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1章 アストレー編

14 恋愛フラグはいりません

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 ――なぜ。

 ――どうして?

 ――Why?


 一体どんな因果が巡って、今私はこんなことをしているのかしら?
 そもそも私はここに、毒草を探しにやってきたのではないかしら?
 そう、今私の膝を枕にして居眠りしようとしているこの男を殺すために。

「申し訳ありません、デボラ様。カイン様は一度こうと言い出したら聞かないのです」
「いいのよ、ヴェイン。夫の要求に従うのは妻の役目。こんなこと何でもないわ、ホホ。ホホホホ……」

 なんでもないと言いながらも笑顔が引き攣ってしまうのは、それが本心ではないからだろう。
 暖かいと言うよりは、むしろ暑苦しささえ感じる温室の東屋で。私は今公爵に望まれたとおり膝枕している。
 そんな私達を見守る生暖かい目が4つ。呆れた風のヴェインと、なぜかニヤニヤと笑っているノアレだ。

「おやおや、こんな所でデートですか」
「ただの居眠りだ」
「ですがあなたがそんな風に誰かに膝を預けるところ、初めて見ましたよ。どうやら今回の奥方は、特別のようですね?」

 ――は? 今何つった、ノアレ? 特別? 私が?
 ええ、結婚初日から存在を無視されて放置されている妻なんて、そりゃ特別も特別でしょうよ! どうか変な勘違いはしないでほしいわ。こいつは私にとっては仇! にっくき敵ですから!!

「カイン様、私などよりもノアレに膝枕して頂いては? どうぞ遠慮なさらずに」

 遠回しに膝枕なら愛人に頼めよと提案してみるものの、公爵はじっとノアレを見て、

「やだ。あいつの膝、硬そう」

 と、プイっとそっぽを向く。
 はぁ? 何その言い方、駄々っ子かよ!?
 べ、別に普段と違ってギャップ萌えするとか、トゥンク……とかしてないからね、全然!

「膝が硬そうで悪うございましたね。と言うことで」

 ノアレは特に怒り出すわけでもなく、ヴェインを振り返る。

「夫婦お二人の時間を邪魔をするのも無粋というもの。私達は失礼しましょう」
「いや、だが……」
「大丈夫、ここの鍵は私とカイン様しか持っていません。ではカイン様、ここから出る時は戸締り頼みましたよ」
「了解」
「え、ちょ……っ」

 その後、ノアレはヴェインを引っ張って特別室から出て行った。
 ちょ、待ってよ、マジっすか、強制的に二人きりにさせられるとか、これなんて拷問!?
 それにこんなチャンスがあるなら、さっきラフレシアもどきから葉っぱの一枚でも採っておけばよかった。そしたらそれを今すぐ公爵の口の中にぶち込んでやれたのに!

「ふぁ~~」
「………」

 私がこれほどわかりやすいほど殺気を放っているというのに、公爵は優雅に欠伸をしている。
 ホント毎度毎度警戒心ゼロな人ね。それとももしかして私、なめられてるのかしら?
 公爵の暢気面を見ているだけで、腹の底から沸々と怒りが湧き上がってくる。

(だ、大体膝枕イベントなんて、好感度が80以上ないと起こらないレアイベントでしょうに!? 毎度毎度この人、悉くフラグをへし折ってくれるわね! 傍から見たら私と公爵はすでにラブラブ……。………。………。――否! そんな事実はなし! 事実無根! 私は枕。単に手短にあった枕でしかないわ!)

 私はなるべく膝の上の公爵を視界に入れないよう、脳内で独り言を繰り返した。
 だってそうでもしないと、すぐに雑念が襲ってくるのよ。膝に当たる公爵のサラサラの黒髪の感触……とか。視線を落とせば嫌でも目に入ってくる、綺麗な寝顔……とか。
 くそぅ、イケメンがイケメンってだけで、これほどの武器になろうとは。
 でも心を乱してはだめよ、デボラ。こんな時こそ、冷静沈着さが必要だわ。
 
(そうだ、心を無にしてお経でも唱えてみよう。亡くなったひいおばあちゃんがよくうちで読経してたっけ。観自在菩薩かんじーざいぼーさつ 行深般若波羅蜜多時はんにゃはーらみーたじ ……えーと、あとは色即是空しきそくぜーくう 空即是色くうそくぜーしき ……だったかしら?)

