睡蓮

樫野 珠代

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本編

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次の日、帰りのバスに乗り込む時、益子さんに謝られた。
いきなりだったので驚きながらも大丈夫だという言葉は返して帰路についた。
実際に困ったのは課長との事を除けば数時間だけで、部屋も別々になったおかげで気を張らずに済んだのは正直有り難かった。
そうして色々な思いをした旅行も終わりを告げ、ほっとする間もなく月曜日はやってきた。

午前中は先週中に頼まれた仕事に加え、朝一で頼まれた仕事もあり慌ただしく時間は過ぎていった。
気が付けばお昼、という状況で昼休憩を知らせる鐘が鳴る。
周りは徐々にフロアから出ていくのを仕事をしながら感じていた。
すると、
「樋野さん。」
いつも後ろから別の人物へと聞こえる呼び声が今日は自分へと向けられていることにワンテンポ遅れて気付き、
「は、はい!」
急いで返事をして立ち上がりながら振り返る。
すぐ後ろに立っていた北川さんはにっこりと笑顔を浮かべ、私の腕を取った。
「社食に行きましょ?連れに座席は取らせてるから安心して。さぁ、行くわよ!」
そう言ってグイグイと腕を引っ張っていく。
「あ、あの!」
「あ、ついでに日替わりも頼んで貰ってるから。もちろん連れの奢りよ、安心して。」
「い、いえ!仕事が・・・。」
「仕事効率を上げるには適度な休憩は必要よ!集中力なんてそんなに続かないんだから。それに元総務の先輩の誘いを断るつもり?」
その言葉に少し驚いた。
まさか配属されてわずかしかいなかった私の事を覚えているなんて思ってもみなかったからだ。
それでも慣れない人とのランチに二の足を踏む。
「い、いえ。でもお邪魔に・・・。」
「私が誘ってるのに邪魔なわけないじゃない。」
その後もお断りの為の言葉をことごとく断ち切られ、現在、社食の窓際の席に座らされている。
社食を利用するのはこれで二度目だ。
一度目は興味を持って利用したが、人の多さと席の確保の難しさにもう二度と利用はしないだろうなと自分では思っていた。
けれど・・・
相変わらず人は多い社食の、しかも窓際席。
忙しい人ならば出入り口近くを確保するだろうが、ざっと見ただけでも窓際は女性層に人気らしく大部分を占めている。
その中で座らされている現状に少し疲弊していた。
「さすが和田君ね、頼りになるわー。」
「実際にこの席を確保したのはコイツだけどな。」
そう言って和田さんは隣りに座る住田さんをチラリとみる。
「スゴイっしょ!俺、全力出しましたから。なんてったって樋野ちゃんとランチ♪あー、嬉しくて何も喉を通らないっす!」
「じゃあ、私がそれ食べてあげるわ。」
北川さんはそう言って住田さんの日替わりを取ろうとする。
けれど、それに気づいた住田さんが慌てて死守。
「これは俺のです!北川さん、自分の分あるでしょ、取らないでください!」
「何も喉を通らないって言ったのはあなたよ。残すのは勿体ないじゃない。」
「そ、それは言葉のアヤです!」
「あっそ。で?旅行は随分楽しかったみたいね?あー、私も行きたかったわー。なんでよりによって昨日、顔合わせなんてあるのよー。」
「顔合わせ?北川、見合いでもしたのか?」
「ふ、冗談でしょ。なんで私が見合いしなきゃいけないのよ。妹よ。結婚に向けての両家の顔合わせ。ってそんなのはどうでもいいのよ。で?イタ子ちゃん事件の話、聞かせてよ。」
含みのある笑みを浮かべて北川さんがグイッと顔を前に突き出す。
「イタ子?何ですか、それ。」
住田は首を傾げて訊き返した。
「うちにいるでしょ、オツムのイタイ子が。今回の旅行でイタ子がまたやらかしたんでしょ?あー、見たかったわー。」
北川さんに言い方はまるで全て知ってるような物言いだった。
なんで知ってるんだろう。
昨日の帰りのバスでも、今朝だって誰も何も言わなかった。
そもそもあの事を知ってるのは私と課長だけではなかったのだろうか。
私は誰にも話してはいない。
益子さんだって態々言ったりしないだろう、もちろん課長も然り。
ひょっとして他にもいたのだろうか。
まさか旅行に参加していた人達全員知っていたのだろうか。
その上で触れないでいてくれたのだろうか。
そんな考えが次々と浮かんでいく。
その間も目の前では話が先に進んでいる。
「なんだ、それは。住田、おまえ何か知ってるか?」
「あ、いや、その、わかんないっすね!ははっ・・・は・・・。」
「おまえ、わかりやすすぎ。」
明らかに挙動不審な言動をする住田さんに和田さんは溜息を吐いた。
その言葉で住田さんはがっくりと肩を落とす。
