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2.ほたるいかの酢味噌和え(富山)
手仕事の季節
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年度末から年度初めにかけて、独身寮『杉野館』は慌ただしい日々だった。
株式会社ワカミヤにはいくつか支店がある。異動が決まった社員の退去や入居やらで、バタバタしていた。
千影も新しい入居者の好みを把握したり、アレルギーの有無を確認したり、食堂でのあれこれを説明したりと落ち着かない毎日だった。それでも五月に入る頃には、いつも通りの日常が戻っていた。
五月半ばの昼さがり。千影は、せっせと手仕事に勤しんでいる。作っているのは「赤紫蘇シロップ」だ。
赤紫蘇には、ビタミンやミネラルをはじめ、体によい成分が多く含まれている。
シロップにして水や炭酸で割ると、おいしいドリンクが出来るのだ。
赤紫蘇は出回る時期が限られているので、目に入ると必ず手を伸ばしてしまう。今日、朝市で今年初めての赤紫蘇を見つけた。
まだ本格的な収穫時期ではないせいか、束になったものがほんの数点、番重に並べられているだけだった。千影は逃すまいと、赤紫蘇に飛びつくようにして購入した。そして、わさわさと束を抱えて帰ることになったのだった。
杉野館の台所には、硝子瓶がいくつもある。シンプルでスタイリッシュな形状のもの、インテリアとしても使えそうな凝ったデザインの小瓶、ころんとした可愛いかたちのもの。
おそらく、最近は使われていなかったのだろう。食器棚の引き出しの奥に、まるで眠るように仕舞われていた。
せっかくの道具だから、赤紫蘇が出回る季節になったらシロップをこしらえようと、千影は密かに企んでいたのだ。
シロップを作るには、赤紫蘇の下処理から始める。茎から葉を一枚ずつもいでいく。葉だけになったら、ボウルに葉と水を入れ、ていねいに洗う。
鍋に水を入れ、火にかける。沸騰したら、赤紫蘇を入れる。
しばらく茹でていると、赤紫蘇が緑に変わっていく。これはアントシアニンが溶け出すからだ。赤紫色の湯がふつふつと沸いている。これがシロップのもとになる。
緑色になった葉はザルにあげ、ゴムベラなどでぎゅっと押しつけるようにして絞る。こした液は鍋に戻し、きび砂糖を加えて弱火にかける。
きび砂糖が完全に溶けたら火を止め、りんご酢を加える。
ゆっくりとかき混ぜると、あっという間に液体が鮮やかなピンクがかった色のなる。まるで魔法みたいだと毎回、ちょっと感動してしまう。
色が変化するのは、りんご酢を加えることで液体が酸性になり、アントシアニンの色素が反応するから。
出来上がったシロップは、煮沸消毒した清潔な小瓶に詰めて冷蔵庫で保存する。鮮やかなシロップが詰まった小瓶たちを眺めながら、思わず千影はにんまりとする。
手仕事をしていると時間がゆったりと流れていくような気がして心地よい。しばらく慌ただしい日々だったから、余計に心地よく感じたのかもしれないと、千影は思った。
◆
今日の献立は、飛騨牛のコロッケとメンチカツがメイン。どちらもサクサクに揚がっている。コロッケはじゃがいもがほくほくしていて、玉ねぎのやさしい甘みがおいしい。
メンチカツは、飛騨牛の旨味がぎゅぎゅっと詰まっている。味見しようと箸を入れた瞬間、じゅわ~っとジューシーな肉汁があふれてきた。
かじると、サクサクの衣と肉々しい感じ、それからあふれる肉汁で口の中が幸せになった。
メンチカツは、飛騨高山の人気グルメのひとつだ。
人気の老舗精肉店が古い町並にあり、観光客が食べ歩きしている姿を見かけることがある。おいしそうにかぶりつく様子を見て夕食の献立にしようと思い付いた。
なかなかの自信作をこしらえることができたと思う。たくさん食べてもらいたいな、とうきうきしながら千影はホワイトボードに献立を書き込んだ。
------------------------------------
【今日の夕食】
・ごはん(白米)
・飛騨牛コロッケ&メンチカツ
・彩り鮮やかイカと野菜のマリネ ~粒マスタード風味~
・千切りキャベツ
・豆腐となめこの味噌汁
※ごはんと味噌汁と千切りキャベツはおかわり自由です
※赤紫蘇ジュースあります
------------------------------------
味噌汁の具は、なめこと豆腐。香りの良い三つ葉をのせて出す予定だ。
なめこは好みが分かれる食材かもしれないと思い、念のため事前に確認した。意外にも「苦手だ」という社員はいなかった。
イカと野菜のマリネは、輪切りにしたイカと彩りの良い野菜がさっぱりと食べられる一品に仕上がっている。オリーブオイルと粒マスタードのおかげでコクもある。
野菜は玉ねぎとセロリ、それから人参。玉ねぎとセロリは水にさらして辛味を抜いて、人参は千切りにして塩で揉んでおく。
茹でたイカと野菜、調味料をボウルに入れて和えたらできあがり。ポイントは少し時間を置くこと。味が馴染んで格段においしくなる。
昼間こしらえた赤紫蘇は、ジュースにして提供する。グラスにシロップと氷、炭酸水を注ぐと、見た目にも爽やかな赤紫蘇ジュースの完成だ。
