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1章 アストレー編
28 忍び寄る影2
しおりを挟む「コーリキ、放してあげて。彼はちょっとした顔見知りなの」
「了解しました」
コーリキの拘束から解かれたマルクはホッしたのか、私に向かって軽く頭を下げた。
マルクと顔を合わせるのはアストレーにやってきた初日以来だから、もうあれから2カ月半以上経ってしまっているということね。ホント月日が流れるのは早いわ。
「確かデボラ……様でしたよね。カイン様の奥方様の。あの時は俺を庇って下さりありがとうございました」
「どういたしまして。人として当然のことをしたまでよ。でもよく私の顔と名前を覚えていたわね」
「そりゃあもう!」
デボラ様のような美人、印象に残らないほうがおかしいですよ……とマルクは微笑んでみせた。でもすぐに表情が陰り、気まずそうに俯いてしまう。
「それであの……妹はその後お屋敷で元気にしているんでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。ちゃんと仕事を与えられて、生き生きと働いているわ」
「……」
マルクを安心させようとフィオナの現状を伝えてみるものの、マルクの眉間の皺は深くなる一方だ。
やっぱり妹のことが心配なのね。フィオナは例の温室で楽しそうに働いてるけど、残された側は不安で不安で仕方ないに違いない。
こうして考えると、公爵のしたことはやっぱり自分勝手で残酷なことに思える。自分の欲望のために家族を引き離すようなこと、やっぱりあってはならないわ。
「ごめんなさい、フィオナの件については、私からカイン様にもう一度お話してみます。せめてあなたの許に里帰りできるように」
「あ、ありがとうございます! デボラ様はとても優しい方なのですね!」
私の言葉が励みになったのか、マルクは私の両手を握り喜んでくれた。コーリキとジョシュアが警戒して近寄ろうとするものの、私は軽く首を振って制止する。
「あ、そういえばデボラ様は、なぜこんなところに?」
「ちょっと知り合いの子供を探しているの。アヴィーっていう男の子なんだけど」
「ああ、もしかしてサバナスタ孤児院の」
「知ってるの?」
マルクは頷き、きょろきょろと辺りを見回す。
「俺の友達の商売を手伝ってるって聞きました。いつもならこの辺りで荷物運びの仕事をしているはずですが……」
「孤児院のシスターが最近アヴィーの帰りが遅いと心配しているの。できればもっと早く仕事を切り上げてもらえるよう、お友達に頼んでもらえないかしら」
「なるほど、わかりました。俺のほうから伝えておきます。あんまり子供をこき使うなって」
マルクはどんと自分の胸を叩き、自信満々に私の頼みを請け負った。
「その代わりと言っては何ですが、どうぞ俺の店にも今度立ち寄って下さい。サービスさせて頂きますんで」
「お店? 何を取り扱ってるの?」
そう言えば、公爵と揉めている時も確か小さなお店の前だった。あれがこの兄妹のお店なのかしら?
「――薬です。風邪や腹痛、頭痛、軽いケガなど、体調不良がありましたら、ぜひ我がボダルタ薬屋へ足をお運びください」
マルクはにっこりとお愛想を振りまいた。その笑顔はやっぱりどこかフィオナに似ていて、兄妹なんだなぁと思わせる。
ちょうど会話が途切れたところで、コーリキが控えめに私を急かしてきた。
「デボラ様、そろそろ。陽がだいぶ暮れて参りましたので」
「仕方ないけど今日は屋敷に引き上げましょー。オレ、この市場の保安出張所までひとっ走りして、アヴィーのこと聞いて来ますよ」
「あ、そうね。ジョシュア、わざわざ仕事を増やしてしまってごめんなさい」
結局その日はアヴィーを見つけられず、屋敷に帰ることになってしまった。
マルクも「それでは俺もこれで……」と、雑踏の中に消えていく。
不意に空を見上げると、いつのまにか夕闇が濃い。白い雪も、またちらちら降りだした。
私は肩から掛けていたローブの襟を立てて、顎を埋める。
こんな寒空の下、アヴィーは一体どこにいるんだろう?
まったくあのイタズラ坊主め。こんなにたくさんの人に心配をかけて。
今度会ったら、げんこつグリグリの刑に処してやる!
