睡蓮

樫野 珠代

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本編

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月曜日。
朝礼が終わると同時に益子さんとともに課長に呼ばれた。
なんだろう。
不安に思いながら課長のデスク前に行くと、
「益子、金曜日に君が作成した和田の見積書だが、金額の一部が一桁違ってたぞ。寸前で樋野が発見したから良かったものの、もし気付かなかったら大変な事態になっていた。もう少し緊張感を持ってやれ。」
「え?うそ!課長、すみません!」
「謝罪は和田と樋野に言え。二人はその対応で大変だったんだからな。」
「樋野さん、迷惑かけてごめーん。」
「い、いいえ!たまたま見つけただけですから!」
「それから今それぞれが抱えてる案件と受け持っている仕事の洗い出し、あと今日から毎日、それぞれのスケジュールを提出してくれ。出来るだけ詳細に。」
「私たちの、ですか?」
「そうだ。今、課の体制を少し変えていく方向で話が進んでいるのは知ってるな。営業の人間は日報を書かせているからそれで日々の把握は出来るが、君達の細かい仕事の把握には至っていないのが現状だ。君達の作業の見直しをした上で、全体の体制見直しに入ろうと考えてる。何か質問は?」
「いえ、特にありません。」
「ないです。」
「では、提出は退社時までに。仕事に戻っていいぞ。」
「はい。」
課長のデスクを後にして仕事の続きを再開しながら、今日の予定を頭に一瞬、浮かべる。
スケジュールの報告をしなくてはいけない。
その仕事が一つ追加された。
今日は終電に間に合うだろうか。
益子さんが和田さんに平謝りしているのを目の端に捉えたけれど。
時間は待ってはくれない。
急いで目の前の仕事に取り掛かった。



午後7時半。
ようやく普段の仕事が終わり、ほっとしつつも最後の仕事、今日のスケジュールをまとめなければ。
そう思い、社内用の報告書をパソコン画面で立ち上げる。
今日の仕事はやりながらメモっていたおかげで、時間をかけずに済みそうだ。
そう思っていると、
「樋野、まだいたのか。」
その声に思わず驚いて、体を震わせていた。
誰なのか、すぐにわかった。
課長だ。
慌てて立ち上がり、
「す、すみません、あと今日のスケジュールを書いて提出するだけなのですが。」
そう言うと、課長はすぐ傍まできて、備忘記録として書いてあったメモを取り上げた。
「・・・・・なるほど。これでわかったから、もう帰っていいぞ。」
「え、でも・・・。」
「提出したのも同然だ。ほら、早く帰って休め。明日もまだあるんだから。」
「は、はい。」
そう言って私を追い立てる。
これが課長なりの気遣いだという事はわかるし、それに逆らう理由もない。
慌てながら机の上を整理する。
そして、デスクに戻った課長に向かって
「ではお先に失礼します。」
そう告げると、課長は少しだけ口角をあげて
「お疲れさま。」
と返してくれた。


駅に向かいながらいつもと違う感覚に戸惑う。
胸の奥がトクトクと甘く温かな音を奏でている。
さっき見た課長の表情のせいだ。
帰り際に見せた、僅かな微笑み。
原因はそれだとわかっている。
だって過去に一度、同じ経験をしたもの。
相手の表情一つで自分の中で揺らめく気持ち。
あぁ、これが恋なんだって初めて理解して。
あの時は、すぐに木端微塵になってしまったけれど今は・・・・まだ気づいたばかりで。
だけど。
もう一人の自分が警鐘を鳴らす。
これ以上はダメ。
また傷つきたいの?
しかも同じ相手に。
そう問いかけてくる。
わかってる、無駄だって。
どんなに想ったとしても、課長から見れば私はただの部下でしかない。
それがわかってても、進み出した想いは経験の少ない人間にとっては止める事なんて出来ない。
どうして・・・よりによって課長なのだろう。
どうしたらこの想いは止められる?
誰か、教えて。




 



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