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1章 アストレー編
16 悪妻料理を召し上がれ2
しおりを挟む「お客様、お客様。こちらです、ご案内しますよっ! おいしい食べ物、たくさんありますよっ!」
「………」
小さな手に力をいっぱいためて、必死に私を客引きしようとする少女。もしかしてこのあたりの露天商の子供か何か?
戸惑っていると、どこからかぞろぞろと複数の少年少女が現れ、私たちの周りを取り囲む。客引きをする子供は、何もこの少女だけではなかった。
「あ、リリ、ずるいぞ! その客にはオレもさっきから目を付けてたんだ!」
「ずるくなんてない、アヴィー! この美人なお客様はリリが最初に見つけたの! あとから来てもメッなのー!」
「……は?」
少年少女達の年は、およそ5歳から12歳くらいの間。リリと呼ばれた少女は私の手を握ると、狭い路地奥に向かって走り出す。
「お客様、こっちですよっ! 珍しい食べ物、たくさんあります!」
「あ、リリ、待てよ!」
「待たないもーんっ!」
子供たちはお互い商売敵なのか、はたまた一日のノルマがあるのか、客引きの数を競っているようだ。
私は手を引かれるままリリについてく。その後を、イルマやコーリキ達も慌てて追ってきた。
「あ、デボラ様、お待ちください!」
「こら、お前達、サバナスタ孤児院の子供たちだな。こんなとこで客引きなんかしてないで、孤児院に戻れ」
「ちぇー」
去り際、コーリキに注意されて、アヴィーと呼ばれていた1そばかす少年が、唇をとがらせていた。
――サバナスタ孤児院?
そういえばレベッカがそこの出身だったっけ。ということは近くに孤児院があるのかしら?
私の表情を読んだのか、私の背後を守るジョシュアが小声で囁いた。
「ちょっとした小遣い稼ぎでしょうね。港や市場では、下働きの子供達がたくさんいますから」
「なるほど……」
言われて辺りを見回せば、店番をしている子供、荷運びをしている子供など、働いている子供の姿がちらほら見える。
でもこんなに小さな子が労働しなきゃいけないほど、孤児院は困窮してるの?
そう考えると、少なからず私の胸がツキンと痛んだ。
「いらっしゃいアルー。珍しい食べ物、いぱいアルから見ていてねー♪」
リリに手を引かれてついていった先は、ある意味大正解だった。
表通りからは少し離れたところにある、異国風情緒の街並み。その一角にある昭和のマンガに出てきそうな胡散臭い中国人もどきの店には、王都では絶対買えない食材がずらりと並んでいたのだ。
「うわ、醤油がある! お味噌も! あ、鰹節! これ出汁取るのにいいじゃない」
「これ、東のワタシの国から直々に運搬してきた食材ヨ。でもこの国の人、パンが主食。あまりお米や干物食べない。残念アルよー」
「よし、買った!!」
私はお店で売られている食材の山を見て狂喜乱舞した。
ビバ・乙女ゲー世界! 西洋風の異世界でも、きっちり和食の材料が手に入るなんて、これも世界設定がゆるゆるなおかげね!
あ、しかもお米もちゃんと精米してある! あったかホカホカに炊いたご飯、この世界に生まれてからというもの、17年間食べてないわ……。
「イルマ、ここに置いてある米俵一つ、丸々買い取ってちょうだい!」
「コ、コメダワラ? これ食べ物……なのですか?」
「うわ、この魚、腐ってますよ、デボラ様っ!」
日本の食材を見慣れていないイルマやコーリキは、本当に購入していいものか躊躇っているようだ。ジョシュアにいたっては、吊るされていたクサヤの匂いを嗅いで、危うく失神しかけている。
「お客様、たくさん買い物してくれるの? やったー! ありがとおございますっ!!」
そんな中、客引きに成功したリリが、ピョンピョンと飛び跳ねて無邪気に喜んでいた。私はリリの頭を優しく撫で、微笑む。
「こちらこそありがとう。リリのおかげで探していたものが見つかったわ。また買い物に来るわね」
「黒い髪のお姉ちゃん、ありがとう!」
「リリ、すごい上客つかんできたネ。お手柄アルよー♪」
こうしてリリは店主からボーナスをもらい、私は欲しかった食材を無事手に入れ、市場での買い物はWin-winの結果に終わったのだった。
× × ×
市場で大量の食材を買い付けた私は、デボビッチ邸に戻ってすぐに厨房に立った。久しぶりに自前のワンピースの袖に腕を通し、フンッ!と気合を入れる。
「デボラ様、言いつけてくだされば調理はこちらで致しますから……」
本当に私が料理すると思っていなかったらしい料理長はアワアワしていたけれど、ここで妻である私自らが料理を作ったという実績を作っておかなければ。
いつか自然に公爵に毒を盛るために……ね。フ、フフフフフフ……。
「大丈夫よ。そんな難しい料理を作ろうとは思ってないから。あ、とりあえずお米を炊くから大きめの鍋を用意してくれる?」
「か、かしこまりました」
私はてきぱきと指示を出し、ある料理に取り掛かった。
もちろん『愛しい旦那様に美味しい手作り料理を食べさせてあげたい♪』なんてお花畑な理由からではない。そして公爵の少食を改善するため……でも、実はなかった。
「おい、本当に腹は空いてないんだが(怒)」
――1時間後。
無事目的のメニューを作り終え、私は公爵が待つ食堂へと向かった。
そこでは超不機嫌な公爵がメイド長やハロルドに宥められながら、料理が運ばれるのを待っていた。
食べる事が苦痛なのか、久しぶりに公爵の全身からは暗黒のオーラが立ち上っている。
「お待たせ致しました、カイン様。本日の晩餐は私がご用意させて頂きました」
「デボラが?」
――ぎろり。
ワゴンを押して近づく私を、公爵は座った目で睨みつける。
つか、どんだけ食事をとりたくないのよ、この人は。普通食事って生きる上での楽しみの一つだと思うんだけど、何かトラウマでもあるのかしら?
