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第3章 勇者と魔王

浅はかな嫉妬

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 その先で進み続ける魔王軍は統率され、一糸乱れぬ行軍を続けて国々を恐怖に陥れた。
存在するだけで畏怖の象徴になってしまう魔王軍は、まさに恐怖という概念そのもの。

「ふむ。作戦は順調……勇者は孤立したか」

 旋律を植え付けたフォゼの作戦をレヴィーが誰よりも利用していた。
思惑通りに事が進み、必ず魔王が勝てる状況を作り上げる。

万が一もないほどに、がレヴィーの魂胆だった。斥候を軍の前方へと返し再び魔王の側へと戻る。

「ゼルヴェ様! レヴィー様!」

軍勢の後方を進む魔王の元へとゾオンで追いついてきた伝令係は、息を切らしながら傅く。

「どうした?」

「テュイア様が危篤でございます! 封印のため詳しい検査はできませんでしたが……ただの睡眠とは全く異なり……」

言い淀む伝令に対し、背を向けたまま迸る覇気を飛ばす。

「水晶のような繭に、身を包まれているようでして……」



 魔王城で眠るテュイアはまさに、美しい琥珀のようだった。水晶の中で人目を閉じる少女に精気はない。
魔王と勇者の争いが波及していることはゼルヴェにとって簡単に理解できることだった。


「フォゼ、レヴィー。軍の指揮を任せる。このまま進軍しろ」

「どちらに?」

「決まっている……」

 機械仕掛けの羽が大きく開いた。機械的な動きをするそれは飾りでもなんでもない。
クレイスの剣と同じように神が与えた装備「剛翼ガブリエル」だった。

そのまま高く飛び上がったゼルヴェは仇敵となったクレイスの元へ羽ばたく。
嫌な予感を胸に抱えながら、ゼルヴェは進軍直前の記憶に意識を飛ばした。



 進軍を始める日の朝、私は進軍前にテュイアの顔を見てから発とうと思っていた。

 太陽が昇り、テュイアが目覚めると、妖艶な笑みと共に視線で怪しく撫でてくる。

「おはよう、ゼルヴェ」

「——変わったな、テュイア」

 記憶の中にいる朗らかな笑みを浮かべる少女はいない。
順調に身体を成熟させていく少女は、心身ともに変わったということなのだろうか。

「貴方のおかげなのよ」

「なんだ、私の方がお前の王としてふさわしいからか?」

冗談のつもりで放った言葉をテュイアは指で空間を丸くなぞり、正解だと告げる。

「貴方の見せてくれる景色、想いは勇者より多い……ゆえに私も貴方色に染まっていくの」

 神の契約の影響なのか、テュイアは勇者や魔王にふさわしいように変わっていくと暗に告げた。

魔王にふさわしい王妃に変わっていく彼女を見ればクレイスも羨むはず、と私は満足感に包まれた。
羨む、その感情を考えた時、それが全ての発端な気がしてならなかった。




「ゼルヴェ。早くテュイアのところに行こう?」

「ゼルヴェ、今日はクレイス来てないの?」



 別々に会えば必ず両者から向けられる言葉。



 互いに気づいていないにしても、二人が互いを想いあっていることは明白だった。
俺も特に気にしていなかったし、二人が結ばれれば盛大な式をあげようとも思っていた。

「——ああ」


 はずなのに。



「テュイアは白い花が好きなんだってさ」

「クレイスはとっても優しいの。今日もたくさんお菓子を持ってきてくれたわ!」

 求められなかったせいか、俺は歪んだ。
 欲しくなってしまったのだ、愛でも何でもない。

 優越感に浸るためだけに。
俺は仲間をまとめる指導者でいたい。
手に入れられるものは全て手中に納めたい。
気を向けてもらえない哀れな男の心がゆっくりと壊れるのは止められなかった。

