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3.味噌煮込みうどん(愛知)
いつもの風景
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土鍋のごはんの量をちらりと見て確かめる。食いしん坊の陽汰が食べることを考えても、十分な量が残っている。今日はガパオライスなので、大皿にごはんを盛るかたちで提供している。そういう日は、お茶碗によそう日よりもごはんの減りが早い。
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【今日の夕食】
・大葉たっぷりガパオライス風ごはん ~目玉焼きのせ~
・焼きなすの香味タレ漬け
・たたき梅ごぼう
・豚肉ともやしのゴマ入りピリ辛味噌スープ
※ごはんとスープはおかわり自由です
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タイ料理の定番でもあるガパオライスは日本でも人気で、千影自身も大好きな料理だった。ナンプラーの風味が食欲そそる、手軽に作れてやみつきになる一品だ。
そういえば初めて作ったとき、千影はあることに引っ掛かった。
ガパオ、というのはハーブの一種で、つまりガパオという食材が入った料理ということになる。
けれども、実は日本で食べるガパオライスにガパオは入っていない。
ガパオの葉は、タイホーリーバジルと呼ばれるシソ科の植物だ。簡単には手に入らないため、日本のガパオライスはバジルで代用されている。
初めて知ったときは驚いた。その場合、バジルライスでは……? と思ったりもしたけれど、東京にある本格タイ料理店でもバジルを使っているらしいと知り、そういうものか、と自分を納得させた。
千影は今日、バジルではなくたっぷりの大葉で代用した。朝市で束になって安く売っているのを見つけたのだ。大葉を入れるとさっぱりして、隠し味のように少量入れるナンプラーとの相性も良い。
ガパオライスにガパオが入っていないことは、大したことではない。細かいことにこだわり過ぎたなぁ、と過去の自分を振り返っていると、もりもりと食べていた貫井が手を止めた。
「いや、そこはこだわるだろ。ガパオライスにガパオは入ってない? そんなことってあるか?」
納得がいかない、という顔をする貫井に「以前は、私もそう思ってました」と、千影はうなずく。
「今はわりと受け入れてます」
「駄目だろ、納得したら。というか、俺がいま食べてるのは何だ? ガパオは入ってないんだよな?」
眼鏡を押し上げながら、貫井が怪訝な顔をする。
「ガパオは入ってません。……実は、完全に納得したわけではないので、ホワイトボードには『ガパオライス風ごはん』と書いています」
ガパオライスではなく、ガパオライス風ごはん。なかなかに諦めが悪いなぁと自分でも思う。
「あ、ほんとだ。ちゃんと『風』ってなってる」
ホワイトボードを眺めながら、千影のささやかな抵抗を結野が確認する。
「まぁ、それならいいか……。美味いしな……」
半熟の目玉焼きにスプーンを入れ、炒めたひき肉とごはんとを一緒に口に運んだ貫井が、腑に落ちたようなそうでないような、微妙な顔をしながら言う。
貫井の表情を見て、結野がおかしそうに笑う。つられてふっと表情が緩みそうになったとき、食堂の入口から陽汰の声がした。
「それならいいって、何の話ですか?」
「ガパオライスの話」
結野が、笑いながら陽汰に反応する。
「ガパオライスにガパオが入ってないって知ってたか? 詐欺みたいな話だと思わないか?」
貫井に畳みかけられた陽汰は、ネクタイを解きながらポカンとしか顔になる。
「えっと、俺はそもそもガパオライスというのを知らないんですけど……」
「やっぱり、ズレてやがるな」
貫井が横目で陽汰を見る。
「鶏ひき肉と赤ピーマンと玉ねぎを炒めたものです。タイ料理の定番なんです。ナンプラーが少し入ってますけど、日本人好みの味付けにしているので食べられると思います」
ごはんを盛るための大皿を手渡しながら、千影は陽汰に説明する。
