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6.モダン焼き(大阪)

美しいケーキ

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 年度末から新年度にかけては忙しい日々だ。移動に伴い退寮したり、新たに入寮したり。退職する社員も何人かいる。まだまだ落ち着かない雰囲気が漂う四月の半ば、宮川沿いの桜は見ごろとなった。

「なんとか間に合ったよ~~!」

 涙目になりながら、無事に結野が京都から飛騨高山にやって来た。徹夜で原稿をやって、そのまま新幹線に飛び乗ったらしい。

「結野さん、何かやつれてませんか……?」

 げっそり、とまではいかないものの、明らかにやつれている。

 ひらひらと桜が舞い、明るく浮足立ったひとが大勢いるなかで、目の下にクマのある結野は若干浮いている。

「ほんとうにね、仕事をもらえるのは有り難いんだけど。編集者が鬼なんだよ。鬼編集者!」

 弓削が入社した京都の出版社でも仕事をしているらしい。

「俺たち、そろそろ京都観光したいんだけどな。いつになったら案内してくれるんだ?」

 貫井が日本酒をあおりながら、結野に訊く。

「そんな暇ないですよ……。仕事ばっかりなんですから……」

 お猪口を受け取り、結野もちびちびと日本酒を呑み始める。

「ん……なんか、お重に入ってるの全部、葉っぱに見えるんだけど……。もしかして俺、仕事のしすぎで目がおかしくなった?」

 両目をこすりながら結野が再度、お重を確認している。

「大丈夫ですよ。葉っぱに見えるなら、結野さんの目は問題ありません」

 陽汰が笑いながら、お重から結野の分を取っている。

「朴葉でちらし寿司を包んでるんです。ミョウガを多めに入れた酢飯なので、さっぱり食べられますよ」

 千影が言うと、結野はますます涙目になった。

「千影ちゃんの作ったもの食べるの久しぶりだよ……!」

 朴の木の葉を解くと、山菜がたっぷりのちらし寿司が出てきた。他にも紅しょうが、サバ、錦糸卵と、彩り豊かな具材が乗っている。

「おいしーーー!! 疲れた体にしみるーーー!!」

 リスみたいに、両方の頬がいっぱいになるまで詰め込んでいる。

「なんか、陽汰みたいにテンションが高いな……」

 貫井が横目で結野を見る。

「そりゃ、テンション高くもなりますよ! 美味しいし! あと、たぶん徹夜明けなのでハイになってます」

 もぐもぐしながら、お重に入った朴葉寿司に手を伸ばしている。明らかに痩せているので、たくさん食べて欲しい。

 ちなみに朴葉寿司は、飛騨地方の郷土料理だ。

 昔から山仕事や農繁期によく食べられていたらしい。朴の葉は香りがよく、殺菌作用もある。酢飯の酢との相乗効果もあって、田植えの時期には特に重宝されたという。

「お酒がそろそろ無くなりそうですね」

 貫井に注ぎながら、残り少なくなった瓶を陽汰が数える。

「追加のお酒、買ってきましょうか」

 千影が立ち上がると、陽汰が「俺も行きます」と言った。結野がほんのりと赤くなった顔で、妙ににやにやしながら千影と陽汰を交互に見る。

 バレてるなぁ……。

 恥ずかしさを隠しながら、陽汰と一緒に酒蔵が並ぶエリアまで向かう。

「千影さん、ちょっと座りませんか」

 陽汰がベンチを指さす。

「はい……?」

 何だろう、と思いながらも、千影は素直に腰かけた。

 陽汰は斜め掛けのボディバックから、そっと白い箱を取り出した。両手で持てるくらいのサイズの箱だった。

「揺らさないように気を付けてたので、形は崩れてないと思うんですけど」

 そう言って箱を開ける。中には小さなホールケーキが入っていた。

「ドライアイスを多めに入れてもらったので、大丈夫ですよ」

「どうして、ケーキなんですか……?」

「千影さん、誕生日を教えてくれなかったでしょう。終わってから知ったんですよ、俺」

「……ちょうど伯母の店のことでバタバタして、自分でも忘れていたんです」

「何が欲しいのかもよく分からないし、どうしようかなって考えている間に四月になっちゃいましたけど……。とりあえず、今回はケーキだけで許してください。次はちゃんとお祝いしましょう」

 プラスチック製のフォークを渡され、「どうぞ」と差し出される。

「……なんだか、胸がいっぱいで食べられないです」

 うれしい。すごくうれしい。感情が高ぶると、やはり食欲がどこかに行ってしまう。

「だったら一緒に食べましょうか」

 イチゴが乗った生クリームのケーキ。シンプルだけれど、すっきりと美しいケーキ。そのホールケーキに、陽汰がフォークを入れた。

「甘くて美味しいですよ」

 いざなうような陽汰の声に導かれて、千影は白い生クリームとスポンジ生地をすくった。口に入れると、まるでスポンジが解けるように溶けていった。生クリームは軽いのに、とても濃く甘い。

 やわらかくて、ふわふわして、甘い。

 誕生日に、特別な思い出があるわけではなかった。どちらかといえば思い出したくない日だった。親戚の家を転々としていた頃のこと。「本当の子」よりも小さかった誕生日ケーキ。

 思い出したくないのに、大人になってからもずっと自分の中にあった記憶。一生消えないと思っていた。それなのに、不思議だ。あのときのケーキがどんなものだったか、もう思い出せない。

 たぶん、これから「誕生日のケーキ」で思い出すのは、今日食べたこの美しいケーキなのだろう。甘い幸せのなかで、千影はそう思った。 



<了>


⟡.·*⟡.·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*⟡.·*⟡.·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*·..·*⟡.·*⟡
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
感想やいいねもうれしかったです!
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感想 5

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みんなの感想(5件)

ゆう
2024.07.01 ゆう

最後までドキドキして面白かったです

水縞しま
2024.07.01 水縞しま

最後までお付き合いくださりありがとうございました。
コメントを頂戴し、とてもうれしかったです!

解除
ゆう
2024.07.01 ゆう

おめでとうございます

水縞しま
2024.07.01 水縞しま

ゆうさま

ありがとうございます!

解除
金色のクレヨン@釣りするWeb作家

作者さんが書籍化を経験されているだけあって、とても読みやすかったです。
丁寧な表現で書かれているので、場面が浮かべやすく臨場感がありました。
作品の応援の意味も込めて、投票させて頂きます。

水縞しま
2024.05.09 水縞しま

お読みくださりありがとうございます。
有難いやら恐縮するやら……!感想をいただき、とてもうれしかったです。
投票もありがとうございます。励みになります。

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