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本編
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しおりを挟む「すまないな、騒がしくて。」
「い、いいえ。」
むしろ場が和んで助かったというか。
普段、誰かと長く話すということがないせいでこういう時、何を話して場をつないでいるのか不思議でならない。
だから杉森さんの存在がなくなった今、どこか居心地が悪い。
「ほら、冷めないうちに食べよう。」
「あ、はい。」
課長に促されるまま、鍋定食を食べ始める。
みぞれ鍋のようで大根おろしで鍋の表面が覆われていて、中に何が入っているのかわからない。
でもそれが食べる側の心理を擽る。
何が入っているのか楽しみ。
それに美味しそう・・・
思わず箸が進む。
「・・・おいしい。」
呟いた私を課長は静かに微笑んで見つめている。
そんなに見られると食べづらい・・・
自然と箸の動きも遅くなる。
私の気持ちを理解したのかどうかは定かではないけれど、課長は暫くすると自分も徐々に食べ始め、いつしか焼き魚定食は完食していた。
そして隠れメニューと称されたものは、『トロトロオムライス』らしく課長がそれに手をかけようとしていた。
見るからに美味しそうで、ついついそのオムライスに目が行く。
すると課長が苦笑しながら私に差し出してきた。
「樋野、食べてみるか?」
「え?いいえ!それは課長ので私は・・・。」
「いいから、遠慮するな。これ、この店で一番上手いんだ。食べて損はないから。」
その言葉に、私の気持ちが負けてしまった。
「じ、じゃあ・・・・少しだけ。」
そう言って、テーブルに置かれていた取り皿に少しだけ分けてもらい、それを口にしてみる。
「これもおいしい・・・。」
少ししか口に入れていないのにも関わらず、オムライスがあまりに美味しくてため息が出た。
そんなときに聞こえてきたのは、忍び笑いに近い課長の笑い声。
「くっ、樋野は面白いな。あの時と全然変わらない。」
「え?」
「意外と天然で面白い、前にそう言っただろ。」
「あ・・・・。」
あの日のことだ。
車の中で課長は確かにそう言ってた。
自分ではそれが正しいのかわからない。
そこまで親密に人と接したことがなかったから言われる事もないし。
そしてその後・・・・キスされたんだった。
その時の事を思い出して、思わず顔が熱くなった。
課長も当時のことを思い出したのか、コホンと咳払いをした。
「あの時は、単純に『加藤清香』と思ってたからなんとなく違和感はあったけど、あれが樋野なら納得できるし、すんなりと受け入れられる。そうだな・・・樋野で良かったと今は思ってる。まぁ、樋野にとっては災難でいい迷惑だっただろうけどな。」
そう言って申し訳なさそうに眉を下げた。
食事も終わり、課長が時間を確認した後、
「そろそろ行くか。」
と腰を上げた。
その行動に私は遅れをとってしまい、コートを着て店の出入口に着く頃には既に会計を進める課長がいた。
「あ、あの!いくらですか?半分払います。」
慌ててバッグから財布を取り出し、課長を見上げると
「今日は俺の奢り。と言ってもほとんど俺が食べたからあまり奢りとは言わないな。」
「そんな、悪いです。」
「気にしなくていい。一応、これでも樋野よりは稼いでるし、上司としては当然のことだろ。」
「でも・・・。」
食い下がる私をよそに課長はさっさと会計を済ませてしまった。
そんな私たちのやり取りをすぐ横で聞いていた杉森さんは苦笑している。
「樋野ちゃんって言ったっけ?ここはありがとうって言ってニッコリ笑顔を向けとけばいいんだよ。それで男は満足するから。これも男のちっちゃなプライドみたいなもんだ。素直に受け取っておきなよ。なぁ、晃貴?」
「本来なら久しぶりに友人が来たんだから、店主であるおまえが奢ってもよさそうだけどな。」
課長の発言に杉森は一瞬目を泳がせ、そしてすぐに営業スマイルを張り付けると仕事モードで私たちを外へと追い込んだ。
「えー、またのご来店、心よりお待ちしております。ご利用ありがとうございましたー!」
課長はフッと鼻で笑いながら、流れに従っている。
それに続き、私も外へと出た。
杉森は手を振りながらも、心なしか扉を閉めるのが早かったような気がする。
その視線を課長へと戻し、
「ご馳走様でした。ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
軽く頷いた課長はそのまま、車へと向かって歩き出す。
その後ろ姿を見ながら、私はなんとなく今日の山場を終えたような気がしてほっと息を吐いて、課長の後ろについていった。
「じゃあ、ゆっくり休んで。」
家の前で車を止めると、課長はそう言ってこちらを向いた。
私はシートベルトを外しながらお礼を口にする。
「あの、送って頂きありがとうございました。助かりました。」
「助かったのはこっちの方だ。あのまま樋野が気付かなかったら、大変な事になってたよ。上司として礼を言うよ。」
「いえ、たまたま気付いただけなので。それじゃあ失礼します。お疲れ様でした。」
「ああ、お疲れ。」
私が車を降りドアを閉めると、車はゆっくりと発車した。
自分の部屋に入ったとたんに力が抜け、へなへなと座り込んだ。
遅めの夕食の後の車内は、驚く事に以前のような緊張感はなかった。
課長を怖いと思うこともなく、ただ男性と二人きりという意味でドキドキしたくらい。
あの日の事を含めて、課長の過去を聞いたからだろうか。
ある意味、とても深いというか、苦い過去で。
少なからずその過去に私自身が関係してるということが今でも信じられないくらい。
何より今はなぜか清香ちゃんの事を想う課長がいたことが胸の奥をチクリとさせる。
その痛みを振り切るように、のそりと立ち上がり、服を脱ぎ捨てた。
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