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初デート

9.莫迦みたい ★

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 結局、ハルは涼弥と共に駅を挟んで反対側にあるホテルへ入った。その昔、ホストをしていた頃はこの系列のホテルに何度も足を運んだものだ。結局枕営業はしなかった(というよりもできなかった)が、女性客は悉くこのホテルに行きたがった。いい思い出はないものの、今はここくらいしか思い付かなかったので、仕方がない。
「濡れた服……早く脱がなきゃね」
 部屋に着くまでの間、涼弥はずっと震えていた。風邪を引いてしまうんじゃないかと、自分の所為でありながら心配になる。本当に、せっかくのデートがこんなことになってしまって申し訳が立たない。元客の女をきちんと管理できていなかったのは、ハルの落ち度だ。
「本当に、こんなことになっちゃってごめん」
「もう謝らなくていいって。早く風呂入ろう。雨臭い」
「うん……」
 今日の涼弥は、なんだかいつもよりもハキハキと物を言う。もしかしたら、日頃はハルに対して遠慮があったのかもしれない。この方がいい、と思う反面、彼の精神的な余裕を奪ってしまったことに対する罪悪感があった。
 二人が入ったのは、大きな天蓋付きのベッドの他に、ソファとテレビが設えられた、テンプレートのようなラブホテルの一室だった。空いているところが少なく、部屋の選択肢は殆ど無かったのだ。
 涼弥は、中に入るなりコートを脱ぐと、風呂へ向かった。躊躇いもなく、バスタブの蛇口を捻る。
「お湯、溜めといていい?」
「あ……うん」
——なんか、やけに慣れてるな?
 勘繰ってしまうのは悪い癖だ。ハルは首を振り、涼弥のコートを丁寧にハンガーにかけた。成人男性なら、ホテルくらい利用した事もあるだろう。
——ていうか、泊まりにしちゃってよかったのかな。涼弥くん、明日は忙しくないって言ってたけど……。
 本当なら、もう少し雰囲気のいいデートを堪能してから、流れでホテルに行く、くらいがよかった。それが、こんな風に雨宿りで利用することになるとは、全くの想定外だ。
——まあ、全部あの女の切り方を間違えた俺のせいだな。
 涼弥は、怒ってこそいないようだったが、少なくとも気分は落ちてしまっていた。なんとかここから挽回したいものだが、どうしたものか。悩んでいると、涼弥の方からハルに近づいて来た。
「ハルさんも一緒にお風呂入ろう」
「え?」
「それはルール違反じゃないだろ?」
 思わず涼弥の顔を見つめる。こんなに積極的な人だっただろうか。構わないけれど、あんな事があった後にそれを誘われるとは思わなかった。
「涼弥くん、嫌じゃないの?」
「なにが?」
「さっき、僕の嫌な部分見たでしょ」
「ん……? あれはハルさんが悪いんじゃなくて、女の子の問題でしょ」
 涼弥のその言葉に、ハルは目を瞠いた。そんな風に言われるなんて思わなかったのだ。
 さっきのは、どう考えてもホストとしてのハルが至らなかったばかりに怒った事件だ。しかも、今はホストではないとはいえ、接客業の最中に客を巻き込んでしまうなど、言語道断だ。即刻契約を打ち切られたっておかしくない。それが、まるでハルを擁護するようなことを言うなんて、驚きだった。
「俺は客の立場だから、あの子の気持ちが分かってしまう。まあ、状況は違うけどね。俺は自分の好きな仕事してるだけだし」
「……うん」
 涼弥は、話しながら服を脱ぎ始めた。濡れたシャツが肌に張り付いて、いやに艶かしい。ハルは直視しないようにしながら、そっと唾を呑んだ。
——なんで俺、こんなに緊張してるんだ。
 心なしか、心拍が速い。服が冷えて寒いはずなのに、なぜか頬まで熱く感じる。一体なんなんだ。
「ハルさん」
「ん……何?」
「脱がないの?」
「えっ」
 必死で平静を装っていたにもかかわらず、涼弥はハルの動揺を見透かしているようだった。わざと、脱ぎかけたシャツを肩にかけたまま、体をぴっとり密着させてくる。まさか涼弥が、こんな風に迫ってくるなんて。身構えていなかっただけに、軽率に反応を示してしまった。
「涼弥くん……?」
「ねえ、ハルさん」
「んっ……」
 涼弥の指先が、ゆっくりとハルの首筋を撫でた。濡れているせいか、なぜかその感触がとても鋭敏に感じられる。擽ったい。そして、体の奥の方がむずむずする。
「ハルさん、興奮してるの?」
 涼弥にそう言われて、ハルは初めて自分の下腹部を見た。勃っている。他のことに気を取られて、自分の体がこんな風になっていると気付かなかった。
「あ……」
 恥じらいよりも、戸惑いが大きかった。涼弥はこんな男だったか?
