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4.撮影開始

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「高永さん」
 会議室を出ようとしたヒナキを呼び止めたのは、JUNだった。ヒナキは、思わず身を硬くしてしまったことを悟られぬよう、一瞬で表情を繕った。まさか彼の方から話しかけてこようとは。予想外の事態に、心拍が速くなる。
「どうしたの?」
「あの、俺の演技どうでしたか。自分なりに考えて挑んだつもりでしたけど、その……改善点とか……」
 JUNの表情は真剣そのものだった。他意はなく、ただ純粋に演技の先輩としてヒナキに教えを乞うているようだった。
——やっぱりJUNはJUNだ。仕事に対しては、音楽じゃなくても真面目なんだな。
 じんわりと胸が熱くなるのを感じ、ヒナキはそっと唇を噛んだ。自分だけ、仕事とは別のところで悩んでいたことが、恥ずかしくて仕方がない。
——そうだ。いま僕は、JUNのファンじゃなくて共演者の先輩なんだ。しっかりしなきゃ。
 咳払いをして、柔らかい笑みを浮かべる。
「初めてだとは思えないくらいよかったよ。本当だ。表情はできてるし、声もいい。……ただ、改善点を挙げるならば、少し平坦な部分があったかな」
「平坦、ですか……?」
「うん。カガリは不良の役だから、そこまで喜怒哀楽の抑揚を大きくしなくてもいいとは思うんだけど。もう少しくらい、セリフの中で間の置き方を考えてみてもいいかもしれない。ずっと平坦な話し方だと、棒読みに聞こえちゃうんだ」
「間の置き方……」
「うん。ほら、歌もそうじゃない。一曲を通して、ずっと同じ歌い方はしないでしょ? そこは、君の方がよほど詳しいだろうけど……」
「歌う時と同じ、か。なるほど……」
 JUNは考え込んだような顔をして、しばらく黙り込んでいた。しかし、すぐに表情を引き締めてヒナキに頭を下げる。
「研究してみます。ありがとうございます、高永さん」
「うん。あっ、ヒナキでいいよ。その方が話しやすいからさ」
「あ……はい。ヒナキさん」
 JUNは少しだけはにかんだような笑みを浮かべると、もう一度会釈をしてその場を去った。彼の纏っていた香水の匂いだけが、静かにヒナキの周りに残る。彼の足音が聞こえなくなってもなお、ヒナキは瞬きさえできずにいた。
「JUNが……笑った……」
 心臓が高鳴っている。冷たいばかりだと思っていたJUNが、自分に向かって笑みを見せたばかりか、ほんの少しのアドバイスに対して礼を言ってくれるなんて。
「……撮影頑張ろ!」
 ヒナキは1人ガッツポーズを作ると、軽やかな足取りで次の仕事へと向かった。
 


