睡蓮

樫野 珠代

文字の大きさ
上 下
14 / 23
本編

14

しおりを挟む





「これ、違うと思うんだけど。」
その言葉を何度聞いたことだろう。
しかも決まって後ろから聞こえる声。

「え?あ、ホントだ。」
「・・・・・・修正しとくわ。」
「すみません、助かります!」

午後は特に外回りで大方、人がいなくなる。
だから余計にその声は響き、静まった空間に浸透していく。
今日に限った事じゃない。
北川さんが来て2週間が経ったが、その言葉は1週間を過ぎた頃から繰り返されている。
自分に向かっての言葉ではないとはいえ、毎回ドキっとしてしまってこちらも仕事一つ一つにいつも以上に神経質になってしまい、結果、時間がいつも以上にかかってしまっていた。

集中しないと。

再び、目の前のパソコンに向かい、一度呼吸を整える。
その時、
「樋野さん。」
「は、はい。」
隣りから声を掛けられた。
「これ、今日中に出来るかな。急に先方から頼まれたんだけど。」
そう言ってクリップの付いた書類を目の前に差し出された。
今回の席替えで左隣りに座るのは常時成績トップ5に入る吉木さん。
営業部の中で一番物静かな人で、黙々と仕事を進めて今の成績を残している。
これまで吉木さんに仕事を頼まれた事は数えるほどしかなかったが、最近、少しずつ仕事をまわしてくるようになった。
「だ、大丈夫です。」
そう言っていつものようにその書類を受け取ろうとした。
けれど、それは空を切った。
吉木さんが書類を引いたからだ。
「え・・・。」
「・・・無理なら無理って言っていいから。他の仕事は終わるの?」
吉木さんが私の机上を見ていた。
そこにはいくつかのファイルが山を作っていた。
「こっちとしては無理に仕事を任せて、クオリティの低いものを返されても困るし。自分の能力を先に見極めるべきじゃない?最近特に集中できてないみたいだし。」
そう言って頼まれるはずだった書類は吉木さんの机の上へと戻された。
「す、すみません。」
その言葉しか返せなかった。
言われたことは全て当たっていたから。
話は終わりとばかりに吉木さんは自分の仕事を再開させた。
「素直じゃないですねー、吉木さんも。」
それを見ていたのか、吉木さんの前に座る和田さんが声を掛けてきた。
「樋野ちゃん、今のは吉木さんのフォローだから、一応。」
「え?」
言葉の意味がわからなくて、和田さんを見返す。
するとニンマリと笑顔を見せた和田さんが、
「吉木さんの言葉を解り易く解説してあげると、『いつも俺らのグループの仕事を1人で大変だろう?無理なら無理って言っても俺は問題ないよ。それで遅くまで残業させても逆に申し訳ないから。』ってことと、『今までの仕事のクオリティが高いからそのままで自信を持って仕事すればいいんだよ、周りを気にする必要はないよ』って事。こんな感じで合ってます?吉木さん。」
するとそれまで手を動かしていた吉木さんが和田さんをギロっと睨んでいる。
けれど否定はしない。
その態度で和田さんの言ったことが真実なのだと驚きを隠せない。
呆気に取られていると、和田さんは肩を竦めた。
「営業の仕事は完璧なのにそれ以外がホント不器用すぎますよ、吉木さん。」
「うるさい。仕事しろ。」
そう言って吉木さんは再び手を動かし始めた。
「はいはい。ってことで樋野ちゃん、落ち込むなよ。営業のエースに太鼓判貰ったんだから。」
「・・・はい。」
心が温かくなっていく。
自分のしてきた事が少しだけ報われたような、周りに少し認められたような、様々な嬉しい気持ちが広がっていく。
「頑張ります、吉木さん。」
そう言って吉木さんに微笑みを返す。
すると、吉木さんはちらっとこちらを見てすぐに目を逸らし、
「・・・わかればいい。」
と一言だけ返してくれた。


