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第6章

一日千秋③ ~洋なしタルトがつなげたリスタート~

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 「あ~、疲れた。腹も減ったしそろそろ帰るか」



 騒がしい音楽が鳴り響く店内から出て背伸びをしながら薄暗くなってきた空を見上げて、ポツリつぶやいた二郎はこの日も放課後部活や校内の見回りをせずに駅前のゲームセンターで時間を潰していた。普段あまりゲームをしない二郎であったが、小さい頃に親戚の家に行ったときに何故か叔父さんに教わってからたまにやることがあった麻雀のオンラインゲームをやったり、昔よく兄と対戦した格闘ゲームのアーケードをプレイしたりとなんやかんや良い気分転換としてここ3日間ゲーセンに居座っていた。



 時間は夕方6時前、ちょうどこの日は夕食を買い食いする日だったため、何事も無ければ『焼きたてパン工房 佐藤さん』に行ってお気に入りのパンを買って、この日もバイトをしているであろう四葉と世間話でもしようかと思うところであったが、まだ例のダブルブッキングの件をちゃんと謝れていない状況を思い二郎の足はそのまま府中駅に向かうことになった。



 二郎の通学経路は若干面倒くさい。帰りの道順で言えば京王線の府中駅から分倍河原駅で南部線に乗り換え、再び立川駅で青梅線に乗り換える。ここでは青梅-立川間の電車の場合は1、2番線ホームで、東京方面からやってくる青梅線直通の中央線の場合は6、7番ホームで乗り換えるが、この日この時においては二郎は6番線の中央線直通の電車に乗り換えることとなった。



 帰宅ラッシュの時間とあって車内は混んでおりまったく座れる気配は無かったが、立川と小作駅の中間地点にある拝島駅までに人がそろそろと減っていき、ちょうど3人掛けの奥側の席に二郎は座ることが出来た。



(ふ~、やっと座れたか。あぁ腹減ったな。・・・なんか良い匂いだな。なんだろ、パン?いやケーキか。何かしらの焼き菓子でも持っている人が居るのかな。そうだ、帰りにコンビニでケーキでも買って帰ろうかな)



 二郎がそんなことを考えながら足下に置いた鞄から漫画を取り出して読もうとしたとき隣に座る女子高生の膝の上に乗せられている白い紙パックが目に入ってきた。



(おぉ、もしかして良い匂いの正体はこれかな。でも、お店のロゴとかも何もない無地の柄だし人からケーキでももらったのか、それとも自分で作ったのか。どちらにせよ気になるなぁ。この小麦粉の焼ける芳ばし匂いと多分何かのフルーツを焼いたときの甘酸っぱいこの香り、溜まらないね。ずばりアップルパイだな。う~ん、良い香りだ。最近パンにハマっているせいかこの小麦が焼ける芳ばし香りに目がないんだよなぁ)



 二郎が隣のから漂う焼き菓子の芳しい香りを堪能し腹の虫がなるのを我慢しながらあれこれ妄想をしていると、横に座る少女が何やらケーキの箱と膝に挟まれていた鞄の中に手を入れ数秒ほど探った後で、器用に人差し指と中指で挟むようにして手のひらに収まるほどの大きさで薄い四角いオレンジ色のモノを取り出した。



 それが気になって二郎がなんだろうとその手元を凝視した瞬間、電車が揺れてその勢いで二郎の肩が隣の少女にぶつかり、指で挟んでいたモノが不運にも二郎の開いていた鞄の中にすっぽり吸い込まれていくのであった。



 それを見た隣の彼女と二郎は二人揃って小さな声を上げた。



「「あっ!」」



 少女は反射的にそれを取ろうと左手を伸ばすも他人の鞄に手を突っ込むことに躊躇して素早く手を引っ込めて右手で左手を握りゆっくりと申し訳なさそうに二郎の方に顔を向けた。

 

 それを受けて二郎もどこか気まずいのか相手の顔は見ないようにしてその握られた両手に顔を向けると隣から声がかかった。



「その~ごめんなさい。私のMDがあなたの鞄に入ってしまったみたいで、申し訳ないですが取ってもらってもよろしいでしょうか」



「MD?」



「はい、オレンジ色のMDです」



 彼女はそう言いながら二郎に分かるようにMDプレイヤーを見せると、二郎もそれで合点がいった様子で自身の鞄の中をのぞき込むと、彼女が言ったとおりオレンジ色のMDが鞄の内ポケットで見つかった。二郎も普段からMDを聞いているため常時3,4枚のMDを鞄の内ポケットに入れていたがオレンジ色のMDという事もあり、すぐに気付きそれを取りだして隣で気まずそうにする彼女にMDを渡そうと視線を上げた。