またまたアヴィーに嫌われそうことを、無意識に画策する私だった。
× × ×
さて、私の悩み事は尽きない。
アストレー学園の設立が決まった次に私を悩ませたのは、三日後に控えたリリの誕生日プレゼントを、何にするか!?……である。
もちろん相談に乗ってもらうのは、いつものメイド三人組。
「まぁ、リリちゃん6歳になるのですか」
「子供はどんどん大きくなりますねー」
「デボラ様、ありがとうごぜえます。リリもきっと喜びますだ」
いやいや、まだ何プレゼントするか決まってないから……と私は、軽くかぶりを振る。
最初はリリの好きそうな乙女系絵本でもプレゼントしようかと思ったけど、リリはまだ文字を読めない。それにリリ一人だけ特別扱いしたら、他の孤児達が不公平だって騒ぎだしそうだしなー。
「それならサシェなんてどうでしょうか? 香りは何年経っても記憶に残ると言いますし、リリちゃん含め、他の女の子達にもプレゼントすれば喜ばれると思いますよ。それにリリちゃんだけ別の香りをブレンドすれば、特別感も演出できます」
「エヴァ、さすがね。頼りになるわ!」
私はイェーイと右手を挙げた。エヴァはその仕草の意味が分からなくて首を傾げるけど、私はエヴァの右手を強引に引いて、無理やりハイタッチする。
ちなみにサシェとは日本で言う匂い袋のことだ。乾燥させたドライハーブ、もしくはアロマオイルをしみこませた香草などを小さな袋に詰めるだけ。確かにこのお手軽フレグランスアイテムなら女の子はみんな喜んでくれるに違いない。
「そうと決まったら、早速瑞花宮のノアレに連絡してちょうだい。温室のハーブを分けてほしいって」
「畏まりました」
「あ、それとできれば、アイビービーンズも用意できるか聞いてみてくれる?」
私は閃いた。リリにだけ送るスペシャルブレンドとやらを。
それは以前温室で嗅いだ、あのアイビービーンズの甘い香りがふさわしい。
私には可愛すぎて似合いそうにないけど、リリくらいの小さな女の子にはぴったりだ。しかもよそでは手に入らないレアフレグランスでもある。
うーん、私って天才。自分で自分が恐ろしいわ。ふふん♪
こうして私はリリとその他の孤児のために、サシェを手作りすることにした。
ノアレから届いた乾燥ハーブを小さな袋に詰め込んで、色とりどりのリボンを巻く。たったこれだけで可愛いサシェの出来上がりだ。
ちなみにエヴァも「このアイビービーンズ、絶対女の子に人気が出る香りですよ! ぜひうちの実家で商品化させてもらえませんか?」と商売っ気を出していた。
結局不公平感をなくすため、孤児院の女の子だけじゃなく男の子にもミント系のサシェを作ることになり、全員分の数を揃えるのにギリギリ2日かかってしまった。
だけどどれもなかなかの出来で満足。あとは明日、これをリリや孤児院のみんなに届けるだけだ。
けれどちょうどサシェを作り終わった直後、ハロルドがサバナスタ孤児院からの報せを受け取ってやってきた。
「デボラ様、失礼します。実は院長から火急の知らせが」
「何かあったの?」
ハロルドも詳細まではわからないようで、とにかくこちらをご覧下さいと一通の書簡を差し出した。
中には「急ぎ、孤児院までご足労願えますでしょうか」とだけ書き添えられてある。これだけではトラブルの中身がわからない。
私は出来上がったばかりのサシェを鞄や袋に詰め、急いでサバナスタ孤児院へと向かうことにした。
イルマやレベッカも供につきたがったけれど、さすがに今日は屋敷での待機を命じた。だって院長からの手紙の文字はかなり乱れていて、それだけで何か嫌な予感がしたから。
そのためコーリキとジョシュア、最低限の護衛だけを付け、私は急いで馬車に乗り込んだ。
夕暮れ近くに孤児院前に着くと、そこには院長やシスターの他に、治安を守る保安官の姿もいくつかあった。院長のバルバラは私が到着するや否や、慌てて駆け寄ってくる。
「ああ、デボラ様、わざわざお越しいただき申し訳ありません。私、どうしたらいいのかわからずついつい焦ってしまい、デボビッチ家に使いを出してしまいました」
「それは構わないわ。何があったの?」
辺りを見回せば、誰も彼もが沈んだ表情をしている。いつもは雪の中でも平気で遊び回っている子供達も、今日は建物の中からこっちの様子をじっと窺っているようだ。
「実は昨日から、アヴィーが行方知れずなのです」
「アヴィーが!?」
「最近帰るのが遅くなって心配していたのですが、とうとう恐れていた事態が……」
何人かのシスターがアヴィーの無事を祈り、胸の前で十字を切っている。
確かに子供がまる一日行方不明じゃ大騒ぎにもなるわ。
もう、アヴィーったら、一体どこへ行っちゃったのよ!?
