Calling

樫野 珠代

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メイド編

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朱里が二階堂家で働き始めて、1週間が過ぎた。
初日は、執事の松井 孝蔵に二階堂家におけるルールを1日掛けて教えてもらった。
1日かけてというところがポイント。
それだけ規則みたいなものが厳しいし、多すぎるの。
例えば、靴の配列とか、窓の開け方とか。
それだけではない。
使用人の名前を覚えるだけでも一苦労。
この屋敷で働くメイドのほとんどは、1日3交代で、お休みは祝日関係なく週休2日。
海外からの来客が多いということもあり、フライト時間によって夜中だったり早朝だったりと、時間に関係なく訪問者が訪れるというのが理由。
なのでここで働く人数は優に50人は超えている。
いや、知らないだけで実際は100人を超えてるかもしれない。
覚えている限りでは、二階堂の人間3人にそれぞれメイドが3人ずつ付く。
それに運転手だけでも6人。
厨房とダイニングで働く人数はざっと30人近く。
それ以外にも庭師、ベッドメイキング係など細かく役割が分担されている。
留めは、建物内外の配置。
メインのお屋敷は、3階建て。
1階は使用人の住居が奥にあって、手前はちょっとしたパーティなどができるフロアが広がっている。
そして厨房、ダイニングとまぁ皆が共同で使用する部屋がほとんど。
2階は二階堂夫妻とその息子、恭介の部屋と書斎などプライベートな部屋がずらり。
3階は娯楽スペースとでもいうのだろうか。
広々とした屋内トレーニングジムだったり、ビリヤードやダーツ等を楽しむスペース、図書館並の書籍やカフェスタイルの休憩スペース、さらにはエステルームまでズラリと揃っていてなんだか違う世界にいるように感じる。
外は外でまた様々な施設が揃っていて、メインのお屋敷を出て東に進むと2階建ての建物があって、そこは主にお客様用の客室で成り立っている。
数々あるその部屋の造りはそれぞれ多様でお客様に合ったお部屋がいつでも用意できるようになっている。
それ以外にも広い庭はもちろん数奇屋があったり、プールがあったり、弓道場があったり。
とにかくいろんな施設がずらりとあって、その場所も広い庭のどこかに存在してる。
私はそれら全部を知るということが怖くてあまり外に出ないようにしてる。
だって覚える前に迷ってしまいそうなんだもの。
・・・・・・広すぎるのも考えものよね。

この1週間、二階堂家内のルールと呼ばれるものをひたすら覚えた。
おかげで初恋の相手である恭介のことは記憶の彼方に消えていってしまっていた。
覚える事が多いと言う事もあるけれど、何よりも会う事がないというのが一番だ。
これでも初日はもうドキドキだった。
どうかバレませんように、そう願いながら仕事場へと向かった。
一応、雇い主ということもあって松井さんに従えられ、彼が仕事に出かける直前に玄関の所で軽く紹介をされた。
ただね・・・紹介といっても松井さんから彼に一言伝えられただけ。
「新人が一人入りましたので。」
「そうか。」
以上。
それだけ。
本人も頭の中は自分の仕事オンリーなのか、興味がないのか、とりあえず私に見向きもせず前を向いたまま足を一度止めただけで、またすぐに歩き出して行ってしまった。
まぁ使用人の数を考えれば、私達一人一人の顔と名前を覚えるなんて面倒な事しないわよね。
自分にとって必要最小限の人だけ覚えれば十分だものね。
つまり私は珠子さんに覚えられていればいいだけのこと。
それに彼の場合、10年も前にちょっと知り合いになっただけの女を覚えているわけが無い。
これは私にとっては有り難い事だわ。
仕事が終わり、自分の部屋に戻った朱里は目の前に置かれた鏡に自分の顔を映した。
あれから私は変わったと思う。
外見も中身も。
私は『片桐』ではない、『風立』なのだ。
10年前よりも髪は長いし、メガネだってかけてるし。
顔だって以前よりかはすっきりしてるし。
10年前の私と今の私では、一瞬見ただけでは同一人物だってわからないはず。
つまり、全くの別人になりきればいいのね。
彼が私の事を覚えてる確率だってゼロに近いだろうし。
素晴らしい事に彼と会うことは滅多にない。
万が一、会ったとしても私は使用人の身分。
彼がいちいち気にかけるはずもない。
つまり・・・私は気付かれないってことだわ。
ふぅ、なんだか元気が出てきた。
朱里は鏡に映る自分に向かって、満面の笑みをおくった。



ようやく普段の自分に戻った朱里は周りの環境を理解していく内に、改めて二階堂家で働いているのだと思い知らされた。
ただ朱里の場合、他のメイドのように3交代ではなく、珠子が起きる前に朝食の準備を始め、珠子が就寝した後、戸締り等のチェックを終え、自分の時間がやってくる。
一見、キツそうに思える仕事だが、全くと言っていいほど楽な仕事だった。
それも全て珠子の計らいだった。
食事の時間以外は、朱里を交えて楽しく会話をしたり、習い事を共にしたりという、のんびりとした時間の過ごし方だった。