 涼弥はハルを壁際に追い詰めると、服の上から股の膨らみを摩った。同時に、空いた手でシャツのボタンを外し始める。器用なものだ。ハルは困惑と欲情との合間で、何も言葉が見つけられなかった。
「ハルさん」
 涼弥はすでに欲情し切った顔をしていた。そして、それもまたハルの理性を奪おうとする。唇にキスをできないのが惜しい。今すぐ涼弥を押し倒して、身体中に印をつけてやりたい。彼を手に入れたい——淺ましい欲望だ。
「へぇ……ハルさん、刺青入ってたんだ」
「うん……嫌だった……?」
「ううん、似合ってる。綺麗」
 涼弥はしゃがみ込み、ハルの腹部にキスをした。それから、天使と薔薇の絵を舌でなぞる。先日は、暗かったせいで気付かれなかったようだ。自分では見慣れてしまったけれど、こうして涼弥に褒められるとくすぐったくなってしまう。
 ハルは息を吐いて、昂った感情を抑え込んだ。このままじゃ、涼弥に乗せられっぱなしだ。
「涼弥くん、ね……お風呂入ろうよ」
「ん……もう少しだけ」
「やばい、から……っ、ね? あとで……」
「あとで……?」
 涼弥に下着までを脱がされ、屹立が剥き出しになる。この状況は、かなり悪かった。
「あとでなら……俺を抱いてくれるの?」
 涼弥はハルのペニスをするりと撫でて、上目遣いで首を傾げた。ハルはつい口元に手をやって、顔を背ける。
「それ……ダメ。涼弥くん」
 胸が苦しい。自分でも莫迦ばか莫迦ばかしいしいと分かっている。きっと、性欲と恋愛感情が混同しているのだ。涼弥は、本当の意味でハルを求めてなどいない。そんなのは初めから分かり切っている——それでも。
——さっきの、彼は……。
 ハルは涼弥を立ち上がらせて、唇の横にキスをした。



 準備するから先に出ていて、と言われて、ハルは大人しく涼弥が風呂から上がるのを待っていた。自分が接客する側のはずなのに、なぜ彼のペースに持っていかれているのだろう。そう思いつつも、先ほど湯船のなかで少しばかり戯れた肌の感触を思い出した。
——昨日まで、なんともなかったのに。
 いや、何ともなかったわけではない。最初から、涼弥の顔や体は好きだった。それが、今は心地よさや漠然とした好感ではなくて、確実な性愛へと変わってしまっただけだ。
 涼弥が欲しい。彼の体だけではなくて、心までが欲しい。ハルとの触れ合いではなくて、を求めて欲しい。求められたい。彼のテリトリーに足を踏み入れる事を許して欲しい。
 なぜそんな事を思ってしまうのだろう。
——ゆなと揉めた時、涼弥に嫌われるかもと思ったら怖かった。
 彼女が涼弥に矛先を向けた瞬間、どうしようもない焦燥感に駆られた。ゆなは、まさしくハルの黒歴史そのもののような存在だ。彼女が涼弥に触れるということは、涼弥がハルの恥ずべき部分に近づいてしまうということだ。
——俺は、涼弥のこと……。
 好き、なのだろうか? わからない。ただ、あまりにも恋愛に飢えすぎていて、冷静に判断する力を失っているだけかもしれない。
——自分から恋愛ごっこを仕掛けておいて、ハマっちまってたら世話ないな。
 そのせいで、大事なことを見失ってはいけない。
「……僕も準備しよう」
 わざと声に出して、ハルは立ち上がった。綺麗にベッドメイクされた布団を剥がして、コンドームやローションをちょうどいい場所にセットする。濡れた服をきちんと干して、暖房をつけて、テレビを消して。それから、小さめのタオルを枕元に置いたり、部屋の照明を調節したりした。
「これでいいかな」
 そう呟いたのと殆ど同時に、涼弥がこちらに戻って来た。思わず顔を向け、立ち上がる。
「おかえり」
「ん……おまたせ」
 涼弥は少しほてった顔で、パタパタ足音を鳴らしながらこちらにやって来た。スリッパのサイズが合わなかったらしい。
「涼弥くん」
 腕を広げると、涼弥は少しだけ恥じらう様子を見せてから、おずおずと抱きついてきた。可愛い。腕の中にすっぽりおさまる彼を眺めていると、本能的な庇護欲を掻き立てられてしまう。
——どうしよう、キスしたい。
 ぐっと堪えて、涼弥を抱き上げる。
「ひゃっ!?」
