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さようなら。俺は出ていきます。

俺、目を覚ます(加筆修正済)

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あのまま高熱で意識を失った俺。
気が付くと、状況は一変していた。
ゲイルの一括が効いたのか、父親である公爵の目がようやく覚めたのだ。

公爵は俺を放置してはいたが、俺を憎んではいなかった。
俺のあの酷い環境は全て侍女頭が公爵の指示を悪意をもって曲解し、築かれぬよう画策した結果だったようだ。

さすがに自分のしてきたこと、いや、してこなかったことを後悔したのか、公爵はようやく俺をしっかりと認識し「息子」として扱うことにしたらしい。これまでの贖罪のように、俺の環境を激変させた。
まずは俺の部屋が激変していた。
目を覚ました俺は、自分がこれまでの固い寝床ではなくあたたかな柔らかい寝具に包まれていることに気付いた。
俺は寝ている間に、磨かれることもなく劣化し毛羽だった床、粗末な木製のベッドに薄い布団という物置部屋から、ふかふかのカーペットが敷かれた床、豪華な飾り付きのベッドにふかふかと体が沈み込むような布団、絵画や花の飾られた豪華絢爛な部屋に移されていたのである。

ふと横を見ると、ゲイルが俺の手を握ったまま寝入っていた。どうやら夜通し看病してくれていたようだ。
疲れ切ったようなその顔には、無精ひげが浮かんでいる。

俺は感慨深く彼を眺めた。
俺は思った。
ゲイルのお陰だ。
彼のおかげでサフィはようやく求めていたものを得た。
サフィが眠りにつく前に俺が感じたサフィの気持ちは、満たされた暖かなものだった。
また元気になるまで、ゆっくりと眠りな。サフィ。
こんなに穏やかなサフィを感じるのは初めてだった。
よかったね。
早く起きて。そして俺と一緒に幸せになろう!

血のつながりもないサフィのために、自らの危険も顧みず公爵という高身分の貴族に立ち向かってくれたゲイルに、俺は感謝していた。
魂がすりきれるまで頑張ったサフィに幸せを与えてくれたゲイルに、俺は感謝していた。

「……ありがと」

俺はそっとそのひげ面を撫でた。

もしもこの世界の家族がいるとすれば、それは亡くなった母だ。
そして、血のつながりはないけれど必死にサフィをかばい、惜しみない愛を感じさせてくれたゲイルなのだと思った。

だから。
俺は、公爵を捨てる。

公爵のあの驚愕した様子を見ると、確かにこれまでのサフィの窮状は公爵の意図しないものだったのだろう。
あのいつもサフィに色々な呪詛を吹き込んでいたあのクソ女が仕組んだのだろう。
思い当たるふしは沢山あった。
あいつは明らかにサフィに悪意を向けていたから。

でも、サフィにとってそんなことはどうでもいい。
知らない事だって、罪なのだ。
知ろうとせず、目をそらして逃げ続けてきた公爵。
ちょっとでも目を向けたら気付いたはずなのに…。
知らなかったから、そんなつもりはなかったから、なんて言葉で終わりなのか?
愛する人を失った辛さ、悲しみ、苦しみは理解できる。
でも、それは本来自分で乗り越えていくものだ。
その辛さに浸りきり、見ないふりで逃げるなんて単なる負け犬だ。
勝手に「可哀想な私」ってマスターベーションしてただけじゃん。
あんたがマスターベーションしてる間にさあ、サフィが何されてたと思うんだよ!
大人だろ?
子供の面倒をみるのは大人の仕事だろ?
なにさぼって好きに引きこもってんだよ!ちゃんと仕事しろよ!

公爵が後悔しようと、どうしようと、俺はもう決めた。
公爵がサフィの親だなんて、認めない。
公爵はサフィの家族なんかじゃない。
ゲイルが、俺を貰ってくれるって言ってた。だから…俺はゲイルの息子になる。

ほんの少しの優しさ。たったそれだけでサフィは満たされたんだ。
どうして誰も彼にそれを与えてやらなかったのか。
幸せになっていい、なんの罪もないサフィ。
親を、家族を欲しがったサフィは、きっと公爵のことも子供たちのことも許してしまうんだろう。
誰のことも恨んだりしない、そう言う子だから。
だから、俺も公爵を恨まない。嫌わない。
でも、絶対に家族だなんて認めない。
サフィが苦しんだことを、悲しんだことを、彼らに決して忘れさせたりしない。
そして、あいつらの前で、俺とゲイルという家族のしあわせを見せつけてやる!
ゲイルといっしょに、めいっぱい幸せに生きてやる!
俺の価値を目の前で見せつけてやるんだ!

