上 下
32 / 39
3章 新しい関係

3 お祝いムードと戸惑いと

しおりを挟む
 マニフィカ邸の使用人は、学院入学前と変わらず執事一人だ。
 当然の如く彼は多忙で、よほどタイミングがよくなければ、マリアベルの出迎えなどできはしない。
 幼いころから貧乏育ちのマリアベル。今更、出迎えの有無など気にしてはいなかった。ないのが当たり前なのである。

「おかえりなさいませ、お嬢様」
「た、ただいま……?」
「お嬢様がご帰宅なさったと、お父上に伝えてまいります」
「え、ええ……」

 だが、今日は帰宅と同時にすっと執事が現れて、当主である父に知らせにいった。
 まるで、マリアベルの帰りを待っていたかのようなタイミングである。
 なにかしら、今日はみんな変ね、と、広さだけはあるエントランスホールで首を傾げていると、慌てた様子の父がやってきて。

「ベル! お前宛てに、アークライト家から婚約の打診がきた!」

 二階の廊下の手すりから身を乗り出す勢いで、興奮気味に叫んだ。
 階段をおりてマリアベルの前に立つことすらせず、エントランスから続く階段の上でそう言ってくるのだから、よほど早く伝えたかったのだろう。

「アークライト家から、婚約の、打診……?」

 父の言葉がいまいち飲み込めず、マリアベルはぽかんとした。
 そんな彼女とは対照的に、マニフィカ伯爵は、

「もちろん、お相手はアーロン様だ! よかったな、ベル」

 と、階段をおりつつ、娘を祝福する父親モードで笑う。

「今日は祝いの晩餐だ! さあベル、みんなで夕食にするぞ!」
「え? え? お父様、ちょっとまっ、おとうさま」

 そのまま、あれよあれよという間にダイニングへと連れていかれる。
 今日はお祝いだと、夕食はいつもよりちょっと豪華で。
 両親も、少し年の離れた弟たちも、執事も、「おめでとう」「アーロン様なら安心だ」「よかった」と口にする。

 マリアベルはまだ、イエスもノーも言っていないし、婚約の打診にも現実感が持てていないのだが、家族はもう完全に婚約決定ムードである。
 末の弟など、「姉さんの貰い手があってよかった」などと言いだす始末だ。
 めでたいめでたいと繰り返す家族に押されていたマリアベルであったが、夕食の途中、流石に流されっぱなしではいられなくなって。

「ちょっと……ちょっと待ってくれません!? 私抜きでお祝いモードにならないで!? お父様、まず、アークライト家から婚約の打診がきたという話は、本当なのですか?」
「なんだベル、照れてるのか? アーロン様とは長い付き合いだからな。急に婚約と言われて、恥ずかしいのかもしれないが……」
「いえ、だから! 本当に婚約の話がきたのかと聞いているのです!」
「本当だよ? 今日、アークライト家から『マリアベルに婚約を申し込みたい』と封書が届いたんだ。後日、両家で話す機会を設けるから……」
「何故アークライト家が私などに!?」
「何故って……。なあ」

 マニフィカ伯爵は、妻、息子たちと顔を見合わせ、肩をすくめる。
 そんなの、言うまでもないじゃないか。やれやれマリアベルは。――そんな様子である。
 この場で、どうして婚約を申し込まれたのかを理解していないのは、マリアベルのみだった。
 アーロンがマリアベルに惚れ込んでいることは、マニフィカ家一同にもバレバレだったのである。

 この国の貴族は、10代半ばほどで婚約を結ぶことが多い。
 王立学院に通うのは、16歳になる年からの三年間だから、学生になる少し前か、在学中に婚約相手を決める者がほとんどだ。
 だから、1年生のマリアベルと2年生のアーロンであれば、婚約の時期としては妥当。
 アーロンの気持ちを知る者たちからすれば、やっと動いたか、といったところではあるが。

「こういうことですか、アーロン様……」

 マリアベルはようやく、アーロンの様子がおかしかったのは、この話を先に知っていたからだ、と気がついた。
 アークライト家からの申し出で、相手はアーロンなのだ。彼だって、把握しているに決まっている。

「この話、もちろん受けるだろう? アーロン様との婚約だなんて、マニフィカ家当主としても、父としても、本当に喜ばしいよ」
「そ、それは……」
「アーロン様は、昔からずっと、お前のことを大事にしてくださっている。家としても、父として娘を任せたいと思えるかどうかにしても、これ以上の話はないよ。ベル」

 父の言うことはもっともだった。
 アーロンは国の剣とまで呼ばれる武の名門、アークライト公爵家の嫡男。
 対してマリアベルは、貧乏伯爵家の娘で、令息とのその手の話は全てぶっ壊れてきた。
 アーロンは、令息が逃げ出す女であるマリアベルに対して、態度を変えることなくずっとよくしてくれた素敵な人だ。
 父の言う通り、家柄と人柄の両方において、これ以上の婚約相手はいないだろう。

 だからこそ、どうしても気になってしまう。
 相手など選び放題のアーロンが、自分などと結婚していいのだろうか、と。
 貧乏娘のマリアベルが、名門公爵家のアーロンに提供できるものなど、ないに等しい。
 あるとすれば、魔法の腕と、その力を継いだ子供ぐらいだが……。
 マリアベルが特殊なだけで、マニフィカ家そのものは、魔法の才に恵まれた家系ではない。
 マリアベルと結婚し、子を持ったところで、魔法に秀でた子が産まれるとは限らないのだ。