「目玉焼きが付いてます。半熟からかためまで選べますが、どうしますか?」
「じゃあ、半熟でおねがいします」
ごはんをよそいながら、振り返って陽汰が言う。
「わかりました」
フライパンを熱して、油をひく。卵を割ってフライパンに落とすと、ジュッと良い音がした。
「それで、ガパオっていうのは何なんですか?」
卵の黄身をくずしながら、陽汰が問う。
「ハーブの一種です。タイホーリーバジルとも呼ばれています」
答えながら、千影は既視感を覚えた。
「……その、ほーりー? バジル? が入ってるんですか?」
「入ってません」
「え?」
スプーンでガパオライスをすくい、口に入れる寸前で陽汰の動きが止まる。
「代わりに大葉を入れています」
「あ、だからホワイトボードに『風』って書いてあったんですね」
ひとくち食べた陽汰は「美味しい」と言って、パッと表情を明るくさせた。
「そもそも日本のガパオライスにはガパオが入ってないんだけどね」
「どういうことですか?」
結野の一言に、陽汰が訝しむ。
「だから、詐欺みたいな話だと言ってるんだよ」
一足先に食べ終えた貫井が、これまでのやり取りを陽汰に説明する。
「ガパオが入ってないのにガパオライス!? そんなのってアリですかっ!!?」
思わず立ち上がって陽汰が叫ぶ。誰よりも納得がいかないといった表情で、大皿のガパオライス風ごはんを見つめている。
「納得いかないだろ?」
「いきませんよ!」
「貫井さん、さっき納得してませんでした?」
「してないぞ! 今日の『風』には得心がいったけどな。日本のガパオライスにはまだ憤ってる!!」
「日本のって……いや、どういう立ち位置で怒ってるんですか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を見ながら、千影はにんまりとする。表情を変えるのが下手だから、実際には無表情のままかもしれない。けれども心の中ではものすごくにんまりしている。ほっこりして、あたたかくて、ついニコニコしてしまう気持ち。
三人の顔を見ると、それぞれが良い表情をしている。一人のときより、二人のときより、ずっと良い顔をしていると思う。
騒がしい、いつもの風景が食堂に戻った。千影はにんまりとしながら、明るい彼らの表情を見ていたのだった。
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【今日の夕食】
・大葉たっぷりガパオライス風ごはん ~目玉焼きのせ~
・焼きなすの香味タレ漬け
・たたき梅ごぼう
・豚肉ともやしのゴマ入りピリ辛味噌スープ
※ごはんとスープはおかわり自由です
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タイ料理の定番でもあるガパオライスは日本でも人気で、千影自身も大好きな料理だった。ナンプラーの風味が食欲そそる、手軽に作れてやみつきになる一品だ。
そういえば初めて作ったとき、千影はあることに引っ掛かった。
ガパオ、というのはハーブの一種で、つまりガパオという食材が入った料理ということになる。
けれども、実は日本で食べるガパオライスにガパオは入っていない。
ガパオの葉は、タイホーリーバジルと呼ばれるシソ科の植物だ。簡単には手に入らないため、日本のガパオライスはバジルで代用されている。
初めて知ったときは驚いた。その場合、バジルライスでは……? と思ったりもしたけれど、東京にある本格タイ料理店でもバジルを使っているらしいと知り、そういうものか、と自分を納得させた。
千影は今日、バジルではなくたっぷりの大葉で代用した。朝市で束になって安く売っているのを見つけたのだ。大葉を入れるとさっぱりして、隠し味のように少量入れるナンプラーとの相性も良い。
ガパオライスにガパオが入っていないことは、大したことではない。細かいことにこだわり過ぎたなぁ、と過去の自分を振り返っていると、もりもりと食べていた貫井が手を止めた。
「いや、そこはこだわるだろ。ガパオライスにガパオは入ってない? そんなことってあるか?」
