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20代の金の使い方
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金で買えるもののなかで、私が最も重視するのは「我慢」である。
新幹線での指定席、飛行機でのランクがまさにこれである。サービスもそうだが、なによりも我慢せずに済む空間に対してのギャラなのだ。
いびきの煩い客、マナーの知らない子供や異臭を放つ中年者にたいして我慢しなくて済むならば、安いものだと言える。
注意するのも、我慢して堪えるのも、
どちらも自分にとっては負荷があるからだ。
二十歳を過ぎた頃。
社会人として、働き始めたばかりでまだ学生気分の抜け切っていない私は、よく寂しさを覚えていた。慣れないひとり暮らしから来るものもあったかもしれない。ふとしたときに、みんな、何しているかな。会いたいな、と思うことが多くあった。大人になると、途端に、今まで同じ路線にいたのがまるで嘘のように、それぞれの道を歩み始める。高校のあとの大学進学、社会人、早々に結婚する者や、引っ越す者、海外へ渡る者。あまりに多種多様だ。いや、もともと、そうであったけど、学生のころは、もっと、それがうまいこと誤魔化されていた気がする。
ある日、久しぶりに学生時代の友人ふたりと仕事帰りに会うことになった。
急な予定だった上に、週末だったので、良い店は予約が取れなかった。仕方なく、もうどこでもいいかとなってよくあるチェーン店系の大衆居酒屋に入ることにした。
そこには酔っぱらった会社帰りの人々、大学生くらいかと思われる若者、中年のおやじ、主婦、打ち上げと思われる会に集まる統一性のない雑多な集団、色んな人が入り混じっていた。
席へ案内されると、そこは互いの距離が近く、隣の話し声も笑い声も食器の音も、周りの足音から、うるさく響いているような空間だった。
こんな場所で、いったい何が話せるのだろうか、と思ったが、
不倫か浮気か、下品ないさかい、身近な人の悪口や会社の愚痴なら、うってつけなのかもしれなかった。
早々にうんざりし、私は表のかおは笑顔でいたが、心の中ではキレていた。
それは友達との会話、この時間を楽しもうとするための笑顔と、
それに反してそぐわない環境に対してのズレからきていた。
だが、友人との会話はそれをすぐに忘れさせた。
と、同時に懐かしいことも思い出させた。
高校も3年に上がる頃である。
当時、私は学校へは行っていた。が、授業は、好きな教科と、単位が心配なものと、
受けておいた方がいいと思われるものだけを厳選して受けるようになっていた。
単位と成績において心配がない教科、必要と思われない教科に関しては、
積極的サボりを行っていた。そうするべきだった。
そして、何をしたかというと、当時好きだった英語の勉強を
学校ではなくカフェでやっていた。卒業後、渡米の予定があったからだ。
そして、友人はというと、高校をサボり、大学で講義を受けていた。
なんでもありだった。そうして、それぞれの時間を過ごし、夜になると、
待ち合わせをして、一緒に食事をした。時間を忘れて電車を逃せば、
そのまま友人宅に泊まり、翌日は自転車の後ろに乗せてもらって登校した。
そんな10代のなんの根拠もない無敵感と自由さと行動力は、
今では、もうすっかりなくなっていたが、
学生時代の友人と会うと、ついそんな数々が思い出される。
これが、学生時代に友人を持つことの意義であると思われた。
しばらくして、トイレのために席を立つと、ひとりの男が声をかけてきた。
なんと返したか、どうでもいい、と
流していたら、席はどこかと聞かれたので、私はあっち、と適当に指差した。
早くどこかに行ってもらいたかった。
そして、再び席に戻ると、先ほどの男が私たちの席に座っていた。
なんて、不粋なやつ。呼ばれてもないくせに、我がもの顔で居座っていたのだ。
これはある種、呼ばれない者の特権である。呼ばれないからこそでしゃばり、まるで自分が人気者であるがごとくの態度をとってアピールをするのだ。そうして、存在感のない者から、目ざわりな者へと新たに自分の立ち位置を確保して、やはり、今後も呼ばれることなどないだろう。
私は、よほど蹴っ飛ばしてやりたい気待ちになったが、ひとまず席についた。友人の2人は適当に返事をしている。それに対してノリノリで話しかけてくるこの迷惑者は、もの凄い速さでまくしたて、あれこれ質問をし、相手の反応なんざ御構い無しに、大きな声で話しかけてくる。酔っているにしてもたちが悪いと思った。
うんざりした私たちが冷たく返事をしていると、しばらくして、その男はもとの席へ帰っていった。
これだ、これだから。こんなところ、もう来たくないと思った。店が悪いのではないが。客層が悪い。どうもダメである。私も友人たちも、もう学生の頃のように、毎日会えるわけではないのだ。だから、こうして予定を合わせて、限られた時間を割いて会っている。
その邪魔をされる理由がどこにあろうか。
「次は個室で」
帰り際、みんな同意した。