「そんな訳で保安官の方にも協力して頂いて、アヴィーを探しているのですが……」
「まだ見つからないってわけね」
「申し訳ございません。私どうしたらいいのかわからなくて……」
すっかり狼狽している院長の肩を、私はポンポンと二度叩いた。
あ、そういえば私はアヴィーに関する有力情報を持っていたじゃない。
「そういえばイースト・マーケットで薬屋をやっているマルクが、アヴィーを雇ってる男と友達だって言ってたわ。そっちには当たってみた?」
「いいえ、そのような情報は、今初めて聞きました」
院長は一筋の光明を見たのか、すぐに私からの情報を保安官に告げる。彼らと顔見知りらしいコーリキも、どうやらアヴィーの捜索に加わるようだ。
「デボラ様、しばらく孤児院の中でお待ち頂けますか。町を一回りしたら、すぐに戻ってまいります。ジョシュア、デボラ様の護衛を頼んだ」
「了解っス」
「アヴィーを探すなら人手は少しでも多いほうがいいんじゃないの? 私のことは構わないからジョシュアも行って。孤児院の中で大人しくしているから」
「………」
「………」
コーリキはわずかに逡巡したけど、私が「絶対一人では出歩かないから!」と念押しすると、
「ではすぐに戻りますので、絶対に! くれぐれも! 孤児院の外に出てはなりませんよ!」
と強い口調で注意喚起し、アヴィーの捜索に向かった。ジョシュアも、
「すぐに戻りますから! 絶対! くれぐれも! 一人で出歩いちゃだめっスよ!!」
と、コーリキとほぼ同じ口調で、コーリキ達とは反対方向に走っていく。
あのー、何かしら、この『まるで私が何かしでかすんじゃないか感』。
二人とも私のこと、根本的に信用してなくない? ん?
さすがに私だって護衛なしで街中を出歩くほど向こう見ずじゃないわ。一応これでも公爵夫人ですから。
私はその後、コーリキ達との約束どおり孤児院の中に入り、不安を抱える子供達のそばに寄り添った。特にリリは目を真っ赤に腫らして泣きじゃくってた。
「デボラお姉ちゃん、アヴィー大丈夫だよね? 帰ってくるよね?」
「もちろんよ」
そう慰めるものの、リリの涙は止まらない。
アヴィー、アヴィーと少年の名を延々呼び続ける姿は、見ていて痛ましいくらい。
あーあ、なんだかリリのお誕生日どころじゃなくなっちゃったわね。
私はドレスの中に隠していたリリ用のサシェを握り、深くため息をつく。
(くっそう、アヴィーの奴め、帰ってきたらげんこつグリグリの刑だけじゃすまさないわよ。そうね、デコピンの5発や10発は覚悟してなさい!)
私は自分の中の不安を打ち消すために、心の中で悪態をついた。
もうアヴィーに嫌われたってかまわない。だから必ず無事に帰ってくるのよ。
こんな時だけ都合よく頼られても困るだろうけど、私は神様に『一生の一度のお願い! アヴィーをみんなの許に返してください!!』と祈り続けた。
それからどれくらいの時間が経ったのか。
おそらくそれほどの長時間じゃない。窓から見える夕焼けは、まだ完全に闇に染まりきっていないから。
私は泣き疲れて眠ってしまったリリに膝枕しながら、じっとコーリキやジョシュアの帰りを待っている。すると不意に、背後から声を掛けられた。
「デボダさまぁ、これ」
「ん?」
拙い言葉で私に話しかけてきたのは、3歳の少年・マックスだ。その小さな手には、何やらいかにも怪しいです!と言った感じの紙切れが一枚握られている。
「どうしたの、これ?」
「デボダさまにって。だれにもないしょだよって。あめだまくれたー」
「……」
どうやらマックスは見も知らぬ誰かからこれを受け取って、私に届けろと言われたらしい。
紙切れを受け取った私は、真剣に悩む。
うう、見たくない。
見たくないよぉ。
だってこのパターン、絶対よくないことが書いてありそうだもの。
いくつもの乙女ゲーを攻略した、私のゲーム脳が告げている。
これぞまさに危機パート。
なんだか破滅フラグの匂いがプンプンするわ。
『タスケテ コジインノウラマデ ヒトリデキテ アヴィー』
……。
………。
……………。
ほらね、やっぱり―――――!!
こんな時だけ私の直感はドストライク。
神様は私の願いなんか聞いちゃくれない。
まさに悪女のための最悪のシナリオが、最悪のタイミングで用意されていた。
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