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11.海辺のロケ
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アオイは、カガリに手を引かれて海辺を歩いていた。冬の海は静かで、周りに人影もない。寒いね、と声をかけると、カガリは心配そうな顔をして振り向いた。
「大丈夫か?」
思いのほか深刻そうな顔をされてしまったので、アオイは明るく振る舞うほかなかった。本当は、今朝からずっと体調が悪い。けれど、この海に来たいと言ったのは他でもなくアオイ自身であったし、ワガママを聞いてここまでついてきてくれたカガリのことを思うと、引き返すわけにはいかなかった。
「平気だよ。ありがとう」
「無理すんなよ」
カガリはアオイの肩を抱き寄せた。さっきよりも距離が近い。アオイはそのままカガリに抱きつくと、そっと目を閉じた。カガリの体温。におい。胸の鼓動。それらにじっと意識を向けて、心に刻み込む。こうして彼と過ごせるのもあと少しだ。アオイに残された時間は、そう長くない。
「最後は幸せな思い出でいっぱいにしたいんだ」
「アオイ……?」
「本当は春になってから来たかったんだけど……それまで持つかわからなくて」
「おい」
「だから、まだ歩けるうちにカガリと一緒にここに来たかったんだ。ごめんね、無茶言って」
「アオイ!」
カガリに、それ以上の言葉を遮られる。肩を掴んで、顔を覗き込まれた。カガリの両目には、悲しみと怒りの色が、同時に浮かんでいた。
「そんなこと言うな! お前はぜってぇ治る。だから、春になったらまた2人でここに来ればいいじゃねぇか。何度だって付き合って……お前のために、俺は……お前のためなら、なんだってしてやるんだから」
カガリの声が微かに震える。悲しませるつもりはなかった。アオイは、内心ひどく悔いた。胸が痛い。喉の奥が熱い。カガリの言葉を否定することなどできない。
「怒らないで」
カガリの頬に手を当てる。
「ごめんね。君を悲しませるつもりじゃなかったんだ」
「っ、別に悲しんでなんか……っ」
「うん。そうだよね。悲しまないでほしい」
アオイは海を見やる。水平線は、曇り空にぼんやりと溶け込んでいた。こんなふうに、生と死の境も曖昧であればいいのに。そんなことを考える。
ほどなくして、2人の上へ雪が降り始めた。カガリが空を見上げ、釣られてアオイも顔を上げる。風に流されることなく、ただひらひらと花びらのように舞い落ちる白い粒。その一粒がカガリの頬へ落ち、温かな肌を濡らした。
「いつ死んでも……いいようにしたいんだ」
アオイは訥々と語り始める。
「だから、いつが終わりなんだとしても……最後の記憶が、カガリと一緒の時間で……幸せな時であるように」
そう言いながら、胸の奥から込み上げてくる熱いものに、表情を歪ませる。果たして、雪がアオイの頬にも滴を落とした。それはゆっくりと肌を伝って、体温を奪っていく。
視線を落とすと、カガリが驚いたように目を瞠いていた。そんなト書きはない。アオイがカガリの胸に手を当てると、彼はようやく我に返ったようだった。
「お前を絶対に悲しませない。俺も……お前が安心できるように、涙は流さないと誓うよ」
カガリがアオイの涙を拭う。そこで、ようやく「カット」の声がかかった。
「ああ~~~~さっむ!」
ヒナキは大袈裟に体を縮こまらせると、そう叫んだ。11月下旬の海だ。寒いに決まっている。雪も降っているし(人工雪だが)、天気は曇っているし、体感温度は予想気温よりはるかに低いだろう。元々体が丈夫だとはいっても、これは堪える。
「ヒナキ君、お疲れ様」
「ありがとうございます!」
相良に手渡されたカイロとブランケットにくるまって、モニターチェックへ向かう。すると、同じくブランケットにくるまったJUNと目があった。
「すみません……最後、台詞が飛んじゃって」
「いいよいいよ、そういうこともあるって。監督、もうワンテイクいきますか?」
「そうだねぇ。もう一度やってみようか」
JUNはどうやら、今のミスで落ち込んでしまったようだった。台詞が飛ぶくらい誰にだってあるし、そんなに気にすることでもない。第一、ドラマや映画の撮影なんて、シーンあたり一回きりで撮影が終わることの方が少ないくらいだ。
しかし、JUNは難しい顔をして俯いていた。これは、あとでフォローしてやった方がよさそうだ。
——まあ、JUNなら大丈夫だよね?
