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Season1 セオリー・S・マクダウェルの理不尽な理論

#028 魔女の魔法 Object

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 銃や刃物を使えば人をほぼ確実に人を殺めてしまうため、セオリーは加減が出来る護身術として格闘技を修めた。

「この怪物モンスターめ……」

「そうですね。確かに貴方の言う通り、わたくし怪物モンスターに違いないですわ」

 次第に積み上がっていく気絶した仲間の山を前にした副団長と呼ばれる青年は、苦悶の表情を浮かべているのを見て、セオリーは薄笑いを贈ってやった。

 賢い人ホモ・サピエンスからしてみれば、確かに怪物モンスターには違いないので、その核心を付いた言葉にセオリーは思わず笑ってしまった。

 凡そ10分は経過しただろう。セオリーは凡そ三分の一は片づける事が出来たが――

 額の汗を拭うセオリー。実のところ熱帯夜の中、身体どころか遺伝子に鞭を打っている状態だった。いくら強化していると言えど、乳酸や活性酸素、熱の発生は抑えきれない。

 セオリーはお気に入りの赤いワンピースを脱ぎ捨てた。折りたたんでいる暇が無いのは全く不愉快で極まりない。

(既に糖は使い切り、脂肪も底を付いてきたし、そろそろ自食オートファジーが始まりますわね)

 自分の胸が一回り小さくなり明確な基準となっているのは色々な意味で残念で仕方がない。

「相手は疲弊しているが、何かを隠しているかもしれない気を付けろ」

 副団長の青年は良い感をしている指揮も戦術も上々。だが今一つ下手くそ過ぎて相手にするのも正直飽きてきた。

「それにしても……貴方達、そんなもの着こんで暑くありませんの?」

 金属バットを振りかざしてきた青年を飄々と投げ飛ばすセオリーはふと気になったのでぶつけてみる。

「……我々は鍛えているっ! 貴様になど遅れをとるものかっ! それに警視庁に幽閉されている団長を救うまでは膝を折る訳にはいかないのだっ!」

 完全に酔いしれていて、セオリーは会話が成立していないように感じてならない。

「幽閉? あの男から何を吹き込まれたのか知りませんが、警察は恐らく単に保護しているだけですわよ?」

「そんな見え透いた嘘を誰が信じるものか」

 やはり会話が成立しないようだ。セオリーが感じたものは錯覚ではなかったと、呆れて溜息を付く。

 しかし副団長の青年の言う通り、出し惜しみをしているのは確かであり、趣向を変えるのも悪くないとセオリーは思った。

「……でも、そうですわね。その恰好さぞ暑いではなくって? 面倒くさくなってきましたし、そろそろ手法を変えましょう」

 彼女の雰囲気の変化に、敏感に反応した騎士団気取りの青年達は身構え始める。
 
「レーツェル、監視カメラの映像の差し替えは完璧なのですのよね?」

『もちろん』

「今すぐ実行してくれるかしら?」

『イエス、マムっ!』

 セオリーは大きく深呼をした。

「この姿は姉とかぶるので本当は嫌なのですが……仕方がありませんわね」

 うんざりした表情で不満を呟いたセオリーは脳裏で符牒を刻み始める。

(ジーンオントロジー……1番から7番染色体系統……CPT2、ADIPOQ、PHOX2B、以下省略……寒冷誘発熱発生の正の調節、DNA修復、ミスマッチ修復、以下省略……アセチレーション)

 右手に目がくらむほどの青白い輝線が走り、全身を包みこんでいく。その見たことも無い光景に青年達は見惚れ、まるで戦う事を忘れたように微動だにしない。

(量子サーキット起動……ホログラフィックプリンシパルオブジェクト……サーモプロトコル3……インスタンス……)