その後も口には出さなくても吉木さんや他の土本班メンバーの気遣いを感じながら仕事に励む日々が続いていたある朝、土本班の朝礼が終わりかけたその瞬間、
「じゃーん!すごく考えました!で、ようやく渾身の力作が出来ましたー!」
大きな声で土本班のメンバーにA4紙を見せびらかす住田さんの姿が映る。
それに対する反応の薄いメンバーを気にせず、住田さんは続けた。
「えー、今年は俺が幹事であるのも何かの縁ということで、土本班の一致団結を目指し、これを企画しました!なんと土本班の土本班による、土本班だけの慰安旅行です!」
そう言って紙を一枚ずつメンバーに配っていく。
それを目にしたメンバーは一様に溜息を吐く。
「おい、住田。おまえは他にやる事ないのかよ。」
「暇人だな。」
口々にそんな事を呟いている。
それを気にも留めず、最後に私にも一枚配った。
その紙には見出しに大きく『打倒!榎本班!』と書かれてあり、一泊二日の日程が書かれてある。
「えー、基本的に独身者は参加で、既婚者は出来るだけ参加して頂けるとありがたいです。」
嬉しそうにそう呼びかける。
係長であり、グループの長である土本さんは紙の内容をじっと見つめている。
そして、
「なるほど、いいねー。面白いじゃないか。ちなみにこれは家族同伴でも?」
乗り気になった係長の言葉を聞いたメンバーから「えー」「マジか。」という言葉が飛び交う。
おそらく係長がこの件を一蹴してくれると信じていたのだろう。
それさえも気にせず住田さんは、
「お!よくぞ聞いてくれました!もちろんオッケーです!人数が増えた方が安上がりだし、なによりも親睦を深めるのにも良いし、家族サービスには持って来いでしょ。」
「わかった。うちの奴に聞くとしよう。」
「係長、流石っす!で、紙にも書いてますが、皆さん、旅行は3週間後の土日で行いますので、来週末までこの紙の下の参加の可否を書いて俺に下さい。以上!住田でした!」
そう言って自分の席に着く。
一連の件を無言のまま、見守っていた私は再び紙へと視線を戻す。

どうしよう・・・
不参加にしても良いだろうか。
ようやく仕事上で人と接することが普通に出来るようにはなったけれど、プライベートに近い旅行となると話はまた別だ。
しかもこのメンバーで行くとなると、当然、女性は私1人。
想像しただけで、恐怖以外の何物でもない。
人知れずそっと息を吐く。
すると、
「樋野さんは参加するの?」
「え?」
吉木さんが突然話しかけてきた。
ぱっと彼の方を向くと、こちらをじっと見つめていた。
「えっと・・・その、やっぱり参加しないとマズいですよね・・・。」
「・・・・・・何か予定でも?」
「あ、え・・・いえ、その・・・女性は私1人だし、その、1人で1部屋だと高くつくだろうし・・・だから、えっと。」
「なるほど。」
そう言って吉木さんは視線を自分のパソコンに戻した。
そして何もなかったかのように作業を始めた。
曖昧な返事のままだと自覚していたが、吉木さんは特に気にした風はないのでもう一度、静かに息を吐いて、自分も仕事をしなければとパソコンに向かい、手を動かし始めたら、
「樋野ちゃん、任せろ。」
と係長の声が横から聞こえ、その方を見ると係長が立ち上がる所だった。
係長はニッと笑い、2度頷くとそのまま席を離れて行った。
なんだったのだろう。
意味もわからないままであったが、その言葉の意味を理解したのはその日の夕方。
係長が住田さんの席まで行き、突然告げた。
「住田、慰安旅行だがな、課長のところも一緒に行くことになったから。」
「はぁ!?ちょ、ちょっと待ってくださいよ!あれは『打倒!榎本班!』を謳ってるんですよ!?」
「謳わなきゃいい話だろ。それに人数が増えた方がいいっておまえ、言ってじゃないか。」
「そんなぁ・・・俺の計画が・・・。」
がくっと項垂れる住田さんの肩をポンと叩き、係長がホクホク顔で戻ってくる。
そして、
「という事で樋野ちゃん、これで心置きなく参加できるぞ!」
「え?」
急に話を振られ係長を見るとニカっと大げさなほどの笑顔。
「吉木に相談してたんだろ?女性1人だと色々と気を遣わせてしまうと。朝、吉木からメールが来たんだよ。」
そう言われて朝のやり取りを思い出す。
肝心の吉木さんは午後から外回りでいない。
少しだけ吉木さんが恨めしい。
色々と誤解があるのだけれど、1つ言えることはこれで旅行に参加せざるを得ない状況になったという事。
時間と共に言い知れない不安が徐々に体全体を覆っていくのを感じていた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

「好き」の距離

饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。 伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。 以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する旦那様が妻(わたし)の嫁ぎ先を探しています。でも、離縁なんてしてあげません。

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
【清い関係のまま結婚して十年……彼は私を別の男へと引き渡す】 幼い頃、大国の国王へ献上品として連れて来られリゼット。だが余りに幼く扱いに困った国王は末の弟のクロヴィスに下賜した。その為、王弟クロヴィスと結婚をする事になったリゼット。歳の差が9歳とあり、旦那のクロヴィスとは夫婦と言うよりは歳の離れた仲の良い兄妹の様に過ごして来た。 そんな中、結婚から10年が経ちリゼットが15歳という結婚適齢期に差し掛かると、クロヴィスはリゼットの嫁ぎ先を探し始めた。すると社交界は、その噂で持ちきりとなり必然的にリゼットの耳にも入る事となった。噂を聞いたリゼットはショックを受ける。 クロヴィスはリゼットの幸せの為だと話すが、リゼットは大好きなクロヴィスと離れたくなくて……。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

処理中です...