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61.【番外編】残るもの
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※滑り込み
一応ホワイトデーの話です。
2024年3月13日
その日、潤は早朝から出掛けて行った。翌日からツアーファイナル武道会館3日間が始まるにも関わらず、だ。しかし、以前から今日のイベントについて彼から聞いていたので、起床時間が早過ぎたことには驚いたけれど、特に不思議に思うことはなかった。
作曲家兼ピアニスト、そして潤の実父である倉科元によるチャリティコンサート。13年前に震災が起こって以降、彼は毎年この時期にコンサートを開催しては、その収益を災害支援に充てているらしい。
特に、今年は1月にもまた別の災害が起こったことで、例年以上に力が入っているようだ。仕事では普段関わりのない潤を特別に舞台に呼んだことも、彼がこのコンサートに熱を掛けている表れのように思える。
「ヒナキさん、明日仕事なんだよね。残念……」
昨夜、早い時間に「おやすみ電話」を掛けてきた潤が、悲しそうにそう言ったのが印象的だった。僕だって、叶うことなら潤の勇姿を見たかった。しかし、今日の仕事はどうしても外せない事情があったのだ。
時計を見た。今の時刻は12時15分。あと45分で、コンサートが始まる。潤が以前にライブ配信で宣伝したこともあり、チケットは完売しているようだ。潤が舞台に上がるのはサン=サーンスの一曲だけとのことだったが、それでも普段見られない彼の姿を見られるなら、と多くのURANOSファン(或いはJUNのファン)がチケットを求めたらしい。
「はあぁ~」
僕はほとんど無意識のうちに、普段なら絶対に仕事中に出さないような悲壮な声をあげていた。休憩時間とはいえ、気を抜きすぎたかもしれない。そう思った直後、ちょうど近くにいたMEGが、カラカラと笑い声を上げた。
「何かあったんすか? ヒナキくん」
「えっ」
僕は思わず姿勢を正し、彼に向き直った。今日は、以前から話していた、URANOSのMV撮影に関する打ち合わせ日なのだ。失礼をするわけにはいかない。
「お、お疲れ様です! MEGさん」
「お疲れ様でっす」
挨拶をして、愛想笑いを浮かべた瞬間、手からスマホが滑り落ちる。MEGは目敏くそれを見つけると、さっとしゃがみ込んだ。
「落ちましたよ」
「すみません! すぐ……」
拾います、と言い切る前に、彼の手が僕のスマホに触れた。そうして、拾い上げられた瞬間、傾きのせいでロック画面が映し出される。
「あれ? これって」
MEGが、目を丸くする。引いているというよりは、好奇の色が浮かんだように見えた。彼の目は、画面の中の「ヴァイオリンを弾く潤」に釘付けだ。
「あっ」
なんだか、この状況には覚えがある。随分前だが、潤と初めて2人で出かけた時にも、同じように落としたスマホの画面を見られてしまった——しかも、あの時は本人に。
血の気の引く思いがしたが、なるべく平常心を装うと、彼に向かって手を差し出した。
「ありがとうございます」
「ハハッ、んな畏まらなくていいですよ。はい、どーぞ」
「すみません」
MEGはあくまで爽やかな笑みを浮かべている。潤から話を聞く限りでは、彼は素では怖い人なのかと思っていたが、ステージで見るのと変わらずカッコいい男のようにしか思えない。ホッとすると同時に、初めて彼と対面で話をすることに、僕はすっかり気分が浮かれていた。
「にしても、ホントにジュンのこと大好きなんですねー」
「うっ」
