕を責めなかった。

その後、佳織母さんと父さんが再婚した事によって、白鳥家との縁も、どうしようもなくて苦しかった僕の気持ちも鈴ちゃんが全て救ってくれた。
良子お祖母さんからも本音を聞けて、あの爺が全て悪いって事も知った。お祖母さんも苦しかったんだって事も理解出来る。爺の事は全く理解出来ないけれど。
今思うと、あの少女は僕をずっと見守って助けてくれていた。
父さんの話を聞く限り、こんな家に寄りつきたくもなかっただろうに。
文美伯母さんと幸せに暮らしたかっただろうに…。
昔、僕を幾度となく助けてくれた少女は、綺麗な青色の髪をしていた。
けれど目の前にいるのは白髪の女性だ。でも…。

「葵くん…。……大きくなったね」

あの笑い方は…。
間違いなくあの少女で…。
僕の脳内で、助けてくれた少女と父さんの話した紫さんの姿が一致した。
「貴女が、紫さんだったんですね」
「……そう。本当は知られたく、なかったけれど…。でも、無理、か。だって白鳥総帥の兄、だもんね」
「……えぇ。そうですね。僕は美鈴の兄です。妹を害する人を見逃す訳にはいかない」
下がった眼鏡のブリッジを押し上げて、僕は紫さんをじっと見つめた。
紫さんは、悲しそうな、苦しそうな顔で、静かに口元に笑みを浮かべて、涙を溢れさせた。
「なんで、かなぁ…?私は、なんの為に、生まれたのかなぁっ…?跡を継がせる為にと言われて、大好きな母さんから引き離された。覚えたくもない事を覚えさせられて、やっと見返せる。母さんとの日々が取り戻せると思ったら、白鳥美鈴が全てを持って行った。私のこれまでの我慢も、小さな初恋も、みんなみんな持って行ったっ…!!」
「紫さん…」
「どうせもう長くない命っ!!それならどう使おうが私の自由でしょうっ!?皆、皆死んじゃえば良いのよっ!!」
紫さんの手が振り上げられた。その手には果物ナイフがあり、ナイフが狙う先は勢津子伯母だ。
「紫さんっ!」
あの優しい人がどうしてこんな風になってしまったのか。
本当に鈴ちゃんの所為なのか?
いや、鈴ちゃんの所為な訳がない。鈴ちゃんは、紫さんみたいな人の存在を知っていたなら必ず助けようとしたはずだ。
それに、紫さんはそんなに浅はかな人じゃない。
こんな風にしか出来ない理由があるはずなんだ。
僕は紫さんの背後に周り羽交い絞めした。
「離せっ!離せえええっ!!」
「駄目ですっ!紫さんっ!紫さんがこれ以上手を汚す必要はないっ!」
「……あおい、くん…」
紫さんの腕がだらりと落ちる。
きっともう刺したりはしない。紫さんは愚かな人間ではないから。
僕は紫さんを解放して、紫さんに向かって微笑んだ。そして、

「逃がす訳、ないだろっ!」

逃げ出そうとした一典伯父の顔面を思い切り殴った。
バキッと歯が折れたであろう音が聞こえる。けれど、これで終わりじゃない。
一典伯父の腹に蹴りを入れて吹っ飛ばし、勢津子伯母の上に落とした。
意識を失った二人を見て、満足する。
そして、振り返ると紫さんは茫然としていた。
「紫さん…?」
思わず名を呼ぶと、彼女は静かに俯いた。
「………余計な、事を…」
「紫さん?」
もう一度名を呼ぶ。すると、彼女は再び僕と向き合い、笑った。
何時も見た切ない笑みではなく、唇の端だけで弧を描く。
「余計なことをしないでくれるっ?私の手なんてもう汚れてるのよっ!…次の作戦に移行しなきゃ…っ!」
「紫さんっ!」
突然駆け出した紫さんの後を僕は慌てて追いかける。
紫さんは正面玄関から抜けて車に乗りこみ走って行ってしまった。
何処へ向かうんだろうっ!?
解らない。解らないけど追い掛けなきゃっ!
車の後を追おうと走りだした僕に、

「葵っ!!」

声がかけられる。

ごめん、棗。

僕は今、止まる訳には行かないんだ。
鈴ちゃんの為にも紫さんを見失う訳には行かない。
だから…。

僕は棗の声に振り返る事なく、闇の中へと姿を消した。
しおりを挟む
感想 1,230

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

悪役令嬢アンジェリカの最後の悪あがき

結城芙由奈 
恋愛
【追放決定の悪役令嬢に転生したので、最後に悪あがきをしてみよう】 乙女ゲームのシナリオライターとして活躍していた私。ハードワークで意識を失い、次に目覚めた場所は自分のシナリオの乙女ゲームの世界の中。しかも悪役令嬢アンジェリカ・デーゼナーとして断罪されている真っ最中だった。そして下された罰は爵位を取られ、へき地への追放。けれど、ここは私の書き上げたシナリオのゲーム世界。なので作者として、最後の悪あがきをしてみることにした――。 ※他サイトでも投稿中

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

【完結】私ですか?ただの令嬢です。

凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!? バッドエンドだらけの悪役令嬢。 しかし、 「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」 そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。 運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語! ※完結済です。 ※作者がシステムに不慣れな時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///)

悪役令嬢の独壇場

あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。 彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。 自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。 正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。 ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。 そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。 あら?これは、何かがおかしいですね。

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

逆ハーレムエンド? 現実を見て下さいませ

朝霞 花純@電子書籍化決定
恋愛
エリザベート・ラガルド公爵令嬢は溜息を吐く。 理由はとある男爵令嬢による逆ハーレム。 逆ハーレムのメンバーは彼女の婚約者のアレックス王太子殿下とその側近一同だ。 エリザベートは男爵令嬢に注意する為に逆ハーレムの元へ向かう。

処理中です...