 気の抜けた悲鳴だ。
 そのままベッドまで運んで、座らせてやると、涼弥は顔を真っ赤にしてハルを見上げた。彼のバスローブの紐を解き、そっと押し倒す。昨日までより短くなった髪が、ふんわりシーツの上に広がるのが、色っぽくも愛おしく感じられた。
「可愛いお誘いありがとう」
「……その気になってくれたなら、よかったよ」
「どこで覚えてきたのか、今度教えてね」
 そう言うと、涼弥の目が丸くなる。こんなに可愛い反応をされると、少しの悪戯くらいしてやりたくなってしまう。
「触っていい?」
「うん……んっ……!?」
 合意を得るなり、涼弥の頬から胸元まで、キスを繰り返して辿った。乳首を舌でそっと刺激すると、甘い吐息が漏れる。そうか、胸でも感じられるんだ、と感慨深い気持ちになるとともに、誰が彼にを教えたのだろうと妬ましくも思った。
「気持ちいい? 涼弥くん」
「んっ……うん」
 片手でペニスをゆっくり触りながら、胸をいじめ続ける。涼弥が時折身体を震わせて、快感を逃がそうとするのを、それとなく封じてやる。
「んんっ、あっ…やだ……ハルさん」
「なに?」
「胸……も、やだっ……へんなる……っ」
「ふふっ……もうこんなになってるよ、涼弥くん」
 張り詰めて、先走りをこぼし始めた先端を指で弄ぶ。それでまた、涼弥はびくりと腰を跳ねさせた。
「ああうっ、やぁ……!」
「可愛い、涼弥くん」
 ハルはようやく口を離すと、涼弥の入り口に触れた。彼が自分で準備をしてきたことは知っている。そっと、慎重に指を入れると、確かに柔らかくなっていた。
——これも慣れてるのかな。
「ちょっと冷たいよ」
 指に潤滑剤を絡めて、もう一度中に挿入した。2本入れても、きつくはない。涼弥は、力の抜き方を心得ているらしい。
「んっ、んんっ…あっ」
 前立腺のあたりを擦ってやると、甲高い嬌声が上がる。自宅では躊躇っていたものも、ここでは忘れられるようだ。
——可愛い。どうしよう。
 ハル自身、段々と余裕を失っているのがわかる。必死で平静を装っていると、不意に涼弥がこちらを向いた。
「ハルさん……」
「なに?」
「キス……してほしい。口じゃなくていいから……」
 その瞬間、ハルの中に電流のような衝撃が駆け抜けた。苛立ち、とは違う。
——胸ん中、変だ。痛い。
 理性と名を冠した樽の中に押し込めていた何かが、隙間から漏れ出始める。
 ハルは少しだけ逡巡し、それから、涼弥の唇を舐めた。彼が驚いた隙に口を開かせて、そのまま噛み付くようにキスをする。
「ハルさ…んっ、んぅ、……っ!?」
 涼弥とのキスは甘かった。これも、相性が良い証拠なんだろうか、なんて都合のいい事を考える。柔らかくて、甘くて、優しい。呼吸さえ、ぴったり重なっているように感じる。
 涼弥の息を奪いつつ、中を指で責め続ける。ぐちゅぐちゅといやらしい音が鳴り響き、そこに涼弥の苦しげな喘ぎ声が混ざるのが、堪らなかった。
「ハルさん、なんで……ダメなんじゃないの?」
「ダメだよ」
 涼弥は目を潤ませていたが、まだ冷静さを欠いてはいないようだった。
にはしない」
 ハルはなんとかそれだけを言って、指を引き抜いた。涼弥の上に身体を重ねるようにして、再び深いキスを繰り返す。涼弥はハルの背中に腕を回し、ようやく完全にハルの口付けを受け入れた。舌を絡め、熱を分け合う。
——客相手にはしない、なんて言ったって……。
 そっと自身のペニスに手を伸ばし、扱く。
——もう涼弥以外に客なんて要らない。
 唇を離し、起き上がった。用意していたゴムを開封しようとしたところで、涼弥がその手を止めた。ハルから奪い取ったゴムを唇で挟み、ハルの前にかがみ込む。そうして、フェラチオをするようにペニスを咥えると、あっという間に装着してしまった。そのまま、口で届かなかった根元までを手で伸ばしながら、ゴム越しに口淫をした。素直なもので、ハルのそれはさらに大きくなってしまう。
「そんなの、どこで覚えてくるわけ?」
「……秘密」
 これ以上煽られたら、本当に理性のたがが壊れてしまう。ハルは苦笑して、涼弥を四つ這いの格好にさせた。
