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しおりを挟む――親が決めた婚約者とは、どのように接するのが正解なのだろうか。
私は対面の席に座っている、同い年の青年の顔をちらりと見つつ考える。
婚約者の存在を知らされたのは、この寄宿制学校に入学する少し前だった。なんとも唐突な話だが、議会で交流した父親同士が意気投合し、そのままノリで決めてしまったらしい。
もちろん貴族の家柄では許婚の文化も根強いことを承知していたが、いくらなんでも当人同士の意見くらい聞いてやれと私は思ってしまった。
そして、ほとんど入学直前に婚約者たるアレクシスと顔合わせをし――
――悪くはない。
私が抱いた感想は、そのようなものだった。
身長は平均より高く、顔立ちは凛々しさがあり、性格は穏やかで癖がなく、会話からは良識と常識がうかがえる。至極真っ当な好青年だった。
一目で恋に落ちるような魅惑の美青年などではないが、長く付き合っていくに値する良き人間。
少ない交流ながらも、私は婚約者に対して悪くない印象を抱いていた。
そして――
――大して進展もないまま学校生活を送りつづけ、今に至るのである。
「――ミラベル」
ふいに、彼はこちらの名前を呼んだ。
私はブラウンの髪の青年を見つめる。その瞳は、どこか困ったような色が浮かんでいた。
「その……こうして、きみと話すことは……これまであまりなかったが……」
うまい言い方が見つからなそうな婚約者――アレクシスの様子に、私はおもわず失笑してしまいそうになった。
もしかしたら、彼は緊張しているのかもしれない。こんなふうに二人で向かい合ってティータイムを過ごすのは、初めてだったから。
学校に入ってからはそれなりに時間が経っているものの、私とアレクシスはそれほど言葉を交わしているわけではなかった。男女共学とはいえ寮は別々なので、授業以外ではあまり会うことがないのだ。そしてお互いに同性の友人との付き合いもあるので、どうしても二人で時間を過ごす機会というものがなかった。
――いちおう婚約者同士という間柄なのに、そんな調子で大丈夫なのだろうか。
たぶん、アレクシスもそう思っていたのだろう。
だから「今日の午後の休み時間に、二人でお茶をしないか」と、彼はめずらしく私を誘ったのだ。
そして――私も迷わず了承の意を伝え、今に至るというわけだ。
「……たまには、こうして話をするのも悪くないんじゃないか。そう思ったんだが……迷惑じゃなかったか?」
「ううん、大丈夫。私もあなたと、少しは交流しておいたほうがいいと感じていたから。……婚約者だしね?」
「まあ、うん……。一応は、な」
どこか小恥ずかしそうな表情で、アレクシスは頬を掻いた。
お互いに関係性自体は否定していない。つまるところ、それだけ嫌悪感や不満感は持っていないということだった。
私は穏やかな気分で紅茶を飲み、不思議な心地に口を綻ばせる。
恋愛というものは、その人に夢中になり忘れられなくなることだと思っていたけど――
現実の男女の関係というものは、もしかしたらこんな感じのほうが良いのかもしれない。胸を高鳴らせ、恋煩うような相手よりも……平静な心で話し合える異性のほうが素敵だった。
「……ミラベル」
「うん?」
「今日は――」
アレクシスがそう言いかけた時だった。
私たちと同様に、喫茶と歓談をしていた周りの学生たちが――何やらざわめきたつ。
その理由は、皆々の視線の先を見やればすぐにわかった。目立つバラの花束を抱えた金髪の男子が、女子の一人に話しかけていたからだ。
「……カルヴィンね、あれ」
私は有名な……もとい悪名高い、キザな色男の名前を呟いた。
黙っていれば美青年、喋ればただのナルシスト。女子たちの間ではそんな評なのが、カルヴィンという男子だった。きっと、また誰か可愛い子を口説き落とそうとしているのだろう。
いったい相手は誰なのか――
そう気になって、彼が話しかけている女子の顔を確認した。
そして――私はなんだか妙に納得してしまった。
「こ……困りますっ。こんな花束、わたし、急に渡されても……」
