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居場所

12.心埋めるもの

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「今日……制作発表だ」
「え?」
 起きてくるなり、涼弥はそう言った。まだ彼の体調は回復し切っていない。熱はある程度下がったものの、昨夜はまだ微熱があったし、今朝も顔色が良くない。明らかに、健康ではなさそうだ。
「制作発表って、なんの?」
「映画の……監督とか、脚本家とか、……俳優が出るやつ。原作者の俺も行かないと」
 ハルは涼弥の隣に座ると、額に手を当てた。だいぶ平熱らしくはなった。けれど、やはり顔が赤いような気がする。
「危ないよ。僕も一緒に行く」
 こんな状態で、ひとり外に放り出すわけにはいにい。そう言うと、涼弥は目を猫みたいに丸くして、ハルの手を掴んだ。
「ダメ。誰かに見られたら、ほんとの彼氏だと勘違いされちゃうよ」
「え? いいじゃん。僕は構わないよ」
 寧ろ、世間に知らしめてやりたいくらいだ。そうすれば、きっと涼弥に変な虫が寄ってくることもなくなるだろう。ハルはまだ涼弥を取り巻く人間関係を知らない。しかし、だからこそ今のうちに周囲に牽制しておきたい。
「でも……本当に今日のはつまらないと思うから」
「違うよ、僕は心配して……」
「ん、いや……平気。帰る時に連絡する」
 涼弥はハルの言葉を遮ると、矢庭に立ち上がり、どこかへ向かって行った。そうして、何かを持ってすぐにこちらへ戻ってくる。
「これ、合鍵。渡そうと思って忘れてた。ハルさんが持ってて」
 ハルは思わず、その鍵と涼弥を交互に眺める。そこまでして同行されたくないのか、と思う反面、鍵を渡されること自体は嬉しくもあった。
「いいの?」
「うん。ずっと出歩けないと辛いでしょ」
 躊躇っていると、その銀色の鍵をしっかりと手に握らされた。これでエントランスのオートロックも、この部屋の鍵も、どちらも開けられるのだという。
「本当に大丈夫だから。ハルさんはのんびり過ごしてて」
 そうまで言われて、これ以上食い下がることはできない。ハルは渋々了承すると、涼弥の鍵をポケットにしまった。