そしてそれを見て私も住田さんが少なくとも益子さんとの事を知っているのだと確信した。
「ほら、さっさと吐いて楽になりなさい。何があったのよ。」
「課長に止められてるんで言えないっすよー。」
「あれ?北川は知ってるんじゃないのか?」
「私?知るわけないじゃない。参加してないんだもの。」
「いや、でもさっき自分でイタ子事件って・・・。」
「あんなの、カマ掛けたに決まってるでしょ。朝の住田君とイタ子の余所余所しい空気を見て不審に思ってたら、住田君、やけに樋野さんの事チラチラ見てたでしょ?あ、見てるのはいつもの事かしら。でもいつもと違う感じがしたのよねー。こりゃ、なんかあったんだなってピーンときたわけ。」
「は、はは・・・なんかスゲーっす。」
「おまえは探偵かよ。」
「なんとでも言って。こっちはイタ子のせいでストレスゲージが振り切れそうでイライラしてるんだから。なんで私がイタ子に教えを乞わなきゃいけないのよ。ミスの仕方を教えられてるようなもんじゃない。」
「まあまあ。課長には考えがあってそうしたんだと思うぞ。」
「それはわかってるわよ。でも期限を決めてもらわないと私だって我慢の限界よ。」
「我慢しなきゃいけないのか?課長が我慢してくれって言ったのか?」
「え?」
「そうじゃないなら別にいいんじゃねーか?好きにやって。むしろ課長はそれが狙いなのかもよ?おまえらしく仕事をして欲しいんじゃないか?総務の頃のおまえを見て課長はおまえを選んだんだろうし。つまり、おまえに期待してるのは『絶対零度の北川』なんじゃないか?」
「和田君・・・。」
唖然として北川さんは和田さんを見つめていたが、暫くすると
「ふ、ふふ・・・そう、そうよね。私が我慢する必要ないのよね、ふふふ。」
堪えきれないほどの不敵な笑みを浮かべて北川さんは急に目の前のランチを我武者羅に食べ始めた。
そして僅か数分で箸を置き、
「じゃ、私は先に戻るわね。あなたたちも早く午後の準備をしなさいよ。」
そう言って食器の乗るプレートを持ち、足早に立ち去っていった。
「和田さん・・・俺、なんか嫌な予感しかしないっすよ。」
「・・・悪い。発破かけすぎたか。住田、覚悟しとけ。」
「え?俺??なんで!?」
「おまえにも被害・・・いや班が違うから大丈夫だろう、たぶん。さ、俺らも食べようぜ。」
「わ、和田さーん!俺、なんか怖いっす!」
「いいから食べろ。」
「う・・・食欲が急に・・・。」
胃の辺りを押さえ、住田さんの元気が消えた。
それを完全に無視して和田さんはこちらへと視線を向けた。
「樋野ちゃんも我慢はしないほうがいいぞ。何かあれば遠慮なく俺ら先輩達を頼っていいから。約1名頼りにならないヤツもいるけど、話を聞く事くらいは出来るだろうし。俺達も先輩に相談したりしながら少しずつ実績を積んでいるんだよ。話すのが苦手ならメールでも何でも方法はあるだろ?俺達じゃなくても早見でもいい。きっと先輩として経験してきた中でアドバイスを貰えるはずだから。」
そう言って微笑む和田さんはしっかりと私の苦手意識を把握しているらしく、その上でアドバイスをくれている。
心が温かくなるのを感じると同時に、きちんと同じ部署で働いている一員として見てくれている事に喜びを覚えた。
だからこちらも出来るだけ笑顔で返そう、そう思って
「はい。」
短い返事だけれど、それでも和田さんには伝わったらしく、頷いてランチを再開させた。
私も目の前のプレートへと視線を移し、箸を動かした。
住田さんは暗い表情のまま、箸が進んでいなかったけれど。


社食から戻ると、課のフロアは人が少なく静かなもので人の声がやけにはっきりと聞こえる。
その中に北川さんが含まれていて、ちょうど昼休憩から戻ってきた益子さんに話しかけている所だった。
「益子さん、これ訂正して。あと、こっちはやり直し。」
「え?でもこれさっき・・・。」
「やり直し。」
「・・・はい。」
「ああ、それから会議室の準備、出来てる?課長に頼まれてたでしょ?」
「あ!」
「もうすぐお客様が来るから、急いでやった方がいいと思うけど。」
「え!?」
北川さんの言葉の直後、すぐに走り去る音がフロアに響いた。
そうして暫くした後、益子さんが戻ってくると北川さんは座ったまま益子さんへと体の向きを変えて言い放った。
「これからは遠慮なくいくから覚悟して。」
「北川さん?」
「私、半端な事が嫌いなの。もちろん半端な人もね。やるからには完璧にやってくれる?間違っても私の足を引っ張るような事をしないでね。」
そう言うと益子さんの反応を見ることなく仕事を再開していた。
そして、それらの様子は仕事を始めようとしていたフロア全員がしっかりと記憶する事になった。



 



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