「こんなスゲエ俺を逃すなんて、馬鹿な奴らだよな!後悔しても遅いよ。
今度は俺がアンタらを捨てる番だからな!
俺はもう自分で家族を選んだ。アンタらは家族じゃないから!」

って。


俺は俺の中で疲れ切って眠る小さなサフィの魂のことを思って涙を流した。
がんばったね。がんばったね。
欲しがった家族だよ、サフィ。
涙を流しながら、俺はサフィの身体が俺の身体になっていくのを感じた。
俺の魂とサフィの魂が同化していく。
高校生の俺の意識が、知識は俺のままにサフィの年齢相応なものになっていく。
きっと身体の年齢にひきずられているんだろう。
サフィは俺。
俺は、サフィになったんだ。

*********************


ふと、頬に触れる冷たいものに気付き、ゲイルは目を開けた。
すると、目の前にはただ黙って涙を流し続けるサフィが。

「サフィラス様!どうなさったのですか?
どこか痛いところがあるのですか?苦しい所があるのですか?
このゲイルに仰ってみてください」

慌てて起き上がるや否や、その手をサフィのおでこにあてたり、袖をめくり脈を取ったり身体を撫でたりするゲイル。
そんなゲイルに、サフィはキョトンと目を見開いた。
そして

「……あはは。だいじょうぶ。もうだいじょうぶ」

と言って笑った。
やせ細った血色の悪い小さな顔に浮かんだ泣き笑いのような笑顔は、それでもまるでひまわりのようだった。
周りを明るくし、照らし出す光のようだった。

(…エリアナにそっくりだ)

生まれたときは、色合いしか似ていないと言われていたサフィラスだが、4年の間にいつの間にか亡くなったエリアナに似た面差しとなっていた。
特にこうして笑う顔を見ると、あのいつも微笑んでいたエリアナにそっくりだった。

(公爵様がもっと早くこの子に向き合っていれば、この子の待遇も違ったものになっていただろうに…)

サフィに笑われたゲイルは、恥ずかしそうに頭を掻くと、改めてサフィに向き合う。

「改めてご挨拶致します。ゲイルと申します。
あなたの亡くなられたお母様の親戚にあたり、お母様とも親しくさせて頂いておりました。
私は医者なんです。あなたのご出産にも立ち会わせて頂いたのですよ。
あれからあなたのことをずっと心配しておりました。
これまで何度も公爵様にあなたに会わせて頂きたいとお願いしていたのですがそれもかなわず…。
お身体がお弱いと聞いておりましたが、きっと他の医師に診て頂いているのだろうと…お母様をお救いできなかった負い目もあり、無理を通すこともできずにおりました。
このような状況になるまで何もできず、申し訳ございませんでした」

そして、サフィの手をその暖かな手でしっかりと握り、その目を見つめる。

「これからは、ゲイルがおそばにおります。
サフィラス様さえよろしければ、このゲイルと一緒に来ていただけませんか?
私は寂しい独り身です。跡を継いでくれる子もおりません。
どうか、私の子供になっていただけないでしょうか?
もしもサフィラス様がいいとおっしゃるのならば、私が公爵様に掛け合います。
これまでのあなた様への扱いは、到底許されるものではありません。
あんな扱い!家族がすることではありません!
あなた様が許されても私は許しません!
公爵家がごねようと、私がなんとかいたしますので。
サフィラス様のよろしいようになさってください。
公爵家の異論など、この私が認めませんから!」

私にもそれなりに伝手があるのですよ、任せてください、と言ってどす黒い笑みを浮かべるゲイル。
サフィにも、彼が本気で「自分の息子に」と言っていることが伝わってきた。
このまま公爵家に居るのか、それとも公爵家から籍を抜き、ゲイルの養子になるか。
その選択はサフィの知らぬ間にサフィに委ねられたようだ。

……もう答えは決まってるんだけどね!

