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51.眠りにつく

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「お父様に会ったんだ。昨日……君と、電話する前に」
 突然、ヒナキはそう言った。それを潤に話すべきか、随分悩んだのだろう。可愛らしい目はあちこちへ泳いで、すぐそばにいる潤をまっすぐ見ようとしなかった。
 その様子がいじらしくて、思わず笑ってしまう。
「お父様? ヒナキさんを吸血鬼にしたおじさん?」
「そう。高永伽藍カレンって、いうんだけど」
 その名は以前にも聞いたことがある。ヒナキが手記を見せてくれた時だ。ヒナキの昔話を聞く限り、小児性愛者ペドフィリア精神病質者サイコパスかとしか思えなかった。ヒナキは彼を敬愛しているようだから、はっきりとは言えないけれど。
「そのひとがどうしたの」
「なんて言えばいいんだろう……なんか、僕が人間くさくなったのが嫌だったみたいで」
 ヒナキは手振りで言いたいことを示そうとした。残念ながら、潤には彼の意図が汲み取れない。それに気がついたヒナキは、一瞬ガッカリしたような顔をした後、首を振った。
「僕をもう一度吸血鬼にするって言って……いろいろ、その……儀式的なのをしてくれて。お陰で人を吸血鬼にする方法は分かったんだけど」
「すごいじゃないですか」
「あんなのがすごいもんか。ダメだって思ったよ。絶対に潤を吸血鬼にはできない。だから、前に君が言ってたのはナシ」
 それは残念だ。しかし、ヒナキの顔を見る限り、きっと非常に苦しめられたのだろう。やはり、高永カレンという化け物は危険すぎる。全くもって信用できない。彼がいなければヒナキに出会えなかったことは確かだが、きっと潤は、カレンに会ったら一発くらい銀のナイフを刺さなければ気が済まないだろう。ヒナキを苦しめることは、誰であっても許せない。
「大変だったんだね」
 潤はいたわる気持ちでヒナキの頭を撫でた。一緒に入っている布団の中で、ヒナキは恥ずかしそうに潤に抱きついてくる。
 多分、布団に入ること自体が慣れない行為なので、どうしたらいいか分からないのだろう。ふわふわした丸い頭にキスをして、胸に抱きながら、懸命に自分の中の難しい感情を鎮めた。
「変なこと言ってごめん。でも……隠し事はしないって約束したから」
「うん。話してくれてありがとう」
 彼が話してくれなければ、多少の違和感に気付いたとしても、高永カレンの存在には思い至らなかったかもしれない。
「カレンのこと、潤はきっと嫌いだろうけど」
「ははっ、よく分かったね」
「だって、潤が好きになるタイプでは絶対にないからね。僕から見ても変人だし。……でも、カレンは、僕を愛してくれてはいるんだ。彼はちょっと、……人間じゃないだけ」
「俺も厳密には人間じゃないけどね」
 わざと尖った物言いをしたからか、ヒナキはそれ以上の言葉を飲み込み、潤の胸元に顔を埋めた。小さなため息が聞こえる。言い返さないんだな、と思った。
「潤ってほんとにいい匂いする」
「それは良かった」
「このまま目閉じたら、眠れるかな」
「眠れるまで見守っててあげるよ」
「そしたら緊張して寝れない」
 不意にヒナキが顔を上げた。ごく近くで、はっきりと目が合ってしまう。ヒナキの瞳は、今は、少しだけ桜の花のような色を含んでいた。その艶やかな鏡面に、すっかり気の抜けた自分の顔が映っている。こんなに幸せに酔いしれた自分の姿は、ヒナキ以外には絶対に見られたくないと思った。
「カレンに連れてかれたとき……なんか、薬で眠らされたんだ。それで、久しぶりに眠るってことを経験して」
「待って。そんな事されたの?」
「うん。ああでも、悪気はなかったんだよ。カレンは、自分の住んでるところを僕に知られたくなかっただけなんだ。帰る時も、同じように薬を飲んで……」
「はあ」
 ため息が出た。今ヒナキが無事にここに居てくれることを、心からありがたいと思った。そして同時に、やはり高永カレンからヒナキを守らなければならないと強く感じた。法の外にいるからといって、分別がなさすぎる。普通、家族だと思っている相手にそんなことをできるだろうか? いくら、しばらく離れて暮らしていたからといって。
「そんなことしなくてもね。目を閉じて、穏やかな気分になったら、眠れるよ」
「それがわかんないんだよ」
「大丈夫。……そうだ。他人の鼓動とか寝息とか聞いてたら、自然と眠くなるらしいよ。このまま一緒に寝たら寝れるんじゃない?」
 わざと、ゆっくり落ち着いた話し方をしてみせた。ヒナキはいつも潤の声を好きだと言ってくれるが、それは嘘ではないらしい。分かりやすく頬を紅潮させて、また俯いてしまった。
「俺も、ヒナキさんと一緒ならいい夢見れる気がする」
「……ほんと?」
「うん。昨日、ヒナキさんと電話してたお陰で、久しぶりに長いこと眠れたよ」
「じゃあ、僕も潤の声聞いてたら眠れるかな……」
「たぶんね」
 ヒナキの髪を撫でる。本当は、潤の方がすぐに寝落ちてしまいそうだ。流石にライブの後に遅くまで起きているのは辛い。
「目を閉じて……幸せだった時のこと思い出してみて」
「……潤と仲直りの電話した時のこと?」
「ふふっ、そうそう」
「……初めてURANOSのライブに行った時、整番1桁で……最前で見れたこと」
「そうだったんだ」
「僕……あの時実は、JUNとハイタッチしたんだよ。声出し禁止の時だったから……それだけだけど」
「悔しいな……気付かなかったよ」
「そりゃ、当時の君は僕のこと知らなかったし……ふふ、あとは、一緒にイルミネーション見た時だ」
「なんだか、昔のことのように感じるね」
「うん……ほんとに」
 少しだけ、ヒナキの声が低くなった。眠気を感じているのだろう。
「おかしなこと言うけどさ……僕にとって潤は、ただの恋人じゃないんだ」
 ヒナキの鼓動が穏やかになってゆく。
「ヒナキさんにとって俺は、なんなの?」
 こんなセリフを言う日が来るとは思わなかった。そう思いつつ、潤も目を閉じる。
「世界……だよ」
 潤がその言葉の意味を考えているうちに、ヒナキは穏やかな寝息を立て始めた。静かな部屋に、2人分のゆったりとした鼓動が響く。それは潤を穏やかな微睡へと誘った。
 どうか、ヒナキがうまく眠り続けられますように。そう願いながら、潤はようやく睡魔に抗うのをやめた。





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