MEGは軽い口調でそう言ったが、僕の心には深く突き刺さった。あのMEGから面と向かってそう言われてしまうと、少々きついものがある。
「は……お、お恥ずかしい……いやあの、僕は元々URANOSのファンで、JUNっていうか、君たちの」
「えっ、そうなんすか?」
素直に嬉しそうな顔をする目黒に、ヒナキは勢いよく頷いた。本当なら、このままURANOSの好きなところについて語りたいくらいだ。
「デビューしてすぐくらいに、偶然配信サイトで見かけて。それからずっと、ファンクラブも入ってます。MEGさんの作る曲が大好きで……」
「へぇ! マジすか。知らなかった、めっちゃ嬉しいっす」
目黒がニッコリ笑う。これだけ近いと、目つきの鋭さや仕草の大胆さが強調されて見えるけれども、その分笑顔の無邪気さもいつもより強く感じられた。
「あ、天空四頭の時のアルバムも潤が聴かせてくれたんです。感動して、あれも何回も聴いてます……!」
「あー、あれ持ってるんですか!? すげぇ。……てか、潤があげたんか。どっちにしろ、聴いてくれて嬉しいですー。俺、昔からヒナキくんに憧れてたんで」
社交辞令だろうとは分かっていても、MEGにそう言われると嬉しくなった。気恥ずかしくて、へらへら笑ってしまう。
「そうだ、ヒナキくん。いい事教えてあげましょっか」
「いいこと? なんですか?」
MEGはポケットからスマホを取り出すと、何かを操作し始めた。彼のスマホは、背中に指輪のような形状のものがついていて、彼は器用に指を引っ掛けて使っていた。
今どきはいろんなものがあるんだなぁ。いい加減世間知らずではいけないと思いながらも、依然時代の利器にはついていけずにいる。
潤に教えてもらって知るものもあれば、こうしてふとした瞬間に出会うものもあるのだ。なるべく、見た目の年齢から乖離し過ぎないように振る舞いたいのだが、これがなかなか難しい。
「ヒナキくんにはうちのフロントマンが世話になってるんでね。これはぜひって思ってたんですよ。思い出してよかったぁ」
「はぁ」
「これ、見てください」
それは、一つの動画だった。燕尾服を着て、髪を結んだ潤が、ピアノの横に立って演奏をしている。コンサートホールのように見えるが、観客は入っていなかった。
「今朝のリハの動画。めぐちん聞いてみてー、って送ってきたんですよ」
羨ましい。素直にそう思った。潤がMEGのことを音楽家としてかなり信頼していることは知っているが、こうして2人の仲のいい様子を目の当たりにすると、少しモヤモヤした気分になってしまう。
幼稚かよ、と自分で嫌気がさす。首を振って、画面に集中することにした。ピアニストの方は知らない人だったが、恐らく潤が「父さんの知人」と言っていた人物だろう。
上手いな。どちらもプロなのだから当たり前だ。けれど、ヒナキとは明らかに住む世界の違う人間であると突きつけられているようで、複雑な気分になった。
しかし、それにしても、燕尾服姿の潤はカッコいい。ヴァイオリンの演奏も、気合が入っているのを加味しても、いつも以上に上手く聞こえる。この楽曲のストーリーは知らないのに、情景が目に浮かぶようだ。
「歌ってても思うけどさ。ジュンの音楽って、説得力ありますよね。だから好き」
MEGはにこにこ笑みを浮かべたまま、嬉しそうにそう言った。それから動画を止めて、ヒナキのスマホを指差す。
「この動画送りますよ。AirDrop使えます?」
「エアド……えっと……」
「あ、これです。ここシュッてやって……そうそう。それをすべての人にして……あっ、いけそう。送りますね」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