「あの、お父様。私……」

 婚約の話は、受けられません。
 
 そう続けようとして、言葉に詰まる。
 アーロンがいつも優しいから、自分たちは対等であると勘違いしそうになるが、マリアベルとアーロンの――マニフィカ家とアークライト家のあいだには、明確な力の差が存在する。
 伯爵家の、それも財政難に陥っている家の娘が、公爵家からの申し出を断ることなどできはしない。
 かといって、アーロンの期待に応えられるかどうかもわからないのに、手放しで婚約するわけにもいかない。

――正式に婚約する前に、一度アーロン様と話し合うべきね。

 相手のいることなのに、一人でぐるぐると考えていたって仕方がない。
 マリアベル側に拒否権はないが、事情を話してアーロンに再考してもらうことはできるはずだ。
 そのうえで、アーロンに選択してもらえばいい。
 そう考えると、マリアベルは、婚約を受けるとも受けないとも答えないまま、今日のちょっぴり豪華な食事を楽しむ方向に切り替えた。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

婚約破棄を希望しておりますが、なぜかうまく行きません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のオニキスは大好きな婚約者、ブラインから冷遇されている事を気にして、婚約破棄を決意する。 意気揚々と父親に婚約破棄をお願いするが、あっさり断られるオニキス。それなら本人に、そう思いブラインに婚約破棄の話をするが 「婚約破棄は絶対にしない!」 と怒られてしまった。自分とは目も合わせない、口もろくにきかない、触れもないのに、どうして婚約破棄を承諾してもらえないのか、オニキスは理解に苦しむ。 さらに父親からも叱責され、一度は婚約破棄を諦めたオニキスだったが、前世の記憶を持つと言う伯爵令嬢、クロエに 「あなたは悪役令嬢で、私とブライン様は愛し合っている。いずれ私たちは結婚するのよ」 と聞かされる。やはり自分は愛されていなかったと確信したオニキスは、クロエに頼んでブラインとの穏便な婚約破棄の協力を依頼した。 クロエも悪役令嬢らしくないオニキスにイライラしており、自分に協力するなら、婚約破棄出来る様に協力すると約束する。 強力?な助っ人、クロエの協力を得たオニキスは、クロエの指示のもと、悪役令嬢を目指しつつ婚約破棄を目論むのだった。 一方ブラインは、ある体質のせいで大好きなオニキスに触れる事も顔を見る事も出来ずに悩んでいた。そうとは知らず婚約破棄を目指すオニキスに、ブラインは… 婚約破棄をしたい悪役令嬢?オニキスと、美しい見た目とは裏腹にド変態な王太子ブラインとのラブコメディーです。

デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまで~痩せたら死ぬと刷り込まれてました~

バナナマヨネーズ
恋愛
伯爵令嬢のアンリエットは、死なないために必死だった。 幼い頃、姉のジェシカに言われたのだ。 「アンリエット、よく聞いて。あなたは、普通の人よりも体の中のマナが少ないの。このままでは、すぐマナが枯渇して……。死んでしまうわ」 その言葉を信じたアンリエットは、日々死なないために努力を重ねた。 そんなある日のことだった。アンリエットは、とあるパーティーで国の英雄である将軍の気を引く行動を取ったのだ。 これは、デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまでの物語。 全14話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜

清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。 クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。 (過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…) そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。 移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。 また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。 「俺は君を愛する資格を得たい」 (皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?) これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

「優秀すぎて鼻につく」と婚約破棄された公爵令嬢は弟殿下に独占される

杓子ねこ
恋愛
公爵令嬢ソフィア・ファビアスは完璧な淑女だった。 婚約者のギルバートよりはるかに優秀なことを隠し、いずれ夫となり国王となるギルバートを立て、常に控えめにふるまっていた。 にもかかわらず、ある日、婚約破棄を宣言される。 「お前が陰で俺を嘲笑っているのはわかっている! お前のような偏屈な女は、婚約破棄だ!」 どうやらギルバートは男爵令嬢エミリーから真実の愛を吹き込まれたらしい。 事を荒立てまいとするソフィアの態度にギルバートは「申し開きもしない」とさらに激昂するが、そこへ第二王子のルイスが現れる。 「では、ソフィア嬢を俺にください」 ルイスはソフィアを抱きしめ、「やっと手に入れた、愛しい人」と囁き始め……? ※ヒーローがだいぶ暗躍します。

侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。

二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。 そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。 ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。 そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……? ※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください

欠陥姫の嫁入り~花嫁候補と言う名の人質だけど結構楽しく暮らしています~

バナナマヨネーズ
恋愛
メローズ王国の姫として生まれたミリアリアだったが、国王がメイドに手を出した末に誕生したこともあり、冷遇されて育った。そんなある時、テンペランス帝国から花嫁候補として王家の娘を差し出すように要求されたのだ。弱小国家であるメローズ王国が、大陸一の国力を持つテンペランス帝国に逆らえる訳もなく、国王は娘を差し出すことを決めた。 しかし、テンペランス帝国の皇帝は、銀狼と恐れられる存在だった。そんな恐ろしい男の元に可愛い娘を差し出すことに抵抗があったメローズ王国は、何かあったときの予備として手元に置いていたミリアリアを差し出すことにしたのだ。 ミリアリアは、テンペランス帝国で花嫁候補の一人として暮らすことに中、一人の騎士と出会うのだった。 これは、残酷な運命に翻弄されるミリアリアが幸せを掴むまでの物語。 本編74話 番外編15話 ※番外編は、『ジークフリートとシューニャ』以外ノリと思い付きで書いているところがあるので時系列がバラバラになっています。

処理中です...