黒い青春

樫野 珠代

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本編

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** 美月 side ** 







なにも見えない

なにも聞こえない

ただ一人

暗闇に私はいた








異常な程の喉の渇きで目が覚めた。

はっと目を開けると真っ白な天井。
そして薬品の匂い。
窓からカーテン越しに差し込む日差しはややオレンジ色をしていた。


ここは・・・?


自然と動かそうとした身体はまるで他人のもののように微動だにしない。
おまけに痛みが全身に広がっていく。
「っ・・・。」
悲しい事にその痛みによってなぜこのような状況になったのかを思い出してしまった。

そうだ・・・私・・・

思い出すのを見越したかのように扉の開く音が聞こえ、ゆっくりと視界にある人物が入り込んできた。
そして私が目を覚ましている事に気付くと、
「みー!気が付いたのか!?ちょ、ちょっと待て。すぐに先生呼ぶから!」
やけにらしくないほどの慌てようで大地はまた視界から消えていった。
その様子に、呆気に取られながらも沈みそうになっていた心が少しだけ軽くなった。


大地はすぐに戻ってきた。
一人の白衣を着た女性を伴って。
「橘さん、気が付いたのね。良かった。」
そう言って微笑む女性は私の手を取り、脈を計っている。
「うん、安定してるわ。でもまだ安静にしてなきゃね。」
再び私の手を白いシーツの上に戻した。
「ちょっと遅れたけど、初めまして。担当医の花山です。あなたの事は青井君から聞いてるわ。と言っても主に昔の事ばかりだけど。」
そう言って花井先生はクスクスと笑った。

一体、大地は何を話したのだろう。
どうせ良い話じゃないに決まってるけど。
そう思いながらも気になって聞いてみようとした・・・・・・・けれど。


声が・・・・・でない。


口は確かに動いてる。
けれどそこから声というべきものが出てこなかった。


その現実が愕然としながら、それでも口をパクパクして声を出そうと試みるけれど無駄だった。
先生はすぐに私の異変に気付き、
「無理しないで。ちょっと口を開けて診せて。・・・あぁ、炎症を起こしてるわね。それに首筋も熱を持ってるわ。声帯を痛めてる可能性も捨てきれないし、あとできちんと検査してみましょう。今は出来るだけ喉に負担をかけないようにしなきゃね。もし何か話したい事があるのなら・・・そうね、これに書いてくれればいいわ。」
そう言って、先生は自分の持っていたペンとメモ用紙を私の手に握らせた。

なぜ声が出ないのか。
その原因はきっとあの時、無理して声を出そうとしたせいだ。
空に迷惑をかけたくなくて。
それを大地に伝えたくて。

そう言えば、あの後、大地はどうやってここまで私を運んだのだろう。
ちゃんと私の言いたかった事が伝わっていただろうか。
空の部屋から私が運び出される所を誰にも見られてなければ良いのだけど。

すると先生が大地へと視線を向けた。
「彼女と今からちょっと話をしたいの。席を外してくれる?」
「俺がいちゃまずいのか?」
「当たり前じゃない。あなたは彼女の親族でもないんだから!ほら、さっさと出てく。」
シッシと手を振り、大地を追い出し始めた。
「な!ったく、わかったよ。けど、後でちゃんと俺にも説明しろよ!第一発見者なんだからよ!」
そう言って拗ねたように口を尖らせながら大地は部屋の外へと出ていった。
それを確認すると
「ようやく貴方と話が出来るわね。」
その女性はベッドの横の椅子へと腰を下ろした。


「実はね、あなたに少し訊きたい事があって。あなたの身体の痣の事なんだけど。」
そう切り出された言葉が何を指すのか、大方の予想ができた。
身体中にある空の残した刻印。
おそらく両手首にも押さえつけられた跡が残っていただろう。
それらを見て、先生はどう思ったのか。

先生は少し躊躇いがちに続けた。
「それは同意の上?それとも・・・。」
最後の言葉を待たずにすぐに首を振った。
「そう・・・それならいいんだけど。もし合意でないのならばそれなりの処置をしなければならないから。」
処置・・・?
私の疑問に気付いたのか、先生は言葉を付け足してくれた。
「望まれない子供を作らずに済むように出来るだけ早く身体の中を綺麗にしてあげなきゃ。辛い思い出を忘れる為にも・・・って、こんな事は橘さんには関係ない話よね。ごめんなさいね、あなたが運ばれた状況を見てもそう疑わざるを得ないものだったから。」
そう言って苦笑した。

けれど私は今、心臓がバクバクしている。
空は・・・あの時、避妊なんてしたのだろうか。
ただでさえ空に翻弄されて何が何だかわからなくなって。
途中から記憶が途切れ途切れで。
目が覚めた時は空に見放されたショックで冷静な思考能力はなかった。

もし・・・・・・もし避妊してなかったら?

そしてもし、妊娠してしまったら?

