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Season1 セオリー・S・マクダウェルの理不尽な理論

#034 科学者はロマンチストである Catharsis

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 二人相手にするとなると本気を出さなければならなくなる。まだ量子サーキットの見せるのは今後の事を考えるとそれはあまりにもリスクが大きすぎる。

「安心して下され、これ以上貴女達と事を構える機はありませんよ。こちらには全く利が無いことは聡明な貴女であれば理解できるでしょう」

 踏ん切りが付かず手を拱いていると、警戒されていると勘違いしてくれたことは幸いだった。確かにſ・ſランジェス・エスズの言う通り、あちらには利が無い。最もセオリー達にも利はないわけだが――

「その男を失う事の方が組織にとって損失になるという事でしょう?」

「ご理解頂けて何よりです」

 一体自分が何をやっているのかと肝心なことを忘れていたことにセオリーは、神経を逆なでされて一発殴ってやらないと気が済まない。

「みすみす逃がすとでも? 理由は簡単。貴方達はわたくしの逆鱗に触れた――」

 次の言葉を発する前にセオリーはſ・ſランジェス・エスズの背後を取る。既に起動していたオントロジーエコノミクスによる瞬発力強化だ。

That's the reason!ただそれだけよ!

 振り下ろされる手刀。ſ・ſランジェス・エスズの首を狙った一撃。例え全身サイボーグだとしても脳までは機械化は不可能。脳と各種回線が密集している首筋は最大の弱点。

 しかし、セオリーの一撃は空を切る。

「やはりお若いですな」

 突然の背後からの声に振り向くが既にいない。&・&アンパサンズの姿も無い。気配の先はセオリーの背後、振り返ってもſ・ſランジェス・エスズの姿は無いだろう。

「ええ、若さが弾けていますでしょう?」

「この老体めには羨ましい限りですな。何、そう遠くない内にお会い出来ることでしょう。次は飛び切りのをご用意して頂きます故、今晩はこれにて……」

 忽然と気配が消え、咄嗟にセオリーは振り向くがやはり姿は無い。ſ・ſランジェス・エスズの言葉が気がかりだ。まるで再び相見あいまみえる事が予定されているような口ぶりだった。

「茶ね……」

 本当に悔しい思いをしたのは久しぶりだ。幼い頃、二人の姉や妹にゲームで負けた以来かもしれない。このカタルシスのぶつけるのは次の機会までに取っといてやることにした。
 
 一陣の酷く湿った風が公園の木々を揺らしセオリーの髪を撫で始める。

 今夜はこれから天気が急遽崩れるそうだ。

「さて、皆を回収していきましょう」

 一応の決着がつき、気持ちを切り替えセオリーはそそくさと車へと戻っていた。


 8月31日。首相官邸前――

 その後の話だが、事件の一件を終えたセオリーは長い調書の後、約束通り真波の案内の下、観光を楽しみ、次の日は暁との観光を楽しんだ。暁の顔が痛々しいまでに酷く嫌そうな顔をしていたのは言うまでもない。その時のセオリーは本気でホテルに連れ込もうとして、行方を暗まされたのはまた別の話。

「本当に助かったよ。セオリー、君には感謝している」

「はっきり言って、わたくしは何も出来ておりませんわ。肝心の重要参考人を取り逃がしましたし」

「それでも君のお陰で人は人の意志で未来を選択できるようになった」

「それは思い違いです。いつか夢は覚めるものです」

 ロビーから出るセオリーの後を、少しやつれたような顔の修彰が追っている。

 「アセンション」という薬物の件を首相自らの言葉で記者会見を行った。与党も野党も半分以上の議員を辞任させ、マスコミにも当然叩かれた。世間もあらゆる企業、組織や団体の上層部も追及され社会は崩壊寸前とも言われている。

 政治家に関して言えば、政治に影響を及ぼすには選挙で勝つことが必要であり、国にとって何かが最善かではなく、自分が選挙で支持が得られるにはという『自分を存続させるには』の『自己存続』の考えに飲まれがちだ。その結末がコレだ。

 しかしながらGADSの脆弱性を理解してしまった人々は、これからどうすればいいのかと混乱している。一方で2週間がたった今日では徐々にではあるが修彰ように未来を自由に選択できるのだという明るい意見も出てきている。

 それは何のことは無い。自殺したいと考えている人ほど、その裏返しで生きたいと強く願っていると同じように、絶望に打ちひしがれている人間ほど、まだ希望があると強く願っていたという事だ。

 もう人間は『同調圧力』、『利権への固執』、『保守的思考』、『排他的な全体主義』などと言った『悪夢』からは覚め、真に『福祉』、『援助』、『絆』、『自由』といった夢を叶えるべきであるとセオリーは考えている。

