気だるげ男子のいたわりごはん

水縞しま

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8.料理苦手女子が作るたまご雑炊

背伸び

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『なんか、言葉にすると大げさになりそうでイヤなんだけど。私の子供のころの状況ってさ、いわゆるヤングケアラーってやつだったのかな……?』

 郡司からの返事がない。でも、否定しないのは、そういうことなのだろう。

『な、なんか、マヌケな話だね! 最近さ、けっこう社会問題とかにもなってて。ニュースとかでもよく耳にしてた単語だったのにね! ぜんぜん気づいてないんだもん!』

 まるで気づかなかった。自分を不幸だと思ったことは、これまで一度もなかった。いや、それイコール不幸だとは限らないし、一概にはいえないんだけど。

『あえて、そう思わないように、思い出さないようにしてたんじゃない……?』

 郡司の声が聞こえたと思ったら、同時に奥の部屋に繋がる扉が開いた。
 
「直接、話したらだめなんじゃなかったの?」

「うつったらごめん。ちょっと、慰めるようかと思って」

 そこで、ようやく自分が涙目になっていることに気づいた。

 洟をすすったら、ずびっと無様な音が部屋に響いた。

「これは単純に、驚いてるだけだから」

「驚いてるだけ?」

「うん。なんかね、ああ、自分はそうだったのかっていう、衝撃がすごくて」

 ぐずっと鼻をかみながら、なんとか笑おうと試みる。できたら笑い話にしたい。神妙な雰囲気が性に合わない。年下に「慰めるようかと思って」なんて、言われて居心地が悪い。心臓が変なふうにバクバクする。

 私の隣でドテンと寝ころぶわたあめを、郡司は揺り起こして腕に抱えた。開いたスペースに、郡司は腰を下ろす。

「小さい子が料理するのって、危ないよな」

「火の元とか?」

「それもあるけど、コンロと顔が近いだろ。油がはねたら危険だ」

 郡司の言葉を聞いて、急にある風景が思い浮かんできた。郡司のいう通り、フライパンから近い距離に私の顔があった。幼い私は背伸びをしていた。

 フライ返しで薄切り肉と野菜を炒めている。パチッという乾いた音と共にこめかみに痛みが走った。油が飛んだのだ。

 どうして忘れていたのか。今でもそのときの跡が、こめかみに薄く、けれど確かに残っているのに。

「えらかったね」

 郡司の一言に、胸が締め付けられる。郡司の言葉は、背伸びをしていたあのころの私のものだ。

 私の前髪にそっと触れた。髪をやさしくかき分けた瞬間、郡司が痛そうに目を細める。わずかに残る傷跡を確認したのだろう。

 あのころ泣けなかったぶん、いま泣いておこうか。

 でも、一度でも泣いたら負けな気がする。せっかく今日まで我慢したのだから、最後まで泣かずにいたいとも思う。

「心の中でずっと、早く身長伸びろって祈ってたのかも」

 無事に祈りは通じた。おかげで、身長はニョキニョキ伸びて、いつの間にか背伸びをしなくても済むようになった。

 大人になった今、私は高身長の部類に入る。

「その割には、中途半端じゃない?」

「失礼な! 女子の中では立派な高身長です!」

「何センチ?」

「168!」

 あと1センチ、いや0.5センチでも伸びていたら170の大台に乗っていると標榜する予定だった。10年前から止まっているから、残念ながらその見込みはないんだけど。

 どうだ参ったか、と胸を張ったけれど、郡司は微妙な顔をした。

「いうほどか……?」

「自分と比べないでよ。言ってるでしょ、女子の中ではの話だから」

 おそらく郡司は180センチは超えている。ヒールを履いても太刀打ちできないのが、その証拠だ。 

「ふうん」

 そう言って、郡司はわたあめのお腹を撫で始めた。

 きれいで、白くて、長い指。

 この指に、いましがた触れられたことを思い出して頬が熱を持った。

 酸素が薄くなったみたいに、息が苦しい。

 浅い呼吸を繰り返していると、わたあめが「スンッ」と鼻を鳴らした。郡司の腕の中で、ジタバタともがき始めている。

「わたあめ、どうしたの?」

 郡司の腕から、ぴょんっと飛び出して床に降り立つと、お尻を高い位置に残してぐいーーっと伸びをした。

 そして、「わんっ!」と元気な声で鳴く。尻尾をぶんぶん振って、満面の笑みを浮かべている。

 わたあめと接してみて分かったのだけど、笑うときは「楽しい!」か「良いものちょうだい!」のどちらかで。

 その「良いもの」は、ごはんかおやつの二択だ。

「もしかして、ごはんの催促……?」

「だな」

 ソファに横になっていたせいで、アフロ頭には若干寝ぐせがついている。頭がいびつな形になっているというのに、知る由もないわたあめは目をきらきらさせておねだりに精を出している。

 エアお手とおかわりをしたり、その場でくるくる回ってみたり。寝ぐせアフロを振り乱しながら、いっしょうけんめいに良い子アピ―ルを続ける。

「ふっ、ふふっ、ははっ……」

 おかしくて、思わずふき出してしまった。

 わたあめはいつだった可愛い。どんなときでもふわふわで、ラブリーで、見ているだけで気持ちが安らぐ。

 郡司が立ち上がり、「あげるから、おいで」と言ってわたあめと一緒にキッチンへ消えていく。

「……私も、一緒に作る!」

 そう言って、私は零れる寸前だった涙を拭いて、一人と一匹を追いかけた。
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