ほどなくして、2度目の撮影が始まった。ヒナキはさっきよりもJUNの表情を注視しながら、演技に集中した。
「最後の記憶が、カガリと一緒の時間で……幸せな時であるように」
ヒナキは完璧なタイミングで涙を流した。それから、少しぼやけた視界でJUNをまっすぐに見る。JUNは先ほど以上に悲痛な表情を浮かべていた。
——この時のカガリの気持ちを考えたら、こんなもんかな。
しかし、それにしても妙に感傷的だ。ヒナキは少し不審に思ったが、JUNは変わらずにカガリの演技を続けていた。やがて、その目が潤んだように光る。
「お前を、絶対に悲しませない。俺もお前が安心できるように……涙は流さないと誓うよ」
——ああ、いい。
心臓をぎゅっと掴まれたような心地がして、ヒナキはうっかり本当に泣きそうになってしまった。JUNの瞳に吸い込まれそうだ。目が離せない。
——真に迫っていて……揺さぶられる。なんでこんなに切ない気持ちになるんだろう。
そうして、「カット」の声がかかると、ヒナキはすぐにJUNの両肩を掴んだ。
「JUNくん! 今のすっごくよかったよ!」
「え?」
JUNは少し気の抜けた表情でヒナキを見下ろした。困惑したようにしばらくヒナキの目を見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「うん! 今のテイク絶対使った方がいい。思わず本気で感動しちゃった」
ヒナキは満面の笑みを見せてから、JUNの元を離れた。再びカイロを握りしめ、ブランケットを肩にかける。これで次のシーンに行けるだろう。この調子で、サクサク撮影が進んでくれると願いたい。
しかし、その後の撮影でもJUNはどこか元気がないようだった。演技中は問題ないが、カメラを切った後に終始浮かない顔をしているのだ。カガリの心情に引っ張られているのだろうか。
——気になる……けど、演技に集中してるんだとしたら邪魔するわけにもいかないな。
そう思い、ヒナキは特にJUNへ声をかけることもなく次の撮影へ挑んだ。海のシーンは全て今日のうちに撮ってしまいたい。そう目論んだ製作陣の望み通り、日が落ちるまでには必要なカットが揃っていた。
「それじゃあ、暗くなってきたことだし、今日はこれで終わりにしましょう。お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
俳優陣は暖を取るため、真っ先にロケバスへと向かった。ここから宿泊施設までは車で30分ほどだと聞いている。冷え切ったことだし、早く温泉に入りたい。スタッフたちが片付けているところを遠目に見て、ヒナキは車へ乗り込んだ。
「大丈夫か?」
思いのほか深刻そうな顔をされてしまったので、アオイは明るく振る舞うほかなかった。本当は、今朝からずっと体調が悪い。けれど、この海に来たいと言ったのは他でもなくアオイ自身であったし、ワガママを聞いてここまでついてきてくれたカガリのことを思うと、引き返すわけにはいかなかった。
「平気だよ。ありがとう」
「無理すんなよ」
カガリはアオイの肩を抱き寄せた。さっきよりも距離が近い。アオイはそのままカガリに抱きつくと、そっと目を閉じた。カガリの体温。におい。胸の鼓動。それらにじっと意識を向けて、心に刻み込む。こうして彼と過ごせるのもあと少しだ。アオイに残された時間は、そう長くない。
「最後は幸せな思い出でいっぱいにしたいんだ」
「アオイ……?」
「本当は春になってから来たかったんだけど……それまで持つかわからなくて」
「おい」
「だから、まだ歩けるうちにカガリと一緒にここに来たかったんだ。ごめんね、無茶言って」
「アオイ!」
カガリに、それ以上の言葉を遮られる。肩を掴んで、顔を覗き込まれた。カガリの両目には、悲しみと怒りの色が、同時に浮かんでいた。
「そんなこと言うな! お前はぜってぇ治る。だから、春になったらまた2人でここに来ればいいじゃねぇか。何度だって付き合って……お前のために、俺は……お前のためなら、なんだってしてやるんだから」
カガリの声が微かに震える。悲しませるつもりはなかった。アオイは、内心ひどく悔いた。胸が痛い。喉の奥が熱い。カガリの言葉を否定することなどできない。
「怒らないで」
カガリの頬に手を当てる。
「ごめんね。君を悲しませるつもりじゃなかったんだ」
「っ、別に悲しんでなんか……っ」
「うん。そうだよね。悲しまないでほしい」
アオイは海を見やる。水平線は、曇り空にぼんやりと溶け込んでいた。こんなふうに、生と死の境も曖昧であればいいのに。そんなことを考える。
ほどなくして、2人の上へ雪が降り始めた。カガリが空を見上げ、釣られてアオイも顔を上げる。風に流されることなく、ただひらひらと花びらのように舞い落ちる白い粒。その一粒がカガリの頬へ落ち、温かな肌を濡らした。
