上 下
50 / 50
10.ぬくもりほうじ茶ラテ

遠い日を抱きしめる

しおりを挟む
「……とりあえず、あんよをキレイにしましょうね」

 ベンチにマットを敷いて、その上にわたあめを乗せる。

 みっしりと生えた芝生の上を走り回ったから、ほとんど土は付着していない。でも、目に見えない汚れがあるだろうから、念入りにシートで拭く。

 ふきふきタイムが完了し、わたあめの水分補給も済ませる。

 ごきゅっごきゅっと音がする。夢中で飲んでいる。喉が渇いていたのだろう。あれだけ遊びまわったのだから当然だ。

 ようやく満足したかと思ったら、ぶんっぶんっと尻尾を振り回し始めた。

 こちらをじっと見ている。これは、何かを要求しているときの顔だ。

「んーー、でも。ごはんも食べたし、いっぱい遊んだし……」

 何を欲しがってるんだろう。

 考え込んでいると、前脚で私の膝をガリガリとやさしくタッチする。

「もしかして、膝に乗りたいの?」

 わすかに舌をのぞかせながら、つぶらな瞳がきゅるんと光る。「うん!」と言われた気がして、思わず頬がゆるむ。

「いいよ。おいで?」

 ポンポンと自分の膝を叩くと、うれしそうな顔で膝の上によじのぼってきた。ふわふわの体を抱きしめる。

 私の肘に顔を乗せ、満足そうにスンッと鼻を鳴らす。どうやら、膝の上でベストなポジションを確保できたらしい。

 ゆるやかな風が心地良い。わたあめのアフロ部が、そよそよと風に揺られている。

 お腹がいっぱいになった気持ち良さと、わたあめのあたたかい体温との相乗効果だろうか。急にまぶたが重くなってきた。

 郡司は今日、午前中のみのシフトらしく、一緒に帰る予定になっている。

 仕事、終わるのまだかな……?

 わたあめを撫でながら、そう思ったところまでは覚えている。

 気づくと、真っ暗闇の中にいた。何も聞こえない。無音だ。

 しばらくすると、目の前に小さなぼんやりとした光が見えた。少しずつ鮮明になっていくそれは、小さな子どもの後ろ姿だった。

 幼い子が背伸びをしている。

 キッチンに立ったその子は、つま先立ちでフライ返しを手にしていた。たどたどしい手つきと、いっしょうけんめいに背伸びをする姿を見ていると、胸が苦しくなった。

 自分で自分を抱きしめると決めた。

 それなのに、体が動かない。金縛りにあったみたいに、指一本動かせなかった。

 夢中でもがいていると、小さな背中の傍らに、人影が見えた。すらりと背の高い男。

 郡司だった。

 そっとしゃがんで、郡司は遠い日の私と視線を合わせる。とても、やさしい顔をしている。そして、いつだったか私に言ってくれたのと同じセリフを口にした。

『えらかったね』





 肘の部分にやわらかな感触があって、目が覚めた。

 わたあめが、かすかな寝息を立てながら膝の上で眠っている。左肘には、わたあめの後頭部が乗ったままだ。

 この感触だったのか、と考えたところで、隣に郡司がいることに気づいた。

 自分の右手が、彼の手に繋がれている。

 郡司は、ついさっき、夢の中で見たのと同じ顔をしていた。

 とても、やさしい顔。

 急に胸が苦しくなった。息が出来ないくらいに。無意識に、強く手を握っていたらしい。

「どうしたの」

 郡司が心配そうにのぞき込んでくる。

「……夢、見てた」

「どんな夢?」

 少しだけ悲しかったけど、とても幸せな夢だった。あの日、遠い昔の私を抱きしめてくれたこと、私は一生わすれないと思う。

「幸せな夢だったよ」

 私は、郡司の手をゆっくりと握り返した。顔を上げて、郡司の顔を見る。きれいで、気だるげで、やさしい表情だった。



<了>


⟡.·*⟡.·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*⟡.·*⟡.·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*⟡.·*⟡
最後までお読みくださりありがとうございました。
お気に入り&いいね等、励みになりました!
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

はじまりと終わりの間婚

便葉
ライト文芸
画家を目指す夢追い人に 最高のチャンスが舞い降りた 夢にまで見たフィレンツェ留学 でも、先立つ物が… ある男性との一年間の結婚生活を ビジネスとして受け入れた お互いのメリットは計り知れない モテないおじさんの無謀な計画に 協力するだけだったのに 全然、素敵な王子様なんですけど~ はじまりから想定外… きっと終わりもその間も、間違いなく想定外… ミチャと私と風磨 たったの一年間で解決できるはずない これは切実なミチャに恋する二人の物語 「戸籍に傷をつけても構わないなら、 僕は300万円の報酬を支払うよ 君がよければの話だけど」

春の真ん中、泣いてる君と恋をした

佐々森りろ
ライト文芸
 旧題:春の真ん中  第6回ライト文芸大賞「青春賞」を頂きました!!  読んでくださった方、感想をくださった方改めまして、ありがとうございました。  2024.4「春の真ん中、泣いてる君と恋をした」に改題して書籍化決定!!  佐々森りろのデビュー作になります。  よろしくお願いします(*´-`)♡ ────────*────────  高一の終わり、両親が離婚した。  あんなに幸せそうだった両親が離婚してしまったことが、あたしはあたしなりにショックだった。どうしてとか、そんなことはどうでも良かった。  あんなに想いあっていたのに、別れはいつか来るんだ。友達だって同じ。出逢いがあれば別れもある。再会した幼なじみと、新しい女友達。自分は友達作りは上手い方だと思っていたけど、新しい環境ではそう上手くもいかない。  始業式前の学校見学で偶然出逢った彼。  彼の寂しげなピアノの旋律が忘れられなくて、また会いたいと思った。

十年目の結婚記念日

あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。 特別なことはなにもしない。 だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。 妻と夫の愛する気持ち。 短編です。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

失われた君の音を取り戻す、その日まで

新野乃花(大舟)
ライト文芸
高野つかさの恋人である朝霧さやかは、生まれた時から耳が全く聞こえなかった。けれど彼女はいつも明るく、耳が聞こえない事など一切感じさせない性格であったため、つかさは彼女のその姿が本来の姿なのだろうと思っていた。しかしある日の事、つかさはあるきっかけから、さやかが密かに心の中に抱えていた思いに気づく。ある日つかさは何のけなしに、「もしも耳が聞こえるようになったら、最初に何を聞いてみたい?」とさかかに質問した。それに対してさやかは、「あなたの声が聞きたいな」と答えた。その時の彼女の切なげな表情が忘れられないつかさは、絶対に自分がさかやに“音”をプレゼントするのだと決意する。さやかの耳を治すべく独自に研究を重ねるつかさは、薬を開発していく過程で、さやかの耳に隠された大きな秘密を知ることとなる…。果たしてつかさはいつの日か、さやかに“音”をプレゼントすることができるのか?

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~

水縞しま
ライト文芸
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

処理中です...