価格が高くなろうとも、かまわないと思ったのだった。
金は、こういうことの為に使おうとも思った。
新幹線での指定席、飛行機でのランクがまさにこれである。サービスもそうだが、なによりも我慢せずに済む空間に対してのギャラなのだ。
いびきの煩い客、マナーの知らない子供や異臭を放つ中年者にたいして我慢しなくて済むならば、安いものだと言える。
注意するのも、我慢して堪えるのも、
どちらも自分にとっては負荷があるからだ。
二十歳を過ぎた頃。
社会人として、働き始めたばかりでまだ学生気分の抜け切っていない私は、よく寂しさを覚えていた。慣れないひとり暮らしから来るものもあったかもしれない。ふとしたときに、みんな、何しているかな。会いたいな、と思うことが多くあった。大人になると、途端に、今まで同じ路線にいたのがまるで嘘のように、それぞれの道を歩み始める。高校のあとの大学進学、社会人、早々に結婚する者や、引っ越す者、海外へ渡る者。あまりに多種多様だ。いや、もともと、そうであったけど、学生のころは、もっと、それがうまいこと誤魔化されていた気がする。
ある日、久しぶりに学生時代の友人ふたりと仕事帰りに会うことになった。
急な予定だった上に、週末だったので、良い店は予約が取れなかった。仕方なく、もうどこでもいいかとなってよくあるチェーン店系の大衆居酒屋に入ることにした。
そこには酔っぱらった会社帰りの人々、大学生くらいかと思われる若者、中年のおやじ、主婦、打ち上げと思われる会に集まる統一性のない雑多な集団、色んな人が入り混じっていた。
席へ案内されると、そこは互いの距離が近く、隣の話し声も笑い声も食器の音も、周りの足音から、うるさく響いているような空間だった。
こんな場所で、いったい何が話せるのだろうか、と思ったが、
不倫か浮気か、下品ないさかい、身近な人の悪口や会社の愚痴なら、うってつけなのかもしれなかった。
早々にうんざりし、私は表のかおは笑顔でいたが、心の中ではキレていた。
それは友達との会話、この時間を楽しもうとするための笑顔と、
それに反してそぐわない環境に対してのズレからきていた。
だが、友人との会話はそれをすぐに忘れさせた。
と、同時に懐かしいことも思い出させた。
高校も3年に上がる頃である。
当時、私は学校へは行っていた。が、授業は、好きな教科と、単位が心配なものと、
受けておいた方がいいと思われるものだけを厳選して受けるようになっていた。
単位と成績において心配がない教科、必要と思われない教科に関しては、
積極的サボりを行っていた。そうするべきだった。
そして、何をしたかというと、当時好きだった英語の勉強を
学校ではなくカフェでやっていた。卒業後、渡米の予定があったからだ。
そして、友人はというと、高校をサボり、大学で講義を受けていた。
なんでもありだった。そうして、それぞれの時間を過ごし、夜になると、
待ち合わせをして、一緒に食事をした。時間を忘れて電車を逃せば、
そのまま友人宅に泊まり、翌日は自転車の後ろに乗せてもらって登校した。
そんな10代のなんの根拠もない無敵感と自由さと行動力は、
今では、もうすっかりなくなっていたが、
学生時代の友人と会うと、ついそんな数々が思い出される。
これが、学生時代に友人を持つことの意義であると思われた。
しばらくして、トイレのために席を立つと、ひとりの男が声をかけてきた。
なんと返したか、どうでもいい、と
流していたら、席はどこかと聞かれたので、私はあっち、と適当に指差した。
早くどこかに行ってもらいたかった。
そして、再び席に戻ると、先ほどの男が私たちの席に座っていた。
なんて、不粋なやつ。呼ばれてもないくせに、我がもの顔で居座っていたのだ。
これはある種、呼ばれない者の特権である。呼ばれないからこそでしゃばり、まるで自分が人気者であるがごとくの態度をとってアピールをするのだ。そうして、存在感のない者から、目ざわりな者へと新たに自分の立ち位置を確保して、やはり、今後も呼ばれることなどないだろう。
私は、よほど蹴っ飛ばしてやりたい気待ちになったが、ひとまず席についた。友人の2人は適当に返事をしている。それに対してノリノリで話しかけてくるこの迷惑者は、もの凄い速さでまくしたて、あれこれ質問をし、相手の反応なんざ御構い無しに、大きな声で話しかけてくる。酔っているにしてもたちが悪いと思った。
うんざりした私たちが冷たく返事をしていると、しばらくして、その男はもとの席へ帰っていった。
これだ、これだから。こんなところ、もう来たくないと思った。店が悪いのではないが。客層が悪い。どうもダメである。私も友人たちも、もう学生の頃のように、毎日会えるわけではないのだ。だから、こうして予定を合わせて、限られた時間を割いて会っている。
その邪魔をされる理由がどこにあろうか。
「次は個室で」
帰り際、みんな同意した。
価格が高くなろうとも、かまわないと思ったのだった。
金は、こういうことの為に使おうとも思った。
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