「そんなつれない事を仰らないでください。結婚して以来、今日が初めて夫婦揃っての晩餐になるのですから」
「……」
負けじと公爵に微笑み返し、私は運んできた料理を慎重にテーブルに移す。
メイド長やハロルド、私の背後にいる料理長も、事の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
「さぁ、妻直々の手料理です。一粒残さず食べてくださいな♪」
私はこれ以上ないほど満面の笑みで、料理にかけていた丸い蓋(クロッシュと言うらしい)を開いた。
その下から出てきたのは、デボラ=デボビッチ・会心の作――
THE・猫まんま である!!
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
――しーーーーーん………
うん、この水を打ったような静けさ、大体予想していたわ。
広い食卓の上にぽつんと置かれた茶碗一つ。それは貴族の晩餐にしては、あまりにもみすぼらしすぎる一品。
何せホカホカ炊き立ての白米に鰹節の削り節をぶっかけて、魚から取った出汁で浸しただけの代物だもの。
あ、ちなみにヴァルバンダでは魚を生で食べる習慣はないらしく、イキのいい魚の内臓がごみとして捨てられていた。
もちろんそれもちゃんとお金を出して買ってきて、よく煮込んだアラと一緒にご飯の上にトッピングしてみた。
我ながらよくできた猫まんま。グッジョブよ、私!
「さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、どうぞ召し上がれ♪」
「……………」
どう見ても召し上がりたくない風の公爵の目の前に、猫まんまをズズズイッと差し出す。
この時の私、すごくいい笑顔をしていたと思う。
対して公爵は呆れを通り越して、死んだ魚みたいな目をしてた。
「……これは何だ、デボラ」
「東方の国でよく食べられているメニューです。汁の中には魚の骨も入ってますので、体も丈夫になりますわよ♪」
「……………………」
周りからは「あー、やっぱりだめだぁぁ~~」と言う絶望の叫びが沸き起こった。
ごめんなさいね、マリアンナにケストラン。
そもそも公爵の少食を直す方法なんて、私にわかるはずないじゃないの。
できることと言えば、料理で公爵に嫌がらせすることだけ。
(大体いつも私のほうばっかりドキドキ……じゃなくて、イライラさせられてばっかりで不公平だと思ってたのよ。だからたまには公爵のほうが不快な思いをすればいいんだわ!)
――で、とっさに思いついたのが、この猫まんま大作戦である。
公爵に猫の餌同然の物を作って、高位貴族のプライドをへし折る! 公爵の不快な顔を見られれば、私の留飲も少しは下がるってもんよ。
我ながらなかなか性格が悪いと思うけど、今私ができる攻撃なんてこんなことくらいしかないんだから仕方ない。
「あら、カイン様、私の手料理、お気に召さないですか?」
「……………」
わざと悲しそうに尋ねてみれば、公爵はふぅっと、一つため息をつく。
あら、怒ってすぐに席を立つかと思ってたのに、意外と粘るわね。
「これを食べればいいのか」
「え?」
「それで納得するんだな?」
「!」
次の瞬間、公爵はフォークを手に取り、なんと茶碗に口を付けた!
――え? マジ? ホントにそれ、食べちゃうの?
この展開は予想しておらず、私はちょっと焦る。
「……………。……………美味い」
「ッッ!」
しかもなんと! なんと!
