上 下
14 / 50
2.ほたるいかの酢味噌和え(富山)

梅雨入り

しおりを挟む
「そういえば、千影さんも『待宵』に通ってるんだよね。何か知ってるなら、教えて欲しいんだけど!」

 陽汰が勢いよく立ち上がる。

「お、教えるというのは……?」

「貫井さんはあの通り舞い上がっちゃってるし、冷静な判断ができないと思うんだ。だから、小夜さんっていうひとが、どういうひとなのか知りたい」

 陽汰の表情はいたって真剣だ。貫井のことを本気で心配しているのだと分かる。

「物静かな方なので、あまりプライベートなことを話したこともありません。どういうひとかと問われても、よく分からないというのが正直なところです……」

 千影は、二ヶ月に一度のペースで通うただの客だ。多少の世間話はするものの、深い付き合いではない。

「陽汰は、小夜さんがわるいひとなんじゃないか、貫井さんが騙されたりひどい目にあったりしないかってことを心配してるんだよね?」

 結野の言葉に、陽汰は深くうなずく。

「……私が言えるのは、仕事に対してはすごく真面目な方だということと、あの店を大事に思っているということくらいです」

「それってすごく良いひとじゃん! なんかすっごい良さそうなひとーー!」

 力が抜けたのか、陽汰が倒れ込むように自分の席に座る。

「貫井さんがひどい目にあう心配がなくなって良かったね」

 結野も安堵したようにほっとした顔を見せる。

 ふたりとも同僚思いだなぁと千影が思っていると、急に結野が「あ、でも」と不穏な表情になった。

「そんなに良いひとならさ……」

「なんです?」

「付き合ってるひと、いそうだよね」

「…………」

 わずかに沈黙が流れた。言われてみれば、そうかもしれない。仕事に対して一生懸命だし、腕は確かだし、仕事のせいで髪は傷んでいるけど、それ以外はぴかぴかでいつも身綺麗にしている。

 ぴかぴかというのは、派手という意味ではない。いつも服にピシッとアイロンがかかっている感じとか、爪の先まで手入れが行き届いている感じとか、そういうさりげない綺麗さだ。

「い、いや。そんなことないですよ! 俺だってめちゃめちゃ良いひとだけど恋人いないし!」

 陽汰は自らを「良いひと」だと宣言し、同時に「おひとりさま」だと暴露する。

 こんなに格好よくて愛想がよくて、自分とは違う世界のひとみたいにきらきらしている陽汰でもおひとりさまなのだ。千影は同じおひとりさまとして、密かに陽汰に親近感を抱いた。

 結局、結野が言ったことは正しかった。

 そのことに気づいたのはしばらく経ってから。ちょうど東海地方の梅雨入りが発表された頃のことだった。

 じめっと湿気を含んだ空気をわずらわしく思いながら、千影は夕食の下準備に取り掛かっていた。

 大きなカボチャとまな板の上で格闘していたとき、食堂の入口で「カタン」と物音がした。視線をやると貫井が立っていた。

 今日、貫井は有休をとっている。立て込んでいた仕事がひと段落したらしいのだ。やっとまとめて休みが取れると、数日前に喜んでいたのを千影も知っている。

「貫井さん?」

「……た」

「え?」

 貫井がぼそりとつぶやく。うまく聞き取れない。千影は作業している手を止めて、貫井のほうへ向かう。

「どうかされたんですか」

 よく見ると、彼には表情がなかった。まるで幽霊でも見たように真っ青になっていた。

「大丈夫ですか? 体調が悪いんですか?」

 おろおろする千影に、貫井はさっきより多少はっきりした声で「短かった」と言った。

「みじかかった?」
 
「……髪が、短くなっていた」

「誰の髪ですか?」

 そう問いながら、きっと小夜のことだろうと思った。貫井は、今日も『待宵』へ行ったのだろう。

「……小夜さん、髪を切ってしまっていた」

「そう、なんですか……」

 大切なはずの髪。彼女が『待宵』で仕事をする上で、なくてはならない髪。その髪を切ってしまった……?

「店を閉めるそうだ」

「え……?」

「東京へ行くらしい」

 それだけ言って、貫井は自室に引きこもった。

 千影は作業に戻り、下準備を終えた。早朝から仕事をしていたから、今から長めの休憩に入る予定だ。

 一度アパートに戻ろうと思っていたけど、どうしても小夜のことが気になる。千影は自宅とは反対の場所へと向かった。

 出格子が連なる道を歩く。黒いしっかりとした造りの町屋が並ぶエリアを抜け、細い路地に入った。風情ある小路の一角。『待宵』の看板は、まだ残っていた。

 店の中をのぞくと、薄暗い店内の中に彼女はいた。

 貫井が言った通り、小夜の髪は短くなっていた。胸元まであった彼女の髪は、フェイスラインできれいに切り揃えられている。

「お店、なくなるんですか……?」

 千影がたずねると、小夜はすまなそうな、寂しそうな顔になった。

「ごめんなさい、急で。お客さまに十分なお知らせもできなくて、本当に申し訳ないと思っています」

「あ、えっと。東京へ行かれるって聞いたんですけど」

「もしかして、貫井さん?」

 貫井がワカミヤの社員であり『杉野館』で暮らしていることを彼女は知っている。もちろん、千影がそこでまかない係の仕事をしていることも。

 千影がうなずくと、小夜はぽつりぽつりと語り始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼女からスタートした侯爵令嬢は騎士団参謀に溺愛される~神獣は私を選んだようです~

桜もふ
恋愛
家族を事故で亡くしたルルナ・エメルロ侯爵令嬢は男爵家である叔父家族に引き取られたが、何をするにも平手打ちやムチ打ち、物を投げつけられる暴力・暴言の【虐待】だ。衣服も与えて貰えず、食事は食べ残しの少ないスープと一欠片のパンだけだった。私の味方はお兄様の従魔であった女神様の眷属の【マロン】だけだが、そのマロンは私の従魔に。 そして5歳になり、スキル鑑定でゴミ以下のスキルだと判断された私は王宮の広間で大勢の貴族連中に笑われ罵倒の嵐の中、男爵家の叔父夫婦に【侯爵家】を乗っ取られ私は、縁切りされ平民へと堕とされた。 頭空っぽアホ第2王子には婚約破棄された挙句に、国王に【無一文】で国外追放を命じられ、放り出された後、頭を打った衝撃で前世(地球)の記憶が蘇り【賢者】【草集め】【特殊想像生成】のスキルを使い国境を目指すが、ある日たどり着いた街で、優しい人達に出会い。ギルマスの養女になり、私が3人組に誘拐された時に神獣のスオウに再開することに! そして、今日も周りのみんなから溺愛されながら、日銭を稼ぐ為に頑張ります! エメルロ一族には重大な秘密があり……。 そして、隣国の騎士団参謀(元ローバル国の第1王子)との甘々な恋愛は至福のひとときなのです。ギルマス(パパ)に邪魔されながら楽しい日々を過ごします。

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

貧乏男爵家の四男に転生したが、奴隷として売られてしまった

竹桜
ファンタジー
 林業に従事していた主人公は倒木に押し潰されて死んでしまった。  死んだ筈の主人公は異世界に転生したのだ。  貧乏男爵四男に。  転生したのは良いが、奴隷商に売れてしまう。  そんな主人公は何気ない斧を持ち、異世界を生き抜く。

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

処理中です...