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67.死神の鎖

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3月31日

 それは突然の出来事だった。ソファで仮眠を取っていたはずの潤が、突然ふらりと起き上がったのだ。何事かと目を開けたヒナキは、すぐに息を呑んだ。
「潤……?」
 潤はぼんやりと虚空を見つめている。その瞳は、まるで月をそのまま閉じ込めたように、妖しく、金色に輝いていた。
 それは美しいというよりも、本能的な恐怖をヒナキに与えた。彼がこちらを向かないことも、いつもとは明らかに違う表情を浮かべていることも、まるでがそこにかのように思わせる。
 黒い羽が、ふわりと舞った。それに目を奪われた、次の瞬間。潤は、ゆっくりとヒナキを振り向いた。
「うっ、あ!?」
 そうして、瞬きのうちに、ヒナキは潤に首を締められていた。黒い大きな翼が、ヒナキの視界を黒く染める。
「っ……じゅ、ん」
 反射的に、潤の腕を掴みそうになる。だが、なんとか堪えて拳を握りしめた。力いっぱいに引き離すわけにはいかない。潤を傷つけることなどできない。彼はヒナキとは違う。怪我を負ったら、取り返しがつかないのだ。
——これって、もしかして……!
 懸命に目を凝らす。暗い影の中、潤の瞳だけが浮かび上がっているかのようだった。しかし、次第に闇に慣れ始めた目が、彼自身とは異なるイレギュラーな輪郭を捉え始める。
——鎖が……。
 潤の体中に、鎖が絡み付いていた。最早、首だけではない。腕や胴、脚にまで巻き付いて、まるで人形のように潤を操っているのだ。
——じゃあ、この呪いの鎖が僕を殺そうとしてるってこと?
 息が苦しい。それでも、少しも死の気配を感じられないのが不思議だった。きっと、首を絞めたくらいではヒナキを殺すことはできない。
 そうは言っても、急にこんな事態になったことで、動揺を隠せない。大好きな潤に襲われるということがどれだけの恐怖か、ヒナキはたった今まで知らなかった。
「じゅん……はなし、て……潤!」
 なんとか声を絞り出し、呼びかける。すると、不意に潤の手の力が緩んだ。目の前にあった月が、瞬きのうちに光を失う。
「あ……れ……? ヒナキさん……?」
 催眠が解けたかのように、潤は目を丸くした。そして数秒後、その顔が真っ青になる。ヒナキは咳を繰り返して、息を整えた。すでに痛みは消えていたが、心臓が激しく拍動していた。
「俺、今なにを」
 それは、潤も同じようだった。動揺し、視線を彷徨わせながら、泣きそうな顔をした。ヒナキはようやく潤の腕に触れ、その鎖を緩めようとした。
「だい……じょうぶ」
 声が掠れる。なぜか、無意識に指先が震えた。
「いいんだ」
——潤を守らなきゃ。一番怖がっているのは彼なんだ。
 恐怖で力の抜けた体を叱咤して、ヒナキは起き上がった。そうして、潤の腕に繋がれた鎖を引き寄せる。潤は悲壮な顔をしたまま、じっとヒナキを眺めていた。
「僕を殺して」
「え……? 何言ってるの」
「いま潤は、僕を殺そうとしたんだよ。そのまま、殺して」
「ちがうっ……違う! そんな、こと」
「君自身じゃない。君の中の死神の力が、化け物ぼくを殺そうとしたんだ。それでいい。その力に委ねて、僕を殺してくれ」
 潤は目を瞠いて、浅い呼吸を繰り返した。その両目から、透明な雫が音もなく零れ落ちる。
「なんで……? 俺、寝てたはずでしょ? なんでこんな事になってるの。意味わかんない」
「無防備な時が一番死神に近いって、カレンが言ってたじゃないか」
「違う! ちがうよ、ヒナキさん! ごめん。ごめんなさい……違うんだ。あなたを傷付けるつもりじゃなかった」
「知ってる。大丈夫だよ、分かってる」
 ヒナキは鎖を手繰り寄せて、潤の手を自身の胸へと導いた。ここだ。ここに、心臓がある。ヒナキを殺すには、ここを壊すしかない。ただ、死神の純銀の刃で貫けばいい。
「熱いね。この鎖。……苦しかったでしょ?」
「ちがう……あなたじゃない……」
「長引かせちゃってごめんね。君と少しでも長く一緒に居たかったんだ」
「ヒナキさん、ちがうよ。なんで? なんで、俺があなたを……し、死なせたり……なんか、しないよ」
 やがて、潤の手の中に白い輝きを放つ歪な刃物が現れた。それが彼の身体中に絡みつく鎖から生まれたのだと、なぜかヒナキは知っていた。潤はただ狼狽し、いやだ、うそだと泣き続ける。
「その刃なら、僕を殺せる」
「何言ってるの? その話はもうしないって言ったじゃん」
「君の呪いを解くとも言った。それで心臓を貫いたら、半不死者を殺せる。僕の兄弟も、その刃と似た武器で死んだ。僕を殺したら潤の呪いは解ける」
「やめろ……やめてよ」
「これで正解だったんだ。やっぱり、僕はこっちを選んで良かった」
「やめろ!」
 潤は声を荒げる。しかし、その感情の乱れに呼応するかのように、彼の鎖は潤の腕を振り上げさせた。ヒナキは動かない。その刃が胸に刺さるのを、ただじっと待っていた。
「ハハ……潤でもそんな顔するんだ。らしくないね」
「…………」
「僕、最初に君と仲良くなった頃……後悔しない方を選ぶって話したでしょ」
「……バカ。なんで今そんな話するの」
「潤には幸せに生きてほしい。ひとりの、素敵な人間として。それが叶うなら、後悔なんてない。……ああ、潤を人殺しにしちゃうのは本当に申し訳ないと思うけど、僕はすでに一度死んでる人間なんだから、殺したって罪にはならないよ」
「俺はそんなこと望んでない。ヒナキさんがいなきゃ生きていけない」
「大丈夫だよ。潤は大丈夫」
「なんでそんな……やめて。大丈夫なんかじゃない。嫌だ。俺を殺してよ。ヒナキさんなら簡単だろ? 殺して、今すぐ。逃げて。お願い」
「僕にそんなことできると思う?」
「俺だって、あなたを殺すなんてできない。嫌だ。嫌だ……!」
「約束するから。僕、今度こそ普通の人間として君に出会うって。待ってて。生まれ変わってまた会いにくるから」
「ヒナキさん……そうじゃない、俺はヒナキさんと一緒に居たい」
「僕も君と一緒がいいよ。だからね、潤。最期にお願いをひとつ聞いてほしいんだ。」
「最期なんて言わないでよ」
「いいから。お願いがあるの。聞いて、僕」
「待って」
「僕が死んだら、その鎖を」
「ヒナキさん」
「僕の首に巻き付けて」
 ヒナキは鎖から手を離した。その直後、潤の手が震え、何かに引っ張られるように不自然に揺れた。抗っているのだ。しかし、その腕は徐々に降ろされて、ヒナキの胸へと近づいて行く。潤は苦痛に顔を歪め、かぶりを振った。
「そしたらね……その鎖で死んだように、痕を残して」
「いやだ」
「僕はその鎖で首を焼かれるんだ」
「ダメ……」
「そしたら……君とおんなじだから」
「ヒナキさん! 待っ


















 音が途切れる。
 べったりとした感触が、潤の手を濡らした。
 温度が下がっていく。
 ヒナキは、静かに息を引き取った。




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