ローワン伯爵

おかゆ

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第三章

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第三章

ネイサンが帰ったあと、自室に戻ったローワンは過ごしやすい服装に着替えを済ませると、グラスにブランデーを注ぎながらさっきまでの友人との会話を思い返していた。喋りすぎたせいか、喉がカラカラであった。最初の一口をごくりと飲み干すと彼はゆっくりとソファに腰掛けた。それにしても、あの双子は、なんとも興味深いではないか。もし本当にあのフローラが悪趣味ないたずらをした犯人だとしたら、いったい何故そんなことをしたのだろう。一体なにが彼女の中で渦巻いているというのだろう。彼女のなかにも、とぐろを巻くような激しい感情があるのだろうか。だとすれば、それはなんなのだろう。あのような完璧を思わせる人物にも苦悩があるのだとしたら、無論あるはずなのだが、それはどんなことだろう。そう思案するうちにローワンは一層興味が出てきてしまった。人は見かけによらないのか、それとも見かけ通りか、といった議論はこれまで幾度となく繰り返されてきたわけだが、実際のところそんなものは人によるのだ。どんなに善良そうな人間にも闇の部分は常に持ち合わせている。しかも、それを隔てているのは薄い皮一枚だったりするのだ。ただ、どんな顔を持ち合わせていようとも、それを上手く隠す者もいれば、抑え込む者、奥の方に隠して見ないふりをする者、物語や音楽、創作活動といったもので昇華させる者、ただむやみに騒いで発散しようとする者、程度が低くなると他者に八つ当たりをしたり、他人に危害を及ぼすことを企んだりして自らの苦しみから逃げまどう者なんぞがいるだけである。どれを選ぶかは、本人の自由だが自分の選んだ選択肢が将来の自分自身を形づくり、結局は未来に自分の得られる結果に繋がることになる。そういった人間をもう嫌というほど見てきたのだ。だが、人生というのはそう単純にできてはいない。あまりに複雑多様なのだ。だからこそ、わかったようで、まったくわからない。なかには性善説や性悪説などを唱える者もいるが、実際のところ、そんなものはこじつけに過ぎず、人間はただの人間である。善か悪かというのも所詮は人の解釈に過ぎぬし、それらは行動で決まるものだからだ。それはさておき、あの天使のような仮面の下にあるのが、見るにも堪えぬ醜い悪魔のような本性なのだとしたら、いったいどれだけの人が騙されていることだろう。もしそうなら、面白いことになるかもしれない。あのような素晴らしい美貌の持ち主が、凶悪な魂の持ち主だと考える者など、まずいないだろうし現に周りの人々は見事に騙されているのだから。美しさは、無邪気さや純真無垢といったもの、善良さというものに無意識のうちに結びつけて考えてしまう癖が人間にはあるし、その反対に、世の中で起きている凶悪で下劣な、ありとあらゆる罪がまさに醜悪であるかの如く、犯人はいつだって醜く表されてきた。たまに美しき殺人鬼などが現れて話題にのぼることもあるが、やはり罪の最中や、怒りや憎しみの宿る狂気の表情のなかには、どれほどの美しさを持っていたとしても醜悪に染まってしまう。罪は人間の顔に書き記されているもので、それを隠すことは不可能だ。そう思うと中身と外見は類似している点が確実にあると思われる。それとも、シェイクスピアの言うように、やはり世間というものはいつも虚飾によって欺かれるものであり、外観というのは一番ひどい偽りなのだろうか。そんなことを夢想しながら、ローワンはふと立ち上がり、再びブランデーをグラスに注ぐと、ソファの横にある小さなスタンドテーブルの上に置かれた金色のついたてにラベンダーのお香を刺しこんで火をつけた。そこから素早く流れるように立ち上る煙を見つめていると、あまりに真っ直ぐ垂直に立ち昇るので、彼はお香の端を摘んで少し左右に揺らした。すると、たちまち煙は歪な形へと変化し、ゆっくりと辺りに広がっていく。先ほどまでの規律は一瞬で崩され去り、辺りには柔らかい糸のような絹のような無数の竜が現れた。彼はその複雑で予測不可能な動きに目を奪われる。それはまるで波や人の心臓の動きのように不規則で、決して掴むことのできないもののように思われた。「わかりそうで、まったくわかりなどしない」今度は声に出して呟いた。それから、彼がソファの上で目を覚ましたのは、数時間後のことだった。  いつのまにか眠ってしまったようだ。この部屋は、小さな間接照明がいくつかつけられているだけで、辺りはほとんど真っ暗であるが、照明のある場所だけはうすい光にぼんやりと照らされている。その一つはこんなときのために時計のところに備えつけられていた。ブランデーの酔いがまだ残っているのか、やけに頭がぼうっとする。おもむろに時計の方に目をやると、時刻は4時20分を指していた。カーテンの向こうもおそらくまだ暗いだろう。そんな朝とも夜ともつかぬ中途半端な時間であったし、まだ思いのほか眠たかったローワンは、そのままベッドへ移動して再び眠りたいと思った。そうして重たい身体を引き摺るようにして立ち上がると、少し離れた場所にある台の上に並べられた、とある香水がふと目に入る。次の瞬間、ローワンはぞっと身を固くした。間接照明に照らされたその香水瓶のなかに、なにか丸いものが不気味にうごめいて見えたからである。なにか生き物のようなものが、香水の中に浮いているように見えたが、もちろん、そんなはずはなく彼がおそるおそる近寄って確認すると、それはたんなる香水瓶のキャップの影だった。けれど、こうしてうすぼんやりとした暗い部屋の中で真夜中にふと目を覚ますと、恐ろしいものを見るということは少なくなかった。前にもこんな風に中途半端な時間に目を覚ましたことがあった。ちょうど見ていた夢も、彼が幼い頃から見るような嫌な夢で、その夢のなかから現実へと意識が戻ってきたと思ったそのとき、視界に一番最初に飛び込んできたのは、彼の顔を覗き込んでいる人の姿だった。と、彼は思ったのだが、実際には部屋のシャンデリアと壁に掛けたままのコートが偶然角度的に重なったものが人の姿に見えただけであった。けれど、その時の彼は咄嗟に銃を持った殺し屋が屋敷に忍び入り、今まさに自分を襲おうとしているのだと勘違いして、その恐怖に慄いたのだ。彼はそれからしばらく眠ることが怖くなった。目を覚ました瞬間に見知らぬ人影が自分の顔を覗き込んでいるなどという錯覚は十分に彼を怯えさせたのである。夢や錯覚というものが、もっと現実とはっきり区別されているのであればいいのだが、実際にはその境界線はひどく曖昧なもののように思えた。とくに怖い夢を見たあとは、その余韻のなまなましさに驚かされ疲れてしまうのだった。
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