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本編
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しおりを挟む「かんぱーい!」
幹事である住田さんの号令を皮切りにそこにいた人間は互いにグラスを交わし口にする。
そうして恒例の決起会が始まった。
中心に座る勇気も、馴染む度胸もない為、出入り口のある末端の席へと落ち着いている。
他の皆は異様な盛り上がりで、奥の方へ集中して座り込み、と言うより座ったり立ったりと忙しそうにしている。
ただ、そこに課長そして益子さんの存在はない。
あれから仕事に集中して、ふと隣りの席に益子さんの気配を感じると同時に
「樋野さん、今までごめんね。今日の分、よろしくね。」
そう声を掛けられ、慌てて返事をしたのは覚えているが、それが自分が仕事を始めてからどのくらい後の事なのかも把握できていなかった。
課長から渡されたファイルの量は急いでやってなんとか終わる位、かなりの量だったからだ。
益子さんも自分と同じくらいの量の仕事があったわけだから、遅れてスタートさせた分、終わるのも遅くなるのは必然で。
自分の仕事が終わった時に、
「益子さん、手伝います。」
そう声を掛けたが、益子さんは首を振り、
「大丈夫。あと少しだから、ありがとう。」
微笑みながらそう言っていた。
その言葉を信じるならば、そろそろ来ていてもおかしくはない。
何か問題でもあったのだろうか。
ふと窓の外へと目を向けた。
外はもう暗い。
日が落ちるのが早くなってきたと感じる位の余裕が出てきたのはここ1週間。
それまではいつも帰るのは夜闇の中で、それを感じる暇もないほど日々に追われていた。
「樋野ちゃん、飲んでる?」
急に気軽な口調で声を掛けられ、少し驚きながらも声の方を向くと、住田が横に座るところだった。
「あれ、全然飲んでないんじゃない?」
そう言いながら手にしていた烏龍茶を見ている。
「えっと・・・あまり飲めないので。」
「そうなんだ。そういや、大丈夫だった?午前中、益子ちゃんと一緒に課長に呼ばれてたでしょ?」
「あ・・・はい。」
「いじめられなかった?課長、仕事に関しては容赦ないからなー。」
「誰がいじめるって?」
ふいに後ろから声が聞こえ、振り返ると同時に声の主である課長が住田さんと反対側の私の隣に座る所だった。
そして課長の後ろをついてきていた益子さんは、声を掛ける間もなく盛り上がりの中心へと向かっていく。
それを見送っている間も、課長と住田さんの掛け合いは続いていた。
「ささ、課長、どうぞ。」
そう言って課長のグラスにビールを注いで愛想笑いを浮かべる住田さんに
「で?誰が誰をいじめるって?」
「え?誰がそんな事を?課長、聞き間違いじゃないっすか?ねぇ?樋野ちゃん?」
そう言って必死に目配せしてくる。
あまりにも必死な住田さんを見て、思わず笑いが漏れる。
「ふふ、そうですね。聞き間違いですね、きっと。」
住田の為にもそう答えておく。
すると、住田さんはピキッと固まり、課長は目を細め、眉を寄せてた。
「あ、あの・・?」
急にしんとした空気に居心地が悪くなり、視線を周りに向ける。
ちょうどそのタイミングで、賑やかなグループの方から1人、2人とやってきて
「課長!お疲れ様です!あっちで一緒に飲みましょうよ!」
「いや、俺はとりあえずここで腹ごしらえするよ。向こうに行ったら、空き腹でガンガン飲まされそうだからな。そうだ、住田を代わりに連れてけ。ここで油を売ってるようだから。」
「了解しました!ほら住田、こっち来いよ!幹事が盛り上げなくてどうする!ほら、来い!」
そう言って住田さんの腕を引っ張っていく。
「えー・・・・せっかく樋野ちゃんと話せたのに・・・。」
「新人の癖に生意気な!樋野ちゃんと話すなんて10年早い!ほら、行くぞ!」
「うう、パワハラだ!課長、パワハラ受けてます!なんとかしてください!」
手を伸ばして課長へと助けを求める住田さんに課長は口角を上げて
「あっちへ行け、課長命令だ。」
「そ、そんなー!」
心底名残惜しそうな表情のまま、住田さんは奥へと連行されていった。
そして残されたのは私と課長。
お昼の件もあって、なんだか気まずい。
チビチビと飲み物を飲んで、その場をやり過ごすことにした。
すると賑やかチームの方から住田さんの声が響く。
「えー、全員揃ったようなので、ここでもう一度、乾杯したいと思います!課長、一言お願いします!」
そう言って課長を促す。
自然と全員の視線は課長へと向けられ、それを受けた課長は立ち上がる。
