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8.覚悟
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ドラマの撮影は順調に進んでいた。演技未経験であった潤も、監督や共演者のヒナキの指導に助けられて、少ないテイク数で撮影をクリアできるようになってきていた。間も無く迎える地上波の放送が楽しみだと、潤本人も少なからず思っていた。
そんなある日。
「ロケ地の都合でね。第10話のデートシーンと一緒に、最終回の分先に撮っちゃいたいんだよね」
プロデューサーは、開口一番にそう言った。潤は思わずスマホを取り落としそうになり、慌てて指に力を込める。電話口に向かって返事と会釈をしながら、話の続きを促した。ライブのリハーサル直前のことだった。
——だって、最終回のシーンって。
「前に言ってたじゃない? 一回泊まりがけで伊豆に行くって」
「はい」
「その日程を、ちょっとだけいじらせてほしいんだわ」
「いつですか……?」
「急なんだけどね。明後日から3日間」
明後日。潤は慌てて手帳を取り出した。昔からの習慣で使い続けている紙のスケジュール表。11月のページを開いて、ボールペンを置いた。
「11月30日から12月2日。どう? 来れそう?」
「はい。合わせられます」
「助かるよ! もし先行の予定が入ってたらどうしようって、心配してたんだよね」
本当は、予定は入っていた。とはいえ、来年発売するCDの打ち合わせがあっただけだ。仲間とレーベル担当者に頭を下げて、なんとか潤だけリモート参加にしてもらうか、日時を変更してもらうしかない。ライブや音源収録でなかったことだけが救いである。
——まためぐちんに怒られちゃうかな。
そんなことを考えて、内心ため息をつく。
「それじゃ、急で申し訳ないけど、静岡行きよろしくお願いしますね。ここのシーンが前倒しになる分、7,8話のパートは後回しになるから。来週になるかな。最近JUN君調子いいし、この分なら予定通り年内に全部撮り終わりそうだね。じゃ、また詳細はマネージャーさんの方に送るんで、確認してください」
「はい、よろしくお願いします」
通話が終わる。潤は客席の椅子にへたり込んで、大きなため息をついた。
——最終回……最終回かぁ。
まだ台本の文字上でしか知らないことではあるが、最終回ではヒナキの演じるアオイが死んでしまうことになっている。死に別れた後、1人残されたカガリは、アオイとデートで訪れた思い出の場所に足を運ぶのだ。
——そのシーンってことだよな。
そんな重いシーンを、心の準備も無しに演じられるだろうか。当然、セリフや流れはすでに頭に入っている。けれど、まだカガリとしての感情が追いつかない。
「でっかいため息なんかついて、どーしたの?」
背後から、突然聞き慣れた声が降ってきた。潤が電話している間に、彼も2階席に座りに来ていたようだ。潤は後ろを振り向いて、表情を緩ませた。
「よーちん」
よーちん、こと入間洋介。IRUMAの名でURANUSのベースを担う彼は、メンバーの中では最も潤と親しい人間だ。先輩であることは他のメンバーと変わらないが、彼が最も潤のことを理解してくれているのだ。
「ドラマの撮影で遠征あるって言ったじゃん。あれ、明後日からに変わっちゃった」
「あれまあ、大変だねぇ。そんな急に変わることあるんだ?」
「なんか、ロケ地の都合だって。よくわかんない……ああ、だから俺金曜の打ち合わせ飛ばしちゃうかも。ごめん」
「そういうことなら仕方ないよ。明日とか、なんなら今日のライブ後に変えてもいいよ。4人で話せさえすればいいんだし。潤の好きなようにしな。メグだって、仕事のことならわかってくれるよ」
「うん」
潤は背もたれに頭を乗せて、頭上を眺めた。ライブハウス特有の、重くて黒々とした天井だ。埃くささにさえ、愛着がある。
「それより、潤最近無理してない? 撮影忙しいんでしょ。そろそろ年末音楽番組も入ってくるけど大丈夫?」
「無理はしてない、平気だよ。楽しいし……。そうそう、ヒナキさん俺らのファンだったよ。それもあって、前より音楽が楽しい」
「へぇ? お前にとってヒナキさんってそんな特別な人? あの人がファンってだけでやる気あがっちゃうんだ。他のファンが妬いちゃうぞ~」
「そういうんじゃないよ。音楽はいつも楽しいけど、知ってる人に面と向かって応援されると、なんとなくテンション上がるじゃん」
「うん、それもそうだね」
しばらく黙った後で、洋介は潤の顔を覗き込んだ。
「でももし高永ヒナキと……仕事のこと以外で何かあったら、俺にすぐ相談してね」
いつもと同じように薄ら笑いを浮かべてはいるが、決して冗談ではないのだとすぐにわかった。洋介は、潤の秘密を知っている。
「わかってるよ」
目を閉じる。そうだ。たとえ仲良くなったとしても、恋愛関係になってはいけない。誰かを殺すことなんて、例えそれが血の呪いのせいであるとしても、潤にはできない。