「挿れるね」
 涼弥がこくんと首肯いたのを確認してから、ハルはぐっと腰を押し付けた。少しきついが、これも涼弥の慣れのせいだろうか、半分ほどまではすんなりと入った。涼弥は懸命に息を吐いて、シーツを握りしめている。
「痛くない?」
「うん……っ」
 涼弥の様子を見ながら、少しずつ奥へと進める。温かい。
「はぅ、あっ……ああっ」
 ゆっくりと抽挿を繰り返して、涼弥の背中を撫でた。快感の波と理性がぶつかるたびに、息を吐き出して耐える。罪悪感はすでに翳ってしまい、もはや涼弥が自分を受け入れているという悦びと、彼の知らない顔を見てしまった感動のようなものだけが、ハルの心をみたしていた。
「涼弥……んっ、うぅ」
 ほとんど無意識に名前を呼んだのだが、それに反応したかのように涼弥が中を締めるので、ハルはすぐに達してしまいそうになった。持っていかれそうだ。歯を食いしばり、一瞬の衝撃をやり過ごす。
「ああっ、んぅ…ハルさんっ、ハルさ、あっ」
 少しずつピストンを速め、深いところまでを打ち付ける。涼弥の気持ちよさそうな声が、さらにハルの心を溶かした。
「んんっ……!」
 涼弥がふるりと肩を震わせた直後、彼の体内が痙攣した。前立腺の収縮が伝わってくるようだ。涼弥が吐精したと分かってもなお、ハルは動きを止めなかった。
「あっ、やだ、ハルさ……っ、んっ、んああっ!」
 涼弥の喘ぎ声が、もはや掠れた切ない声ではなくなっていた。ハルは唇を舐め、角度を変える。
「んっ……ごめん、あんま我慢できないかも」
「ひ、うっ、あ」
「くっ……」
 今度こそ達しそうになってしまい、ハルは慌てて涼弥の中から引き抜いた。顔を見てしたい。ただのわがままだ。
 涼弥を仰向けに寝かせると、両脚を開いて持ち上げた。挿れながら、可愛い顔を見下ろす。彼は、蕩け切った表情でハルを見つめていた。
「涼弥っ、……りょう、や」
 名を呼びながら、丁寧にピストンを続ける。やはり、涼弥は名前を呼ばれると反応してしまうようだった。しばらくして、甲高い嬌声を上げたかと思うと、とろとろと勢いなく精液をこぼし始めた。彼の薄い腹に、断続的に吐き出された白濁の液が落ちる。
「ハッ……すげぇイキ方。可愛い、涼弥」
「んぅううっ、だめ…きもちぃ、ううっ」
 涼弥は手で口元を押さえて、何かを堪えるような素振りを見せた。それから、ぐっと喉を反らせる。
「涼弥……俺も、もうイキそう」
「ハルさ……んっ! ぅ~~……っ!」
「はぁっ、ん……ごめん、出る」
 どくんと重たい衝撃のようなものがあって、それから射精感が訪れた。涼弥の一番奥で、ゴムの中に精を吐き出す。自分自身が快感の波に呑まれながらも、涼弥が何度目かわからない絶頂でびくびくと体を震わせるのを感じた。
 しばらくの沈黙。腰の動きを止めてからも、ハルは数秒間何も考えられなかった。
「はるさん……」
 涼弥の声で、ハッと我に帰る。ハルは涼弥の中から自身を抜き去ると、ゴムを縛って捨てた。本気で仕事を忘れるところだった。
「大丈夫だった?」
 冷静になるにつれ、不安が心に去来した。涼弥はまだ少しぼんやりしていたが、黙ってこくこくと肯く。髪を撫でて整えてやると、そのハルの手を掴まえて、頬にぴったりと寄せた。
「ありがとう、ハルさん」
「ん……?」
「嬉しかった」
 涼弥が何を指してそう言ったのか、分かるようで理解わからなかった。今ハルの胸の中で渦巻いているこの感情は、一体何なのだろう。涼弥が自分と同じ思いを抱いている筈はない。それなのに、勝手に期待して、都合のいい思い込みをして、情を動かされているのだ。
——莫迦みたい。本当に……。
 それでも、この胸のぬくもりは拭い去れない。
「僕も……」
 嬉しかった。涼弥が、自分を受け入れてくれたような気がして。
 たった一度身体を重ねただけなのに、どうしてこんなに心が軽くなってしまうのだろう。長い間錆び付いていた、ハルの中の小さな欲望が、久しぶりに顔を出したような気がした。




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