スレイヴイーター

鬼畜姫

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沈黙の聖女

愛を食わらば皿まで

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 僕はマリアの部屋で目が覚めた。
 ランプの灯りが部屋を照らしている。
 もうすっかり夜になってしまったようだ。
 視界を動かさず、天井を見上げながら僕は現状把握に思考を巡らせた。

 どうして僕はここにいるのか。
 マリアを助けたのは当然覚えているとして――。

 僕はベッドの上でマリアの胸を弄んだ。
 感触だって覚えている。

 それから、彼女の側にわざと手紙を置いて気絶した。

 強気の僕は別人格というわけではないので、最後の一瞬まで何をしたのか、何を考えていたのか筒抜けだった。

 なるほど――。

「情熱的であるが故に……か」

 本音を隠す今の僕よりも強気の僕の方が素直のようだ。
 マリアを買った時には迷惑からの怒りが強かった。
 しかし、認めたくないが、どうやら僕は彼女が好きになってしまったらしい。
 だから、僕が手放さないように、彼女を全力で囲う作戦を実行した、と。

 ――それにしても、まいったね。

 手放したくないって言っても、素の僕が上手く立ち回れる保証はないんだぞ?

 ああ、隣から聞こえる吐息がやけに気にかかる。

 そこに彼女はいる――。

 だが、振り向くだけの動作が簡単にできないのだ。
 夏の怪談でもあるまいに、どうして僕がこんなことで怯えなければいけないのか。
 これで幽霊とか本当にいても困るが、マリアの美しい顔が面前にあっても困るんだよ。

 ほら、顔を動かすことすら躊躇する僕に何ができるって?

 冷や汗をダラダラかきながら、ゆっくりと振り向こうとした時だった。
 僕の視界に紙を持った細い手が映り込む。

『つまり、犯人は童貞です!』

 ……………………。

 紙に書かれた内容を読んで、心の声すら絶句した。
 隣にいる気配に、『何が『つまり』だよっ!?』とか、『何の犯人だよっ!?』と、突っ込みそうになってしまったが、乱心しているとしか思えない文章に飲み込まれつつも平静を保った。

 むしろ、今までの恐怖した無駄な時間を返して欲しい。

 冷や汗すら引いてしまったじゃないか。

 マリアさんや、童貞って意味分かって言ってるのかい?

『こんなはしたない言葉を使うわたくしに幻滅しましたか?』

 しかし、次に出された文章で、彼女が童貞を理解しているのだと確信した。

「幻滅……と言うか、驚いたね」

 当然、そんな顔は見せてやらないし、顔を見てもやらない。

『私は年下の女の子に結婚を先越されて、愛に餓えておりました。聖女の名を剥奪されたのも、そんな下品な私を見かねた教皇さまの決断だったのです』

「へぇ、じゃあ童貞の僕とだったら、さぞご不満だろう」

『処女と童貞でしたら、別に構わないのではないですか?』

「僕が気にするさ……」

 どうせ満足していないって顔で下品な命令に従うんだ。
 そんな屈辱を受けたら、僕は今度こそ引き籠るぞ。

『そんなことは気にする必要ありません』と、慰めるか?
『意気地無しですね』と、罵るか?

 次の文章を読むのが怖くて瞼を閉じると、僕の手を包み込む感触があった。

 恐る恐る瞼を開くと、彼女から差し伸べられた細い手が、静かに僕の手と重なっている。
 そこから伝わる温もりが心地よくて、僕の瞼は再び自然と閉じた。

 今度は恐怖なんか感じない。
 女性と密着して少し興奮しているが、暴走するわけでもない。

 ああ、そうか――。

「温かいな……」

 僕が求めていたものはここにあったのだ。

『御主人様のお体も温かいですよ』

 片手が塞がったはずなのに、彼女は器用に書きつづる。
 目が見えないと、聴覚、嗅覚なんかが鋭くなるって言うけど、彼女の場合は執筆が早い。
 そして、読んでもらおうとする工夫なのだろう。
 文字が崩れることはなく、とても綺麗な字だ。

「自分で言った言葉だけど、変だよな? 夏なのに……、僕たちは風邪でも引いてるんじゃないか?」

 くすりと笑った音がして、小刻みに震えながら執筆をすると、彼女は紙を見せてくる。

『私は寂しかったからでしょうね』

「僕も同じさ……」

 マリアへと顔が自然に向く。

 美しい瞳には大粒の涙。
 僕は触れていない方の右手で彼女の涙を拭う。

 驚いたのか、彼女は筆を落としてしまった。
 しかし、僕は言葉を止めることはない。

「仕方ないから孤独を選んだことにして、諦めるしかないと思っていた」

 暴走して人を傷付けたらどうしよう。
 自分の弱点を晒して、裏切られたらどうしよう。
 救いの手を求めることさえできずに僕はいた。

「でも――」

 僕はうつむいた。
 受け入れて、本当に大丈夫なのか?

 こんなにあっさりと信じてしまっていいのか?

 僕にとって猛毒となる存在を?

「まだ……私を信用できずにいるのですね」

 ああ、そうさ。

 だから、僕は――えっ?

 マリアっ!?

