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プロローグ
夢幻の逢瀬
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神は死んだ。
人々は寄る辺を失い、か弱き人間だけで生きていくことを余儀なくされた。
だから、僕が抱えている苦難も未来も、己の力で切り拓かなきゃいけない。
自分ではどうにも出来ない夜の訪れを有難がりながら、この心地よい夜で時間が止まればいいのにと、いなくなった神に何度祈ったことだろう。
そのまま少しだけ歩くと一人で僕の到着を待っている少女が視界に飛び込んでくる。
僕は走った。いつもは僕が待つ側だったから。
風と共に靡く薄茶色の髪。月明かりを浴びる華奢な身体を縮こませて、小さな切り株に腰掛けている。
そして嬉しそうに微笑む少女へ傅くように僕はしゃがみ込んだ。
「クレイス!」
「テュイア、待たせてごめん」
月夜の逢瀬、なんて響きのいい言葉ではない。
月が出る夢幻の中でしか、僕はテュイアに会うことは出来ないのだ。
そうだ、これは夢。
夢の中だけが僕と囚われの姫を繋いでくれる。
「待ちくたびれたよっ!」
「ご、ごめん!」
「ふふ~、でも、何だか顔がにやけてるけど~?」
いたずらな笑みを浮かべるテュイアはその理由を知っているかのように顔をにやつかせた。
「……テュイアといられる時間が多いからね」
神々しさを感じる白いローブのような装衣を弾ませて勢いよく彼女は立ち上がった。
輝くような笑顔が、まるで月よりも神々しく感じられていた。
「ふふっ! 今日はどんな話をしてくれる?」
「んー、今日は大した冒険をしてないからなぁ……」
「ダメだよ~クレイスは勇者なんだし! あ、ちゃんとパーティの人とは上手くいってる?」
「勇者……本当にガラじゃないんだけどなぁ。テュイアの言う通りそこそこやってるよ」
ここで言っているのは言葉の綾でも何でもない。
僕は勇者そのものになってしまったのだ。
いや、詳しくは思い出したくないし語りたくないが、そうさせられてしまった。
「勇者には仲間がつきもの! たくさん作って大事にしなきゃ!」
母親じゃないんだから、という言葉を僕は飲み込んだ。
身長は僕の方が圧倒的に高いけど、世話焼きで自分のこと以上に僕を気にかけてくれる姿はまるで姉や母のよう。
そんな彼女がいるだけで、パーティなんて必要ないと思えるほどだった。
「そう言われてもなぁ。今みたいに二、三人いれば充分だし……」
仲間が多い方がいい、それは同感だ。
その方が生き残る可能性も高くなる。
だけど、僕は心の中にテュイア以外をなるべくいれたくなかった。
パーティと見る冒険の景色なんていうものを求められなければ、僕はずっと独りでいたはずだ。
「じゃあ今日は最近パーティのみんなと、どういう感じなのか知りたいな」
「前と何も変わらないよ。役割に応じて一緒に冒険してるだけだって」
口がはぐらかすように動く。二人しかいない小高い丘は、まるで神に懺悔する聖丘のようで。
「私が一緒にいたら、絶対に皆と仲良くさせるのになぁー」
仲間が近くにいても埋めようのない寂しさを見抜いてきたテュイアは悲しそうにそう呟いた。
そんな顔をさせてしまうのは勇者失格だが、僕は気持ちを堰き止められない。
「ああ。僕はテュイアがいれば……」
肩にかけようとした手はすり抜けてしまう。
抱き寄せても、水面を触るように僕らの距離は変わらなかった。
「……絶対に魔王を倒して君を取り戻す」
逢った時は楽しげに笑えていたはずなのに。
自分のワガママのせいで彼女の笑顔を歪ませ、切なさを含む赤と青のオッドアイと視線が交差する。
「君を魔王城に囚われたままになんてさせるもんか」
「勇者『クレイス・アルカイオ』、どうか……」
そして夢が終わりを迎える。
テュイアの瞳越しに見える世界が僕の脳内にも流れ込んでくる。
見えない鎖に繋がれた彼女は禍々しい古城で目を覚ますのだ。
「よく眠れたかい? テュイア」
「ええ、私の魔王」
機械仕掛けの翼を背負い、白き衣を纏う魔王。
切れ長な瞳は冷徹そうな印象を僕へと突き刺してきた。
銀色の髪が朝日によって輝きを増し、魔王の威厳を高めているかのようで余計朝が憎く思えた。
この魔王こそ倒さなければならない敵だとテュイアの微睡から伝わってくる。
この刹那、僕と魔王はテュイアの目を通じて睨み合っているのだ。
「神の施した封印を解くのは、勇者の勇姿か魔王の覇道か。私を救うのは、どちらか」
その時のテュイアは別人のような挑発的な笑みを浮かべているように感じた。
「それはもちろん、この私だ。どれだけ時が巡ろうと君を必ず手に入れる」