「皆、お疲れさん。ここで言うのもなんだが今期の売上はあまり伸びず、営業として力不足が顕著に露見した形だ。これからどうするべきかそれぞれ解っていると思う。明日からのお前達の活躍を期待してる。今日は、悪い憑きものを振り切る位、大いに飲みまくれ!それじゃ、乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
皆が改めて、グラスを傾け、互いに交わしている。
慌ててグラスを前に出し、課長へとそれを合わせた。
「樋野もお疲れ。」
「は、はい。課長もお疲れ様です。」
カチンと音が響き、お互いにグラスの中身を喉へと流した。
「樋野は、飲まないのか?」
ふいに課長に話を振られ、ビクッと体が反応する。
「え?あ、はい。あまり飲めない・・・ので。」
「その間は何だ。」
課長はグラスを傾けながら訊いてくる。
別に隠すほどの事でもないので正直に話す。
「実は・・・わからないんです。その、お酒を飲んだ事がなくて・・・。」
そう言うと課長は僅かに目を見開いた。
「それは・・・珍しいな。飲もうと思ったことは?」
「飲んでみたい気もするんですが、飲んだ後の自分がどうなるのか怖くて。その・・・迷惑をかけるのも避けたいと思って。」
「家でも?親と飲むという選択もあるだろう?」
「私の両親は、その・・・過保護と言うか、心配性と言うか・・・。」
「ああ、なるほど。言わなくてもわかる。と言うか、そうだな、俺が樋野の親だったとしても、うん・・・そうするかもな。」
「え?」
課長の言葉を不思議に思い見つめていると、課長と視線が合った。
慌てて視線をそらし、手に持つグラスを少し揺らす。
横でくすっと笑う声が聞こえたが、ここで課長の方を振り向く勇気はなかった。
課長もすぐに目の前の料理へと手をつけ、平らげていく。
ときどき、営業の人達が課長へとお酌をしに来て話をしていく。
それを静かに聞きながら、時計の針をたまに確認する。
その繰り返しで、ようやくこの場から解放される時間がやってきた。
「あの、そろそろ・・・帰ります。」
隣りにずっと座っていた課長へと伝えると、課長も腕時計を確認した。
「そうか、もう時間か。」
「はい。」
返事をして、幹事である住田さんに一言だけ言って帰ろうと立ち上がった。
すると、目敏くそれに気づいた住田さんが慌てて近寄ってきた。
「え!樋野ちゃん、もう帰るの!?」
「あ、はい。終電の時間があるので・・・すみません。」
「マジかー。じゃ、気を付けて帰ってね。」
至極残念そうに表情を歪めながら住田さんはそう言ってくれた。
そこでふと気づく。
「あ!あの、会費を・・・。」
「え、ああ、いいよ!いい!樋野ちゃん、飲んでないでしょ?」
「それに食べてもないな。」
住田さんの言葉の後に課長が付け足す。
「でも・・・。」
「大丈夫。課長だってああ言うくらいだから。」
「樋野、これも‘男のプライド’だ。」
そう言って課長が意味ありげな笑みを浮かべた。
その表情にドキリと胸が脈を打ち、慌てて誤魔化すように頷く。
「すみません・・・ありがとうございます。」
さらに周りの人にも軽く挨拶をして最後にちらりと益子さんの姿を視界に入れる。
飲み会の間、一度も話すことなく、視界にも入れないようにしていた。
視線が絡み合ってしまったら、どうすればよいか本当に困るからだ。
でも、当の本人は営業の男性達と盛り上がっていて、午後のあの時間が存在しなかったかのように話に花が咲いている。
少しだけほっと心が軽くなった。
気持ちを切り替え最後にもう一度、皆に会釈をしてから賑やかなその空間から体を切り離した。
お店の外に出ると、押さえていた感情が俄かに顔を出す。
課長の表情一つで胸が騒めき、落ち着かない。
どうしよう・・・ダメだってわかってるのに・・・
ずっと背けていた気持ちが独りで走り出す。
まだ傷つけば、今度こそ忘れられるだろうか。
ふとそんな考えが浮かび上がったが、それを置き去りにするかのように無意識に歩き始めた。
すると、
「樋野!」
後ろから声が聞こえて、それが誰なのかすぐにわかった。
振り返ると予想した人がすぐ近くまで走ってきていた。
「課長?」
「これ、渡しとく。何かあったら連絡しろ。」
そう言って名刺を渡された。
「大丈夫だとは思うが、一応な。じゃ、気を付けて帰れよ。」
そう言って課長はすぐに店へと戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、手にした物の重みを感じていた。
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