 一方、彼女もすいませんと何度も言いながら顔を上げたとき、バチッと二人の視線が混じり合うのであった。そこで再び、



「「あ!!」」



 二郎とその焼き菓子の彼女は先程よりも大きな驚きの声を上げていた。



そこに居たのはいつだか電車内で見たセーラー服の文学少女風のメガネっ娘だった。二郎は自分と偶然同じ漫画を読んでいたこの少女のことを印象深く覚えており、まさかこんな偶発的な出来事で再び出会うことになるとは思いもしていなかったため、思わず声を上げてしまっていた。また彼女の方も二郎と同じように思ったのかどこかソワソワしたような落ち着かない様子で視線をあちこちに向けつつ二郎の顔を伺っていた。



「えっと、これで間違いないですか」



「はい、すいません。ありがとうございます」



 そこで会話は途切れた。普通であればこの気まずい状況をいち早く逃れたいと自分の降りる駅まで静かに黙って居る所ではあるが、二郎はとにかくこの隣に座る少女の膝の上にある紙パックの中身が気になっていた。



(う~、気になる。いきなり質問したら驚くかも知れないけど、どうせもうこんな話す機会もないだろうし、変な奴だと思われても後数分で別れるわけだし、よし思い切って聞いてみるか)



 二郎がそんなことを考えて意を決して声を掛けたとき、再び二人の声が重なった。



「「あの~!!?」」



 この3度目となる二人のリエゾンに今度こそ大きな目を開けて二郎ははっきりと彼女の顔を見ると彼女も驚いたように二郎を見つめていた。



 どうやら彼女も二郎に何か聞きたいことがあったのか、同時に声を掛けていたのだった。



(あれ、俺、彼女のことを知っているような気がする。昔どこかであったことがある・・ような)



 そんなことを考えていると彼女が落ち着かない様子で切り出した。



「あの、その、何か私に聞きたいことでもあるのですか?」



「え、あ~、うん。ちょっと気になったことがあって。いやそれよりも君も何か俺に言いかけていたよね。何か俺に聞きたいことでもあったんですか?」



 二人は互いに譲るように相手の言葉の続きを促すように言った。



「いや、私はたいしたことではないのであなたからどうぞ」



「そうですか。それならその・・・」



 〘紙パックの中身は何が入っていますか?もしかしてアップルパイじゃないですか?何だか凄く良い匂いですね、はははは〙



とは言えなかった。気付けば二郎は無意識に別の言葉を口にしていた。



「・・・・その名前はなんていいますか?」



「え?私の名前ですか」



 突然の二郎の質問に驚くようにまたどこか顔を赤くして彼女は言った。



「あ、いや、あの、別に変な意味がある訳じゃ無くて、その少し気になって。その抵抗があるなら全然無視してください、すいません」



 二郎は予想だにしていなかった自分自身の言葉に驚きつつ、突然相手の名前を聞き出そうとする発言が明らかに気持ち悪い奴だと思われると気づき全力で謝ると、彼女は一呼吸おいて言った。



「七海です。七海さ・・」



 それを聞いた二郎は彼女の言葉の最後を聞かずに遮るように言った。



「七海!?・・さん。本当に七海さんですか」



二郎の真剣な問いかけに圧倒された七海と名乗る彼女は戸惑いながら二郎の質問に答えた。



「はい、七海です」



 その言葉を聞くやいなや残念そうにする二郎は気を取り直して言った。



「そう、ですか。すいません、急に変な事を聞いてしまって。あの、あなたも何か俺に聞きたいことがあるんですよね。この際何でも聞いて下さい。何でも答えますんで」



「あ~はい。その、えーっと、もし良かったら私もあなたの名前とどちらの高校に通っているのか聞いてもいいですか?」



 どこか恥ずかしそうに問う彼女に二郎は懇切丁寧に自己紹介を行った。



「そんなことで良ければいくらでも。俺は山田二郎、府中にある都立琴吹高校の2年で、一応バスケ部で幽霊部員をしている冴えない男です。はい。そのもし良ければ七海さんですか、あなたの高校を聞いても?あの別にストーカーとかそう言うことじゃないですから、安心して下さい。前からその制服がどこの高校なのか気になっていて、良かったら教えてもらっても良いですか」