 こんな時に限って、前世の無駄知識ばかりポンポン思いつく。目を閉じ深呼吸しながらお経を唱えていると、不意に頬を掠めるか冷たい感触があった。

「デボラ」
「うひゃあっ!?」

 私は一瞬ベンチから飛び上がり、閉じていた目を開いてしまった。
 黒い手袋を付けた公爵が私の顔に触れたからだ。しかも下を見た拍子にばっちり目が合ってしまった。キラキラと光る、お日様色の公爵の瞳と……。

「顔、赤いぞ。熱でもあるのか」
「ご、ございませんっ!」
「それにまた、なんか訳のわからない呪文唱えてた。シキソクゼークー……?」
「………あら、やだ」

 しまった。どうやら脳内で唱えているつもりが、いつの間にかお経が声に出てたみたいだ。思考していたことを無意識に発声してしまうのは、私の悪い癖。

「申し訳ございません。不気味でございましたか」
「いや、よく寝れそう」

 うん、わかる。お経を聞いてるとなぜか突然激しい睡魔が襲ってくるわよね。ここに木魚があれば完璧。
 ……なーんて、慣れ合っている場合じゃなーい!
 公爵、いま何気に聞き捨てならないことを仰いましたわね?
 私、しっかりこの耳で聞きましてよ?

?」
「ん?」
「私以前、公爵の前でお経を唱えたことありましたっけ?」
「その呪文、オキョウっていうのか」
「東方の神様を称える言葉でございます」
「ふーん」

 デボラは東方の国について詳しいんだな……と公爵はまた一つ欠伸をした。
 だーかーらー! ボーッとしてないで、私の質問にさっさと答えなさいよ!
 イライラゲージが猛スピードでたまっていく中、公爵は目を閉じたままポツリと呟いた。

「……初めて会った時……」
「初めて?」
「あの時も、お前はそのオキョウとやらを唱えていた」
「……」
「覚えてないか?」
「全く身に覚えがございません」
 
 きっぱり。
 私は断言する。
 というか、私アストレーに着くまであなたの顔さえ知らなかったんだけど?
 もしかしてこれは、ずっと知りたかったことを公爵に問いただすチャンス?

「一度お聞きしたかったんですけど、私、一体どこでカイン様にお会いしました?」
「……」
「どこかの舞踏会? それともお茶会? 叔父から結婚の申し込みについてお聞きした時は、大層驚きました」
「……」
「……」
「……」
「カイン様?」
「……………」

 だけど私が質問すると、今度は一転してだんまり。公爵は顎に指をかけ、何か思案している様子。
 ホホホホ、さすがの私の堪忍袋の緒も、スライスチーズのようにブチ切れそうですわよ? 
 仕方ないので、適当に思いつくことをベラベラとまくし立ててみた。
 
「わかりました。私が覚えていないということは、つまりカイン様がどこかで私を盗み見見て、勝手に見染めた……と言うことでございますわね? ええ、でなきゃ説明がつきませんわ。私のほうはカイン様とお会いした記憶が一切ないんでございますもの」
「………、まぁ、一方的に見ていた……というのは合ってる……かな」
「!」

