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本編
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しおりを挟む個室は言わば牢獄に近い。
特に二人きりだと逃げられるチャンスが限りなく低い。
背中にジワリと汗が滲むのを感じながら、心臓から聞こえてくる音をBGMにしていた。
目の前に座る課長の表情は読めない。
その課長の口が開き、
「料理が来るまで男の幼稚なプライドについて話そうか。」
いきなり予想しなかった話題に頭で考えるより先にコクンと頷いてる自分がいた。
「たぶん理解できないだろうけど、少なからず男ってやつはプライドを持っていて、それが時には仇になる。それでも捨てきれないんだ。」
そこで一旦区切って、課長はお冷を少し口に含むと、また話し出した。
「ある高校の男子学生がいた。そいつはずっとサッカーに夢中で、部活ももちろんサッカー部で朝から晩までサッカー漬けの生活だった。そのおかげか、2年になる頃にはレギュラーには必ず名前を連ねていて本人も当然のようにそれを受け入れていた。そんな男が3年に上がって、応援にきていた2つ下の女子生徒の一人に一目ぼれをしたんだ。その女性も週に何度かサッカー部を見に来ていて、そいつは淡い期待を持ったんだ。ひょっとしたら俺を見に来てるのかもしれないと。当時、その男の親友も同じサッカー部にいて、サッカーの腕もかなり高くて良いライバルだった。相手が誰なのかは伏せつつその女性の話をその親友に何度もしていた。親友は何度も彼女に告白しろと発破をかけていた。色んな悩みを打ち明けていたくらいその親友を信頼していたし、そいつ自身もまんざらじゃない。そして親友の言う通り、告白した。」
コクリと課長の喉が鳴る。
どこか緊張したような、固い声で淡々と語っていて、口を挟む雰囲気じゃなくて。
ただ静かに課長の話に耳を傾けていた。
「案の定というか、彼女の返事はNOだった。そいつのことをよく知らないから、という理由だった。失恋なんて初めてのことで落ち込んだそいつを親友はよく励ましていた。追い立ててしまったという負い目があったのかもしれないが、それでもそいつは親友の励ましがとても有難かった。そして再びサッカーに夢中になった。しかし、1か月後、その女は、その親友に告白をした。もちろん親友はそいつの相手がその女性だとは知らない。浮かれながら付き合う話をする親友にそいつは一緒に喜んだ。ただ、そいつの心の中は複雑で静かな怒りが渦巻いていたが。その女性に“よく知らないから”と振られたのに、その女性はよく知らない親友へ告白したんだ、当然、納得できないものがあったんだろうな。それでも親友の幸せを願い、その女性との事は話さない事に決めたんだ。で、親友はどんどんその女性に溺れていった。最終進路を決める時期になっても親友はその女性を優先して、結局、ボロボロになって戻ってきた。」
「え・・・。」
「振られたんだよ、一方的に。おかげで受験はボロボロ。ずっと無気力で。さらに信じられなかったのは、その女性が別の高校の男とすでに付き合い始めていたことだった。相手はその時、地元の高校で割と有名だったバスケの選手。当然、そいつは親友を慰めようとした。しかしその親友は聞く耳も持たない、というよりショックが大き過ぎて、誰とも会おうとはせず、とうとう卒業を迎えた。結局、そいつは大学へ、その親友は浪人することになって会うことはなくなった。」
課長の話は考えていた以上に重く、胸の中に沈み込んでいく。
私があの日、課長から受けた言葉なんて、その親友に比べたら全然軽いものだ。
ただ私が世間慣れしてなくて、さらに恋愛経験すらなかっただけ。
たぶんあれが清香ちゃんなら、言い返して終わりだと思う。
そんなことに今更ながら気付いた。
「普通ならここで終わりになりそうだけど、そうじゃない。そいつは大学に行ってからも、違う大学に通うその女の噂を幾度となく聞くことになった。毎回、コンパに参加して誰かを持ち帰り、そして次にまた別の男と付き合って。そんな噂ばかり。そんな女性に親友は傷つけられたのかと思ったら、いや、そいつは何よりも自分がそんな女性に告白をして振られたことが許せなかったんだろうな。それが所謂、男のプライドだ。しかもすごく幼稚な、ね。いつか、その女性がズタズタに傷つけばいい、そう思うくらいに。」
その男性を嘲け笑うかのように課長は口端を上げる。
それを何も言えずに見つめる事しか出来ない。
課長も私が言葉を紡ぐことはないとわかっているのか、同意を得ようとしたり、問いかけたりしない。
あくまで古い記憶の話をしている、そういう感じ。
ただ遠くを見つめるように視線を部屋の片隅に向けて。
