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6.豚バラと里芋の煮物
遅刻の原因
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翌日、実久に問い詰められた加賀谷は自白した。
監視カメラのことを知って、逃げられないと思ったのだろう。遅刻の原因は、新しい恋人ができて、夜遅くまで飲み歩くようになったからだという。
「相手が酒好きで、いきつけの店が多いとかなんとか……。知らないっての。良い大人なんだから、ちゃんとしろって話よ」
定時後の喫煙所で、実久が疲れきった顔で煙を吐き出す。
「監視カメラの存在には、気づいてなかったんですか?」
「そうみたい」
ちなみに印鑑が二番目の引き出しに入っていることは、以前から知っていたらしい。
「何度か、加賀谷のタイムカードにハンコ押したことあるって言ったでしょ? 私が引き出しに仕舞うところを見て、それで覚えてたみたい」
これを機に、厳重に保管することにしたという。
「でも、タイムカードにハンコを押すことはもうないですよね」
「そうね」
なんと、クラウド上で社員の勤怠を管理することが決定したのだ。この決定には、総務部が歓喜の声をあげた。仕事がしやすくなるらしい。
「湯田も喜んでたよ。めちゃくちゃ機嫌が良かった。おかげで色々秘密にしてたこと、ネチネチ言われるだけで済んだし」
湯田の小言を余裕の態度で聞き流す実久の姿が、脳裏に浮かんだ。
実久は、決して反省していないわけではなく。その証拠に、お願いしても片づけなかったデスク周りの整理整頓を始めた。
つい先刻まで、その片付けを私も手伝っていた。今は、区切りがついたので休憩中。続きは、また来週やる予定だ。
「ごめんね、付き合わせて」
「ぜんぜん大丈夫です」
今日は金曜日。週末なので頑張れる。明日から休みという理由もあるけど、なんといっても、おいしいごはんが私を待ってくれているのだ。
「ずいぶん、ご機嫌ね」
「分かります?」
おいしいごはんを想像すると、思わず頬がゆるむ。ニマニマする私を見ながら、実久は「そんなに私のデスクをきれいにしたっかったのねぇ」と、ひとりで納得していた。
今考えていたのはごはんのことだけど、違うとも言えないので、そのままにしておいた。これからは、実久宛ての荷物が届いても安心して彼女のデスクにドドンと置ける。
◇
退勤後、意気揚々と帰宅した。
最寄り駅に着くと小走りで自宅を目指す。パンプスを履いたまま、上手に走れるようになったのはいつだったか。
不安定な足元が嫌で仕方なかったけれど、いつの間にか体の一部のようになっていた。今では着地する際の、コツ、コツ、という音さえ小気味よく感じるから不思議だ。
勢いよく玄関のドアを開け、パンプスを脱いで揃える。「ただいまー!」と大きな声を出し、自分の帰還を知らせる。どしどしと廊下を歩いて部屋に入ってきた私を見て、気だるげな郡司が「おかえり」と言った。
相変わらずのテンションの低さだけど、おかえりと言ってくれるだけマシになったような。若干、声色も優しいような。
なにより、慣れてしまった。急に元気ハツラツで「おかえりなさいませ!」とか言われてもビビるし。ちょっと暑苦しいし。
ちょっと冷めた感じが、心地良いような気もする。
郡司の隣に立ち、キッチンで手を洗う。「パンプスと同じだな」と思わずつぶやくと、郡司がわずかに眉を寄せながらこちらを見る。
「なにが」
「慣れってすごいなと思って」
「意味わかんねぇ」
ぼそりと言う郡司を放置して、いそいそと席に座る。そして、恒例のお品書きチェック。
------------------------------------
【今日の献立】
・豚バラと里芋の煮物
・小松菜と人参の和風ナムル
・ナスの味噌マヨ焼き
・ごはん
・オクラの味噌汁
------------------------------------
「和~~~!」
メモを見ながら、思わず声をあげてしまった。
監視カメラのことを知って、逃げられないと思ったのだろう。遅刻の原因は、新しい恋人ができて、夜遅くまで飲み歩くようになったからだという。
「相手が酒好きで、いきつけの店が多いとかなんとか……。知らないっての。良い大人なんだから、ちゃんとしろって話よ」
定時後の喫煙所で、実久が疲れきった顔で煙を吐き出す。
「監視カメラの存在には、気づいてなかったんですか?」
「そうみたい」
ちなみに印鑑が二番目の引き出しに入っていることは、以前から知っていたらしい。
「何度か、加賀谷のタイムカードにハンコ押したことあるって言ったでしょ? 私が引き出しに仕舞うところを見て、それで覚えてたみたい」
これを機に、厳重に保管することにしたという。
「でも、タイムカードにハンコを押すことはもうないですよね」
「そうね」
なんと、クラウド上で社員の勤怠を管理することが決定したのだ。この決定には、総務部が歓喜の声をあげた。仕事がしやすくなるらしい。
「湯田も喜んでたよ。めちゃくちゃ機嫌が良かった。おかげで色々秘密にしてたこと、ネチネチ言われるだけで済んだし」
湯田の小言を余裕の態度で聞き流す実久の姿が、脳裏に浮かんだ。
実久は、決して反省していないわけではなく。その証拠に、お願いしても片づけなかったデスク周りの整理整頓を始めた。
つい先刻まで、その片付けを私も手伝っていた。今は、区切りがついたので休憩中。続きは、また来週やる予定だ。
「ごめんね、付き合わせて」
「ぜんぜん大丈夫です」
今日は金曜日。週末なので頑張れる。明日から休みという理由もあるけど、なんといっても、おいしいごはんが私を待ってくれているのだ。
「ずいぶん、ご機嫌ね」
「分かります?」
おいしいごはんを想像すると、思わず頬がゆるむ。ニマニマする私を見ながら、実久は「そんなに私のデスクをきれいにしたっかったのねぇ」と、ひとりで納得していた。
今考えていたのはごはんのことだけど、違うとも言えないので、そのままにしておいた。これからは、実久宛ての荷物が届いても安心して彼女のデスクにドドンと置ける。
◇
退勤後、意気揚々と帰宅した。
最寄り駅に着くと小走りで自宅を目指す。パンプスを履いたまま、上手に走れるようになったのはいつだったか。
不安定な足元が嫌で仕方なかったけれど、いつの間にか体の一部のようになっていた。今では着地する際の、コツ、コツ、という音さえ小気味よく感じるから不思議だ。
勢いよく玄関のドアを開け、パンプスを脱いで揃える。「ただいまー!」と大きな声を出し、自分の帰還を知らせる。どしどしと廊下を歩いて部屋に入ってきた私を見て、気だるげな郡司が「おかえり」と言った。
相変わらずのテンションの低さだけど、おかえりと言ってくれるだけマシになったような。若干、声色も優しいような。
なにより、慣れてしまった。急に元気ハツラツで「おかえりなさいませ!」とか言われてもビビるし。ちょっと暑苦しいし。
ちょっと冷めた感じが、心地良いような気もする。
郡司の隣に立ち、キッチンで手を洗う。「パンプスと同じだな」と思わずつぶやくと、郡司がわずかに眉を寄せながらこちらを見る。
「なにが」
「慣れってすごいなと思って」
「意味わかんねぇ」
ぼそりと言う郡司を放置して、いそいそと席に座る。そして、恒例のお品書きチェック。
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【今日の献立】
・豚バラと里芋の煮物
・小松菜と人参の和風ナムル
・ナスの味噌マヨ焼き
・ごはん
・オクラの味噌汁
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「和~~~!」
メモを見ながら、思わず声をあげてしまった。
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