最初は硬かった朱里だが、珠子の朗らかな笑顔や話にいつの間にか二人で過ごす時間は良い意味で砕けた関係になっていた。
しかし第3者が入れば、忽ち主従関係をはっきりとさせ、引き下がる姿勢は崩さない。
それには珠子も感心していた。
ここまでしっかりした子も珍しいわ。
息子が惹かれた理由もなんとなくわかるわね。
冷静に朱里を見定め、そして納得していた。



昼下がりの心地よい風が吹く中、和室で2人、花を生けてる時に珠子がふっと話し掛けてきた。
「朱里ちゃん、好きな人はいないの?」
「え?」
ちょうど茎の先を切り落とそうとしていた朱里は驚き、思った以上に茎を短くしてしまった。
「あ・・・。」
やってしまった・・・。
朱里は思わず溜息を吐いた。
「あら、驚かせてしまったみたいね。」
「すみません。あまりに唐突な質問だったので。」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと興味があったの。朱里ちゃんのような綺麗なお嬢さんはどういう方を選ぶのかしらって。」
「選ぶも何も・・・いませんし。今まで仕事と勉強の毎日で、他に意識をとられる事がなくて。そういう時間もなかったので。」
「そう・・・。でも少しは興味はあるでしょう?」
「え?」
「朱里ちゃんは確か・・・25歳だったわよね?もう適齢期と言っても良いくらいだし。私が25歳の頃は、すでに子供が1人いたわ。」
「奥様のご結婚はいつ頃だったのですか?」
「私?19歳よ。」
「えっ!?19歳!?」
「そう。お見合いだったの。」
「はぁ、そうですか。」
朱里には次元の違う話なのだと感じた。
19歳で見合いをし、そして結婚。
たった19年で、自分の人生を決めてしまったということだ。
それは当人からすればどういう気持ちだったのだろう。
静かに珠子の様子を窺う。
「私は後悔してないわ。出会いはどうであれ、私は夫を愛しているもの。立派な息子にも恵まれたし。」
窓の外を眺めながら、珠子はそう語った。
珠子の表情が見えないのでなんとも言えなかった。
朱里はそれを隣りで窺いながら、これ以上立ち入った事は聞けないなと感じた。
ちょうど花を生け終わった頃、再び珠子が口を開いた。
「そうそう、朱里ちゃん。今度、うちでホームパーティをしようかと思うの。」
「ホームパーティですか。」
「ええ。ごく親しい知人や身内だけの、ささやかなものなの。もちろん朱里ちゃんも出席してくれるわよね?」
にっこりと微笑むその笑顔は、朱里に有無を言わさないような威圧感を与えていた。
それをまともに受けた朱里は、少し顔を引き攣らせながら頷くしかなかった。
「よかったわぁ。さっそく当日のお衣装を準備しなくちゃね。」
「え・・・えぇ!?そんな、あの、やっぱり・・・。」
「朱里ちゃんは何色のドレスがお好き?」
出席できませんと言おうとしたが、すでに珠子の意識はここにあらず。
嬉しそうに当日のことを考え出していた。
それを見て断るのは無駄だと感じた朱里は、見えないようにひっそりと一人で溜息をついた。
ドレスなんて・・・持ってないし、着たことも無い。
どうしよう・・・。
「朱里ちゃんのドレス姿、楽しみだわぁ。それにずっと習ってきた社交ダンスを活かせるチャンスね。そうだ、踊り易い様なデザインのドレスにしなきゃね。」
「あの・・・奥様。」
「ん?なあに?」
「私・・・ドレスは・・・。」
持ってないんです、そう言おうとしたが恥ずかしさが増してうまく言えない。
それを予め察していた珠子は朱里を安心させるために優しく微笑んだ。
「朱里ちゃん。私が無理にお誘いしたんだから、当日の衣装は私がプレゼントするわ。もちろん、そのお買い物にはお付き合いしていただきますけれど。ふふ。」
「そんなわけには・・・。」
「私のお願いを聞いていただけますわよね!?」
目に涙を浮かべ、珠子は朱里に懇願した。
さすがの朱里も自分の主人にそこまでされると何も言えない。
「わかりました。ですが、きちんと働いて、お金はお返しします。」
「駄目です。言いましたわよね?わたくしがプレゼントすると。これは決定事項です。さぁ、そうと決まれば忙しくなりますわよ。招待状や当日のメニュー、会場の配置、いろいろとしなければ。」
珠子は両手を組み、息巻いた。
先程まで涙を浮かべた珠子はどこへ・・・。
朱里は今日何度目かの溜息をついた。

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