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本編
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しおりを挟む部署が変わって3ヶ月が過ぎて、とうとう早見さんの最終出勤日がやってきた。
詰め込むだけ詰め込む、そう言った早見さんの言葉どおり次から次へと覚える事で頭がパンクしそうだった。
とりあえず聞ける内にできるだけ聞いておこう。
そう思ってひたすら質問し、そしてノートにメモる。
その繰り返し。
とりあえず営業課に在籍する人の顔と名前はちゃんと覚えた。
とは言っても会話はほとんどしていない。
最初のうちは、色々と話しかけられたけど、それもほんの数日。
皆、私が話すのが苦手だってわかったみたい。
それからは早見さんへと仕事の指示がきて、そこから私へと伝わる。
伝言ゲームみたいに。
でもそれも今日まで。
明日からは私に直接やってくるのだ。
少し怖い気もする。
夕方になると早見さんの送別会が会社近くの飲み屋で行われた。
私は早見さんの隣りに座り、ウーロン茶をチビチビと飲んで時間を過ごす。
周りは送別会と称した飲み会になっており、営業課と言うだけあって飲む事に関して鍛え上げられてるらしく皆、全然酔った雰囲気がない。
それでもハイテンションではあったけれど。
「樋野さん、明日からお願いね。」
ふいに早見さんから声をかけられ、
「あ、はい。」
慌てて頷いた。
それを見て微笑む早見さんは、
「と言っても仕事の方は全然問題ない感じだから心配はしてないけど。」
「そんな事・・・。」
「ううん。この3ヶ月見てきた私が言うんだから間違いないわ。それに比べて・・・・。」
そこで早見さんの視線がやや離れた所へと移った。
自然とその視線の先をみると、課長に愛想よくお酒を注いでいる益子さんの姿があった。
「はぁ、1年以上いるし、後輩も入ってきたんだから焦って仕事を頑張ってくれると少し期待してたんだけど・・・・・・淡い期待だったみたい。」
「え?」
「彼女のことよ。仕事では頑張んないのにどうしてこういう時だけあんなにも行動派なのか、ホント呆れるわ。明日から確実に彼女の分が樋野さんにまわってくると思うの。必要のない負担がかかると思うと不憫だわ。」
そう言って頭を振った。
この時のなぎさにはまだその言葉の意味がよくわからずにいた。
実際に身を持って理解したのは1週間を過ぎた頃。
「ねぇ、樋野さん。これってどうするんだっけ。」
そう言って益子さんが聞いてきたのは5分前。
そして今、なぜか益子さんの仕事を自分がしている。
さらに当人は不在。
行先は不明。
「あ!会議室の準備を課長の頼まれてたんだ!忘れてた!これお願いしてもいい?」
そう言って消えたままなのだ。
思えば昨日も同じような事があったような気が・・・。
そんな事が頭を過ぎったが、今はそんな事に時間をかけている暇はない。
黙々と益子さんの仕事を進め、ようやく終わったと思い、自分のデスクへと戻るとそこを離れた時とは変わらない仕事の山が私を待っていた。
「はぁ・・・。」
溜息も吐きたくなる。
けれど、放置するわけにもいかない。
結局、定時を知らせるベルも無意味なほど仕事は終わりを告げず残業を余儀なくされた。
そんな私の耳に、
「よし!終わった。」
そんな喜ぶ声が聞こえ、チラッと見るとすでにデスクの上は綺麗に、かつ、パソコンしか置かれていない状態で益子さんが立ち上がっていた。
そして、
「あれ?樋野さん、今日も残業なの?」
「はい。」
「そっか、大変だね。あんまり無理しないでね。」
そう言って帰って行く益子さんの背中にこっそりもう一度ため息を吐いた。
そうして気がつけば1ヶ月が経っていた。
その間に部署の中での私と彼女との役割というものが暗黙の了解のように決まっていた。
デスクワークは私の仕事。