考えれば考えるほど不安が襲ってくる。


「橘さん?大丈夫?」
心配そうに先生が尋ねてくる。
それほど表情に表れていたのだろうか。
大丈夫。
そう言いたかったけれど、やっぱり声は出なくて。

震える手でようやく一言書けた。

『大丈夫。』
と。

それを見た先生はそれでも心配しているようで、
「何か気になる事や相談したい事があるのなら遠慮せずに言ってね。いつでも聞いてあげるから。」
優しい眼差しを私に向けながらそう言ってくれた。
それに頷き、今出来る精一杯の笑顔を返した。
それをみて先生もほっとしたみたい。

「さてと。そろそろ戻らないと。あなたも青井君も、お互いに話したいことがあるだろうから邪魔者は退散するわね。」
そう言って立ち上がり、扉の外にいる大地に声をかけていた。
私はペンを走らせ、それを先生へと向けた。

『ありがとうございます。』

「ふふ、お礼は元気になってから。じゃあお大事にね。」
そう言うと、先生は部屋に入ってきた大地の肩をぽんと叩き、出ていった。


先生と入れ替わりにベッドサイドの椅子に座った大地は私を覗き込んでくる。
「でもさ、とりあえず気が付いて良かったよ。ホント、あの時はこのままみーが死んでしまうんじゃねーかって思ったし。マジ焦った。それに比べたら声が出ないくらいマシだよな。」
そう言って大地も明らかに安堵した様子だった。

大地の気持ちは私にも理解できる。
私が大地の立場でも、あの時の状況はさすがに驚くだろうし、何よりもあの場ですべき事が混乱してわからなかったはず。
意識を失った私を見て、そしてこうして目が覚めるまでの時間、大地はずっと私を心配してくれてたんだと思う。
口では軽く言ってるけど、大地なりの照れ隠しだということもちゃんとわかってる。
私は手にあるペンを動かした。

『ごめんね。』

心配かけてごめん。
そして迷惑をかけてごめん。
そういう意味で書いたその紙を大地に見せた。
すると、
「別に責めてるわけじゃねーし。それより早く元気になりやがれ。んで、今回の元凶にしっかり詫び入れさせねーとな。」

元凶。
きっと空の事だ。
大地は昔から空に対して厳しい。
と言うよりも、空を苦しめる事を楽しんでるような気がする。
もし、今回の事でまた大地が空に何か企んでしまうんじゃないか、それが心配。
私は慌てて紙に書き足す。

『今回の事は私が全部悪いの。』

「ふーん、今回の事”は”、ね。アイツ、他にも何かやってんだな、おまえに。」

『ちがう。そういう意味じゃない。』

「はいはい。そう言う事にしとくから。」
軽く流された事に嫌なものを感じながらもこれ以上はたぶん大地は聞きはしないと言う事もわかってる。
だからもう何も言わない。
ただ空に何も危害を加えませんようにと祈るだけ。

『ここまでどうやって運んできたの?』

話を変えようと大地に気になっていた事を聞いた。
大地はその紙を見ると眉を寄せ、明らかに嫌な顔をした。
「マジ大変だったんだぞ、あん時。おまえは空に気を使って救急車なんて呼ぶなって感じだったし、俺は見ての通り足がこんなんだから、さっとおまえを運んでいくなんて事できねーし。とりあえず一旦、おまえを部屋の中に戻して、さっきの先生に電話して助けて貰ったんだよ。電話でおまえの症状伝えたら、そっからホント人使い荒くなってよ。やれ身体を温めろだの、タオルを用意しろだの、水分を多く取らせろだの。自分の部屋じゃねーからタオルの置き場所なんてわかんねーし、水を飲ませたくても本人は意識がねーし。先生が到着してようやく解放されると思ったら、すぐに病院に連れていかなきゃって言いだして、おまえを毛布にくるんで二人で先生の車に乗せてここに来たってわけ。救いなのはエレベーターで人と会わなかった事だな。傍から見れば明らかにおかしいだろ?まさか誘拐?とかって思われるのだけは勘弁だったし。」

先程からの大地の表情のわけがようやくわかった。
それだけ迷惑をかけてたんだもの、当然だよね。

『本当にごめんね。』

そう書いて大地へ紙を向けると
「謝るくらい反省してるなら話してくれるよな?」
ニヤリと笑い、大地はさらに私を覗き込んできた。
まずい。
どうしよう。
迷った挙句、

『話すって何を?』

わざとわからない振りをして訊き返してみた。
けれど、やっぱりそれで逃げ切れる事なんて出来なくて。
「空とおまえの事に決まってんだろ。こんな状態にまでなりやがって。俺があの時、あそこに行かなかったらおまえは今頃、この世にいなかったかもしれないんだぞ。わかってんのか?」
それを言われると何も言えない。
確かに私がこうして今ここにいられるのは大地のおかげ。
「変だとは思ってたんだよな、おまえと空の関係。でもさ、俺が口を出す事でもないだろ。だから金を返しに行った日、敢えて追及しなかったのに。こんな事になるのがわかってたらあの時、問い詰めるべきだったって今じゃ後悔してるよ。」

大地・・・
それだけ気にかけてくれてたんだ。

『だから次の日、また来てくれたの?』

「あの日は、忘れ物を取りに来たんだよ。お気に入りのジッポーなんだけど置いてなかったか?」
そう言えば。
すっかり忘れてた。

『私が預かってるよ。空の部屋にあるんだけど、どうしよう。』

「急いでねーし、おまえが元気になったら返してくれればいい。」

そうだよね。
それしかないよね。
こんな状態で返しようがない。

「で?」
え?
「空との事。話してくれんだろ?」
大地は私の次の言葉を待ってる。

空との事って言われても・・・

『わかんない。』
「みー。」

私でさえわからないのに、大地に説明できるわけがない。
ただ理解できてるのは、私は空に見放されたという事実。

捨てられた・・・んだよね。

その言葉を心に刻んだ瞬間、涙が枕を濡らし始めた。






 




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