その時。
コンコン、と扉がノックされ、執事の声が。

「失礼致します。
サフィラス様はお目覚めでしょうか?」

入ってきたのは、父親であるグランディール公爵。
その後ろからおずおずと顔を出すのは、兄のライオネルとリオネルだった。

それに答えたのは、サフィラスではなくゲイルだ。
彼はさっと俺の姿を背に隠し、公爵たちの目に触れぬようにした。

「先ほどお目覚めになったばかりです。
サフィラス様はまだまだ本調子ではございません。
明け方にようやくお熱が下がったところなのです。
このように消耗されているお方に、いまさら一体なんのお話があるというのでしょうか?
もう十分に頑張っていらしたのです。
これ以上無駄にお心を疲れさせぬよう、何かお話があるのなら手短に願います」

お前らがいまさら何の用なんだ、さっさと出ていけ、といわんばかりである。
まるで子を守らんとする子煩悩な狼のようなその姿に、背に庇われたサフィはくすぐったいような気持ちがした。
むずかゆいような、何とも言えない恥ずかしさに耐えきれず、サフィはそっとゲイルの服の裾を掴んだ。
そして、上目遣いで恥ずかし気にゲイルの名を呼ぶ。

「ゲイル。ゲイル」

「どうされました?サフィラス様?」

(サフィが!俺を呼んでいる!なんて可愛いらしいんだ!)

公爵に対するのとは打って変わって、穏やかに優しい表情でサフィに向き直るゲイル。
そんな彼に、サフィは微笑んだ。
かわいらしい声音で、幸せそうにその小さな口から紡がれた言葉。

「まもってくれてありがと。サフィ、ゲイル すき」

ゲイルの目がぐわっと見開かれた。

「!!!!ゲイルもですよ!ゲイルも、サフィが大好きです!!」

思わず我を忘れ、サフィラスを抱きしめるゲイル。

「ぼくもすき!
でも、ぎゅうっ、いたい。やさしくぎゅってして!」

それでも幸せそうに笑うサフィ。

幸せそうな2人に、存在を全く無視されてしまった形になった公爵たちは呆然と立ち尽くした。
この子はこんな顔をして笑うのか。
こんな顔もできたのか。

ライオネルとリオネルは思った。

(前にこの子の笑顔を見て思った。
自分がお母様を殺した罪人だと理解してないんじゃないのか、っと。
でも…この笑顔は、あの顔とは全然違う。
あれは笑っていたんじゃない。
この子は、これ以上私に嫌われないためにと、そうするしかなかったんだ。
私たちが自分のいら立ちをすべて幼いこの子にぶつけていたから。
この子のせいにすることで母のいない辛さから目をそむけていたから…。
酷いことを言った。酷いことをした。
気付いた時にすぐに謝るべきだった。助けるべきだったのに…。
私にその勇気がなかったために…この子は…)

(……かわいい。僕の弟。僕より小さな、僕の弟。
こんな顔もできたんだ。
僕がこの子からこんな笑顔を奪っていたんだ…。
僕だって、兄だったのに。
お兄さまが僕にしてくれるみたいに、僕がこの子にしてあげなきゃいけなかったのに。
僕、いっぱいイジメて、ごめんねも言わなかった…)


そっと伸ばしかけた手を引っ込めた。
自分たちにそんな資格などないと思って。


一方、公爵も同様だった。
ゲイルとサフィラスは、まるで仲の良い親子のようだ。
血のつながった本当の家族である自分は、この子を無視し、その結果この子を傷つけることになった。
この子の不遇の元凶だ。
それなのに、父でもないゲイルは、まるで本当の子のようにサフィラスを愛おしみ、守ろうと私にまで牙を向いて見せた。
そう、私たちをサフィラスの敵と認識して。
確かに、私はサフィラスにとって敵であったのだろう。
妻であるエリアナを失い、悲しみのあまり全てをサフィラスにおしつけた。
辛すぎて、彼を見ることすらできなかった。サフィラスさえ見なければなんとかなると、彼から逃げたのだ。
その結果、エリアナを敬愛していた使用人たちにサフィラスを軽んじさせた。
サフィラスに対する悪意ある噂を皆に吹き込んでいたのは、エリアナ付きだった侍女頭だった。
侍女頭が全て白状した。