夕食の準備が整ったのを見計らったように、仕事を終えた社員たちが帰ってきた。
株式会社ワカミヤにはいくつか支店がある。異動が決まった社員の退去や入居やらで、バタバタしていた。
千影も新しい入居者の好みを把握したり、アレルギーの有無を確認したり、食堂でのあれこれを説明したりと落ち着かない毎日だった。それでも五月に入る頃には、いつも通りの日常が戻っていた。
五月半ばの昼さがり。千影は、せっせと手仕事に勤しんでいる。作っているのは「赤紫蘇シロップ」だ。
赤紫蘇には、ビタミンやミネラルをはじめ、体によい成分が多く含まれている。
シロップにして水や炭酸で割ると、おいしいドリンクが出来るのだ。
赤紫蘇は出回る時期が限られているので、目に入ると必ず手を伸ばしてしまう。今日、朝市で今年初めての赤紫蘇を見つけた。
まだ本格的な収穫時期ではないせいか、束になったものがほんの数点、番重に並べられているだけだった。千影は逃すまいと、赤紫蘇に飛びつくようにして購入した。そして、わさわさと束を抱えて帰ることになったのだった。
杉野館の台所には、硝子瓶がいくつもある。シンプルでスタイリッシュな形状のもの、インテリアとしても使えそうな凝ったデザインの小瓶、ころんとした可愛いかたちのもの。
おそらく、最近は使われていなかったのだろう。食器棚の引き出しの奥に、まるで眠るように仕舞われていた。
せっかくの道具だから、赤紫蘇が出回る季節になったらシロップをこしらえようと、千影は密かに企んでいたのだ。
シロップを作るには、赤紫蘇の下処理から始める。茎から葉を一枚ずつもいでいく。葉だけになったら、ボウルに葉と水を入れ、ていねいに洗う。
鍋に水を入れ、火にかける。沸騰したら、赤紫蘇を入れる。
しばらく茹でていると、赤紫蘇が緑に変わっていく。これはアントシアニンが溶け出すからだ。赤紫色の湯がふつふつと沸いている。これがシロップのもとになる。
緑色になった葉はザルにあげ、ゴムベラなどでぎゅっと押しつけるようにして絞る。こした液は鍋に戻し、きび砂糖を加えて弱火にかける。
きび砂糖が完全に溶けたら火を止め、りんご酢を加える。
ゆっくりとかき混ぜると、あっという間に液体が鮮やかなピンクがかった色のなる。まるで魔法みたいだと毎回、ちょっと感動してしまう。
色が変化するのは、りんご酢を加えることで液体が酸性になり、アントシアニンの色素が反応するから。
出来上がったシロップは、煮沸消毒した清潔な小瓶に詰めて冷蔵庫で保存する。鮮やかなシロップが詰まった小瓶たちを眺めながら、思わず千影はにんまりとする。
手仕事をしていると時間がゆったりと流れていくような気がして心地よい。しばらく慌ただしい日々だったから、余計に心地よく感じたのかもしれないと、千影は思った。
◆
今日の献立は、飛騨牛のコロッケとメンチカツがメイン。どちらもサクサクに揚がっている。コロッケはじゃがいもがほくほくしていて、玉ねぎのやさしい甘みがおいしい。
メンチカツは、飛騨牛の旨味がぎゅぎゅっと詰まっている。味見しようと箸を入れた瞬間、じゅわ~っとジューシーな肉汁があふれてきた。
かじると、サクサクの衣と肉々しい感じ、それからあふれる肉汁で口の中が幸せになった。
メンチカツは、飛騨高山の人気グルメのひとつだ。
人気の老舗精肉店が古い町並にあり、観光客が食べ歩きしている姿を見かけることがある。おいしそうにかぶりつく様子を見て夕食の献立にしようと思い付いた。
なかなかの自信作をこしらえることができたと思う。たくさん食べてもらいたいな、とうきうきしながら千影はホワイトボードに献立を書き込んだ。
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【今日の夕食】
・ごはん(白米)
・飛騨牛コロッケ&メンチカツ
・彩り鮮やかイカと野菜のマリネ ~粒マスタード風味~
・千切りキャベツ
・豆腐となめこの味噌汁
※ごはんと味噌汁と千切りキャベツはおかわり自由です
※赤紫蘇ジュースあります
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味噌汁の具は、なめこと豆腐。香りの良い三つ葉をのせて出す予定だ。
なめこは好みが分かれる食材かもしれないと思い、念のため事前に確認した。意外にも「苦手だ」という社員はいなかった。
イカと野菜のマリネは、輪切りにしたイカと彩りの良い野菜がさっぱりと食べられる一品に仕上がっている。オリーブオイルと粒マスタードのおかげでコクもある。
野菜は玉ねぎとセロリ、それから人参。玉ねぎとセロリは水にさらして辛味を抜いて、人参は千切りにして塩で揉んでおく。
茹でたイカと野菜、調味料をボウルに入れて和えたらできあがり。ポイントは少し時間を置くこと。味が馴染んで格段においしくなる。
昼間こしらえた赤紫蘇は、ジュースにして提供する。グラスにシロップと氷、炭酸水を注ぐと、見た目にも爽やかな赤紫蘇ジュースの完成だ。
夕食の準備が整ったのを見計らったように、仕事を終えた社員たちが帰ってきた。
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