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本編
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しおりを挟む次第に重くなる気分をなんとか奮い立たせ、大浴場を出た。
結局、今後どうするか何の答えも出ないままだ。
「はぁ・・・。」
ため息も吐きたくなる。
「樋野。」
いきなり名前を呼ばれ、びっくりしながら視線を上げた。
少し先にあるソファ近くに、部屋に戻ったと思っていた課長が立っていた。
「ちゃんと温まったか?」
そう言いながら近づいてくる課長に戸惑いしかない。
「課長、どうして・・・。」
「待ってたんだよ、樋野が出てくるのを。」
そう言って微笑んだ。
「ほら、体が冷えないうちに部屋に行くぞ。」
そう言って課長が歩き出す。
部屋・・・
その言葉でまた気分が重くなる。
けれど課長は何も知らない。
だからこうして気にかけて待っていてくれたのだろう。
これはもう覚悟を決めて、部屋に戻るしかない。
課長の背中を追いかけてゆっくりと歩き出した。
そうして課長に付いていった先は部屋割りで与えられた305号室でなく、別の階の402号室だった。
「課長、ここは・・・?」
「とりあえず入ろう。」
そう言って課長は手に持っていたキーを鍵穴に差し込み、ドアを開けた。
「ほら、入って。」
そう言って促してきたので、素直に入る。
すると和室の片隅に私の荷物が置かれていることに気付いた。
「どうして・・・。」
「あの部屋から持ち出してきたんだよ。」
課長はそう言いながら部屋に入ってきた。
その言葉の裏にどれだけの事が含まれているのか。
考えるまでもなく理解できた。
課長は知っているんだ。
私がなぜ休憩スペースにずっといたのか。
なぜ部屋に戻ろうとしなかったのか。
「急にこの部屋を押さえたから仲居さんには申し訳ないことをしたな。かなり慌ててたよ。」
そう言ってキーをテーブルの上に置いた。
「荷物はこれだけで良かったか?他にあるなら取ってくるけど。」
そう言われてすぐさま荷物の所へ行き、さっと確認した。
「大丈夫です。」
「そうか・・・じゃあ、ゆっくり休めよ。」
そう言って課長が出て行こうとした瞬間思わず、
「あ、あの!」
咄嗟に呼び止めたことに自分自身が驚いた。
振り返った課長に何と言って良いのかわからず焦るが、課長はじっとそれを待っていてくれる。
とりあえず課長の手を煩わせたのは事実でそれだけは謝っておこうとようやく口を開いた。
「あの、ご面倒をおかけしてすみませんでした。」
頭を下げ、そして顔を上げると課長がこちらに近づいてきた。
「・・・どうして樋野が謝るの。君が何か悪い事でもした?してないだろ?」
すぐ近くで立ち止まり、視線は私を捉えたまま離さない。
それに狼狽えながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「で、ですがこうして部屋を取ってもらったり、荷物を持ってきてもらったり・・・色々としてもらったので。」
「ひょっとして迷惑だったか?」
「い、いいえ!」
慌てて首を振る。
私の言動がそんな風に見えたのかと思うと心臓が止まりそうになる。
言葉がうまく伝えられない、それが歯がゆい。
無意識に視界を閉ざし俯く。
そんな私に課長の声が響いた。
「少しは俺を頼って欲しい。」
「え・・・。」
聞こえた言葉を理解できず、気が付けば課長を見上げていた。
一瞬、課長の瞳が揺れた気がしたが課長の手が伸びてきたことですっかり記憶の彼方へと飛んでいく。
その手が頬に触れる瞬間、思わず体が強張り、ビクッと震えた。
「まだ俺が怖い?」
悲しみを含んだ表情で、それでも微笑みを浮かべながら課長の手が離れていく。
ダメだとわかっていても体は正直だった。
遠ざかるその袖を咄嗟に掴んでいた。
「ち、ちがいます。確かに、怖いというか、その・・・課長だから、とかじゃなくて・・・男の人とこんな風に触れ合うのは・・・慣れてなくて・・・。」
「じゃあ、俺が嫌いというわけじゃ?」
「そ、そんなこと!」
強く首を振って否定した。
嫌いどころかこうして自分から触れるくらい、課長への想いが膨らんでいる。
もうどうしていいかわからない。
言葉にしたくても出来ない、二度と傷つくのは嫌だから。
でも持て余したこの感情をどうすればいいの?
次々と高ぶる気持ちで自分でも制御が出来ない。
その時、
「樋野。」
柔らかな声と同時に頬に課長の手が添えられ、自分でも気づかずに流していた涙をそっと親指で拭っていく、何度も何度も涙が伝う度に。
「俺は何をしたらいい?君のために俺は何が出来る?君がこうして泣かなくて済むために。」
「っ・・・。」
課長の切なそうな表情を間近に捉え、言葉に詰まった。
それでも課長は落ち着いた声で続ける。
「どんなことでもいい。教えてくれ。」
そんなの反則。
もう傷つきたくないのに、これ以上好きになりたくないのに。
ギュッと瞼を閉じ、無言で返すしかなかった。
その行為が課長に失礼だとわかっていながら。
でも、そうするしかなかった。
私の意思が伝わったのか、
「やっぱ、だめか。」
そう言って課長の手が頬から離れていった。
それを寂しいと感じてしまった事にまたショックを受けながら瞼を開く。
「困らせて悪かったな。ただ・・・もうあの時みたいに傷ついた君を見たくないんだ。虫がいいのはわかってる、傷つけた張本人だしな。」
自嘲交じりな笑みを浮かべ視線を下げた課長に何か言わなきゃ!と口を開くが言葉が出なくて。
言いたいことは色々あった。
けれどそれらをきっちりと伝える術がなくて、話し下手な自分が憎らしい。
「今日あったことは忘れて、しっかり寝ろよ。じゃあ、おやすみ。」
気持ちを切り替えたように課長はいつもの笑顔を携えそう言って部屋を出て行った。
残されたのは沈黙が広がる空間に1人の私。
部屋を出ていく課長の背中がまだ目に焼き付いたまま離れない。
その幻影にようやく言いたかった一言が言えた。
「・・・・好きなんです。」
と。
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