彼女はエリアナを慕うあまり、サフィラスがエリアナを殺したのだと思い込んだ。
そして、サフィラスへの恨みと憎しみを募らせた。
「公爵家の息子として最低限の食事を与え世話をするように。嫡子にするような必要以上の世話は必要ない」という私の言葉を曲解し、皆に「公爵は息子を嫌っている」「いらない子だと思っている」「生きるのに最低限の食事と、世話をすればいい」と申し付けたのだ。
当主の嫌う子に肩入れなどすれば、その使用人の身も危なくなる。
サフィラスに近づくものは居なくなった。食事や世話も「生きるのに最低限」に絞られた。
更には、世話を入ったばかりの侍女複数人に分担させ、食事のタイミングで交代させた。
そうすることで「前の担当が食事を運んだ」「後の担当が食事を運ぶ」のだと誤解させ、サフィラスにまともに食事を与えなかったのだ。

今更分かったところでどうしようもない。
こんな女を侍女頭とし、サフィラスを任せたのは私なのだ。
目が曇っていたとしか言いようがない。
信頼してはならないものを信頼し、その後は放置した。
私がサフィラスの現状を招いたのだ。
そのうえ、サフィラスから目をそらし、使用人たちのサフィラスへの不敬に気付かず、罰することもせず見逃し続けてしまった。
私が一言いえば、サフィラスの置かれた状況はすぐに正されただろうに…。
使用人の管理すらろくにできぬなど、当主失格だ。
私も侍女頭に加担してきたようなものだ。

ゲイルの言うとおりだ。
私は…サフィラスにとって、まさに「命を脅かす敵」でしかなかった。
今更悔やんだところで何になろうか。
私にできるのは、サフィラスの望むことを叶えること、それだけだ。
サフィラスが何を望もうと、すべて叶えよう。
サフィラスの罵倒も、甘んじて受けよう。
償いきれない罪を、私は犯したのだから。




ゲイルと幸せそうにしていたサフィラスが、ふと公爵を見た。
その瞬間、浮かんでいた笑みも、瞳の暖かな色合いも姿を消した。
公爵を見るその目には、一切の感情の色は無かった。

「……こうしゃくさま、ぼくに なんのごようですか?」

幼い声で呼ばれた「公爵様」という呼称に、公爵はまるで針で胸を刺されたような気がした。
これまで、無視はしていたが、サフィラスの声は聞こえていた。
「おとうさま」と呼ぶ幼い声には、確かな愛情と、すがるような響きがあった。
公爵は今更気付いた。彼は無意識に、それを好ましいと思っていたのだ。
それなのに、今のサフィラスの声には、一切の感情がない。
仕方なく言わなければならないことを言う、それだけ。
まるで紙に書かれた文章をそのまま読んだかのような、そんな無機質な響きだった。

公爵の顔から血の気が引いた。
これまで彼は、自分がサフィラスを捨て居ないものとしていたにもかかわらず、サフィラスは自分を捨てることはないとどこかで思っていた。
自分は親なのだから、サフィラスは私のものなのだから、と。
何の根拠もない勝手な理屈だ。分かっている。
でも、サフィラスの方から離れていくことはないのだと、どこかで思ってしまっていたのだ。
それが間違いであったことをまざまざと突きつけられた。

当たり前だ。
生まれてからずっと、最低限の食事と世話以外はひとりぼっちで放置されて育った。
誰からも愛情を与えられず、虐げられ、無視されてきた。
それらは全て私の指示によるものだと思いこまされてきたのだ。
私がサフィラスを嫌い、不遇に追いやるよう指示しているのだと。
それでもサフィラスは何度も私に語り掛けてくれた。
笑いかけてくれた。
それを無視したのは、私なのだ。
サフィラスの不遇にも気付かず、放置してきたのは私なのだ。

そんな相手にどうしてずっと愛情を持ち続けることができようか。

しかも、そんな扱いをしていたのにもかかわらず「避けられないお披露目の為だ」と無理やりに貴族教育を詰め込んだ。
最低限の教育すらしてこなかったくせに、1年でなんとかしろという無茶。
追い込まれた教師がこの子に体罰を行っているのも知っていた。
知っていて無視したのだ。
「教育」に「罰」は必要悪なのだから、と。
自分も同じように教育されたのだから、と。
まさかあそこまで逸脱した暴力を振るっていようとは思いもよらなかった。
だが、それも言い訳にしかなるまい。
この子の命を脅かしたのは、まぎれもない、この私なのだ。
これで親だなどとどうしていえようか。

ゲイルは言っていた。
「このままではご子息まで失いますよ」と。
サフィラスの命はゲイルのお陰でつなぎ留められた。
でも、ゲイルの言う通りだった。
もう遅かったのだ。

公爵は自分の愚かさのせいで3人目の息子の心を永遠に失ってしまったことを悟った。




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