「そんな時、無理やり参加させられることになったコンパにその女性が来るということになった。そこでそいつはふと思いついたんだ、少しだけ痛い目に合わせてやろうってね。当日、数年ぶりにその女性と再会した。相手は当然そいつの事なんて覚えてなくて、しかも印象がかなり変わっていて誰だかわからないくらいだった。違和感は否めないけれど、その時のそいつの頭の中は幼稚なプライドを満たす事しか頭になかったんだ。だから帰ろうとするその女性に自ら声をかけた。思わせぶりに近づいて、そして送る口実に車に乗せて。その女性を誘惑した上で、最後は酷い言葉で傷つけた。」
そこまで聞いた時、ふと思い出す記憶があった。
あまりにもあの日の自分の体験と被っている。
「車から立ち去るその女性を見ながら、罪悪感が体中に渦巻いた。居ても立っても居られず、そいつは次の日にその女性の大学に向かった。そして知った事実が余計にそいつを苦しめた。コンパに参加した、その女性と思っていたのは実は別人がすり替わっていたんだ。そいつは関係のない人物をただ自己満足の為に傷つけた。」
そう言うと、それまで視線を逸らせていた課長が真っ直ぐに私を捉えた。
「あの時の『加藤清香』は、君だろ?」
ゆっくりとした口調で課長は問いかけてくる。
話に出た親友と付き合った『その女性』とは清香ちゃんで、『そいつ』は間違いなく課長。そしてコンパに参加した『その女性』が私だ。
それを否定することを個室の中に漂う雰囲気がさせてくれない。
自然と頷き、
「ごめんなさい。」
そう呟いていた。
すると課長は眉間に皺を作りながら、
「なぜ君が謝る。謝るのは俺の方だろ。あの時、君にひどい言葉をぶつけて本当にすまなかった。」
そう言って、頭を下げた。
それにびっくりして、
「そ、そんな!課長は何も!元々、私が清香ちゃんと入れ替わらなければ課長が私に謝る必要なんてなかったんですから!」
「しかし・・・」
「それに清香ちゃんも悪いんです!だからもう気にしないでください。私も忘れるように努力しますから。」
「・・・・努力か。君が俺を怖れるのはやはりあの時のことが原因・・・だろうな。」
そう言われてどきっとした。
やはり怖がっているのに気づいてたんだ。
真相を聞いた後だけになんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「もし俺の元で働くのが辛いのなら言ってくれ。他の部署に配属できるように手を打つから。」
「い、いいえ!だ、大丈夫ですから!」
課長のあまりの気遣いに恐縮しっぱなしだ。
そこまで気に病んでいたなんて思わなかった。
それだけ傷つけた事を課長が後悔してるということなのだろう。
きっと本来はそういうことが出来ない人なのだ。
課長は男の幼稚なプライドだっていうけれど、課長の気持ちはなんとなくわかる。
話を聞いただけでも、私だって清香ちゃんに怒りを覚えたもの。
もしかしたら清香ちゃんにも何か訳があったのかもしれないけど。
その時、タイミングを見計らったかのように食事が運ばれてきた。
当然のように先ほどの男性が配膳をしていく。
「おまえ、話聞いてただろ。」
「なんのことでしょう。」
課長の問いかけに男性はとぼけている。
「今のタイミングで食事を持ってくるなんて出来過ぎだ。それに、ドアのガラス部分に影が映ってたんだよ。」
そうだったんだ。
私の後方に扉はある。だから私からだと完全に死角になるから気付かなかった。
「あちゃー、ばれたか。いやね、やけに深刻な話をしてるなぁと思ったから、声をかけそびれてさ。でもって内容が俺のよく知るお話だったし、それをなぜ今頃?っていう興味もあってね。」
そう言って配膳が終わっても戻る気配のないその男性。
さっきの話を知ってるということは、課長とは昔からの知り合いなんだ。
そんなことを考えていると、その男性が私に向かってニカっと笑う。
「自己紹介が遅れました、ここの店主をしてる杉森 創史です。ちなみにさっき話してた、失恋したこいつを慰めた優しい親友というのは俺ね。」
「同じ女にボロボロにされて帰ってきたというのもこいつだ。」
「ひっでー。人の古傷を。」
「おまえも人の事言えないだろう。」
「・・・それもそうか。」
二人のやり取りを呆気にとられて見ていたけど、次第に可笑しくなり、とうとう噴出してしまった。
すると二人の会話はピタッと止み、視線が私に集中した。
「あ・・・すみません。」
慌てて表情を作り、視線を落とす。
僅かな沈黙のあと、課長のため息が漏れ
「創史、さっさと仕事に戻れよ。邪魔だ。」
「へいへい。どうせ俺は邪魔者ですよ。ったく、人の店でデートなんかするなよなー。」
愚痴をこぼしながら杉森さんは扉の向こうに消えていった。
そして個室の中に再び静寂が訪れた。
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