 二郎は自己紹介をした勢いで、この際ずっと気になっていた目の前のセーラー服の正体を暴くために思い切って質問返しをした。



「山田君ですね。ありがとうございます。私は吉祥寺にある私立桃李高校に通っていて料理部に所属している2年生です。私達同級生ですよ。このセーラー服目立ちますよね。良く友達にも聞かれるのでそんな気にしなくても大丈夫ですから」



「ならよかった。そうか、桃李高校か。桃李って確か大学もある附属高校でしたっけ?」



「はい。でも正しくは大学だけじゃ無くて小、中、高、大学まである教育一貫校ですね」



「そうなんだ、小学校からの一貫校ってこの辺じゃ珍しいね。もしかして七海さんって何処かの会社の社長令嬢だったりするのかな?」



「え、私ですか?いや私は高校から入学した外部組なので、全然普通の家庭です。確かに小学校からいる生粋のお嬢様も中にはいますけど・・・ふふふ」



「え、どうかした。俺変なこと言いましたか?」



「いや、だって私達普通に自己紹介とか会話をし始めているから、それが何だかおかしくて」



 二郎はハッとしてかつて四葉と初めて出会ったときに調子に乗って相手のプライベートの事を聞き出し、結果、ばつの悪い思いをしたことを思い出して即座に頭を下げて言った。



「ごめん、そうだよね。調子に乗ってあれこれ聞き出してしまって、すいません」



「そんな、気にしないで下さい。ごめんなさい。私そんな怒っているわけでは無くて、その何だか嬉しくて、ずっと山田君と話をしたいって私も思っていたから、こんな自然に話せる機会が来るなんて思ってもみなくて、だからその、気にせず色々聞いて下さいね」



「いや、え、俺と話したいって一体どう言うことですか?」



 何故か好感度の高い反応を示す彼女に二郎は逆に不信感を持って聞いた。



「あの、その、今日ここで会ったのは偶然ですけど、通学の電車で実はほとんど毎日同じ電車に乗っているんですよ、私達」

 

 気付いていましたかと微笑むように彼女が言うと二郎は驚いた様子を見せて言った。



「え、毎日同じ電車?本当に」



「はい、そうです。山田君も気付いてくれていると思いましたけど・・」



 どこかからかうような、それでいて期待を持った目で見つめてくる彼女に二郎は苦笑いを浮かべて言った。



「俺はたまに同じ車両に君が乗っているなぁって朧気に思っていたくらいで、まさか毎日同じ電車に乗っているとは思わなくて、そのすいません」



 どこか申し訳なさそうに謝る二郎に彼女は嬉しそうに言った。



「そんな謝るどころか、私嬉しいんです。山田君も私の存在を認識していてくれて。だからさっきは突然の事で驚きましたけど、こうやって話し掛けることが出来て良かったって思っているんですよ」



 本当ですよと恥ずかしそうでいて、嬉しそうに笑顔を向けてくる彼女を見て二郎もどこか安心した様子で頷いて言った。



「そっか、君がそう言ってくれるなら良かった。それじゃ最後にもう一つだけずっとさっきから気になっていた事を聞いても良いかな」



「はい、もちろん」



 快諾をする彼女に二郎は満を持して問いかけた。 



「あの、その箱の中身ってもしかしてアップルパイとかじゃないですか?」



「え?」



「いや、だから、その箱から凄く良い匂いが漂ってきていて、隣に座った時からずっと気になっていて、もし良かったらその中身の正体を教えてもらえたら嬉しいなって思ったりして」



 二郎は恥ずかしそうに頭を押さえながら問いかけると、意外な問いに驚きながらも笑みを浮かべ、周囲に人がいなくなっていることを確認してからその箱を開き中身を二郎に見せて言った。



「これが気になっていたんですか?以外ですね。甘い物好きなんですか」



 そう言って彼女が見せたモノは直径10センチ程の円形の焼き菓子だった。蓋を開けた途端先程までとは比べものにならない芳醇で甘酸っぱい香りに二郎は思わずつばを飲み込みながら中身の正体の答え合わせをした。



「これはアップルパイ・・・じゃないか、なんだろう。これは・・・?」



 二郎の答えを求める視線を受けて彼女が答えた。



「タルト・オ・ポワール。つまり洋梨のタルトです。アップルパイじゃ無くてごめんなさい」



 好きなんですかと言いながら、片目をつむり小さく頭を下げるとおもむろに箱に手を入れていくつかある内の一つを取り言った。



「良かったたらこれどうぞ。実は部活で今さっき作ったばかりの焼きたてなんですよ。いつも沢山持ち帰っても食べきれなくて、もし嫌いじゃなければ食べてくれませんか」



 彼女が渡した洋梨のタルトにはハンバーガーの包みのような片面が開かれた包み紙に入っており、鞄に直接入れて持って帰ってもしっかり口を閉じれば大丈夫な程度には包装されていた。