公爵の口からは意外すぎる言葉が!
え? まさか私を傷つけまいと、お世辞を言ってる?
いや、この人そんな殊勝な性格じゃない。
公爵の意図がわからずまじまじと見返すと、まっすぐな視線が返ってきた。
「いや、本当に、美味い」
「――!」
嘘でしょ!?
なんと私の猫まんまは、公爵の味覚にドストライクだったようだ。
――えーと、つまりこの人、もしかして美食家じゃなくバカ舌――――!?
衝撃の事実発覚で、私はクラリと眩暈を覚える。
と同時に、マリアンナやケストランが慌てて公爵のもとに駆け寄った。
「カイン様、奥様の手料理とはいえ、無理なさらないで下さいませ!」
「そうです、呑み込めないようなら、皿に吐き出してもいいんですよ!」
あれ~? なんかメッチャひどい言われよう。
そもそも私の知恵を頼ってきたのは、マリアンナにケストラン、あなた達二人でしょうに。確かにわざとまずい料理を作ったのは他ならぬ私ですけど、そこまで言われるとちょっと凹む。
一方、公爵のほうはと言えば、さらに意外なリアクションを返してきた。
「いや、冗談抜きで、美味しい」
「……え」
「ケストラン、お前も騙されたと思って食べてみろ」
「――」
なんと、公爵は本気でケストランに私が作った猫まんまを勧めてる。
いやぁ、さすがに一流のシェフに猫まんま食べさせちゃダメでしょ。
私は心の中で盛大に突っ込む。
「で、では一口だけ……」
ケストランは公爵の命令に逆らえず、恐る恐る猫まんまをスプーンですくってティスティング。
するとなんとケストランの瞳まで、キラキラと輝きだした。
「お、おお、この澄み切った魚介のスープ! 味が濁ってるかと思えば、きちんと臭みも抜かれていて、旨味だけが凝縮されている! 私が作る料理に比べてだいぶ薄味ですが、これはこれでなかなか今まで経験したことことのない味ですな! このコメと言う食材も、さらさらとした食感が面白い。なるほど、これが東方の国の味付けですか。私としたことが勉強不足もいいところでした!!」
……え、えぇぇぇぇええ~~~~!?
なんか意外にも料理長のケストランにも、私の猫まんまは大好評のようだ。
言われてみれば確かに魚の内臓やアラは、きちんとお酒や薬味につけて臭みを抜いた。だって同じ材料で後で自分用のお茶漬けを作るつもりだったから!
それに今日手に入れた鰹節もかなりの高級品だったかもしれない。ナイフで削っている時、メッチャいい香りがしたもの。
「まぁ……まぁ……、デボラ様は料理もお得意だったのですね。素晴らしい……」
「いや、そーゆー訳じゃ……」
マリアンナに尊敬の眼差しを向けられて、私の背中からダラダラと嫌な汗が流れた。
出汁の取り方もうろ覚えで適当だったはずなのに、料理の神様の悪戯なのか、偶然美味しいものができちゃったみたいだ。
気づけば公爵はいつの間にか猫まんまをペロリと完食していた。
いや、それどころか、
「これ、もう一杯ないの?」
と、図々しくもおかわりを要求。
ちょ、あんまりたくさん食べられると、私のお茶漬けの分がなくなるんですけどーー!
私が青くなったり赤くなったりしている横で、ケストランが男泣きしていた。
「い、今すぐお持ち致します! デボラ様、ありがとうございます! カイン様がこのようにしっかり食事を摂ってくださるのはいつ以来のことか……。やはりデボラ様を頼って正解でした!」
「ちょ、待って、ケストラ……」
私が呼び止めるのも聞かず、ケストランは大急ぎで残りの猫まんまを取りに行った。
ああああ~~~、……私の17年ぶりのお茶漬けがぁ……。
よくよく考えたら今日は町まで下りて買い物したり、自ら料理を作ったりで、私も今、すごくお腹空いてる……。
ぐうっというお腹の音が今にも聞こえてきそうで、私は思わずその場で項垂れた。
「デボラ」
「!」
名前を呼ばれ振り返ってみれば、そこには暗黒オーラ0+余裕綽々の公爵の笑みが。
どう見ても私を煽っているようにしか見えないそれに、こめかみの血管がブチ切れそうになる。
「妻としてのお前の愛情、確かに受け取ったぞ」
「……………っ!!!」
く、
く、
く、
悔しいぃぃぃぃぃーーーーーーっ!!!!!
確かに一粒残さず食べろと言ったのは他ならぬ私だけど、まさかそれが現実になろうとは。
腹の底から湧き上がる怒りは今日も声ならぬ雄たけびとなって、デボビッチ邸中を駆け巡るのだった。
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