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第4章 神の君臨

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ひとが考え事してる時に……」

「それは儂らのことかな?」

 振り下ろした本気の斬撃で今度こそ神輿は粉々に砕け散った。
その余波が雑兵たちを軽々と吹き飛ばしていく。

「あら、びっくり」

「白々しいわい!」

指先で軽々と白刃どりされた刀を振り払い、ロイケンは刺突、袈裟斬り、踏み込み斬り、斬り払いと息つく暇もない連続攻撃を繰り出す。

「すっごい、ソールデュインの攻撃そっくりじゃない!」

「……儂の師じゃからな」

「え~! じゃあ、人間と駆け落ちしたって話本当なの!? 詳しく教えてよ!」

 攻撃の全てを避けられ、軽々と投げ飛ばされるロイケン。
地面に転がるとその傍らにはにこにこと微笑むヘラが話を聞かせてくれと顔を近づけてきていた。

「誰が貴様などに!」

「え~、じゃああの子殺しちゃお~」

頬を膨らませたヘラは掌から紫色の光弾を発生させ、いそいそと詠唱の手伝いをするパニーナめがけて放った。

「パニーナ嬢!」

砂煙を巻き上げ、ヘラの目を欺く。
瞬間移動にも見えるような歩法を駆使して最速の突きを放ち、光弾を軍勢の方へと弾き飛ばす。

 眼前にまで光弾が迫っていたパニーナは腰が抜け、瞳から大粒の涙をこぼしていた。

「泣くにはまだ早いぞ……パニーナ嬢」

「は、はい!」

 詠唱を続けるキリルの目線に従いながら、再びパニーナは神片を並べていく。
振り返ったロイケンは血反吐を吐きながらも刀を両手で構え、ヘラを見据える。

「ソールデュインの恋バナ知りたかったのに、振られちゃったぁ」

「——来い」

 神と軍勢を相手取るロイケンの活躍、その傍らレヴィーはフォゼに攻めあぐねていた。

「救国の英雄ロイケン・イーン復活、か……是非とも詩にして留めたい。そう思わないか?」

「——忠義を忘れ、悪に組する者と同じような風情は持ち合わせていない」

「忠義を忘れ……か」

 そのまま動かずに隠し持っていた竪琴で旋律を飛ばす。
察知が遅れたレヴィーは為す術もなく旋律の殴打でその場で片膝をついてしまった。

「勘違いするなレヴィー。元より私の主はヘラ様以外にはいない」

「……下衆が」

「お前達はヘラ様や私の動きを止めておけば包囲陣も止まる、そう考えているな?」

 ほんの一瞬だけレヴィーは視線をフォゼから切った。
なんと何もせずとも軍勢は白目を剥きながらクレイス達の元へと突き進んでいく。

「君と戦いながらでも私は音を奏でられる……訊くが、君はここにいて良いのかね?」

薄く目を開いたフォゼは心底いやらしい笑みを浮かべた。
包囲陣の外で戦ったことが裏目にでたレヴィーは渾身の拳をフォゼの旋律にぶつけ、その反動で陣の中へと戻っていく。

「ふふっ、どちらにしろお荷物を抱えたまま戦い抜くなど不可能だ」

 優雅に旋律を奏でながら、フォゼも包囲陣の中へと進んでいく。
人の波がフォゼを勝手に避けていき、悠々とした旋律だけがあたりを包んでいく。

「神の思し召し通り。勇者が死ぬだけだよ」

 仲間が必死に戦っているのをクレイスもゼルヴェも眺めるしかなかった。
悔しさで噛み締められた口の端からは血が垂れ、握った拳から指をはがすことが出来ない。
魔王と勇者との決着よりも、悪戯に人生を翻弄してきた悪に対しての怒りだけが二人を燃え上がらせた。

 そんな二人を見ながらキリルは今まで以上に高速で詠唱を紡ぐ。

ロイケンやレヴィーがなんとかしてしまうのではないか、とも脳裏によぎったが、この二人の因縁に自分たちで決着をつけさせたいと思ってしまう。

 死地に送る行為だと分かっていても、後ろで瞳を閉じている少女への思いを感じると自分にできることは頑張れ、と背中を押すことだけだと思ってしまうのだ。

「『霞み……消える空、荒廃した太陽の光を……』」

神片の声が聞こえるキリルとはいえ、数百の神片を同時に発動したことはなかった。

今まで多くても五つ。

軽々と限界を超えた上で高速詠唱しなければならない重圧はキリルの脳を吹き飛ばす寸前で、口を動かすことすらも綱渡り状態であった。

(堪えろ……私だけ諦めるわけるわけにいかないじゃん……!)

 その奮闘を背中で感じるロイケンはヘラのちょっかいにしては強大すぎる攻撃を弾き返しながら、包囲陣から突出した一団を斬り裂いていく。

戦いながら分数を数えていたロイケンはキリルが約束した分数の半分を折り返したことを認識していた。

「あと二分半……老体には応えるわい」

(ロイケン……どうして……)

斬り合いを演じる最中、ロイケンにとって何よりも崇拝する神の声が聞こえた。
その瞬間、ロイケンは凄まじい量の血を吐いて片膝をつく。

「なるほど……縛ったのかぁ、命を」

歪んだ笑みのヘラがロイケンの身に何が起きているのかをはっきりと知覚した。

「哀れねソールデュイン。私なら似た形の男を探すけど?」

血の色と同じようにロイケンの視界は黒に染まった。耳に届いていた叫び声が途切れる。

師の終わり。
それを見てしまったクレイスはキリルへと怒号を飛ばした。

「キリル! 今すぐ撃て!」

 神経を研ぎ澄まし詠唱を続けるキリルの肩が震えた。
中途半端な回復能力では神につけられた傷を癒す事は叶わない。
しかし、クレイスの復讐心も理解できるからこそにキリルは惑いに囚われた。師の覚悟か、弟子の懇願か。

「頼む……!」

 詠唱に使われていた口が、解放の術式に移ろうとする。
それを弱々しい声で止めたのは意外にもゼルヴェだった。

「やめろ……神に与するつもりか?」

「うるさい! ゼルヴェには何も分からないだろ!」

脳裏を巡る修行の日々。
厳しい指導ばかりだったが、その磨き上げた技術がクレイスの中に息づいている。

ロイケンがいたからこそ、クレイスは戦士になれたのだ。

「恩も何も返してない……なのに見殺しにしろって!?」

「その命を懸けてまでお前達を護りたいのだろうが! 男の覚悟に……水を差すな!」

 何よりもロイケンの覚悟を分かっているのに飛び出そうとした弱き己をクレイスは憎んだ。
だからこそ限界などいくらでも超えてやろうと、震える手足で剣を構える。

「助けに行く。ここで立てなきゃ男じゃないって……」

「バカを言うな! 立っているのもやっとだろう!」

「ロイケン爺の弟子なら、これくらい出来なきゃいけないんだ……!」

 よろよろと歩き出すクレイスを呼び止めるパニーナ。
そんな光景を死の淵にいたロイケンは虚な瞳で見つめていた。
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