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10.ぬくもりほうじ茶ラテ
母と私
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土曜の早朝。平日よりスーツ姿が極端に少ない駅構内を歩いた。
小さなバッグひとつで急行に乗り込む。そういえば、就職して家を出るときも荷物が少なかったことを思い出した。
現在の居住地と実家は、中途半端な遠距離にある。
気軽には行けない距離だ。少し顔を出すだけでも一日仕事になる。そのことを言い訳にしていたのだと、今さら気づいた。
帰ろうと思えばいつでも帰れる。でも、私はそうしなかった。
もしかしたら、心のどこかで分かっていたのかもしれない。
電車が、ビル群から少しずつ離れていく。高層ビルがまばらになって、住宅地ばかりの景色に変わっていく。
長い時間、電車に揺られると、田畑が点在するようになる。
何度か乗り継ぎをして、小さな駅に降り立つ。空気のにおいは、子どものころと変わっていない。
母はひとり暮らしだ。
弟妹たちも就職や進学で、すでに家を離れている。さみしそうにしているかと思いきや、案外そうでもないらしい。ごくまれに連絡を取ると、いつも忙しそうにしている。
今日も予定があるらしい。
「近くに新しくカフェができてね。職場のひとと行くのよ」
母はベランダで洗濯物を干しながら、楽しそうに私を振り返った。
「そうなんだ……。この間はごめんね、おばあちゃんの三回忌。仕事で来れなくて」
「いいのよ、形だけだし。さっさと済ませちゃったわ! あの日はね、私も用事があって」
楽しそうに、その「用事」を話してくれる。お花の教室らしい。
「お友だちとね、一緒に通ってるの」
ベランダに続く扉をカラカラと閉める母の後ろ姿を眺める。私と同じで、母も痩せている。華奢な背中だ。
「そうなんだ」
子どもを三人抱えて、仕事をして。大変だったろうと思う。だから、今は自分ひとりの時間を大切にしてほしいと思う。幸せになってほしいと思う。
仕方のないことだった。私は少しだけ、犠牲になっただけなのだ。
いや、違う。犠牲なんかじゃない。
家族はチームだから、私もその一員だから、協力し合っただけ。
思考がぐるぐるとめぐる。胸の奥が妙に気持ち悪い。
「お昼、食べて行く?」
母の明るい声に、ハッとして顔をあげる。
「カフェで何か買ってこようか」
「……ううん。おばあちゃんのお墓参りして、帰る」
作り笑顔でしかいられない自分がイヤだ。
母は本心から笑っていることが分かって、余計に。
「そう? ま、行き来するだけで時間かかるものね」
「うん」
「あ、お茶でも淹れるわね」
「ありがとう」
幸せになってほしいと願っている。
本当に、そう思っている。
でも、私はそこには加われない。一緒にいるとたぶん、堂々巡りをして、ずっと胸の奥が気持ち悪いままになる。
母は何も悪くない。私が勝手に悲しくなっているだけ。
心を込めて作ってくれたごはん。あっさり味の煮物。今でも思い出すと、やさしい気持ちになれる。そのことだけが救いだった。
あの日の小さな背中は、自分で抱きしめればいい。
母が淹れてくれた紅茶に口をつける。母が身支度を整える間に飲み干す。
約束の時間に間に合うように、一緒に家を出た。少し歩いて、私は祖母のねむる墓地へ。母はカフェがある新興住宅地のほうへ。
細い三叉路で別れた。
「気を付けてね」
明るく手を振る母に、私はうなずいた。
「うん、ありがとう」
また、何か理由があれば、ここに来る。
それは、何もなければ決して来ないという裏返しで。そういう場所でしかないことが悲しかった。
ほっそりとした後ろ姿に向かって、私は小さく手を振った。
「……おかあさん、またね」
小さなバッグひとつで急行に乗り込む。そういえば、就職して家を出るときも荷物が少なかったことを思い出した。
現在の居住地と実家は、中途半端な遠距離にある。
気軽には行けない距離だ。少し顔を出すだけでも一日仕事になる。そのことを言い訳にしていたのだと、今さら気づいた。
帰ろうと思えばいつでも帰れる。でも、私はそうしなかった。
もしかしたら、心のどこかで分かっていたのかもしれない。
電車が、ビル群から少しずつ離れていく。高層ビルがまばらになって、住宅地ばかりの景色に変わっていく。
長い時間、電車に揺られると、田畑が点在するようになる。
何度か乗り継ぎをして、小さな駅に降り立つ。空気のにおいは、子どものころと変わっていない。
母はひとり暮らしだ。
弟妹たちも就職や進学で、すでに家を離れている。さみしそうにしているかと思いきや、案外そうでもないらしい。ごくまれに連絡を取ると、いつも忙しそうにしている。
今日も予定があるらしい。
「近くに新しくカフェができてね。職場のひとと行くのよ」
母はベランダで洗濯物を干しながら、楽しそうに私を振り返った。
「そうなんだ……。この間はごめんね、おばあちゃんの三回忌。仕事で来れなくて」
「いいのよ、形だけだし。さっさと済ませちゃったわ! あの日はね、私も用事があって」
楽しそうに、その「用事」を話してくれる。お花の教室らしい。
「お友だちとね、一緒に通ってるの」
ベランダに続く扉をカラカラと閉める母の後ろ姿を眺める。私と同じで、母も痩せている。華奢な背中だ。
「そうなんだ」
子どもを三人抱えて、仕事をして。大変だったろうと思う。だから、今は自分ひとりの時間を大切にしてほしいと思う。幸せになってほしいと思う。
仕方のないことだった。私は少しだけ、犠牲になっただけなのだ。
いや、違う。犠牲なんかじゃない。
家族はチームだから、私もその一員だから、協力し合っただけ。
思考がぐるぐるとめぐる。胸の奥が妙に気持ち悪い。
「お昼、食べて行く?」
母の明るい声に、ハッとして顔をあげる。
「カフェで何か買ってこようか」
「……ううん。おばあちゃんのお墓参りして、帰る」
作り笑顔でしかいられない自分がイヤだ。
母は本心から笑っていることが分かって、余計に。
「そう? ま、行き来するだけで時間かかるものね」
「うん」
「あ、お茶でも淹れるわね」
「ありがとう」
幸せになってほしいと願っている。
本当に、そう思っている。
でも、私はそこには加われない。一緒にいるとたぶん、堂々巡りをして、ずっと胸の奥が気持ち悪いままになる。
母は何も悪くない。私が勝手に悲しくなっているだけ。
心を込めて作ってくれたごはん。あっさり味の煮物。今でも思い出すと、やさしい気持ちになれる。そのことだけが救いだった。
あの日の小さな背中は、自分で抱きしめればいい。
母が淹れてくれた紅茶に口をつける。母が身支度を整える間に飲み干す。
約束の時間に間に合うように、一緒に家を出た。少し歩いて、私は祖母のねむる墓地へ。母はカフェがある新興住宅地のほうへ。
細い三叉路で別れた。
「気を付けてね」
明るく手を振る母に、私はうなずいた。
「うん、ありがとう」
また、何か理由があれば、ここに来る。
それは、何もなければ決して来ないという裏返しで。そういう場所でしかないことが悲しかった。
ほっそりとした後ろ姿に向かって、私は小さく手を振った。
「……おかあさん、またね」
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