数日後
BLドラマ「ラヴァーズ・イン・チェインズ」撮影初日

「えー、それでは本日から撮影開始です。二ヶ月間、みなさんどうぞよろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いします!」
 ついに迎えたクランクイン。ヒナキは、いきなりJUNと二人のシーンの撮影だった。メイクをして、衣装を合わせて。学生服なんて着るのは随分久しぶりのことだが、悪くない。
 JUNの姿を探す。彼は、役に合わせてウィッグを着用している。火野カガリは赤い髪のキャラクターなのだ。
「JUN、派手髪も似合うなぁ……」
 普段の黒髪も最高にクールだけど。
 と、思わず口に出してしまったと気がついた時には、JUNがこちらを向いていた。ハッとして、口に手を当てる。しかし、時すでに遅い。
「あっ、いや! その……衣装似合ってるね! JUN、くん」
「はぁ……ありがとうございます」
 JUNは目をぱちくりさせたまま、ふらりとその場を離れていった。よかった。ヒナキは胸を撫で下ろす。
 ある程度の関係を構築できるまでは、ファンであることは隠し通した方が良さそうだ。スマホのロック画面を、画像の中のJUNに穴が開くほど見つめてから、ゆっくり深呼吸をした。
——大丈夫だ。今朝、URANOSのインタビュー記事を読んできたばかりだし、JUN成分は充足してる。我慢できる。
「それじゃあ高永さん、JUNさん! 準備よろしくお願いします!」
「はい!」
 セットの中に足を踏み入れた瞬間、ヒナキは橘花アオイになった。表情も、息遣いも、全てがまるで他人のものだ。
「よーい……アクション!」
 アオイとカガリが出会ってから数ヶ月後の、放課後のシーン。二人は教室の机を囲んで、宿題に取り組んでいる。
「あー、わっかんねぇ……これ、合ってんのか?」
「合ってるよ。因数分解したんでしょ? そしたらこれ、どうやったらイコールにできるか考えてみて」
「イコールに……? ゼロにするってことか?」
「そうそう。わかってるじゃない」
 カガリは勉強が苦手だと言いながら、地頭は悪くないのだ。アオイの懸命なアドバイスで、少しずつ要領を得始めている彼の成績は、出会った当初よりも随分良くなっていた。
「ねぇカガリ、今日この後どこか遊びに行かない?」
「遊び? 何してぇんだよ」
「ふふっ、そうだなぁ。カラオケとかどう? 僕、カガリの歌が聞いてみたい」
「ハァ? 歌だぁ? ……ま、いいけどよ」
「やった! じゃあ早く宿題終わらせちゃってよ。暗くなっちゃう」
「はいよ」
 カガリは小さく笑みを浮かべ、机に向かう。その様子を、アオイは幸せな気持ちで眺めていた。こんな日々が、時間が、ずっと続けばいい——。自分の肉体が少しずつ死へ向かっていることがわかっていながら、そんなことを願ってしまう。
 大丈夫。まだ、僕の余命はあと一年はあるんだから。アオイは考える。
「何じっと見てんだよ。アオイ」
「いてっ」
 カガリにシャーペンで小突かれる。ああ、カガリのこの優しい笑顔。好きだなぁ。アオイは頬を赤らめて、笑った。

 カットが入り、モニターチェックに入る。ドラマの撮影なので、映画ほど悠長に時間をかけていられないが、なるべく自分の目でチェックをしたい。ヒナキは画面を覗き込んだ。
「いい感じですね。でも、もう1テイクいきましょうか。JUNさん、もう少しだけ肩の力抜けますか?」
「はい。分かりました」
 再びセットに入る。次のテイクでは、JUNの演技は格段に良くなっていた。
——若いからか、素直だからか。JUNは本当にポテンシャルが高いんだなぁ。
 ヒナキは感心した気持ちでJUNを見た。すると、偶然こちらを向いていた彼と視線がかち合ってしまった。切れ長の目が、真っ直ぐにヒナキを捉える。
「あ……」
 また不快な思いをさせてしまったかもしれない。ヒナキは咄嗟にそう思ったが、JUNはすぐに目を逸らさなかった。ヒナキに向かって一度だけ微笑み、それからゆっくりとモニターに視線を戻す。
——あれ、嫌がられなかった?
 ヒナキの中に、小さな希望の光が灯る。だって、今笑ったじゃないか。
——最初に会った時よりは、僕に気を許してくれているんだろうか。
 そう思うだけで、胸が熱くなった。ほんの少しだけ、なのだろうけど。単純すぎるかもしれないけれど。JUNとの距離が近づいたのかもしれない。
「モニターオッケーです! 次のシーン行きましょう!」
 監督の声にハッとして、ヒナキは気を取り直した。
「はい! よろしくお願いします!」
 ヒナキの溌剌とした声が現場に響き渡る。たった数秒の出来事で、こんなにも心が明るくなるのだ。推しってすごい。ヒナキはもう一度、先ほどのJUNの顔を思い出して、一人笑みを浮かべる。
——今日の撮影が終わったら、勇気を出して話しかけてみよう。
 ヒナキは上機嫌でセットへと向かいながら、橘花アオイを纏った。







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