「え、でもいいの?」



 突然の申し出に戸惑う二郎に彼女はもう一声とばかりに言った。



「折角作ったので、誰かに食べてもらいたいんです。その方が私も嬉しいんです」



 だから是非にと言う言葉に二郎も素直にそれを受け取ることにした。



「ありがとう。正直、帰りにコンビニで何かケーキでも買って帰ろうと思っていたから素直に嬉しいです」



 二郎の喜んだ顔を見てはにかむ彼女は最後に言った。



「もしまた話す機会があったときには味の感想を聞かせて下さいね」



「え、あぁ、うん」



 そう言ったところで車内放送が聞こえてきた。



「間もなく羽村、羽村に到着します。停車時に車内が揺れますので、電車が止まるまで席を立たないようにお気をつけ下さい」



 その放送を聞くやいなや彼女は素早く帰り支度を始めていた。



「私ここで降りますので。あの色々話せて良かったです。それでは」



 二郎が返事をする間もなく、電車は羽村駅に到着し、彼女は鞄と白い紙パックを持って電車を降りていった。



 扉が閉まり再び電車が走り出すと二郎は車内から彼女の横を通り過ぎると共に小さく頭を下げた。



(七海さんか。そりゃそうか。別人だよな。まさか彼女が委員長なわけがないよな。・・・それにしても、何だか知らないがラッキーだったな。あの子とこんなに色々と話が出来るとは思ってもみなかったし、こんな焼き菓子のお土産までもらってしまって良かったのかな。まぁまた今度会ったときにお礼でもするかな)



 二郎は思いがけない出会いを好意的に受け止めて、鞄から漂う香りに腹を鳴らしながら一人電車に揺られていくのであった。



 一方、七海と名乗った彼女は二郎の乗った電車をホームから見送ると大きな息を吐いて力が抜けたようにホームのベンチにペタりと座り込んだ。



(私、なんであんな大それた事を~。まさか帰りの電車で二郎君に会うなんて本当にビックリした。でも、二郎君が私の存在を気付いて居てくれたなんて信じられないくらい嬉しい。勇気を出して話し掛けて良かった。あぁ~でもどうして私、いきなりタルトなんて渡しているの。きっとビックリしたよね。変な子だって思われちゃったかな。あぁどうしよう。明日電車で会ったらどうしよう、恥ずかしくて声かけられないよ。う~ん。でも、本当に良かった。私の事には気付いて居なかったけど、やっと二郎君にありがとうって伝えるきっかけが出来たかも知れないし、本当に良かった)



 電車が去りすっかり人気の無くなったホームで一人浮かれる少女こそ、現姓が七海、旧姓吉田だった七海咲であった。咲は二郎の小学校時代の同級生であり、いじめによって転校する事となった二郎にとって忘れられない人物であった。咲は小学校を転校すると共に青梅市から隣の羽村市に引っ越し、そのまま羽村市の中学校へ進学した。その後中学在学中に両親が離婚し、引き取られた母が現在の義父である七海氏と結婚したことで現在吉田咲から七海咲へと名前を変えていた。そのため咲の面影を見た二郎が名前を聞き出した時には、反射的に吉田では無く現姓の七海と名乗ったため二郎には他人のそら似だったと思い違いをさせることになってしまったのだった。もちろん、咲自身も二郎に自分の事を打ち明けたい衝動はあったが、あまりにも急な邂逅だったため舞い上がってしまい今回は自分の正体を伏せて二郎の現状を聞くに留めたのであった。



 冷静を取り戻した咲は独白の世界から意識を戻し、慌てて駅の改札のある階段に向かおうとしたところであることに気がついた。それは二郎の鞄の中に入ってしまい拾ってもらったオレンジ色のMDだった。



「あれ、これ私のモノじゃないないかも」



 咲はその微妙に見た目が異なるオレンジ色のMDを見ながら、その持ち主の顔を思い浮かべて小さく笑みをこぼすのであった。



 偶然か必然か小学6年から高校2年までのおよそ5年もの間、遠く離れすれ違っていた二郎と咲の二人の道が再び出会いこれから複雑に交差していくのであった。

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