 聞き慣れない声に驚いて顔を上げると、マリアの口の動きに合わせて美しい旋律が部屋に響く。

「見かけ倒しの……さもしい人間だからですか? それは確かに……奴隷の身分で御主人様と仲良くなりたいなんて下心を持つ私です。ですが、裏切るようなことは決して……」

 言いかけて、彼女も俯いた。

「いえ、そんなもの……証明しようもないですね」

 そして、身体をふらつかせ、震えた彼女は弱々しい声で呟く。
 痛々しい声に、僕は顔をしかめながらも告げた。

 拒絶する心がまったく無いと言ったら嘘になるから――。

「君は猛毒だ。僕の弱点を晒し、寿命を縮める毒なんだ…………」

「毒ですか……。ふふっ、そうかもしれません」

 泣いていると思っていたマリアは笑っていた。

「なっ!?」

 顔を上げた彼女は口から血を溢し、苦しそうに咳き込んだ。
 何が起きているのかわからず、動揺しながらも崩れ落ちそうになった身体を支えてやると、それでも尚、笑っていた。

「自分すら犯す毒を…………持っていますから……」

「病気なのかっ!?」

 彼女は首を横に振って答える。

「私は死にましょう…………。御主人様に信じてもらえるなら…………声なんて………………」
 
「まさか、声を出す度にっ!?」

 マリアの声を封印している魔法が毒となって、声帯近くを傷付けているのかもしれない。
 憶測でしかないが、行動しないよりはマシだ。

 ベッドから飛び降り、テーブルに置いてあったポーションを慌てて掴むと、戻った僕はマリアの口に流し込む。
 顔色が良くなっていく彼女を見て、確かにこれは売れるだろうなと納得しつつ、保険をかける。

「いいかい、しばらく声を出すのは禁止だ。僕の命令に従ってくれるね?」

 マリアの体内に僕の魔力が残ってくれていることを祈りつつ命令を下した。
 発動しているのか、はたまたしていないのか、それでも彼女は弱々しく頷いてみせた。
 僕はそれを見て、ようやく安堵の息が漏れる

 興奮なんてものはなかった。
 冷たい汗が運んでくる恐怖が僕の身体を蒼白にしたように、魔力は冷めていたのだろう。

 死――。

 そう、それはまるで彼女と同じ体験をしているような感覚で、不思議な気持ちだった。

 マリアが死んだら、自分が死んでしまう気がして――。

 遠慮しがちな君。

 受け入れてもらえないなら、死という孤独を選ぶ君。

 弱点を抱えて、苦しむ君。

 死を望みつつも、愛に餓えている君。

 それから、あの日……奴隷商人から聞いていた――。

 仲間に裏切られて、未来を失った君。

 まるでメイドに裏切られた僕だ。
 そして、強すぎるけど弱点を抱えた魔法のせいで、裏切られる僕の未来そのものに見えた。

 だから僕は助けた。

 君という奴隷を買った。

 僕がまるで死んでいくのを見せられているような気がしたからだ。

 ――ああ、やっと分かったよ。

 君は僕と似ているんだ。

 似ているくせに心が広くて、消極的に動くことができない。
 シスターとしての生き方が抜けきれず、他者と関わろうと、人を救おうと努力をしている。
 だから、消極的な自殺という選択だって、意味のあるものにしないと行動に移せなかったのだろう。

 僕に信じてもらえないことが、死よりも苦痛に感じた。

 では、逆はどうだ?

 果たして、僕は君に信じてもらう為に死ねるだろうか?

 猛毒を受け入れるのか?

 いや、そもそも彼女の中に僕の魔力が存在しているか確認していない以上、奴隷商人と僕は罪を犯している。
 ブラックは屈服の魔法が切れている状態での生活が違法なのだ。

 だってそうだろう?

 野放しでブラックに出稼ぎなんてさせてたら、何をしでかすか分かったもんじゃない。

 そうさ、僕は既に猛毒を受け入れてしまっていたんだ。

 奴隷監査委員会にはごまかせるように対処しておくという奴隷商人の甘い言葉で薄まっていたが、とっくに人生が狂うかもしれない選択肢を選んでしまっていたのだから。

「毒が回ったら最後なんて思ってたけどさ……」

 それは一つの答えに過ぎない。

「毒は薬になることだってあるんだよな」

 抗体を作るということは、免疫力を高めるということは、外の世界に飛び出すことと同義だ。

「毒が危険だからって全てから逃げていたら、何もできないよな」

 恐れていたら外には出られない。
 世界は毒で満ちているのだから。

 敵意。
 悪意。
 搾取。
 謀略。

 数えたらキリがない。

 しかし、それをどこまで摂取するかは自分次第。
 毒を飲まないで生きている人間なんて最初からいないのだから。

 なのに、君という猛毒を受け入れられるかだって?

「僕は毒を飲んでいたのに、覚悟を疑っていたバカだった……」

 毒は既に全身へと回っていた。

「後は勝手に死ぬか、毒に抗うしかない。答えはシンプルだったんだ」

 マリアはじっと僕の言葉に耳を傾けている。

 それは、期待からなのか――。

 聖女と呼ばれた彼女は、僕が辿り着く答えを温かく見守っていた。

 だから言える。

 断言できる。

「君は猛毒だ。僕の心を短期間でのたうち回らせて、命を脅かす存在だ」

 変わりはない、と。

「だけど――」

 僕は血で汚れたマリアの唇にキスをする。
 それは色気なんて一切忘れた盟約の儀式。

 信用しよう。
 例え、君が己の死すらも演技に組み込むしたたかな存在だったとしても、だ。

 その時は毒に大人しく殺されよう。

 信用を得ようと命を懸ける君に、僕は絶対的な安心感を抱いてしまったのだから。

「僕はその毒で苦しみつつも、外に飛び出そうと思う。僕という毒を受け入れてくれる君を信じて」

 そう、お互い様なんだ。

 真実の愛とは、互いの毒を飲み込んだ先にある。
 きっと、片方が飲んだだけでは手に入らないものなんだ。

 愛を食わらば皿まで。

 だったら、食べきってみせるしかないだろう。
 今なら、お代わりだって食べてしまえそうな気分だ。

 何せ、マリアの幸せそうな顔がそこにある。
 不味そうに見えるはずがないのだから。
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