はるか前方のステージから、チューニングの音が聞こえ始める。潤は立ち上がり、洋介と共に楽屋へ向かった。
そんなある日。
「ロケ地の都合でね。第10話のデートシーンと一緒に、最終回の分先に撮っちゃいたいんだよね」
プロデューサーは、開口一番にそう言った。潤は思わずスマホを取り落としそうになり、慌てて指に力を込める。電話口に向かって返事と会釈をしながら、話の続きを促した。ライブのリハーサル直前のことだった。
——だって、最終回のシーンって。
「前に言ってたじゃない? 一回泊まりがけで伊豆に行くって」
「はい」
「その日程を、ちょっとだけいじらせてほしいんだわ」
「いつですか……?」
「急なんだけどね。明後日から3日間」
明後日。潤は慌てて手帳を取り出した。昔からの習慣で使い続けている紙のスケジュール表。11月のページを開いて、ボールペンを置いた。
「11月30日から12月2日。どう? 来れそう?」
「はい。合わせられます」
「助かるよ! もし先行の予定が入ってたらどうしようって、心配してたんだよね」
本当は、予定は入っていた。とはいえ、来年発売するCDの打ち合わせがあっただけだ。仲間とレーベル担当者に頭を下げて、なんとか潤だけリモート参加にしてもらうか、日時を変更してもらうしかない。ライブや音源収録でなかったことだけが救いである。
——まためぐちんに怒られちゃうかな。
そんなことを考えて、内心ため息をつく。
「それじゃ、急で申し訳ないけど、静岡行きよろしくお願いしますね。ここのシーンが前倒しになる分、7,8話のパートは後回しになるから。来週になるかな。最近JUN君調子いいし、この分なら予定通り年内に全部撮り終わりそうだね。じゃ、また詳細はマネージャーさんの方に送るんで、確認してください」
「はい、よろしくお願いします」
通話が終わる。潤は客席の椅子にへたり込んで、大きなため息をついた。
——最終回……最終回かぁ。
まだ台本の文字上でしか知らないことではあるが、最終回ではヒナキの演じるアオイが死んでしまうことになっている。死に別れた後、1人残されたカガリは、アオイとデートで訪れた思い出の場所に足を運ぶのだ。
——そのシーンってことだよな。
そんな重いシーンを、心の準備も無しに演じられるだろうか。当然、セリフや流れはすでに頭に入っている。けれど、まだカガリとしての感情が追いつかない。
「でっかいため息なんかついて、どーしたの?」
背後から、突然聞き慣れた声が降ってきた。潤が電話している間に、彼も2階席に座りに来ていたようだ。潤は後ろを振り向いて、表情を緩ませた。
「よーちん」
よーちん、こと入間洋介。IRUMAの名でURANUSのベースを担う彼は、メンバーの中では最も潤と親しい人間だ。先輩であることは他のメンバーと変わらないが、彼が最も潤のことを理解してくれているのだ。
「ドラマの撮影で遠征あるって言ったじゃん。あれ、明後日からに変わっちゃった」
「あれまあ、大変だねぇ。そんな急に変わることあるんだ?」
「なんか、ロケ地の都合だって。よくわかんない……ああ、だから俺金曜の打ち合わせ飛ばしちゃうかも。ごめん」
「そういうことなら仕方ないよ。明日とか、なんなら今日のライブ後に変えてもいいよ。4人で話せさえすればいいんだし。潤の好きなようにしな。メグだって、仕事のことならわかってくれるよ」
「うん」
潤は背もたれに頭を乗せて、頭上を眺めた。ライブハウス特有の、重くて黒々とした天井だ。埃くささにさえ、愛着がある。
「それより、潤最近無理してない? 撮影忙しいんでしょ。そろそろ年末音楽番組も入ってくるけど大丈夫?」
「無理はしてない、平気だよ。楽しいし……。そうそう、ヒナキさん俺らのファンだったよ。それもあって、前より音楽が楽しい」
「へぇ? お前にとってヒナキさんってそんな特別な人? あの人がファンってだけでやる気あがっちゃうんだ。他のファンが妬いちゃうぞ~」
「そういうんじゃないよ。音楽はいつも楽しいけど、知ってる人に面と向かって応援されると、なんとなくテンション上がるじゃん」
「うん、それもそうだね」
しばらく黙った後で、洋介は潤の顔を覗き込んだ。
「でももし高永ヒナキと……仕事のこと以外で何かあったら、俺にすぐ相談してね」
いつもと同じように薄ら笑いを浮かべてはいるが、決して冗談ではないのだとすぐにわかった。洋介は、潤の秘密を知っている。
「わかってるよ」
目を閉じる。そうだ。たとえ仲良くなったとしても、恋愛関係になってはいけない。誰かを殺すことなんて、例えそれが血の呪いのせいであるとしても、潤にはできない。
はるか前方のステージから、チューニングの音が聞こえ始める。潤は立ち上がり、洋介と共に楽屋へ向かった。
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