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4.みだらしだんご(岐阜)

幸せな顔

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 試しに笑顔を作ってみる。ぐっと口角をあげて、無理矢理にこりと微笑んだ。多少のぎこちなさはあるものの、取り立てておかしなところはない気がする。

 ……だったら、どうしてあのとき、笑った自分を見て陽汰は驚いた顔をしたんだろう?

 分からない。うーん、と唸っていると、貫井が作業場にひょっこりと顔を出した。 

「何やってるんだ?」

 戸棚を凝視しながら唸る千影を見た貫井が、様子を伺うように訊いてくる。おかしなところを見られたなと反省しながら、標準装備である無表情に表情を戻す。

「いえ、別に何も」

「陽汰に水、もう一杯もらえるか? 限界みたいだから、部屋に連れていく」

 配膳台から顔を出すと、陽汰がテーブルに突っ伏しているのが見えた。

「わかりました」

 グラスに水を注いで貫井に渡した。貫井は何とか陽汰に水を飲ませて、それから引きずるようにして部屋に運んで行った。

「相変わらず弱いなぁ」

 その光景を見ながら、結野が笑う。そう言う彼も、ほんのりと頬が赤くなっている。

 気づけば、ほとんどの社員たちが自室に戻っている。テーブルを片付けていると、結野からぐい呑みを見せられた。わずかに傾けるような仕草をしている。

「千影ちゃんも、どう?」

「まだ、仕事が残っていますので」

「まじめだなぁ」

 けらけらと楽しそうに結野が声をあげる。

 千影はテーブルの片付けを再開した。食器を洗って、作業場をきれいにしてから清掃も済ませる。きちんと布巾や道具類の消毒も済ませて、ほっと息を吐いた。

 千影が業務を終える頃には、たいてい食堂は静かになっている。残っている社員はいないのだが、今日は様子が違うらしい。貫井と結野が、向かい合って酒を呑んでいた。貫井は陽汰を部屋まで運んだあと、戻って来たようだ。

 呑んでいるといっても、楽しく酒を酌み交わすという感じではない。何となくピリピリした、近寄り難い雰囲気を感じた。

 声を掛けづらい。かといって、そのまま帰るわけにも行かない。「お先に失礼します」とだけ言って、千影は割烹着を脱いだ。

 戸締りをしていると、低い声の貫井から「ちょっと、いいか」と呼ばれた。

 ただ事ではない空気を察知しながら、千影はうなずいた。

「仕事終わってるのに、ごめんね」
 
 結野が千影に頭を下げる。

「いえ、かまいません。あの……何かあったんですか?」

「……ワカミヤを退職するらしい」

 結野のかわりに貫井が答える。

「そんな急に、どうして……。あ、もしかして副業が順調で、とかですか……?」

「うん。何とか、やっていけそうというか。副業を本業にできそうな感じで」

「おめでとうございます」

 考えるよりも先に言葉が出た。きっと、それは正しかったのだと思う。結野がほっと、表情を緩めたので。

「シリーズ化が決まったんだ」

「すごいですね」

 結野が書いた作品の人気が出たということだ。読者に認められたということ。休日に頑張って執筆していることを知っているので、何だか自分のことのようにうれしくなった。

「……そのシリーズ化? っていうのは、何巻まで出版されるんだ? 確約はあるのか?」

 貫井は、かたい表情を崩していない。張りつめた気配を感じて、千影もすっと居住まいを正す。

「一応、今のところ巻数は割と先のほうまで……でも、確約とかは……ない、かも」

「口約束なんてあてにならないぞ。急に打ち切られたりとかはしないんだろうな」

「それは……でも、重版だってかかってますし。もし人気がなくなったらそれまでだと思っています。でも、だからこそ求められてるうちにどんどん書きたいんです。そうしたら……」

「そうしたら?」

「あいつのためになる、とか、そういうことか? お前、自分の人生だろ。人気作家になりたい、じゃなくて、自分が人気作家になったらあいつの立場が良くなるとか、そんなのおかしくないか?」

 真剣な顔で貫井が結野に訴える。結野は、うつむいて押し黙った。しばらく沈黙が続いたあと、貫井が「はぁー」とため息を吐いた。それから、ひやおろしを一気にあおる。

「俺はちょっと、先入観というか、感情が入ってるから。あいつを知らない奴の見解というか、公平な立場での意見が聞きたくて」

 そのために千影を呼んだのだと、貫井が言う。

「……貫井さんが言う『あいつ』というのは、結野さんを担当している編集者の方でしょうか」

「そうだ、会ったことはないよな?」

 貫井に訊かれ、千影は中途半端に首を振った。

「直接、お会いしたことはありません。でも今日、偶然お二人を見ました」

「え……?」

 うつむいていた結野が顔を上げた。

「陽汰さんと朝市へ買物に行ったとき、宮川沿いを歩いている結野さんと背の高い男性を見ました」

 陽汰が声を掛けようとしているのを止めた。なんとなく、良い雰囲気だと思ったから。

「あのときの結野さんは、私の知らない結野さんでした」

 あんな風に笑う結野を、千影は今まで見たことがなかった。幸せそうで誰よりもきれいだと思った。おそらく、そういう関係なのだろうと思う。
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