Calling

樫野 珠代

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メイド編

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眠れないまま朝が来た。
そりゃそうでしょ。
だって真夜中に人生の選択を逼られたんだから。
おかげで目の下にクマ状態。
それでも答えは出ない。
いや出せない。
それは私一人だけの問題ではないと認識しているから。
義理の母でもある絹代にも迷惑がかかるし、それに今現時点での私の主人はあくまで奥様。
その奥様抜きでこの話を進める事は出来ない。
もし・・・もしそれら抜きで考えたなら、私は確実に彼の用意した『場所』というものを選ぶだろう。
この10年間、一人になるといつも夢見ていたことなのだ。
ガムシャラに自分の力を活かせるような仕事をしたいと。
メイドの仕事ももちろん私を活かしてくれている。
しかしそこにやり切ったという満足感が存在することはなかった。
いつも心のどこかに物足りなさを感じていたのが事実。
そんな気持ちを抱えたまま今日までやってきた。
朱里ははぁっと溜息を吐き出し鏡に映る自分から目を逸らすと、仕事へ向かう準備を始めた。


「朱里ちゃん、何か悩み事?」
「え?」
茶道の先生を見送り、再び数奇屋に戻った珠子はお茶を立てながら朱里に話し掛けた。
最近の朱里の様子がおかしい事に珠子は気付いていた。
そしてその原因も。
毎朝、珠子が朝食をとる際に執事である松井から定例報告を受けている。
恭介が朱里を呼び出した事も逐一に。
その日を境に朱里がおかしいのだ。
息子が関係している以外、考えられない。
しかし2人が何を話したのかは本人にしかわからない。
けれどそれだけでも珠子を動かすには十分だった。
本当は松井から2人の事を聞いた瞬間、すぐに朱里からいろいろと聞き出したかったがなんとかそれを堪え、朱里自らが言ってくるのを待っていた。
しかし本人は話すどころか、普段どおりに振舞うばかり。
それでも心は何かに捉われている様で、時々、物思いに耽っていた。
その状態のまま3日が過ぎた今日、珠子はとうとう痺れを切らし自分から話を持ち出したのだ。
一方の朱里は急に声をかけられた事にはっと我にかえり、珠子を見返した。
そんな朱里に珠子は苦笑した。
「ごめんなさいね、驚かせて。だけど、最近の朱里ちゃんがなんだか元気がないように思えて・・・。朱里ちゃんを悩ませてる事はやっぱり私じゃ何も力になれない事なのかしら。」
「い、いいえ!そんな事はないです!むしろ、奥様に話す程の事でもなくて・・・。」
「だったら尚更、聞きたいわ。朱里ちゃんは普段からあまり自分の事をお話にならないでしょう?いつも私が聞いた事に答えるだけで・・・。ちょっとだけそれが寂しく思えて。」
「奥様・・・。」
「朱里ちゃんとは長いお付き合いになると思うの。だから余計にいろんな朱里ちゃんを知りたいわ。」
「有り難うございます。そう言って頂けて光栄です。でも・・・本当に大したことではないんです。恭介様に・・・。」
そこまで言って朱里は口を閉ざした。
何をどう言っていいのか、うまく纏まらない。
内容が内容だけに変に言葉を間違えれば、奥様の気分を害してしまうかもしれない。
その様子を見つめていた珠子はほっと息をついた。
「恭介が・・・また失礼な事を言ったのね。」
「い、いいえ!」
朱里が首を振り、否定するが珠子は見ていない。
「隠さなくてもいいのよ。あの子の事を一番良くわかっているのは私ですから。それで・・・あの子は何を?言葉にも出来ないような事?もしそうなら、わたくしが許しません!恭介にはきつく・・・。」
「奥様!違うんです!」
思い余って、朱里は珠子の言葉を遮った。
「奥様が思っているような事ではなくて・・・むしろ逆なんです。」
「逆?」
「はい。」
珠子は怪訝そうに朱里を見つめた。
朱里は一度、深呼吸をして恭介の話をありのまま、珠子に聞かせた。
全てを言い終わる頃には珠子の瞳が輝いていた。
「まぁまぁ!良いお話だわ!」
珠子は満面の笑みで朱里の両手を取った。
恭介はやっぱり気付いたのね!
そしてきっと朱里ちゃんを傍に置く事を考えたんだわ。
珠子は嬉しさでいっぱいになった。
仕事もプライベートも彼女になら恭介を任せられる。
そう思ったのは、朱里がこの家に働き出して暫くしてのことだった。
そしてそれを実行に移すべく、珠子は試行錯誤していた。
どうすれば、恭介が動き出すのか。
冷静沈着な息子だけになかなか思うような案が浮かばなかった。
とりあえず彼女の存在だけでも知ってもらおうとパーティの話を持ち出したのだ。
本来ならパーティ会場でご対面、といく予定が息子の頑なまでの仕事中毒のおかげで仕方なく予定を変更し、先日、彼女の事を息子にアピールしたのだ。
息子は僅かだけど、確かに反応した。
それは存在を知ってもらうばかりか、結果的に珠子の思惑にぴったりと嵌ったのだ。
これを喜ばずにいられようか!
「いえ、あの・・・私は断ろうと・・・。」
たじろぎながら朱里が言葉を発していると、
「朱里ちゃん。」
朱里の言葉を最後まで聞かずに珠子が続けた。
「私も恭介と同じ考えよ。朱里ちゃんはもっと自分の力を発揮できるところにいるべきだと思うの。朱里ちゃんと一緒にお稽古事が出来なくなるのは寂しいけれど、それ以上に朱里ちゃんの輝いた顔を見る事の方が楽しみだわ。1週間なんて言わずに今すぐ返事をなさい。こういう事は早いほうが良いわ。」
「奥様・・・。」
「風立社長にも私の方からお話をしておきます。朱里ちゃんは思いっきり好きな仕事に打ち込んで、恭介をあっと驚かせてあげて頂戴。」
珠子の言葉がとても嬉しかった。
ただの使用人である自分にこんなにも親身になって、そして私の気持ちを汲んでくれて。
それなのに私は奥様に何もしてあげられない。
それが悲しくもあった。
朱里は考え深げに視線を下げていた。
それを見ながら、珠子はこれからの事をすでに考え始めていた。
朱里ちゃんの気が変わらないうちに返事をさせなきゃ。
恭介を動かした唯一の女性だもの。
そうだわ・・・その前に恭介に例の約束を守ってもらおうかしら。
珠子は悪戯心が芽生えていた。
フフっと心の中で笑いつつもそれを隠し、朱里には優しく接することに徹した。
「そんな顔しないの。大丈夫、恭介が推すくらいだもの。朱里ちゃんならきっと恭介の思う以上の仕事をするはずよ。それは私が保証します。だから、ね?」
朱里は涙を浮かべ、素直に頷いた。
珠子の企みを知らない朱里はこの時、いつか奥様に恩返しをしようと心に誓っていた。


 



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