部署に訪ねてくる人達の接客、会議室の準備と片付け、給湯スペースの整理、備品の管理、他部署との連絡は彼女の仕事。
人付き合いの苦手な私にとっては、ある意味助かる分担だった。
話す相手は同じ部署の人達のみ。
あとは黙々と自分のペースで仕事が出来る。
彼女もきっと難しい書類を見るよりも人と話したり、綺麗にしたりという仕事の方が明らかに向いている。
二人の得手不得手を考えたら、この役割分担も納得だ。
けれど。
その『話をしなければいけない同じ部署の人』の中に当然“彼”も含まれていて。
「樋野。」
呼ばれる度に顔が少し強張る。
「は、はい。」
「悪いけど、この資料、揃えておいて。」
課長の声に敏感すぎるのだけはどうしようもない。
最初の頃よりは免疫が出来てると思う。
体が震えなくなったから。
でも気を抜くとすぐに反応できない。
他の人と話すのは慣れた。
ふいに話しかけられても落ち着いて対処できるようになったし。
だけど彼だけは違う。
私の中の過去の記憶が無意識に警戒しろと訴えてくる。
課長のデスクへ向かい、差し出された書類を受け取ろうとした時、
「益子は?さっきから見当たらないけど。」
課長の問いかけに一瞬、言葉に詰まる。
「と、特に聞いてませんが。」
「・・・そうか。」
これ以上、何か聞かれても困ると思い、書類を持ってすぐに自分のデスクへと戻る。
彼女が今どこで何をしているかなんて知るわけがない。
気付くといつもいないし、いないとしても別に気にならない。
そもそもそういうことを気にする余裕が今の私にはないもの。
それほどやらなければならない仕事が目の前に山積みだから。
時間だって限られている、特に私の場合、他の人よりも余計に。
私は実家から通勤していて、その実家というのがこの会社からでは遠い。
通勤時間で言うならば片道2時間半。
普通なら会社から程近い場所に部屋でも借りるのだろう。
けれど性格的にも、ましてや人付き合いや会話などが苦手な自分にとっては『部屋探し』という作業でさえ不可能に近い。
結局、実家という選択肢しか残っていなかった。
今日も定時退社は無理だろうな。
そう思ったのはまだ太陽が真上にあるような時間帯だ。
ちょうど遅めのお昼を買いに会社を出ようとした時、
「なぎさ!」
ふいに名前を呼ばれた。
しかも名字でなく下の名で。
そんな風に呼べる知り合いは限られていた。
声の主を振り向き、
「清香ちゃん。」
驚きと困惑の表情を浮かべる。
なぜここに・・・?
そんな疑問から始まり、じわりと言い様のない不安が広がる。
そんな私を余所に清香ちゃんは満面の笑顔でなぎさに近づいてきた。
「よかったー、入れ違いにならなくて。」
「ど、どうしたの?何かあった?」
「ううん。近くまで来たから、なぎさとランチでもしようかと思って。」
「あ・・・ごめん。今日はちょっと無理なんだ。」
咄嗟にそう言って断っていた。
きっと体が拒否してたんだと思う。
清香ちゃんと一緒にいることを。
だって相変わらず綺麗なんだもの。
いつも髪型を変えて、洋服だってオシャレで、自分を楽しんでいて。
だからこそ苦手だった。
清香ちゃんと一緒に居る事が。
どうしても目立ってしまうから。
ひっそりと生活したい私にとっては、一番避けたいシーンだ。
「えー、せっかく来たのに。」
そう言って口を尖らせる清香ちゃんに手を合わせて謝る。
「ごめんね。仕事が溜まってて時間がないんだ。」
「そっか、じゃあ仕方ないか。で、今からお昼を買いに行くんでしょ?じゃあそれに付き合うよ。久しぶりに会えたんだし、話しながら行こう。」
「う、うん。」
さすがにそこまで言われたら断れない。
ならば、出来るだけ早くこの状況から逃れる事を考えよう。
そう心で決めると、清香ちゃんを伴い、会社を足早に後にした。
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