優しい。MEGの親切さに、なぜだか涙が出そうになった。早速受け取った動画を大切に保存して、スマホを胸に抱く。
もうすぐ二度と会えなくなるかもしれないと思ったら、こうして潤の貴重な姿を自分の手元に置いておけるのは嬉しい。帰ってから何度も見て、目に焼き付けよう。愛する人の声も、姿も、魂と一緒にあの世に持っていけるように。
「はぁ、ジュンの言ってたことちょっと分かるかも」
不意にMEGがそう言ったので、僕はまた間抜けな声を出してしまった。
「え? 何がですか?」
「ヒナキくんって……なんて言うんですか、ちょっと人たらしっていうか」
「人たらし?」
僕が? 思わず聞き返してしまったが、MEGがにやりと笑うので、それ以上は口を噤んだ。潤は一体、彼に何を話したのだろう。
「素直なのはいいことですけど、あんま無防備なのも考えものっすよ。ちゃんと自衛してくださいね。ジュンが心配するんで」
「え……」
「ああ、俺は大丈夫ですよ。ノンケなんで」
MEGはまたにっこりと笑顔に戻り、スマホをポケットにしまった。それから、ハッとした顔をする。
「あ、やべ。明日ホワイトデーじゃん。忘れてた……殺される」
それは独り言だったらしい。彼は、じゃあまた後で、と言い残すと、タバコを吸いに出て行ってしまった。
夜
「ただいま」
潤が家にいると言うので、僕はいつもより急いで帰宅した。今朝から彼が慌ただしそうだったので、メッセージのやり取りすらあまりしていなかったのだ。
「おかえり、ヒナキさん」
宣言通り、潤はそこにいた。彼に出迎えられるのは素直に嬉しい。真っ先に潤に抱きついて、もう一度ただいまと言った。
潤はすでに風呂に入った後らしく、シャンプーの匂いがした。疲れた顔ではあったが、機嫌は良さそうだ。潤の大好きな匂いを嗅ぐだけで、心がふわふわしてしまう。
「俺もさっき来たばっかなんだ」
「そうなの?」
「家で色々やってて。……ほら、明日からあれだし」
「ん、そっか」
なんとなく、潤の頬にキスをしてから、ソファの上に荷物を置いた。自分もさっさと風呂を済ませてしまおうか、と考えながら、洗面台で手を洗う。すると、水の流れる音の向こうに、部屋で潤がバタバタ動き回っているのが聞こえてきた。
何してるんだろう? そう思って、手を拭いてから、そっとリビングに顔を出す。
「あっ、ヒナキさん」
潤はぎくりと動きを止め、曖昧に笑った。何かをテーブルに置いていたらしい。まるで悪さを見つかったかのような顔をする潤に、思わず僕も笑ってしまった。
「は……はは、決まんないなぁ俺」
「何それ?」
「ホワイトデーのお返し。1日早いけど」
潤が置いたそれは、可愛らしいショッパーに入っていた。見たことのあるブランド名だ。確か、女性がよく持っている。普段潤が、そうした謂わゆる女性の好きそうなものを持っているイメージはない。彼には、ヒナキがそういう風に見えているのかもしれないと思ったら、少し気恥ずかしくなった。
「そういえば、さっきMEGさんもホワイトデーって言ってた。そういう文化もあるんだね」
「えっ、バレンタイン知ってるのにホワイトデー知らなかったの? こっそり欲しいもの聞き出すの大変だったのに」
「爺さんだもん。そっか、この間から妙な質問ばっかしてくると思ったらそういうことだったんだ。ふふっ、ありがとう」
よく分からないけれど、潤がヒナキのために何かしてくれることは嬉しい。珍しく照れ臭そうにしているのも、可愛らしかった。
「開けてみて」
潤に見守られながら、慎重にプレゼントを開封する。中には小さな箱が入っていた。アクセサリーだろうか。一度潤の顔を見上げると、とても嬉しそうな顔をしていた。
なんだか、緊張する。一体なんだというのだろう?
