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第一章 どうして僕が彼女を『放』っておけなかったのか

第26話 今宵は素敵な『夜』になりそうだ

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「そうだね。どうも僕はそうじゃないらしい。別に構わない。君を止められるなら!」

 我ながら本当に何を言っているのか。今度こそ命を奪われるかもしれないというのに。その本人と向かい合おうなんて真面じゃない。

 いったいいつから? 今ここでアルナと対峙したときから? いや、あの雨の日。最初に彼女と出会った時から、とっくに普通じゃなくなっている。

「わからない……わからないよ……でも、どうしても邪魔をするというのなら……」

 アルナはスカートを少し託し上げると、するりと薄刃が中へと吸い込まれ消失した。

「私が貴方を殺す」



 放たれた殺気で、屋敷の空気が張り詰めていく。

 だけど、もう臆さない。多分今日が最後の機会。

 また引き下がってしまったら、きっと二度と彼女とは会えなくなる。

 これは意地だ! 端から覚悟は出来ている。

 アルナの足元に白い火花が散った刹那、ふっと姿が消えた。来るっ!

 腰を落とし、身を屈めると、後頭部をアルナの手刀が掠め、猛烈な風切り音を響かせる。

 真面に貰ったら、頭と胴が切り離されかねない一撃。後ろ髪が少し持って行かれたけど。

 身体を翻し、アルナを捕えようとしたが――既にいない。

 多分初撃と同じ縮地功で躱したんだ。縮地功は基礎的な象気による高速歩法術。

 眼には見えないけど、攪乱し隙をつこうと空間を立体的に、縦横無尽に駆け巡っているのは分かる。

 同等の速さで動かなきゃ視界に入れることさえ敵わないか。なら!

 象気を足に集中させ床を蹴る。滅血拳の縮地功【群光迅セレリティ】――。


 捉えた! 彼女の纏う象気……何て綺麗なんだ。まるで青白い花火のよう。

「まさかミナト!? 貴方も象術をっ!? 私の【絶鬼道ジュッグアィドゥ】にそっくりなんて!」

 光と雷の残光が絡み合い、夜露を含んだ庭園内を走り抜ける。

 海のように広い芝生へと出るとほぼ同時、僕等は再び跳躍した。

 交差する技と技。衝突する気と気。アルナの攻撃は全部急所ばかりを狙ってくる。確実に殺すつもりきている。

 だけど、ハウアさんじゃあるまいし女性を殴るなんて真似、死んでも出来ない。

 互いの腕が激突する。なんて力だ。

 一度気を緩めようものなら簡単に吹っ飛ばされそう。

 それになんて形相。こんなアルナ初めてだ。

 歯を食いしばって睨みつけて、とても女の子がする顔じゃない。

「ミナトっ! 貴方は一体っ!?」

「決まっているじゃないか! 僕は君の友達だっ!」

 アルナの表情に迷いが見えた。

 怒りじゃない。苦しんでいるんだ。

 いったい誰が彼女を? 半分は自分に間違いない。残りは多分一族の掟。

「過ち犯そうとしている友達を放っておけるわけないじゃないか!?」

 捕まえようと手を伸ばすも半身をひねって躱された。

 翻り様、蛇に似たうねりをする何かを、視界の端に捉える。

 咄嗟とっさに防いだ腕に、極太の鞭で殴られたような衝撃が走る。ビリビリといつまでも後を引きずる痛み。

 なるほど、初めてアルナに殺されかけ、欄干に叩付けられたのはこれだったんだ。

 アルナの白くて細い脚がしなって、立て続けに死角から飛んでくる。

 どうなってるんだこの軌道!? まさか関節でも外れているのか!?

  まるで無数の蛇に襲われているみたいだ。段々変な趣味が目覚め――じゃなくて!

 マズイ! 防御が間に合わない! だけど急所に食らえば一溜まりも無い。

 不意にアルナの手の中で何かが煌き、反射的に手甲の鋼の部分で弾いた。

 こ、これは【麗月】の暗器、柳葉飛刀――。

「しまったっ!」

 視線を落としたわずかな隙をつかれ、右脇腹にアルナの強烈な蹴りが突き刺さる。

 衝撃波と鈍い音が体内に響き渡る。

 間違いなく肋骨6番と7番にヒビが入った。

 肝臓周辺は筋肉が少なく鍛えにくい。

 激痛のあまり危うく蹲りそうなったところに空かさず畳みかけられる。

 辛うじて防ぐも、内臓の位置が変わるぐらいの重い衝撃に、軽々と身体が吹っ飛ばされた。

「ぐっ!」

 夜露の滴る芝生の上に叩きつけられ、肺から空気が抜けた。

 直ぐに身を起こしたのも束の間、馬乗りでアルナに地面へと押し付けられる。

 眼前に飛刀を突きつけられ、殺意が揺らめく刃先を目にしても、僕は――冷静だった。

「ハァ……ハァ……どうしたん、だい……殺さないの?」

 お互い肩で息をしながら、雨露にまみれた僕達。

 濡れた長い髪が月の光で煌く。

 不謹慎とは分かっていたけど、アルナの姿が、なんというか、とても色っぽかった。

「何で……」

 声を絞るように、そんな寂しげな言葉がアルナの震える唇から零れてくる。

 やがて彼女から堰を切ったように嗚咽が漏れ始めた。

「どうして……思い出のままで……いてくれなかったの……どうして……綺麗な思い出のまま……」

 ふと額に温かい露が滴って、流れ落ちていく。

 悪いことをした。

 一歩間違えれば最後の別れが殺し合いという一番強烈な記憶を刻みつけてしまうところだった。

 自分にとっての故郷がそうであるように。

 彼女の頬にそっと触れ、微笑んで見せた。
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