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二人の王子中編
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しおりを挟む新たな日常は平穏に過ぎていった。
いつの日か精神世界の中でも時間の感覚がハッキリとしてきて、彼女は少年の思い出の小屋で過ごす日々を楽しんでいた。
太陽を見上げ、庭に出て花の匂いを嗅ぐ。
時折り白い一羽の大きな鳥が空を飛び、周りをぐるぐると回るのを彼女は眺めて楽しんだ。
それは彼女が初めて過ごす平和だった。
しかし、そんな平和は唐突に終わりを告げる。
少年の体の中から悪魔の魂がぬきとられたのだ。
彼女は再びア・シュドラになった。
少年の精神世界を名残惜しむことはなかった。
外に出れば自分の役目はハッキリとしている。
主のために働くだけだ。
そこに感情を持つことは許されない。
ただ、心の奥の隅の方で何かが引っかかったような気がしていた。
シュドラは新しい体を貰った。
主が用意した新しい体は魂とよく馴染み、悪魔の世界にいた時と同等か、あるいはそれ以上の力を出せるようになった。
美しい少女の肉体だった。
鍛えられてはいないが洗練された魔力の冴えはシュドラが肉体に入ってからも健在だった。
しなやかな指から繰り出される魔法はきめ細かくコントロールされていた。
それほどの体だというのにシュドラにはやはり借り物のように感じられた。
少年レオンの精神世界から解放されてから、シュドラにはもう一人気になる人物がいた。
レオンとは違い、どこか影が差す男。ディーレインである。
気になったのはディーレインがとても寂しそうな目でシュドラのことを見つめるからだった。
自分の借りている肉体がディーレインの妹の物であることは後から知った。
それを知った時、シュドラはなんとなく腑に落ちた気がした。
見つめるディーレインの瞳が気になった理由は決して嫌だったからではない。
懐かしかったのだ。
レオンの精神世界で過ごしたあの小屋のような印象をディーレインの視線からも受けたからだった。
それだけでディーレインにとって妹の肉体がどれだけ大切なのかがわかった。
決戦の直前。
シュドラはディーレインの部屋を訪れた。
呼びつけるというのは口実で、本当はただ足が向かったのだ。
ディーレインは眠っていた。
うなされているようだった。
シュドラは指を伸ばし、ディーレインの頬に触れる。
それだけでディーレインは安らかな寝顔になった。
「愛おしい」と感じた。
それが自分の気持ちではないことはわかっている。
肉体に刻み込まれた愛情がシュドラの魂に干渉しているのだ。
妹もまた兄を何よりも大切な存在だと思っていたのだとシュドラは知る。
主の予想通り、戦いは始まった。
二人の王子を巡る戦いは表向きのもので、裏では悪魔と人間の戦いが始まる。
主はもう一度人間を捕え、悪魔の世界を作ることを望んだようだ。
シュドラは不安だった。
自分の中に生じた迷い、恐れ。
そういった感情を主は見抜いているのではないかと。
一度失敗をしているシュドラに再び失敗することは許されない。
主の意思に背くわけにもいかず、シュドラは戦いに赴いた。
相手は若い魔女だった。
才能があり、技術も持っている。精霊の力を宿した強者だったが本気でやれば勝てない相手ではなかった。
シュドラは本気が出せなかった。
若い魔女の魔法が自分の体に掠った時にシュドラの脳裏をある思いが駆け抜ける。
「いけない。ダメだ。この体を傷つけては……」
肉体は借り物。そして、その肉体を大事に思っている者がいる。
その考えが頭に浮かんだ時、シュドラは戦えなくなった。
攻撃を極力避け、魔法は全て受けた傷を癒すことに使う。
そんなことをしても意味がないとわかっている。
それが主の意思に背くことだとも気付いていた。
しかし、止められなかった。
結局追い詰められ、死の淵に立たされた。
ここまでかと諦めた時、彼女は詫びた。
ディーレインに対する謝罪だ。
「この体を守れなくてすまない」と。
だが死なず、再びの窮地を迎えた時今度はこう思った。
「またあの優しい世界で暮らしたかった」と。
ルイズが降り注ぐ瓦礫を魔法で撃ち抜いた時、シュドラの魔力はもうほとんど残っていなかった。
魔力切れで薄れていく意識の中、シュドラの瞳から一雫の涙が落ちた。
♢
目が覚めるとそこは外ではなかった。
柔らかいベッドに清潔なシーツが敷かれ、シュドラはその上に寝かされていた。
天井が見える。知らない天井だ、王宮ではない。
シュドラは首を横に動かそうとして、力が全く入らないことに気が付く。
魔力切れのせいではないらしい。
手首と足首に紐のような物が巻き付いた感触があることからシュドラ自分が縛られているのだとわかった。
「ごめんなさいね。一応縛らせて貰ったわ。吸魔草で作られた縄よ。魔力を練ることはできないはず」
不意に声をかけられて視線を動かす。
足元の方から誰かが近寄ってくる。
声の主はシュドラの枕元にあった椅子に腰掛けた。
女性だった。
戦った相手、ルイズではない。
けれどどこか見覚えがあるようにシュドラは感じた。
「お前……」
「覚えているかしら、あなたが五年前に乗っ取ったのはわたしの体なの。アイリーン・モイストよ」
シュドラに声をかけたのは魔法学院の教師であるアイリーン・モイストだった。
シュドラはすぐに思い出す。
見覚えがあるはずだった。一時とは言え、その体に入っていたのだから。
それがわかってからシュドラはこの先の展開を予想した。
身動きのできない状態で目の前にいるのはかつて無理矢理に体を乗っ取った相手。
恨まれているのは容易に想像できる。
となれば、この先に易しい未来が待っていないこともわかる。
甘んじて受け入れようとシュドラは思った。
「報い」という言葉があることをシュドラは知っていた。
他者の肉体を無理矢理乗っ取り恨みを買った「報い」。
感情に任せて主の意向に背いた「報い」。
それに抗うつもりはない。
「さぁ、やってくれ」と言わんばかりにシュドラは目を瞑り大きく息を吐いた。
しかし、アイリーンは心配そうに覗き込む。
「どうしたの? 傷が痛むかしら。魔法で受けた傷はほとんど治したと思うのだけど」
今度はシュドラが不思議そうなかおになる。
治した? 彼女が? 私を?
「恨んでいないのか」と聞きそうになってシュドラはそれをグッと堪えた。
愚問だ。恨んでいないわけがない。
それでも助けるのは彼女が人間だからだ。
理性的で、気高い。
強い生き物だからだ。
いう言葉に詰まって、シュドラは「ここはどこだ」と短く聞いた。
「魔法学院よ」とアイリーンが答える。
倒れたシュドラをここに連れてきたのはルイズだった。
学院ならば吸魔草があるだろうと推測し、拘束するために連れてきたのだ。
そして、アイリーンから先ほどまでここでレオンとディーレインが戦っていたことを聞いたルイズは二人の後を追っていった。
「魔法……学院」
天井を見つめながらシュドラは呟く。
その名前を知っている。
多くの魔法使いがいるために、悪魔の器となる人間が多いのではないかと当たりをつけていたところだ。
レオン・ハートフィリアが通っていた場所でもある。
「まさか、ここに運ばれるとは」
シュドラは目を閉じる。
体の力が抜けていく感じがしたのは吸魔草のせいだけではないだろう。
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