「指輪……?」
箱を開けると、中には対になった指輪が2つ入っていた。ペアリング、というやつだろう。キラキラ白色に輝くそれは、小さくカットされたダイヤモンドで繊細に装飾されていた。
「これならヒナキさんでもつけられるかなって……前に、金属のアクセサリーつけてみたいって言ってたでしょ」
「うん……」
確かに、カレンに再び血を与えられた今、僕が触れないのは、純銀だけだ。不完全な鬼である僕は、銀でつけられた傷だけは治すことができない。けれど、以前とは変わって大抵の金属には触れるようになった。怪しまれるので、世間には変わらず金属アレルギーで通しているけれど。
「ヒナキさん、仕事では金属全般NGにしてるから、悩んだんだけどね」
「うん。嬉しいよ……」
潤、僕の話ちゃんと聞いてたんだ。
じわじわと、胸の深いところから温かい感情が湧き出てくるようだった。以前、酔い潰れて介抱された頃から、僕は度々潤に同棲の提案をし続けていた。結果、今は半同棲に落ち着いているけれど、僕は相変わらず潤が自分の恋人である証を欲しがったのだ。
思えば、幼稚で面倒な願いだったと思う。僕が指輪の話をしたのは、数週間前のことだった。潤が眠そうにしているのをいいことに、ベッドの中で話したのだ。
潤とお揃いの指輪が欲しい、と。
「サイズは大丈夫だと思うんだけど……どうかな」
「つけてみていい?」
「うん。あ、待って。俺につけさせて」
潤は箱からそっと一つを取り出すと、僕の右手の薬指に通した。ぴったりだ。いつのまに指のサイズを測っていたんだろうと思うと同時に、これが潤から贈られたのだという実感に涙が滲んだ。
「綺麗……ありがとう」
「思った通り似合ってる。よかった……どこも痛くない?」
「うん」
潤は微笑んで、もう一つの指輪を手に取った。それを、僕と同じように右手に付けて、手を並べる。
「いいでしょ」
本当に、良かった。以前の僕なら、絶対に受け取れなかった幸せだ。僕は初めて、あの偏屈な義父に心から感謝した。
「これでずっとヒナキさんと一緒」
そう言った潤の声は、とても柔らかく幸福感に満ちていた。潤がこうして、僕と一緒にいることで幸せを感じてくれるなら、こんなに嬉しいことはない。
「ありがとう」
僕は絶対に、潤を幸せにする。これから起こることは全て、彼を不幸にするためではなく、守るためなんだ。
最後に、彼との繋がりを形にしてもらえて良かった。本当に、本当に、今これをプレゼントしてくれてありがとう。
口には出さなかったけれど、僕は心の中で感謝と安堵の言葉を唱えた。
一応ホワイトデーの話です。
2024年3月13日
その日、潤は早朝から出掛けて行った。翌日からツアーファイナル武道会館3日間が始まるにも関わらず、だ。しかし、以前から今日のイベントについて彼から聞いていたので、起床時間が早過ぎたことには驚いたけれど、特に不思議に思うことはなかった。
作曲家兼ピアニスト、そして潤の実父である倉科元によるチャリティコンサート。13年前に震災が起こって以降、彼は毎年この時期にコンサートを開催しては、その収益を災害支援に充てているらしい。
特に、今年は1月にもまた別の災害が起こったことで、例年以上に力が入っているようだ。仕事では普段関わりのない潤を特別に舞台に呼んだことも、彼がこのコンサートに熱を掛けている表れのように思える。
「ヒナキさん、明日仕事なんだよね。残念……」
昨夜、早い時間に「おやすみ電話」を掛けてきた潤が、悲しそうにそう言ったのが印象的だった。僕だって、叶うことなら潤の勇姿を見たかった。しかし、今日の仕事はどうしても外せない事情があったのだ。
時計を見た。今の時刻は12時15分。あと45分で、コンサートが始まる。潤が以前にライブ配信で宣伝したこともあり、チケットは完売しているようだ。潤が舞台に上がるのはサン=サーンスの一曲だけとのことだったが、それでも普段見られない彼の姿を見られるなら、と多くのURANOSファン(或いはJUNのファン)がチケットを求めたらしい。
