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メイド編
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しおりを挟む朱里はそわそわしていた。
恭介に返事をする。
午後、珠子に促されるままそれに頷いたのは自分。
しかしいざ返事をしようと思ったら、やけに落ち着かない。
さっさと終わらせたいのに・・・。
返事をする相手はまだ帰宅していない。
社長という肩書きなのだから、時間に不規則なのはわかってる。
しかも朱里が返事をするということを本人はまだ知らない。
勝手に待っているだけなのだ。
こんな展開になるとは・・・。
少なくとも今朝までは断る方向で考えがまとまっていた。
ただ・・・気持ちがうまくそこまで辿り着けずにいた。
そんな状態でいたから珠子に心配までさせてしまったのだ。
でもどこかで嬉しさを噛み締めている自分もいる。
自分が本当に望むもの、それに近づけるのだ。
時計はやはり日付を変えてしまっている。
恭介の帰りはいつも遅い。
仕事の鬼だと秘書が以前に言っていた。
しかし朱里はそうは思わない。
彼は仕事だけでなく、全てに置いて鬼なのだ。
プライベートでさえ。
朱里はふと思う。
彼はそれで安らげているのだろうか。
仕事に追われ休日らしい休日も無く、彼の私生活というものは無しに等しいだろう。
家に戻っても寝るだけの生活。
しかも帰りが遅く朝出掛けるのも早いとくれば、当然、十分な睡眠時間も取れない。
そんな生活を365日続けているのだ。
きっと身体はボロボロだろうな。
そんな事を考えていると外が騒がしくなってきた。
これは彼が帰ってきたということ。
よし、行こう!
朱里はパチっと自分の頬を軽く叩き、気合いを入れた。
そして部屋の扉を開けると、数十メートル先の玄関ではやはり彼が戻ってきていた。
彼は周りの人間に見向きもせず、そのまま階段を登っていった。
彼専属の使用人が鞄を持ち、そして彼の後を足早に付いていく。
朱里は慌ててその後を追った。
恭介が書斎に入る瞬間、ようやく追いついた。
朱里の足音で彼はようやく朱里に気付き、使用人を下がらせた。
その使用人は驚きを隠せないようで、朱里を一瞥しながら下がっていく。
あーあ、きっとこれから皆で私達の事を詮索するんだろうなぁ。
明日の朝が来るのが恐い。
溜息をつく朱里に恭介が言葉をかけた。
「こんな夜中に訪ねてくるなんて積極的だね、風立さん。」
恭介は朱里を正面から見据えた。
しかしそんな冗談も軽く流し、朱里は一方的に話を進めた。
「恭介様、お疲れのところ申し訳ありません。少しだけお時間をいただけないでしょうか。」
相手は雇い主。
そう言い聞かせ視線を下げたまま、朱里は恭介の返事を待っていた。
しかし一向に返事が無い。
不思議に思い、顔を上げるとそこには可笑しそうにお腹を抱えて笑いを堪えている恭介の姿があった。
「くっくっ。いや、悪い。改めて君がメイドをしてるんだなと思ったら・・・。」
つまり私のメイド姿を見て笑っているってこと!?
なんて失礼なの!
ムカつく朱里を余所に恭介は笑いを堪えながら書斎の扉を開き、朱里を招き入れた。
「さっきの様子だと、どうやら答えが出たようだね。」
朱里が書斎に入った事を確認すると恭介が間髪をいれず話し掛けてきた。
「ええ。」
朱里は真っ直ぐに恭介を見据えた。
その言葉に恭介の顔からもスッと笑みが消え、朱里の前まで歩み寄った。
「君は新たなスタートを切ることを選んだ、ということでいいんだね?」
恭介の問いかけに朱里は頷いた。
それを見た恭介は机の中から分厚い封筒といくつかの書類を出してきた。
そしてお互いに向かい合って椅子に座ると恭介はその書類をテーブルに置いた。
「前にも言ったけど、君はこれから相当な努力が必要になる。なぜなら君に提供する仕事が俺の補佐という大役だから。」
「え・・・えぇ!!」
「つまり俺の秘書。」
「ちょ、ちょっと待って!」
「いや待たない。早速、君のこれからの事について話をしたい。」
ちょっとちょっと!聞いてないよ!
私が秘書?
それも二階堂財閥の!?
そ、そんなのアリですか!?
「に、二階堂君も冗談が言えるようになったのね・・・ははは。」
「俺は真面目に言ってるんだけど。」
視線を鋭くして言い放つ恭介に朱里の乾いた笑いも届かない。
「とは言ってもいきなりそんな重要なポジションにつけるわけがない。」
もう言葉にならず、朱里はコクコクと上下に頭を動かすしかなかった。
当たり前じゃない!
昨日までメイド、はい今日から秘書ね!なんて簡単にうまくいく筈がない。
しかもその秘書ってのが個人経営の会社とかじゃなくて、一流企業の、しかも社長秘書なんだから!
「だからといってのんびりと君のスキルが上がるのを待ってる程、気が長いわけでもない。」
そうでしょうとも。
一人一人のレベルに合わせて仕事をするほど、彼の会社は甘くない。
社長を筆頭に実力主義の世界だもの。
だから私をあなたの秘書なんて考えを捨てるべきよ。
他にもっと優秀な秘書がいるでしょ?
朱里が頭の中でそんな事を考えていると、
「1年だ。」
「は?1年?」
「そう。1年で秘書に必要なスキルを身につけること。」
「それはちょっと・・・。」
「まさか・・・無理、なんて言わないよね?」
言葉を遮り、ニヤリと口の端を上げて私を鋭く突き刺す視線に言葉が続かない。
しかもその視線がなんと言うかとても挑戦的で。
気付いたら口が勝手に動いていた。
「無理なわけないでしょ。そんなの余裕だわ。1年なんて長すぎるくらいよ!」
あー・・・・・・私ってバカ。
負けず嫌いの習性がこんなところで仇になるなんて・・・。
後悔先に立たずって言葉はこういう時の為にあるんだわ。
おまけに今頃だけど、私って仕事忘れてない?
言葉も敬語じゃないし・・・。
はぁー、使用人失格じゃない。
そんな朱里を気にせず、恭介は楽しそうに話を続けた。
「さすが風立さん、頼もしい言葉だね。ところで風立さんの好きな国はどこ?」
「へ?」
好きな国?
そーねぇ・・・って違うでしょ!
いきなり話題を変えないで!
「特にないなら俺が勝手に決めるけど。」
勝手に決めるって・・・それじゃあ好きって事にならないじゃない。
彼を理解しようという気力も失せ、彼の言葉に対してのみ答える事にした。
「中国よ。」
その言葉に恭介はやけに驚いていた。
何よ、悪い?
朱里は恭介から視線を逸らし、態度で不満を顕にした。
いいじゃない、中国。
昔と今が混在している国だもの。
桂林とかぜひ一度は訪れたいし、九寨溝や黄龍も観てみたい。
何よりも万里の長城。
とにかく歩いてみたいのよ。
もちろん自然だけじゃない。
経済成長も著しいし、それを支えてる人達と触れ合えば絶対に生きてるってことを実感できる国だと思うの。
私にとっては十分に魅力的な国だわ。
誰が何と言おうと!
その思いを瞳に込めて、朱里は目の前の人物を見上げた。
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