 意外なことに、公爵からは肯定の返事が返ってきた。
 やだ、なんでこんな時だけ、やけに素直なのよ? 気持ち悪い~……。

「俺は影から見ていた、……お前を」
「………」

 そしてまた、私の顔を見上げながら、シレッと爆弾発言投下。




「――美しい娘だと、思った」

「っっ!!」




 こっ、こっ、この人は……。
 ……なっ、……んで、そんな………っ
 ――……っっ!!
 ~~~っ! ……っ!!!


 一体どこまで、ひ、人をっ、おちょくれば、気……が済む、のよぉぉぉーーっ!?


 ええ、わかっていますよ? 私はデボラ=デボビッチ!
 容姿だけはとんでもなくいい女!
 むしろ容姿しかいいところがない女でもある!

 だから公爵が私の容姿を気に入ったっていうんなら、そうなんでしょうね。
 ええ、そうでしょうとも。
 当たり前のことすぎて、臍で茶が沸いてしまうわ。ホホホホ……。

「デボラ、顔が真っ赤」
「ッッ!」

 だから、そこ! いちいち本人が突っ込むな! しかも無駄にいい声で!
 こっちはさっきから心臓バクバクしてるのを誤魔化そうと必死なのよっ!
 美しい? そう言われて私が喜ぶとでも? ときめくとでも?
 いいえ、私はあなたにときめいたりしない。ドキドキしたりなんてしない。
 恋愛フラグ? そんな旗は真っ二つに叩き折ってやるわ!
 私に必要なのはあなたに対する憎しみと殺意だけ。
 お願いだからどうかこれ以上、ずけずけと私の心の中に踏み込まないで!

「あ、ありがとうございます。カイン様にそう思われていたなんて光栄ですわわわわわ……」

 とにかく冷静さを取り戻そうと、私は表面上だけでも笑ってみせた。それでも気が動転してるのを隠しきれなくて、語尾が震えたのは許してほしい。
 そして再び、公爵の口から予想外の言葉が飛び出した。

「ま、美しいは美しい……が」
「はい?」
「哀れな女でもある……と思った」
「は?」

 哀れ? この私が?
 一体どのあたりがかわいそうだと言うのかしら? ん?

「だってお前、中身が色々残念……」
「――」

 ……………。
 ……………。
 ……………。
 ……………。

 公爵は口角を上げ、私の膝に頭を預けたままクックッと笑い出す。
 
 ……………。
 ……………。
 ……………。
 ……………。



 あーあーあーあー、そうですか。

 外見が美しくとも、中身が残念で申し訳ございませんでしたねぇぇぇーーーー。


 ずいぶん失礼なことを言われたというのに、怒り出すよりも先に、なんだか急に脱力してしまった。
 公爵は何がおかしいのか、私の膝の上で小声で笑い続けている。
 でも立ちかけていた恋愛フラグを叩き折ったのが私ではなく公爵のほうで、なんだかホッとしてしまった。
 だって私が残念な女なら、これからも新妻放置プレイは続くということだもの。
 これで私も気兼ねなく、自由に、公爵殺害計画を練ることができる。

「デボラ、怒ったか?」
「いいえ、怒ってなどいません」
「でも不機嫌?」
「不機嫌でもございません。つまらない質問をして大変申し訳ございませんでした」

 もうこの話は終わり、と言わんばかりに、私は公爵から目を逸らした。
 とにかく公爵がどこかで私を盗み見て、勝手に見染めて、勝手に求婚して、でも中身が残念だから放置した。
 うん、今まで抱えてきた疑問が解けて超すっきり!
 こんなにも毒草が溢れているところで殺してやれないのは残念だけど、とりあえず謎の一つが解けただけでも、今日は良しとしよう。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

 そうしてからしばらく、長い沈黙が続く。
 時を置いたせいで、乱れていた胸の鼓動もようやく正常に戻ってきた。私をからかうように笑っていた公爵も再び目を閉じ、本格的に居眠りを始めたようだ。ガラス枠から降り注ぐ光の粒子が、公爵の長いまつ毛の上で乱反射している。

「……デボラ」
「はい」
「俺のほうからも一つ、質問していいか?」
「何でございましょう?」

 寝入り端、公爵から一つの質問が投げかけられた。それは先ほどとは違い、少しトーンダウンした声。
 
「この特別室で栽培しているグレイス――以前に見たことはあるか?」
「? いいえ、ございません。だってあの花は、この地方の特産なのでしょう?」
「………」
「カイン様?」

 なぜそんなことを尋ねるのだろう?
 不思議に思って、逸らしていた視線を再び公爵に向けるけど。

「――ならばいい。今の質問は、忘れてくれ」
「………」

 完全に瞳を閉じているせいで、公爵の意図がどこにあるのかは読み取れなかった。
 うーん、元々何考えているのかわからない人ではあるけれど、そんな意味ありげに問われると逆に気になるじゃないの。

(あの奇跡の花がなんだっていうのかしら? でも本当に見覚えないのよねぇ……)

 小首を傾げながら、私はとにかく一刻も早くこの地獄の膝枕の時間よ終われと、そればかりを必死に念じていた。
 思い返せばこの時の私は、かなりのほほんとしていたと思う。





 ――だって知らなかったんだもの。

 私の運命を狂わせた元凶が、まさかこの小さくて可愛らしい花だったなんて。

 そして奇跡の花グレイスを巡る事件に、この先巻き込まれることになるなんて。

 この時の私は何も――本当に何一つ真実を、知らずにいた。


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