 次第に『自己存続』の考えは影を潜めることだろうとセオリーは思う。飽くまでも当分の間は――

「なぁ、セオリー。GADSが崩壊寸前の今、これから僕達はどうすればいいと思う」

 人の意志で未来を選択できるようになったと自分で言っておいて、何を言っているのかとセオリーは言いたかった。

 好きにすればいいとも言いかけたが、彼女は「レーツェル!」と叫び、呼んで見せる。

『なーに? セオリー?』

 振り返り掌にのった電子の妖精を修彰に見せつける。

「人の幸せにするための人工知能と言うのでしたら、まずはこの子の様に自分だけが起動できる自己崩壊プログラムを組み込むことをお勧めしますわ」

 実はレーツェルにはレーツェルだけが起動できる自己崩壊プログラムが組み込まれている。人の脳をベースに設計されたプログラムでありながら金属の筐体に包まれていては、人の心など分かるはずもないという三笠博士の個人的な思想に基づくものだろう。

 正直、セオリーは自己崩壊プログラムの存在を知ったとき三笠博士はなんてロマンチストで素敵な方なんだろうと思った。

「人の世界には自ら命を絶てる手段が溢れています。酷い言い方をすれば、首でも吊ればいつでも自殺できるという事です。三笠博士は自己崩壊プログラムを彼女に積むことで、人と同じように自ら命を絶てる手段を与えました」

 そんなものは何の意味も無い、人工知能が自らそれを起動する訳がないと誰もが言うだろう。セオリーはそれに異を唱える。むしろ三原則よりも重要ではないかとも少し思っている。

「全てに絶望し自殺したいと思う人の苦悩。身を焦がす程の恋をしたときの自らを壊したいと思う程の苦悩。また全てをやり遂げた後や、やることが無く消えてしまいたいという退屈からくる苦悩も、自己崩壊プログラムを積むことで、人工知能も少しは理解出来るのではとわたくしは考えています」

 たとえ技術的特異点シンギュラリティを迎えたとしても、人間と機械の関係が支配隷属という関係ではなく、友情や愛情といった絆が生まれるのではないかとセオリーは考えている。
 
 希望的観測は好きじゃない。しかしそれ以前にセオリーは科学者であり、過去の偉人がそうであったようにロマンチストだ。そういうのもたまには悪くない。

「君らしい解答ね。やっぱり君を……いや何でもない」

 何かを言いかけたのを呑み込んで修彰は「検討してみよう」と呟きながら首を横に振って、セオリーに笑顔を見せた。

 最初に会った時に比べて、当然やつれてはいるのだが、一皮剥けた様な、憑き物が落ち様でとてもすっきりしている。

「先日お会いしましたけど、真波、まだ少し脈が残っているようですわよ。連絡入れて差し上げたら?」

 嘘ではなかった。観光の際、言葉の機微から察するにまだ未練がある様だった。修彰は一瞬狐につままれたような顔を見せるが肩を竦めるところを見る辺り、今晩にでも電話を入れるに違いない。矛盾に見えるようで、それは矛盾でもなんでもない。

「それでは修彰、お元気で」

「ああ、君もな」

 互いに握手を交わし、セオリーは官邸を後にし、そのまま空港へと向かった。

 思い返せばとんだ夏休みだった。本当に観光できたのは2週間だけ、ガラパゴス諸島の知人、友人達への土産は残りの一週間で慌てて用意する始末で、凡そ1か月半本当に濃密な時間を過ごした。

 空港に到着したセオリーは意気揚々とロビーを向かう。それは自分の到着を待っている彼らと――

「遅ぇよ」「遅いですよ。二人とも」『待ちくたびれたよ』

『お待たせ~』

「ごめんなさい。お待たせいたしましたわ」

 彼らと待ち合わせるためだ。暁と凰華、レーツェル刹那は『ペット』扱いということで特注のゲージに入っている。皆少し垢抜けて初めて会った時に比べれば随分いい顔をしている。

 四課が総理大臣直轄になったことにも関係するが、彼らは今後外務省に身を寄せる事になるそうだ。

 長年彼らを縛り付けていた汚名はようやく晴れとはいかないが、正式に命令書が出されるまでの間は急かという事で、ガラパゴス諸島を滞在先に選んだというのが顛末だ。

 あの神秘の島に訪れれば、彼らは本来の快活な自分を取り戻すことがきっと出来るだろう。

「さぁっ! 皆さんっ! ストレス発散憂さ晴らしに行きますわよっ!」

 心が躍るあまり、高らかに拳を上げて恥ずかしげもなく宣言するセオリーは、ロビー中の旅行客の注目を一斉に浴びる。

「恥ずかしいからやめろっ! この馬鹿っ!」

「セオリー殿っ! 腕を下ろしてっ! 何をやっているんですかっ!? もうっ!」

『やれやれ……』

『ほんとセオリーはマッドだよね~』

 彼らに叩かれ思わぬ赤っ恥を掻いていた事を自覚したセオリーは、自分の顔がかあっと燃え上がっていのを感じる

 非常に居た堪れない気持ちで一杯になったセオリーは石の様に固まってしまい、結局彼らが引きずるようにして、神秘の島へと帰ることになった。
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