「りょーやから返事がない」
 ハルは半分涙声でそう言った。あの彼がこんなに酒に酔うなんて珍しい。しかも、まだこの世界では早い20時台だというのに、この具合だ。
「りょーやって、前に言ってたお客さん?」
「そう……もう3時間も放置されてる。俺寂しいと死んじゃうよぉ」
「あら」
 マスターことジェシーは、ハルの空になったグラスを引き上げながら、苦い笑みを浮かべた。彼とは長い付き合いになるが、こんな風に「面倒な男」ぶりを発揮しているのは久しぶりに見る。ハルは大抵、客の愚痴か、最近見た映画の話、筋トレの話くらいしかしない。それが、まさかこんな風に色恋ネタを持ちかけてくるとは。
「あれ? ハルちゃん。前に絶対お客さんにハマるなんて有り得ないって言ってなかった?」
 態とらしくそう言うと、ハルはハッと目を丸くした。それから、妙に真剣な顔つきになる。
「男に二言は無い、なれど、我が前言撤回いたす」
「なぁにソレ」
「忘れて。今頭おかしくなってるの」
「ふふっ、変なハルちゃん」
 新しく作ったハイボールを差し出す。すると、ハルはすぐに口をつけて、またため息をついた。
 最近、彼はこのグレンフィディックのハイボール(に、ライムを添えたもの)しか飲まない。出会った頃は苦い酒なんて飲めないと言っていたはずだが、いつのまにか大人になったようだ。
「ねぇ、ジェシーさん。俺いま、涼弥とはショートメールしかしてないんだ。LIMEも交換した方がいいと思う?」
「え? アンタ、ホスト辞めてから本名のアカウントしか使ってないんでしょ? 本名バレちゃうわよ」
「いーよもう。涼弥に無視されたくないもん……あちこちから追撃したらどれか一個くらい返してくれるよね。返事欲しいよぉ」
「しつこいのは嫌われるわよ」
「うう……」
 確かに、と言って、ハルはテーブルに肘をついた。全く、らしくない顔をしている。あの捻くれ者のハルが、真面目に恋愛で悩むなんて。それならば、こちらも真剣なアドバイスをしてやりたくなるというものだ。
「大丈夫よ。りょーやくんはちょっと仕事が忙しいだけ。帰ったら会えるんでしょ?」
「会える。けど、何時に帰ってくるかわかんないじゃん」
「そうなの?」
「なんか、会見だけじゃなくてその後酒とか飲む場もあるらしいし……いつ終わるかわかんない。だから早く返事欲しいのに」
 ハルは子供のように拗ねた顔をすると、またスマホ画面をつつき始めた。以前は「客からの連絡が鬱陶しい」だの「営業LIMEがめんどくさい」だの言っていたのに、まるで別人だ。
「そんなに心配なら、迎えに行っちゃいなさいよ。早く帰ってきて、って」
「ええ?」
「お酒の席では、それこそアンタが心配してるようなハプニングも起こるかもしれないでしょぉ? それなら、アンタが助けに行かなきゃダメよ。りょーやくんを守らないと」
「……乗り込んで行けって? 無理だろ」
 ハルはまだむくれた顔をしている。年甲斐もないのに、様になっているのが不思議だ。
 しかし、ジェシーの提案は満更でもないようだった。もうあと一押し、という感じだ。
「だってあっちはメディア関係の連中だよ? 俺なんかつまみ出されて終わりだって。あー……でも涼弥に悪い虫がついたらどうしよう……あの子可愛いからなぁ」
「うるっさいわねぇ。うだうだ言ってないで、早く会いに行っちゃいなさいよ」
 こうなったら、強く言って追い出した方がいい。結局ハルは、誰かに背中を押してもらうのを待っているのだ。そういう男だ。
「りょーやくんだって、ハルちゃんが居なくて不安がってるかもしれないでしょぉ? ホラ早く! 行ったげな! 今日のはツケにしといてあげるから」
「うん……! ありがと、ジェシーさん」
 ハルの顔がじわじわと煌めきを取り戻す。やがて、子供のように無垢な笑顔になると、彼は嬉々として席を立った。そのまま、ふわふわした足取りで出口へと向かう。
「ありがとね! いい事あったら報告する!」
 全く、恋愛をすると馬鹿になるとは、ハルのような男のことを言うのだろう。ジェシーは苦笑して、まるで羽でも生えたように軽やかに歩き去る男の背中に、ひらりと手を振った。




午後9時
都内某ホテル

——よりにもよってこのホテルなんだよなぁ。
 ハルは見慣れたエントランスを通り抜け、ロビーへ向かった。5年間働いていた場所だ。いい思い出ばかりではないが、やはりこうして正面から中へ入ると、多少感慨深いものがある。
 ハルは手櫛で髪を整えると、暇そうにしているフロントに近づいた。勝手知ったる、とまではいかないが、客の姿が見えないのをいいことに、カウンターに肘をつく。
「おはよー花ちゃん」
 フロントの中にいる女性は、しばらく考え込んでからハッと目を大きく瞠いた。堅苦しかった表情が、俄かに明るくなる。
「せなちゃん!? おはよう! どうしたの?」
「ふふっ」
 せなちゃん、とはハルの本名に由来するニックネームだ。とはいえ、彼女と、この会社の同期数名からしか呼ばれたことはない。
 彼女——木田花は、ハルと同期入社してフロントに配属された人物だ。新入社員だった当時、それなりに交流をしていたこともあり、5年経った今でも気軽に口を利く仲である。
「今日俺の友達がここで仕事やっててさー。迎えに来たの」
「迎えって……を?」
「うん。ちょっとロビーで待たせてもらっていい?」
「いいよー。てか、せなちゃんまだ退職日じゃないでしょ? 休憩室バック入れば? 友達来たら教えてあげるよ」
「21階まで上がるのダルいじゃん」
「それもそうか。いいよ、今空いてるからその辺で寛いでて」
「うん。ありがとね」
 ハルは花に手を振って、フロントを離れた。ロビーのソファに腰を下ろし、スマホを取り出す。依然として、涼弥からの返事はない。
——ほんとに大丈夫かな。体調悪くなって倒れてたりしたらどうしよう……、
 そうだとしても、自分には連絡なんて来ないだろう。そう思うと、彼にとってのハルは「ただの他人」だと突きつけられているような気がして、胸が痛む。
「はあ……」
 酒に酔っている間はよかったが、冷静になってしまった今、ネガティブなことを考えると本当に憂鬱になってしまう。涼弥にとっては取るに足らない存在。金を貰ってそばに居るだけ。彼のプライベートに踏み入ることを許されたわけでも、干渉を求められたわけでもない。分かっていたことだが、改めて思い知らされるときつい。
——何してんだろうなぁ、俺。
 ただ給料の分だけ働いて、あとは涼弥の言うことを黙って聞いていさえすればいいのに。いちいち彼の言動や身の安全を心配して、こんなに気を揉んでいるなんて、莫迦の証拠だ。レンタル彼氏のキャストとして、失格とも言える。
 けれど、好きになってしまったものは仕方がない。契約が終わった後に、ただの個人として彼に想いを告げられるようになるまでは、彼に嫌われないよう最善を尽くすまでだ。そしてあわよくば、涼弥にも好いてもらえるように……彼がハルを本当の彼氏にしたいと思ってくれるように。それだけの為に、やり遂げるしかない。