「はあぁ~」
僕はほとんど無意識のうちに、普段なら絶対に仕事中に出さないような悲壮な声をあげていた。休憩時間とはいえ、気を抜きすぎたかもしれない。そう思った直後、ちょうど近くにいたMEGが、カラカラと笑い声を上げた。
「何かあったんすか? ヒナキくん」
「えっ」
僕は思わず姿勢を正し、彼に向き直った。今日は、以前から話していた、URANOSのMV撮影に関する打ち合わせ日なのだ。失礼をするわけにはいかない。
「お、お疲れ様です! MEGさん」
「お疲れ様でっす」
挨拶をして、愛想笑いを浮かべた瞬間、手からスマホが滑り落ちる。MEGは目敏くそれを見つけると、さっとしゃがみ込んだ。
「落ちましたよ」
「すみません! すぐ……」
拾います、と言い切る前に、彼の手が僕のスマホに触れた。そうして、拾い上げられた瞬間、傾きのせいでロック画面が映し出される。
「あれ? これって」
MEGが、目を丸くする。引いているというよりは、好奇の色が浮かんだように見えた。彼の目は、画面の中の「ヴァイオリンを弾く潤」に釘付けだ。
「あっ」
なんだか、この状況には覚えがある。随分前だが、潤と初めて2人で出かけた時にも、同じように落としたスマホの画面を見られてしまった——しかも、あの時は本人に。
血の気の引く思いがしたが、なるべく平常心を装うと、彼に向かって手を差し出した。
「ありがとうございます」
「ハハッ、んな畏まらなくていいですよ。はい、どーぞ」
「すみません」
MEGはあくまで爽やかな笑みを浮かべている。潤から話を聞く限りでは、彼は素では怖い人なのかと思っていたが、ステージで見るのと変わらずカッコいい男のようにしか思えない。ホッとすると同時に、初めて彼と対面で話をすることに、僕はすっかり気分が浮かれていた。
「にしても、ホントにジュンのこと大好きなんですねー」
「うっ」
MEGは軽い口調でそう言ったが、僕の心には深く突き刺さった。あのMEGから面と向かってそう言われてしまうと、少々きついものがある。
「は……お、お恥ずかしい……いやあの、僕は元々URANOSのファンで、JUNっていうか、君たちの」
「えっ、そうなんすか?」
素直に嬉しそうな顔をする目黒に、ヒナキは勢いよく頷いた。本当なら、このままURANOSの好きなところについて語りたいくらいだ。
「デビューしてすぐくらいに、偶然配信サイトで見かけて。それからずっと、ファンクラブも入ってます。MEGさんの作る曲が大好きで……」
「へぇ! マジすか。知らなかった、めっちゃ嬉しいっす」
目黒がニッコリ笑う。これだけ近いと、目つきの鋭さや仕草の大胆さが強調されて見えるけれども、その分笑顔の無邪気さもいつもより強く感じられた。
「あ、天空四頭の時のアルバムも潤が聴かせてくれたんです。感動して、あれも何回も聴いてます……!」
「あー、あれ持ってるんですか!? すげぇ。……てか、潤があげたんか。どっちにしろ、聴いてくれて嬉しいですー。俺、昔からヒナキくんに憧れてたんで」
社交辞令だろうとは分かっていても、MEGにそう言われると嬉しくなった。気恥ずかしくて、へらへら笑ってしまう。
「そうだ、ヒナキくん。いい事教えてあげましょっか」
「いいこと? なんですか?」
MEGはポケットからスマホを取り出すと、何かを操作し始めた。彼のスマホは、背中に指輪のような形状のものがついていて、彼は器用に指を引っ掛けて使っていた。
今どきはいろんなものがあるんだなぁ。いい加減世間知らずではいけないと思いながらも、依然時代の利器にはついていけずにいる。
潤に教えてもらって知るものもあれば、こうしてふとした瞬間に出会うものもあるのだ。なるべく、見た目の年齢から乖離し過ぎないように振る舞いたいのだが、これがなかなか難しい。
「ヒナキくんにはうちのフロントマンが世話になってるんでね。これはぜひって思ってたんですよ。思い出してよかったぁ」
「はぁ」
「これ、見てください」