手を伸ばしてくる魔王の手は見えない障壁によって防がれた。
僕も歯噛みするが、魔王も同じように苦々しい表情を浮かべている。
「死にゆく神が残した最後の呪縛……私が解いてみせるさ」
「勇者を殺して?」
「……それが奴と私に突きつけられた条件。魔王を排して真の勇者になるか。私が勇者を殺し、世界から希望を摘み取るか」
仰々しく言葉を続けた魔王の様子を見て、僕がテュイアの視界を通じて魔王城の中を見ていることに気づいたのかもしれない。
「神頼みは出来ない。数多の神は全て死に絶え、力の欠片だけが世界に降り注いだ」
その言葉はまるで視界越しにいる僕へ突きつける挑発のようにも感じられて、吠えられない現状に苛立ちが募る。
「戯曲じみた演技はいらないわ。私は狭い古城に閉じ込められて退屈なの」
僕の左目が熱くなる。魔王も右目を抑えた。封印を施した神により、僕らの目はテュイアにつなげられている。
「死に墜ちた神よ。我らに勇者と魔王の責務を与えし神よ。この世はすでに人の世だ。お前が姫に残した呪いなど軽々と打ち砕いてみせよう!」
その掛け声と共に、寝室の窓が開いた。ひらけたバルコニーから見えるは整然と揃った魔王の軍勢。
強大な魔王軍に寒気を覚えたのも事実だが、テュイアは恍惚の表情を浮かべている。
「見ろテュイア! これが私の作り上げる力の世界だ! 好きなだけ見せてやる! 力で蹂躙する魔王の姿を!」
負けられない、テュイアを救うのは僕だ。
軍勢に負けないくらいに魂が吠える。
そしてテュイアが完全に目覚める共に僕は視界から弾き飛ばされた。
「待っていろ……魔王『ゼルヴェ・ルシルフェルス』!」
その咆哮に気付いたように魔王は笑った。
「かかってこい! 勇者『クレイス・アルカイオ』!」
激流に飲まれたように俺の意識は上空を吹き飛ばされていく。
黒雲に包まれ、強大な軍勢を抱える魔王城を抜ける。
神の残滓が溢れ、荒波が如く溶岩が荒れ狂う火山地帯を飛んだ。
鬱蒼と生茂り、何人たりとも迎え入れようとしない神秘的な樹海を抜けた。
波一つ立たない穏やかな海を船が進んでいく。
そして、神を亡くしたいくつもの国同士が殺し合いを続けている。
どんどんと魔王城から離れ、大陸を越え、海を越え、丸い惑星の裏側まで意識が飛ばされる。
これが魔王と僕の距離。忌わしい地から早く助け出さなければ、その焦燥感と一緒にいつも目を覚ます。
「テュイア……」
僕は、昇る太陽が嫌いだ。
人々は寄る辺を失い、か弱き人間だけで生きていくことを余儀なくされた。
だから、僕が抱えている苦難も未来も、己の力で切り拓かなきゃいけない。
自分ではどうにも出来ない夜の訪れを有難がりながら、この心地よい夜で時間が止まればいいのにと、いなくなった神に何度祈ったことだろう。
そのまま少しだけ歩くと一人で僕の到着を待っている少女が視界に飛び込んでくる。
僕は走った。いつもは僕が待つ側だったから。
風と共に靡く薄茶色の髪。月明かりを浴びる華奢な身体を縮こませて、小さな切り株に腰掛けている。
そして嬉しそうに微笑む少女へ傅くように僕はしゃがみ込んだ。
「クレイス!」
「テュイア、待たせてごめん」
月夜の逢瀬、なんて響きのいい言葉ではない。
月が出る夢幻の中でしか、僕はテュイアに会うことは出来ないのだ。
そうだ、これは夢。
夢の中だけが僕と囚われの姫を繋いでくれる。
「待ちくたびれたよっ!」
「ご、ごめん!」
「ふふ~、でも、何だか顔がにやけてるけど~?」
いたずらな笑みを浮かべるテュイアはその理由を知っているかのように顔をにやつかせた。
「……テュイアといられる時間が多いからね」
神々しさを感じる白いローブのような装衣を弾ませて勢いよく彼女は立ち上がった。
輝くような笑顔が、まるで月よりも神々しく感じられていた。
「ふふっ! 今日はどんな話をしてくれる?」
「んー、今日は大した冒険をしてないからなぁ……」
「ダメだよ~クレイスは勇者なんだし! あ、ちゃんとパーティの人とは上手くいってる?」
「勇者……本当にガラじゃないんだけどなぁ。テュイアの言う通りそこそこやってるよ」
ここで言っているのは言葉の綾でも何でもない。
僕は勇者そのものになってしまったのだ。
いや、詳しくは思い出したくないし語りたくないが、そうさせられてしまった。
「勇者には仲間がつきもの! たくさん作って大事にしなきゃ!」
母親じゃないんだから、という言葉を僕は飲み込んだ。
身長は僕の方が圧倒的に高いけど、世話焼きで自分のこと以上に僕を気にかけてくれる姿はまるで姉や母のよう。
そんな彼女がいるだけで、パーティなんて必要ないと思えるほどだった。
「そう言われてもなぁ。今みたいに二、三人いれば充分だし……」
仲間が多い方がいい、それは同感だ。