 そんなことを考えていると。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ……」
 遠くから、いかにも宴会の後といった人々の話し声が数多く聞こえてきた。エレベーターホールの方だ。ハッと目を向ける。すると、華やかなスーツやドレスに身を包んだ複数の人間が、ぞろぞろとこちらに向かって歩いてきているところだった。
——もしかして、涼弥の仕事も終わったのかな?
「それでは、私どもはここで失礼します」
「ええ! 今後ともよろしくお願いいたします」
 壮年の男達が、ヘコヘコとお辞儀を繰り返している。こうした世辞と忖度の煮凝りのようなやりとりは、本当に嫌いだ。
 ため息を吐きつつ、しばらく集団を観察する。どうやら、今エレベーターから降りてきた中には涼弥はいないようだった。
——涼弥、あんなおっさん達に囲まれてたのかな。大丈夫かな……。
 もし、彼が変な男に捕まってしまっていたら。そうでなくとも、彼の苦手とする社交の場で、嫌な目に遭っていたら。考えれば考えるほど心配で、気が気ではない。
——早く降りてきてくれ……早く会って、無事を確かめたい。
 そして、この腕に抱きたい。涼弥に触れたい。
 念じているうちに、刻々と時間が過ぎる。やがて、ハルが疲労を覚え始めたころ、不意に若い男の声が聞こえてきた。
「涼弥、家まで送ってくで」
——涼弥!?
 聞き間違いではないかと思いつつ、ハルは思わず立ち上がる。
 すると、見慣れた明るい髪色の小柄な男と、もう一人知らない人間が、外に向かって歩いているところだった。
「涼弥……」
 嬉しさと安堵で、無意識のうちに名を呼んでしまっていた。しかし、彼は少しもハルに気付いた様子はない。そうして、隣を歩いていた見知らぬ男が、涼弥の肩を馴れ馴れしそうに抱いた。
——は?
 ハルはふと息を止める。
「飲み過ぎたやろ? 心配やし」
——誰だそいつ。
 一瞬にして、全身の血液が冷えたような心地がした。苛立ちとも恐怖ともつかない奇妙な感情で、背筋が冷たくなる。呼吸が浅くなるのを感じながら、ハルはふらふらと彼らに歩み寄った。
「涼弥くん」
 声が震える。感情で喉が詰まったような、不思議な気分だった。雑音の一切が消え、ハルの意識の中から彼ら以外が排される。
 果たして、ハルの声は彼に届いていたようだった。涼弥はようやくハルに気がついて、愛らしい目をいっぱいに瞠いた。
「ハルさん!? どうしてここに」
——なんでって、君こそなんで。そいつ誰? どうして俺の知らないやつに肩なんて触らせてんの。
 怒りと共に様々な言葉が込み上げてきたが、ハルはなんとか呑み込んだ。というよりも、涼弥の今の顔を見たら、そうせざるを得なかった。まるで、迷子の猫が親を見つけた時のような目つきをしていたからだ。
「あれ、どちらさん?」
 関西弁の男は、不審な目をしてハルを眺めた。全く、忌々しい。ハルは目一杯に憎しみを込めつつ、営業スマイルを作る。
——こんな奴に涼弥は渡さない。
 こんな場にならなければ、はっきりとこの言葉を言えないなんて。自分が情けない。しかし、彼を好きだと認めた以上、もう臆することはない。
「彼の恋人です」
 ハルはハッキリと、その場にいる誰もに聞こえるような声で、そう告げた。



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