「フッ……遠慮することはないさ。ボクの気持ちは本物だよ。このバラは、きみに対する情熱の証なのさ」
「うぅ……」
話の通じなさそうなバカに大困惑している女子――プリシラは、今にも泣きだしそうな様子だった。
清楚でおとなしそうな見た目の彼女だが、じつはプリシラも学校では有名人の一人である。
その理由がまた不可思議なのだが――
率直に言うと、彼女は“モテすぎる”のである。
いったい何がそこまで男子を魅了するのかわからないのだが、プリシラはとにかく異性からの人気が凄まじかった。彼女が告白される場面を見かけるのは、じつはこれが初めてではない。私が目にしただけでも数回はあるし、見えないところではもっと求愛されているのだろう。
そしてプリシラ本人は恋人を持つ気がないらしく、延々と男子の声を断りつづけているようだった。だというのに、ああして毎度まいど男から言い寄られているのは……なんというか、ちょっと可哀想かもしれない。モテすぎるのも考え物だった。
「……あんな花、もらっても置く場所に困るでしょうに」
私は遠方のやり取りを、呆れ顔で眺めながら呟いた。
綺麗な花はプレゼントの定番ではあるが、状況を考えなければ逆効果である。実家の屋敷なら花瓶がいくらでもあるかもしれないが、ここは寮で生活する学校だった。大量の花を活けておけるようなスペースなんてあるわけない。
そんな私の言葉を聞いたアレクシスは、どこか不安そうな表情で、確かめるように尋ねてきた。
「……寮室には花瓶が一つ、備えつけられてなかったか?」
「ああ、ちっちゃいアレでしょ? 数輪くらいしか入らないけどね」
たまに同室の女の子が、週末の休日に芍薬などを買ってきて花瓶に挿しているのを思い出す。殺風景になりがちな寮室では、その程度の花でもある程度の華になった。
私は紅茶をすすりながら、相変わらずナルシストなカルヴィンと対応に苦慮しているプリシラの様子を覗き見する。個性の強い人間に好かれると難儀なものね、と内心で同情していると――
ふいに、おそるおそるといった声色で、アレクシスがふたたび尋ねかけてきた。
「……花のプレゼントは嫌いか?」
「えっ? ……あー、ううん。べつに、私は嫌いじゃないけど……」
唐突な質問に少し戸惑いながら、私はそう答えた。
実際に、花の匂いは好きなほうだ。あのカルヴィンみたいに、いきなり大量の花を押し付けてきたら迷惑するかもしれないけど――
家族や、親友や、そして……恋人のような身近な人から、真心をこめて贈られる花はとても素敵で嬉しいプレゼントだった。
私がその自分の考えを話すと、アレクシスは一安心したように穏やかな笑みを浮かべた。
そして――彼は、隠すように椅子の下に置いていた紙袋を取り出すと、その中にあるものを表にした。
それは花束だった。
たった二輪のバラを紙で包装した、慎ましやかな花のプレゼントである。
こんなものを、目の前に見せられる心当たりは――少しだけあった。
「――明日が誕生日だろう?」
「……なんだ、覚えてたのね」
私はちょっと恥ずかしさを感じつつ、ごまかすように笑いながら言葉を返した。
学生が外出できるのは週末だけなので、昨日の休日に花屋にいって買ってきたのだろう。寄宿制学校の学生生活はストイックなので、貴族が実家でやるような誕生日パーティーなんてものは存在しなかった。
だから今年の誕生日も、両親からメッセージカードが届いておしまいと思っていたけど――
どうやら、そんなことはなかったらしい。
「……ありがとう」
私は婚約者からの贈り物を受け取りながら、ちらりと向こうで注目を集めているプリシラたちを見遣った。
どうやらほかの学生たちはあっちばかり見ているようで、私たちのやり取りに気づいている人間はいないようだ。
誰にも見られない中で、私はアレクシスへと視線を戻して口を開いた。
「次のあなたの誕生日には、私も何かプレゼントしないとね」
「無理にしなくても――」
「無理にじゃなくて、したいからするのよ」
私ははっきりとした口調で言いながら、そしてニッコリと笑って伝えた。
「――だって、あなたは私の婚約者なんだから」
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