その方が生き残る可能性も高くなる。
だけど、僕は心の中にテュイア以外をなるべくいれたくなかった。
パーティと見る冒険の景色なんていうものを求められなければ、僕はずっと独りでいたはずだ。
「じゃあ今日は最近パーティのみんなと、どういう感じなのか知りたいな」
「前と何も変わらないよ。役割に応じて一緒に冒険してるだけだって」
口がはぐらかすように動く。二人しかいない小高い丘は、まるで神に懺悔する聖丘のようで。
「私が一緒にいたら、絶対に皆と仲良くさせるのになぁー」
仲間が近くにいても埋めようのない寂しさを見抜いてきたテュイアは悲しそうにそう呟いた。
そんな顔をさせてしまうのは勇者失格だが、僕は気持ちを堰き止められない。
「ああ。僕はテュイアがいれば……」
肩にかけようとした手はすり抜けてしまう。
抱き寄せても、水面を触るように僕らの距離は変わらなかった。
「……絶対に魔王を倒して君を取り戻す」
逢った時は楽しげに笑えていたはずなのに。
自分のワガママのせいで彼女の笑顔を歪ませ、切なさを含む赤と青のオッドアイと視線が交差する。
「君を魔王城に囚われたままになんてさせるもんか」
「勇者『クレイス・アルカイオ』、どうか……」
そして夢が終わりを迎える。
テュイアの瞳越しに見える世界が僕の脳内にも流れ込んでくる。
見えない鎖に繋がれた彼女は禍々しい古城で目を覚ますのだ。
「よく眠れたかい? テュイア」
「ええ、私の魔王」
機械仕掛けの翼を背負い、白き衣を纏う魔王。
切れ長な瞳は冷徹そうな印象を僕へと突き刺してきた。
銀色の髪が朝日によって輝きを増し、魔王の威厳を高めているかのようで余計朝が憎く思えた。
この魔王こそ倒さなければならない敵だとテュイアの微睡から伝わってくる。
この刹那、僕と魔王はテュイアの目を通じて睨み合っているのだ。
「神の施した封印を解くのは、勇者の勇姿か魔王の覇道か。私を救うのは、どちらか」
その時のテュイアは別人のような挑発的な笑みを浮かべているように感じた。
「それはもちろん、この私だ。どれだけ時が巡ろうと君を必ず手に入れる」
手を伸ばしてくる魔王の手は見えない障壁によって防がれた。
僕も歯噛みするが、魔王も同じように苦々しい表情を浮かべている。
「死にゆく神が残した最後の呪縛……私が解いてみせるさ」
「勇者を殺して?」
「……それが奴と私に突きつけられた条件。魔王を排して真の勇者になるか。私が勇者を殺し、世界から希望を摘み取るか」
仰々しく言葉を続けた魔王の様子を見て、僕がテュイアの視界を通じて魔王城の中を見ていることに気づいたのかもしれない。
「神頼みは出来ない。数多の神は全て死に絶え、力の欠片だけが世界に降り注いだ」
その言葉はまるで視界越しにいる僕へ突きつける挑発のようにも感じられて、吠えられない現状に苛立ちが募る。
「戯曲じみた演技はいらないわ。私は狭い古城に閉じ込められて退屈なの」
僕の左目が熱くなる。魔王も右目を抑えた。封印を施した神により、僕らの目はテュイアにつなげられている。
「死に墜ちた神よ。我らに勇者と魔王の責務を与えし神よ。この世はすでに人の世だ。お前が姫に残した呪いなど軽々と打ち砕いてみせよう!」
その掛け声と共に、寝室の窓が開いた。ひらけたバルコニーから見えるは整然と揃った魔王の軍勢。
強大な魔王軍に寒気を覚えたのも事実だが、テュイアは恍惚の表情を浮かべている。
「見ろテュイア! これが私の作り上げる力の世界だ! 好きなだけ見せてやる! 力で蹂躙する魔王の姿を!」
負けられない、テュイアを救うのは僕だ。
軍勢に負けないくらいに魂が吠える。
そしてテュイアが完全に目覚める共に僕は視界から弾き飛ばされた。
「待っていろ……魔王『ゼルヴェ・ルシルフェルス』!」
その咆哮に気付いたように魔王は笑った。
「かかってこい! 勇者『クレイス・アルカイオ』!」
激流に飲まれたように俺の意識は上空を吹き飛ばされていく。
黒雲に包まれ、強大な軍勢を抱える魔王城を抜ける。
神の残滓が溢れ、荒波が如く溶岩が荒れ狂う火山地帯を飛んだ。
鬱蒼と生茂り、何人たりとも迎え入れようとしない神秘的な樹海を抜けた。
波一つ立たない穏やかな海を船が進んでいく。
そして、神を亡くしたいくつもの国同士が殺し合いを続けている。
どんどんと魔王城から離れ、大陸を越え、海を越え、丸い惑星の裏側まで意識が飛ばされる。
これが魔王と僕の距離。忌わしい地から早く助け出さなければ、その焦燥感と一緒にいつも目を覚ます。
「テュイア……」
僕は、昇る太陽が嫌いだ。
応援ありがとうございます!
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