「いつ死んでも……いいようにしたいんだ」
アオイは訥々と語り始める。
「だから、いつが終わりなんだとしても……最後の記憶が、カガリと一緒の時間で……幸せな時であるように」
そう言いながら、胸の奥から込み上げてくる熱いものに、表情を歪ませる。果たして、雪がアオイの頬にも滴を落とした。それはゆっくりと肌を伝って、体温を奪っていく。
視線を落とすと、カガリが驚いたように目を瞠いていた。そんなト書きはない。アオイがカガリの胸に手を当てると、彼はようやく我に返ったようだった。
「お前を絶対に悲しませない。俺も……お前が安心できるように、涙は流さないと誓うよ」
カガリがアオイの涙を拭う。そこで、ようやく「カット」の声がかかった。
「ああ~~~~さっむ!」
ヒナキは大袈裟に体を縮こまらせると、そう叫んだ。11月下旬の海だ。寒いに決まっている。雪も降っているし(人工雪だが)、天気は曇っているし、体感温度は予想気温よりはるかに低いだろう。元々体が丈夫だとはいっても、これは堪える。
「ヒナキ君、お疲れ様」
「ありがとうございます!」
相良に手渡されたカイロとブランケットにくるまって、モニターチェックへ向かう。すると、同じくブランケットにくるまったJUNと目があった。
「すみません……最後、台詞が飛んじゃって」
「いいよいいよ、そういうこともあるって。監督、もうワンテイクいきますか?」
「そうだねぇ。もう一度やってみようか」
JUNはどうやら、今のミスで落ち込んでしまったようだった。台詞が飛ぶくらい誰にだってあるし、そんなに気にすることでもない。第一、ドラマや映画の撮影なんて、シーンあたり一回きりで撮影が終わることの方が少ないくらいだ。
しかし、JUNは難しい顔をして俯いていた。これは、あとでフォローしてやった方がよさそうだ。
——まあ、JUNなら大丈夫だよね?
ほどなくして、2度目の撮影が始まった。ヒナキはさっきよりもJUNの表情を注視しながら、演技に集中した。
「最後の記憶が、カガリと一緒の時間で……幸せな時であるように」
ヒナキは完璧なタイミングで涙を流した。それから、少しぼやけた視界でJUNをまっすぐに見る。JUNは先ほど以上に悲痛な表情を浮かべていた。
——この時のカガリの気持ちを考えたら、こんなもんかな。
しかし、それにしても妙に感傷的だ。ヒナキは少し不審に思ったが、JUNは変わらずにカガリの演技を続けていた。やがて、その目が潤んだように光る。
「お前を、絶対に悲しませない。俺もお前が安心できるように……涙は流さないと誓うよ」
——ああ、いい。
心臓をぎゅっと掴まれたような心地がして、ヒナキはうっかり本当に泣きそうになってしまった。JUNの瞳に吸い込まれそうだ。目が離せない。
——真に迫っていて……揺さぶられる。なんでこんなに切ない気持ちになるんだろう。
そうして、「カット」の声がかかると、ヒナキはすぐにJUNの両肩を掴んだ。
「JUNくん! 今のすっごくよかったよ!」
「え?」
JUNは少し気の抜けた表情でヒナキを見下ろした。困惑したようにしばらくヒナキの目を見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「うん! 今のテイク絶対使った方がいい。思わず本気で感動しちゃった」
ヒナキは満面の笑みを見せてから、JUNの元を離れた。再びカイロを握りしめ、ブランケットを肩にかける。これで次のシーンに行けるだろう。この調子で、サクサク撮影が進んでくれると願いたい。
しかし、その後の撮影でもJUNはどこか元気がないようだった。演技中は問題ないが、カメラを切った後に終始浮かない顔をしているのだ。カガリの心情に引っ張られているのだろうか。
——気になる……けど、演技に集中してるんだとしたら邪魔するわけにもいかないな。
そう思い、ヒナキは特にJUNへ声をかけることもなく次の撮影へ挑んだ。海のシーンは全て今日のうちに撮ってしまいたい。そう目論んだ製作陣の望み通り、日が落ちるまでには必要なカットが揃っていた。
「それじゃあ、暗くなってきたことだし、今日はこれで終わりにしましょう。お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
俳優陣は暖を取るため、真っ先にロケバスへと向かった。ここから宿泊施設までは車で30分ほどだと聞いている。冷え切ったことだし、早く温泉に入りたい。スタッフたちが片付けているところを遠目に見て、ヒナキは車へ乗り込んだ。
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