「何で俺じゃない?」

 冒険の旅と称して三人で何度も遊んだ、自分の気持ちを見ないようにするために。

クレイスからテュイアを奪う。
羨望を俺に向けろ、敬愛を俺に向けろ、俺が……俺だけが先導者だ。

手に入れられなかった愛を、俺に奪われた者を悔やめ。

 そうやって心が歪んでいく中、神が力を与えてくれた。
俺は神に力を授けられた時、すぐに力を行使した。
クレイスに俺の方が優れていると見せつけるためだ。


 だが、結果はどうだ。


 戦って少女を取り戻そうとした俺に、神はずっと甘言を吐き続けていた。
秘めていた欲望に火をつけようと神が心の中に入り込んでくる。

身体の内から湧き上がる力を知覚した時に俺は壊れた。壊れたと思わなければ壊れてしまいそうで。

「どういう事だ……? なぁ! 神よ!」

「こうなるか……まあ、気長に待ちましょう。他にも方法はあるし」

 能力を放ち、友を地平線の彼方まで吹き飛ばす力に俺は震えた。
取り返しのつかないことをした事実だけが俺を襲う。

「おい! どうなってる! テュイアは、クレイスはどうなった!」

 神は過ぎた力だけを残して消えた。
それをどう扱うべきなのかも分からない子供だったと思う。友は消え、少女は眠りについた。

 俺はどうするべきか分からなかった……ただ欲しかった言葉だけはわかる。

「いいなぁゼルヴェ」

 たったそれだけなんだ。
矮小な嫉妬心に駆られ、小さかった欲望がどうしようもなく膨らんで俺の身体の全てを支配する。



 情けない話だ、償えぬ罪を抱えたと思い込み、より非道な魔王として振る舞おうと努めた。
これがクレイスと袂をわかったあの日から続く確執。

 幼き日にクレイスとテュイアに向けた小さな羨望を、自分にも向けて欲しかっただけなのに。
自分が犯した罪はどんどん巨大化し、決して償えるようなものではなくなっている。
善人に戻るなど不可能、命尽きるその日まで悪と呼ばれる道を突き進む……それが俺への罰だ。



 浅はかな嫉妬から始まった、愚かな歴史の。



 剛翼ガブリエルが風を突き破った音と共に、意識も帰ってきた。
拒絶と受諾ラヴァーがもたらす拒絶の推進力により、勇者と魔王の間はどんどんと縮まっていく。

どんな結果になろうと魔王は勇者と決着をつけなければならない。
もはやゼルヴェには魔王として悪の道を貫く選択肢しか見えていなかった。




 一瞬にして見えなくなった魔王の方角を眺めるレヴィーは心配そうに瞳を揺らす。

「レヴィー、行きたまえ。指揮は私だけで充分だ」

「なんだと……?」

「君が危惧している万が一という状況が起こらないとは言えない」

 口をつぐむレヴィーは心の内を見透かされたことを恥じた。
一切表情に出したつもりはなかったが、鼓動や音に関するもので気付かれてしまったことに。

「余計な口出しはやめろ。私は魔王の命に従う」

「勇者は今一人だ。君の作戦で仲間割れしているが……闇討ちという可能性も捨てきれない」

 反りが合わないとはいえ、捕捉の旋律や実力についてなどの技量をフォゼを認めていた。

その忠告は魔王をそばで守りたいレヴィーにとっては甘い誘惑にも似ている。

「——すまない、ここは任せた」

ゾオン騒動の反省なのか、フォゼは借りは返したと言わんばかりに微笑んだ。
その慈愛に満ちた笑みには天使のような側面を感じさせられてしまう。

「そばにいるのは、君の仕事だ……私は決戦の調べをここで奏でる」

 巨大な神輿のような本部は神片の力で運ばれており、悠然と浮いていた。
魔王が座っていた巨大な本陣へとフォゼは乗り込み、巨大なハープのような弦楽器を出現させる。

「世界が変貌する。そこに私の音色を残せるとは……感激の極み!」

世界を包む勢いの音圧には微動だにしないレヴィーは、珍しく声を張るフォゼに驚いた。

音色が指示のように陣形を動かしていく。

「頼んだぞフォゼ」
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