それは、一つの動画だった。燕尾服を着て、髪を結んだ潤が、ピアノの横に立って演奏をしている。コンサートホールのように見えるが、観客は入っていなかった。
「今朝のリハの動画。めぐちん聞いてみてー、って送ってきたんですよ」
羨ましい。素直にそう思った。潤がMEGのことを音楽家としてかなり信頼していることは知っているが、こうして2人の仲のいい様子を目の当たりにすると、少しモヤモヤした気分になってしまう。
幼稚かよ、と自分で嫌気がさす。首を振って、画面に集中することにした。ピアニストの方は知らない人だったが、恐らく潤が「父さんの知人」と言っていた人物だろう。
上手いな。どちらもプロなのだから当たり前だ。けれど、ヒナキとは明らかに住む世界の違う人間であると突きつけられているようで、複雑な気分になった。
しかし、それにしても、燕尾服姿の潤はカッコいい。ヴァイオリンの演奏も、気合が入っているのを加味しても、いつも以上に上手く聞こえる。この楽曲のストーリーは知らないのに、情景が目に浮かぶようだ。
「歌ってても思うけどさ。ジュンの音楽って、説得力ありますよね。だから好き」
MEGはにこにこ笑みを浮かべたまま、嬉しそうにそう言った。それから動画を止めて、ヒナキのスマホを指差す。
「この動画送りますよ。AirDrop使えます?」
「エアド……えっと……」
「あ、これです。ここシュッてやって……そうそう。それをすべての人にして……あっ、いけそう。送りますね」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
優しい。MEGの親切さに、なぜだか涙が出そうになった。早速受け取った動画を大切に保存して、スマホを胸に抱く。
もうすぐ二度と会えなくなるかもしれないと思ったら、こうして潤の貴重な姿を自分の手元に置いておけるのは嬉しい。帰ってから何度も見て、目に焼き付けよう。愛する人の声も、姿も、魂と一緒にあの世に持っていけるように。
「はぁ、ジュンの言ってたことちょっと分かるかも」
不意にMEGがそう言ったので、僕はまた間抜けな声を出してしまった。
「え? 何がですか?」
「ヒナキくんって……なんて言うんですか、ちょっと人たらしっていうか」
「人たらし?」
僕が? 思わず聞き返してしまったが、MEGがにやりと笑うので、それ以上は口を噤んだ。潤は一体、彼に何を話したのだろう。
「素直なのはいいことですけど、あんま無防備なのも考えものっすよ。ちゃんと自衛してくださいね。ジュンが心配するんで」
「え……」
「ああ、俺は大丈夫ですよ。ノンケなんで」
MEGはまたにっこりと笑顔に戻り、スマホをポケットにしまった。それから、ハッとした顔をする。
「あ、やべ。明日ホワイトデーじゃん。忘れてた……殺される」
それは独り言だったらしい。彼は、じゃあまた後で、と言い残すと、タバコを吸いに出て行ってしまった。
夜
「ただいま」
潤が家にいると言うので、僕はいつもより急いで帰宅した。今朝から彼が慌ただしそうだったので、メッセージのやり取りすらあまりしていなかったのだ。
「おかえり、ヒナキさん」
宣言通り、潤はそこにいた。彼に出迎えられるのは素直に嬉しい。真っ先に潤に抱きついて、もう一度ただいまと言った。
潤はすでに風呂に入った後らしく、シャンプーの匂いがした。疲れた顔ではあったが、機嫌は良さそうだ。潤の大好きな匂いを嗅ぐだけで、心がふわふわしてしまう。
「俺もさっき来たばっかなんだ」
「そうなの?」
「家で色々やってて。……ほら、明日からあれだし」
「ん、そっか」
なんとなく、潤の頬にキスをしてから、ソファの上に荷物を置いた。自分もさっさと風呂を済ませてしまおうか、と考えながら、洗面台で手を洗う。すると、水の流れる音の向こうに、部屋で潤がバタバタ動き回っているのが聞こえてきた。
何してるんだろう? そう思って、手を拭いてから、そっとリビングに顔を出す。
「あっ、ヒナキさん」