 セオリーは更に符牒を続けると、目が冴える程の燃えるような緋《あか》い髪が、蒼炎の如く揺らめく煌きへと変わっていく。

 セオリーの一つ上の姉は白化個体アルビノ。容姿が被るのが彼女は堪らなく嫌だった。

「さて、皆さま。『熱力学』の基礎の授業です。全てのエントロピーの基点となる、それは何かしら?」

 彼女の突然の変化に何が起きたのか理解できず騒ぎ始める青年達。

 彼等の中から『絶対零度……』と呟くのが聞き取れ、意外にもゲームばかりしていて勉学が疎かになっていないようで、セオリーは安堵の微笑を彼らに贈る。

「正解っ! 絶対零度ですわっ!」

 セオリーは人差し指を空に掲げる。指を差した先を中心点に夜空へ青白い光の波動が空一面に広がっていく。

「なんだっ! 一体何をしているっ!?」

 副団長の青年が慌てふためいているが、セオリーは微笑を浮かべたままだった。

 都会の真夏の夜空を覆っていく光の波動は、濁った空気を浄化していくかの如く、空を清澄せいちょうな冬空へ変えていく。

 しかしその鮮やかな空の時間も束の間、次第に暗雲が立ち込め、真夏だというのに凍えるような重い冷気が突如吹き荒れて、青年達を包み込んでいく。

「雪……」

 空を見ていた青年達の誰かが呟く。熱帯夜であった真夜中に季節外れ雪が降り始めている。

 青年達は完全に戦っていることを忘れ、しとしとと舞い降りる雪に目を奪われ始める。

 しかしそんな感動の時もまた儚いもの。凍えるような冷気の嵐はその激しさを増し、降雪の勢いも更に強まっていき、あっという間に局所的な暴風雪を観測することになった。

「ほら、さっさと帰宅しませんと本当に凍え死にますわよっ!」

 氷点下の極寒と化した一帯の中、セオリーが生き生きとした様子で右手を振りかざすとたちまち暴風雪が吹き荒れた。

 手掌で冷気を操り、天候を支配したセオリーへ最早誰も近づくことが出来なくなる。

 オントロジーエコノミクスにより寒冷誘発熱遺伝子を最大限に発揮させたセオリーには、青年達が身震いを起こす極寒は炎天下の中、ようやくくありつけたエアコンの効いた部屋のようであった。

 まさにセオリーの身体へ水を得た魚のように活力に満ち溢れる。

「む……無理ゲー……」
「魔法なんてCCCには無かった……」
「チート……」
「これ……現実……?……」
「ラスボス様……」

 数十人といた青年達は一人残らず、突如鮮魚用の巨大冷蔵庫に投げ込まれたかのような理不尽な寒さにガタガタとふるえて、体力を根こそぎ奪われていっている。

 レーシングスーツなんていう防寒性の低い衣類を着込んでいたこと大きいが、誰一人「アセンション」で寒冷耐性へ回さず、肉体強化に優先したのが裏目に出たのが大きい。

「こんなものかしら」

 セオリーは雪原と化した周囲を見渡すと誰一人立っている者が居なくなっていた、右手を下げ暴風雪を鎮めていく。

『本当にセオリーは一体何者?』 

 携帯端末から話しかけてくるレーツェル。監視カメラからの映像を見ていたのだろう。まるで魔法を使っていたような光景にAIである彼女でも思考が追い付いていない様子だった。

「ただのしがないマッドサイエンティストで……す……」

 最後まで言い切る前にセオリーは全身の力が抜け顔面から雪の中へ倒れ込んだ。

『セオリーっ!』

 突然の出来事にレーツェルは声を荒らげた――が、彼女の腹部からくぅーと情けない音声を拾い唖然とする。

『もしかして、ただお腹空いただけ?』

「もう……だめ……死んじゃう……」
 
 オントロジーエコノミクスを全開放したため、全身のカロリーというカロリーを消費してしまい、極度の飢餓状態に陥りセオリーは一歩も動けなくなった。

 そんな雪上に俯せで倒れたセオリーの傍へすっと一台の車が止まった。

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