納得がいかない、という顔をする貫井に「以前は、私もそう思ってました」と、千影はうなずく。
「今はわりと受け入れてます」
「駄目だろ、納得したら。というか、俺がいま食べてるのは何だ? ガパオは入ってないんだよな?」
眼鏡を押し上げながら、貫井が怪訝な顔をする。
「ガパオは入ってません。……実は、完全に納得したわけではないので、ホワイトボードには『ガパオライス風ごはん』と書いています」
ガパオライスではなく、ガパオライス風ごはん。なかなかに諦めが悪いなぁと自分でも思う。
「あ、ほんとだ。ちゃんと『風』ってなってる」
ホワイトボードを眺めながら、千影のささやかな抵抗を結野が確認する。
「まぁ、それならいいか……。美味いしな……」
半熟の目玉焼きにスプーンを入れ、炒めたひき肉とごはんとを一緒に口に運んだ貫井が、腑に落ちたようなそうでないような、微妙な顔をしながら言う。
貫井の表情を見て、結野がおかしそうに笑う。つられてふっと表情が緩みそうになったとき、食堂の入口から陽汰の声がした。
「それならいいって、何の話ですか?」
「ガパオライスの話」
結野が、笑いながら陽汰に反応する。
「ガパオライスにガパオが入ってないって知ってたか? 詐欺みたいな話だと思わないか?」
貫井に畳みかけられた陽汰は、ネクタイを解きながらポカンとしか顔になる。
「えっと、俺はそもそもガパオライスというのを知らないんですけど……」
「やっぱり、ズレてやがるな」
貫井が横目で陽汰を見る。
「鶏ひき肉と赤ピーマンと玉ねぎを炒めたものです。タイ料理の定番なんです。ナンプラーが少し入ってますけど、日本人好みの味付けにしているので食べられると思います」
ごはんを盛るための大皿を手渡しながら、千影は陽汰に説明する。
「目玉焼きが付いてます。半熟からかためまで選べますが、どうしますか?」
「じゃあ、半熟でおねがいします」
ごはんをよそいながら、振り返って陽汰が言う。
「わかりました」
フライパンを熱して、油をひく。卵を割ってフライパンに落とすと、ジュッと良い音がした。
「それで、ガパオっていうのは何なんですか?」
卵の黄身をくずしながら、陽汰が問う。
「ハーブの一種です。タイホーリーバジルとも呼ばれています」
答えながら、千影は既視感を覚えた。
「……その、ほーりー? バジル? が入ってるんですか?」
「入ってません」
「え?」
スプーンでガパオライスをすくい、口に入れる寸前で陽汰の動きが止まる。
「代わりに大葉を入れています」
「あ、だからホワイトボードに『風』って書いてあったんですね」
ひとくち食べた陽汰は「美味しい」と言って、パッと表情を明るくさせた。
「そもそも日本のガパオライスにはガパオが入ってないんだけどね」
「どういうことですか?」
結野の一言に、陽汰が訝しむ。
「だから、詐欺みたいな話だと言ってるんだよ」
一足先に食べ終えた貫井が、これまでのやり取りを陽汰に説明する。
「ガパオが入ってないのにガパオライス!? そんなのってアリですかっ!!?」
思わず立ち上がって陽汰が叫ぶ。誰よりも納得がいかないといった表情で、大皿のガパオライス風ごはんを見つめている。
「納得いかないだろ?」
「いきませんよ!」
「貫井さん、さっき納得してませんでした?」
「してないぞ! 今日の『風』には得心がいったけどな。日本のガパオライスにはまだ憤ってる!!」
「日本のって……いや、どういう立ち位置で怒ってるんですか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を見ながら、千影はにんまりとする。表情を変えるのが下手だから、実際には無表情のままかもしれない。けれども心の中ではものすごくにんまりしている。ほっこりして、あたたかくて、ついニコニコしてしまう気持ち。
三人の顔を見ると、それぞれが良い表情をしている。一人のときより、二人のときより、ずっと良い顔をしていると思う。
騒がしい、いつもの風景が食堂に戻った。千影はにんまりとしながら、明るい彼らの表情を見ていたのだった。
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