潤はぎくりと動きを止め、曖昧に笑った。何かをテーブルに置いていたらしい。まるで悪さを見つかったかのような顔をする潤に、思わず僕も笑ってしまった。
「は……はは、決まんないなぁ俺」
「何それ?」
「ホワイトデーのお返し。1日早いけど」
潤が置いたそれは、可愛らしいショッパーに入っていた。見たことのあるブランド名だ。確か、女性がよく持っている。普段潤が、そうした謂わゆる女性の好きそうなものを持っているイメージはない。彼には、ヒナキがそういう風に見えているのかもしれないと思ったら、少し気恥ずかしくなった。
「そういえば、さっきMEGさんもホワイトデーって言ってた。そういう文化もあるんだね」
「えっ、バレンタイン知ってるのにホワイトデー知らなかったの? こっそり欲しいもの聞き出すの大変だったのに」
「爺さんだもん。そっか、この間から妙な質問ばっかしてくると思ったらそういうことだったんだ。ふふっ、ありがとう」
よく分からないけれど、潤がヒナキのために何かしてくれることは嬉しい。珍しく照れ臭そうにしているのも、可愛らしかった。
「開けてみて」
潤に見守られながら、慎重にプレゼントを開封する。中には小さな箱が入っていた。アクセサリーだろうか。一度潤の顔を見上げると、とても嬉しそうな顔をしていた。
なんだか、緊張する。一体なんだというのだろう?
「指輪……?」
箱を開けると、中には対になった指輪が2つ入っていた。ペアリング、というやつだろう。キラキラ白色に輝くそれは、小さくカットされたダイヤモンドで繊細に装飾されていた。
「これならヒナキさんでもつけられるかなって……前に、金属のアクセサリーつけてみたいって言ってたでしょ」
「うん……」
確かに、カレンに再び血を与えられた今、僕が触れないのは、純銀だけだ。不完全な鬼である僕は、銀でつけられた傷だけは治すことができない。けれど、以前とは変わって大抵の金属には触れるようになった。怪しまれるので、世間には変わらず金属アレルギーで通しているけれど。
「ヒナキさん、仕事では金属全般NGにしてるから、悩んだんだけどね」
「うん。嬉しいよ……」
潤、僕の話ちゃんと聞いてたんだ。
じわじわと、胸の深いところから温かい感情が湧き出てくるようだった。以前、酔い潰れて介抱された頃から、僕は度々潤に同棲の提案をし続けていた。結果、今は半同棲に落ち着いているけれど、僕は相変わらず潤が自分の恋人である証を欲しがったのだ。
思えば、幼稚で面倒な願いだったと思う。僕が指輪の話をしたのは、数週間前のことだった。潤が眠そうにしているのをいいことに、ベッドの中で話したのだ。
潤とお揃いの指輪が欲しい、と。
「サイズは大丈夫だと思うんだけど……どうかな」
「つけてみていい?」
「うん。あ、待って。俺につけさせて」
潤は箱からそっと一つを取り出すと、僕の右手の薬指に通した。ぴったりだ。いつのまに指のサイズを測っていたんだろうと思うと同時に、これが潤から贈られたのだという実感に涙が滲んだ。
「綺麗……ありがとう」
「思った通り似合ってる。よかった……どこも痛くない?」
「うん」
潤は微笑んで、もう一つの指輪を手に取った。それを、僕と同じように右手に付けて、手を並べる。
「いいでしょ」
本当に、良かった。以前の僕なら、絶対に受け取れなかった幸せだ。僕は初めて、あの偏屈な義父に心から感謝した。
「これでずっとヒナキさんと一緒」
そう言った潤の声は、とても柔らかく幸福感に満ちていた。潤がこうして、僕と一緒にいることで幸せを感じてくれるなら、こんなに嬉しいことはない。
「ありがとう」
僕は絶対に、潤を幸せにする。これから起こることは全て、彼を不幸にするためではなく、守るためなんだ。
最後に、彼との繋がりを形にしてもらえて良かった。本当に、本当に、今これをプレゼントしてくれてありがとう。
口には出さなかったけれど、僕は心の中で感謝と安堵の言葉を唱えた。
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